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  • 『日ごとに彼の救の良いたよりを宣べ伝えよ』
    ものみの塔 1957 | 3月15日
    • は低下しました。しかし,会衆の僕たちが帰つて来て,熱心な努力を払つた結果,奉仕年度の終るまでには,29パーセントの増加にあたる1907名の伝道者の新最高数というよろこばしい結果を得ました。

      兄弟たちは,自分たちの住む区域で映画を映写するために多くの障害を克服したのです。映写機用にガソリンの発電機を買いました。兄弟たちは,歩いたり,又は場所によつては自転車に乗つたりして,この発電機とガソリンを幾百マイルも運んだのです。翌晩の映写のために,焼きつくような強い日差を受けながら,運搬することはつらい仕事でした。しかし,その価値はありましたか。この年度中の4ヵ月間の映画の運動に,合計4万8357人が出席しました。二人の台湾人の特別開拓者が伝道を始めた或る町では,4500人が出席して映画を見ました。

  • 忠実な管理
    ものみの塔 1957 | 3月15日
    • 忠実な管理

      『多く与えられた者からは多く求められ,多く任せられた者からは,更に多く要求されるのである。』― ルカ 12:48,新口。

      1 管理者はどんな責任を持ちますか。

      管理者とは,世話をする者または守る者です。そして,不動産か動産,またはその両方を管理する人のことです。長の管理者は,事実上では監督者,行政者,支配者になります。管理と責任は,共々に近密な関係を持ちます。責任を持つとは,義務もしくは信用を守り果すこと,正しい上位者に対して責を負うこと,行為もしくは義務に対して責任をとり得ること,そして信頼に値する人であること,を意味します。

      2 管理者に対するいくらかの聖書的な要求を述べなさい。

      2 次の言葉を述べた使徒ペテロは,管理と責任のあいだの密接な結びつきを表わし示しています。『あなたがたは,それぞれ賜物をいただいているのだから,神のさまざまな恵みの良き管理人として,それをお互のために役立てるべきである。』またパウロもこう語つています,『このようなわけだから,人は私たちを,キリストに仕える者,神の奥義を管理している者と見るがよい。この場合,管理者に要求されているのは,忠実であることである。』『監督たる者は,神の管理者として,責められる点がなく,わがままでなく,軽々しく怒らず,酒を好まず,乱暴でなく,利をむさぼらず,かえつて,初めての人を愛すような人でなければならない。』― ペテロ前 4:10。コリント前 4:1,2,新口。テトス 1:7,8,新世。

      3 パウロは,管理者としての自分の責任をどのように認めましたか。

      3 次の言葉を書いたパウロは,自分に委ねられた責任をはつきり認めました。『私があなたがたのために神から賜わつた恵みの務について,あなたがたはたしかに聞いたであろう。……私は啓示によつて奥義を知らされたのである。』『私はあなた方の為に神の言を全く伝道する務を神から与えられたが,そのためにこの会衆の奉仕者になつたのだ。』『幸福な神の栄光に充ちる良いたよりに従い,私はこの良いたよりを委ねられた。』『私たちは神の信任を受けて福音を託されたので,人間に喜ばれるためではなく,私たちの心を見分ける神に喜ばれるように,福音を語るのである。』― エペソ 3:2,3。コロサイ 1:25。テモテ前 1:11。テサロニケ前 2:4,新口と新世。

      4 ヱホバとキリスト・イエスは,管理者たちにいろいろの事柄を委ねる際にどんな責任を課しますか。

      4 ヱホバ神は,キリスト,イエスを通して大きな事柄を,現在の末の日に住む神の真の民に委ねておられます。ヱホバの奉仕に献身しているすべての者にとつては,これは最大の関心事です。神の奴隷なる管理者全部に対して,次のような譬が与えられています,『或る身分の高い人が……十人の僕を呼び十ミナを渡して言つた,「私が帰つて来るまで,これで商売をしなさい。」……さて,彼が王位を受けて帰つてきたとき,だれがどんなもうけをしたかを知ろうとして,金を渡しておいた僕たちを呼んでこさせた。最初の者が進み出て言つた,「ご主人様,あなたの一ミナで十ミナをもうけました。」主人は言つた,「よい僕よ,うまくやつた。あなたは小さいことに忠実であつたから,十の町を支配させる。」それから,もうひとりの者が来て言つた,「御主人様,さあ,ここにあなたの一ミナがあります。私はそれをふくさに包んで,しまつておきました。あなたはきびしい方で,おあずけにならなかつたものを取りたて,おまきにならなかつたものを刈る人なのでおそろしかつたのです。」(彼は)そばに立つていた人々に,「その一ミナを彼から取り上げて,十ミナを持つている者に与えなさい。」と言つた。彼らは言つた,「ご主人様,あの人はすでに十ミナを持つています。」「あなた方に言うが,おおよそ持つている人には,なお与えられ,持つていない人からは,持つているものでも取り上げられるであろう。」』(ルカ 19:12-17,20,21,24-26,新口)ここに,王が御国の事柄を御自分の奴隷たちに委ねられて,増加を期待し給うた,ということが示されているのです。増加にたいしては是認し,増加することに失敗したことに対しては否認することが明白に述べられています。同じ原則は,マタイ伝 25章14-30節にあるタレントの譬によつても強調されています。停頓は許されないのです。

