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鳥の飛行目ざめよ! 1979 | 3月8日
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下側を切り取られ,速い速度で上昇してゆきます。それは暖かい空気でできた大きなあわのようです。上昇温暖気流が生じると,カモメやタカなどの鳥はそれと一緒に上空へ舞い上がります。ヨーロッパの渡り鳥の中でも最大のみもの,コウノトリは,南へ向けて長い旅を始めるときにこの気流を利用します。コウノトリはスペインやオランダ,ライン川流域から出発し,この上昇温暖気流に乗ってかなりの上空まで達した後,ジブラルタル海峡に向かって南西に飛び,アフリカへ渡ります。
ほかの鳥と同様に,コウノトリも滑空する前にまず羽ばたきをせずに上空へ舞い上がります。鳥類学者たちは,滑空が最も簡単な飛び方であると説明しています。羽ばたいたり空中を舞ったりするよりもこの飛び方のほうが単純で,エネルギーの節約にもなります。きっとあなたは,ツバメがあちこちと滑空し,時たま翼を大きく動かすだけで長時間優雅に飛ぶのをご覧になったことでしょう。隊形を成して飛ぶガンやペリカンのように,着地の前にそうした飛び方をする鳥は少なくありません。
しかし,滑空が一番うまいのはアホウドリです。例えばワタリアホウドリは,一年のうち九か月間も南半球を飛んでいます。この鳥は,海面近くと海上15㍍の風速の違いを利用して滑空します。海の波による摩擦抵抗がないため,上空の気流は強く速く流れ,それによってアホウドリは速度を増すことができるのです。その後,速度の緩い気流にぶつかると,速い速度で飛んでいたアホウドリは上空に向かって押し上げられます。
上空を飛ぶハチドリ
上空を飛べる鳥というと大きな鳥が多いので,ある種のハチドリが4,900㍍もの上空を飛んでいたことを聞くと意外な感じがするかもしれません。この小さな鳥は,ほんのしばらくの間ですが,後ろ向きに飛ぶことのできる数少ない鳥のうちの一つです。また,その翼を動かす速度も驚くべきものです。まさかと思うかもしれませんが,米国やカナダ産ののどの赤いハチドリは,一秒間に50回から70回も羽ばたきます。そうです,一秒間にです! これをペリカンの場合と比べてください。ペリカンは飛び続けるために一秒間にわずか1.3回しか羽ばたきません。
小さなハチドリが4,900㍍もの上空に達するだけのエネルギーをどのようにして得られるのだろう,と考える人がいてもそれは当然です。しかし答えは至極簡単です。この高度で観察されたハチドリは,標高2,400㍍から最高6,000㍍以上にも及ぶエクアドルのアンデス山脈の,その万年雪の付近にいたのです。この特種な鳥はアンデス山脈の高地に住んでいることが知られており,飛び立つ位置が高いために容易に上空に達することができるのです。
“高地に生息する鳥”
それで,ほかにも“高地に生息する鳥”が上空を飛んでいるのが観察されても不思議ではありません。一例として,コンドルが挙げられます。これはカリフォルニア・コンドルと同じくらいの大きな鳥で,アンデス山脈の最も高い所に住んでいます。それで,アンデス山脈の3,950㍍の山頂からさらに2,040㍍上空の空気の希薄な所を,この鳥が一見楽々と飛んでいても,驚くには及びません。
飛行中の鳥が到達した高度の中で最高記録として知られているのは,恐らく数年前そびえ立つヒマラヤ山脈を横断した渡りのガンの群れが記録したものでしょう。当時科学者たちはインド上空の太陽を撮影していましたが,ちょうどそのとき,標高約8,800㍍のエベレスト山と同じ高さの所をガンがV字形の隊形を成して飛んでいるのを観察しました。
エドムンド・ヒラリー卿とその案内人が見た,上空を飛んでいた鳥についてはどうですか。二人ともそれが何であるか分かりませんでした。ハゲワシに似たあの大きなヒゲワシかもしれません。エベレスト山付近の高度7,300㍍から7,600㍍の上空をヒゲワシが飛んでいるのが時折り観察されているからです。
上空を飛ぶガンやコンドル,そしてことによるとヒゲワシも,必要な場合には高度を上げることができるのでしょうか。きっとできるに違いありません。
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なぜ私は自分の生活を清めたか目ざめよ! 1979 | 3月8日
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なぜ私は自分の生活を清めたか
私は東部ベルギーにあるリェージュ市の近くで育ちました。私の少女時代は幸せというにはほど遠いものでした。それは1960年代の初めに,父と母が別れたからでした。そのとき私はまだ10歳になっていませんでした。
私は父と一緒に住んでいましたが,父は働く気のあまりない人で,それがいろいろな問題の原因になっていました。父は,私にも大して関心を示しませんでした。それで私はかなり気ままに行動していました。だから父は気楽だったのでしょう,よそで寝ることが多く,何日も家に戻らないこともよくありました。
私は14歳で学校をやめ,働きに出ました。働きはじめるとおとなになったような気持ちになって,喫煙や飲酒をはじめ,男の子たちと外出するようになりました。私がつきあっていた仲間は良い仲間ではなく,私は彼らの生き方に徐々に巻き込まれていきました。もちろん初めのうちは悪事というほどの事は何もしませんでしたが,転落の道をたどっていることは確かでした。それでも,私にはこれといった人生の目的もなかったので,そういう生き方を改めなければならない理由もわかりませんでした。
不道徳の深みへ転落
15歳になったとき,私はスパ市の近くのあるホテルでウェートレスの仕事に就きました。そしてある男の子と初めて性関係を持ったのがそのホテルでした。
16歳のときには年齢を偽ってバーのホステスになりました。ここではそのバーの経営者の息子のひとりと親しくなり,やがて夜を共にすごすようになりました。しかし後ほどくら替えし,弟のほうとつきあうようになりました。
“恋人”のひとりから同性愛タイプの行為を教わるに至って,事態は急速に悪化し,やがて私は忌むべき性行為にいよいよ深く巻き込まれていきました。
そのころ私は,どうしても別の仕事を見つけなければならないはめになりました。当時私が一緒
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