      5 弟子たちに委ねられている事柄のいくらかを述べなさい。

      5 次の言葉を述べられた主イエスは,自分の弟子たちに,いろいろの事柄をたしかに委ねられました,『私は彼らに御言を与えました。』「私は彼らにあなたの御名をあらわしました。」『私は,あなたかたから頂いた栄光を彼らにも与えました。それは,私たちが一つであるように,彼らも一つになるためであります。』(ヨハネ 17:6,14,22,新口)『神の国はあなたがたから取り上げられて,御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。』(マタイ 21:43,新口)『恐れるな,小さい群よ。御国を下さることは,あなたがたの父のみこころなのである。』(ルカ 12:32,新口)そして,パウロもこう述べています,『すべてこれらの事は,神から出ている。神はキリストによつて,私たちをご自分に和解させ,かつ和解の務を私たちに授けて下さつた。』(コリント後 5:17,18,新口)『主にあつて受けた務をよく果すように』(コロサイ 4:17,新口)『あらゆることに平衡を保ち,悪を耐えて伝道者の業をなし,あなたの宣教を全うしなさい。』(テモテ後 4:5,新世)貴重な事柄のいくらかが神の民の管理に委ねられている,と示す聖句はたくさんあります。前述のものは,その中のわずかな聖句に過ぎません。その事柄とは,すなわちヱホバの言葉,ヱホバの御名,神の御国,和解の宣教,そして福音伝道者の業です。

      6 御国の事柄はなぜ増加されねばなりませんか。それは道理に叶いますか。なぜ?

      6 委ねられた事柄は増加されねばなりません。聖書の規則は,かたく定められているからです,『持つている人には,なお与えられ,持つていない人からは,持つているものまでも取り上げられるであろう。』(ルカ 19:26,新口)これは,公正の規則です。勤勉な者たちには,励ましが与えられています。余分に事柄を行う者は,御国奉仕の機会を拡大すべきです。ヱホバは,増加を得ようとして働く者を祝福し,増加を与えます。怠惰な怠け者は,自分の持つているものを失います。それですから,私たちは非常な注意を払つて御国奉仕の機会を大切に重んじ,そして聖書的な規則に即応しなければなりません。忠実で熱心な奉仕に対する報いは,より大きな責任です。熱心な祈を捧げつつ,ヱホバを恐れて歩んでこそ,増し加つた特権を頂くことができるのです。

      聖書的な例

      7 ヨセフとその管理を考えると,私たちはどんな益を得ますか。

      7 たくさんの聖書的な例があります。しかし,いまはその一つだけを考察しましよう。それは,ヨセフの経験です。忠実な管理をしたために,ヨセフはヱホバの祝福を受けていました。ヨセフの記録を考えることは,私たちの益になります。次の一事はたしかです。すなわち,ヱホバの友になると,繁栄がもたらされる,ということです。興味深いことに,創世紀 39章の最初の6節の中で,ヨセフはヱホバの祝福を受けたということが5回述べられています。『ヱホバ,ヨセフとともに在す。彼さかゆる者となり……その主人ヱホバの彼とともにいますを見,またヱホバがかれの手のすべてなすところをさかえしめたもうを見たり……ヱホバ,ヨセフのためにそのエジプト人の家を祝みたもう,すなわちヱホバの祝福かれが家と田にもてるすべての物におよぶ。』その結果,さらに次のように成功した,とも記されています,『彼その有るものをことごとくヨセフの手にゆだね,その食うパンの外は何をもかえりみざりき。』自分の責任を十分に果した忠実な管理者に関する素晴らしい記録です。

      8 ヨセフの経験によつて明白に示されたように,ヱホバを友にするときの祝福のいくらかを述べなさい。

      8 ヨセフは神を恐れました。人間の不興を買うことよりも,ヱホバの不興を買うことを恐れる人は,信頼に足りる人です。ヱホバと共に歩むことは,祝福された状態です。そして,神の奴隷たちは,任命された務がどんなものであろうと,奉仕にいつも幸福です。ヱホバの友になるという関係を得るためには,それを追い求めて,祈を捧げねばなりません。そして,それを得る事柄をしてこそ,得ることができるのです。旅の道伴でそれに勝るものはありません。どの場所にいようともヱホバが共にいる,と意識する人は幸いです。孤独な場所というものはないからです。いちばんつらい試練のときにも,ヱホバは私たちと共にいます。それですから,何かを失おうと,または誰かを失おうと,私たちは前にも増してヱホバとの友なる関係を大切にいたします。真実にヱホバが私たちと共にいるなら,陸上であろうと,海上であろうと,どの国でも又どの状態でも,ヱホバは私たちの近くにいます。ヱホバは私たちの友であり,同伴者であります。まつたく,ヱホバを恐れて,ヱホバの友になることは,何ものにも勝る最善の保護です。ヱホバの栄光は,その子たちの祝福された状態と幸福の中に反映しています。あらゆる道において,私たちはヱホバを認めているため,ヱホバは私たちの道を指示されています。そのような友なる関係と保証を持つヱホバの民は,なんと幸福なのでしよう!

      9 管理をしていても誘惑をうける,といこうとを示しなさい。誘惑には,どのように上首尾に対処することができますか。

      9 誘惑はヱホバ神の忠実な管理者たちに,今でも来るのです。ヱホバの祝福を認識するとしても,私たちは危険から免除されているわけでありません。それですから,いつもヱホバを恐れつつ歩むことが必要です。ヨセフの場合がそうでした。ヨセフは生涯中に,恐ろしい経験をしたのです。記録は,こう述べています,『ヨセフは容貌麗しくして顔美しかりき。これらの事の後,その主人の妻ヨセフに目をつけて,我と寝よ,と言う。ヨセフ拒みて主人の妻に言いけるは,視よわが主人家の中の物をかえりみず,その有るものことごとくわが手に委ぬ。この家には我より大なるものなし。又主人何をも我に禁ぜず。ただ汝を除くのみ。汝はその妻なればなり。されば我いかでこの大いなる悪をなして神に罪を犯すをえんや。』この妻が言寄つてヨセフの衣をつかんだとき,彼は衣を棄てて逃げました。それは,今日の忠実な管理者の採るべき安全な道です。誘惑に面するときは,それから逃げなさい。もし,その誘惑を理づめにしようとすると,かえつて誘惑に負けるかもしれません。逃げることが安全な道です。毒蛇から逃げるように大急ぎで逃げ,危険から遠ざかりなさい。ヨセフは,その申出が『神に罪を犯す』ものである,との事実を直ちに認めたのです。かくして彼は身の安全を保ち得ました。同じように,ヱホバを恐れるなら私たちも安全です。神に対して罪を犯してはなりません。にわかにたいへん悪くなる,という人はいません。むしろ,徐々に弱まつて行くのです。一方,ヱホバを恐れるなら,人は悪から離れて安全です。―創世 39:6-9。

      ヱホバの祝福

      10 ヱホバの祝福はなぜ肝要ですか。どのようにそれを得ることができますか。

      10 神の民の各人は,神の祝福を欲します。『ヱホバの祝福は人を富ます。ヱホバはその人に悲しみを加えず。』(シンゲン 10:22,ア標)『主の祝福は義しき者の頭にあり。それはその人を富まし,心の悲しみは加えられず。』(七十人訳)また,次のようにも書かれています,『汝の神ヱホバを憶えよ。そは,ヱホバ汝に宝を得るの力を賜うなればなり。かくしたまうは,汝の先祖たちに誓いし契約を今日の如く行わんとてなり。』(申命 8:18)何事もヱホバの祝福に依存しています。しかし,それは利己的な目的を達成するためには決して与えられません。ただヱホバの御意を達成するために与えられるのです,『人の道がヤウエの御旨にかなうなら,彼はその人の敵をもこれと和がせる。』(シンゲン 16:7,ロザハム訳)ヱホバの祝福は,ヱホバの命じ給うことをすることにより,また真実にヱホバをよろこばすことにより,得ることができます。私たちは,自分から何かを行うべきでありままん。先ず最初に是認を受けるべきです。イエスはこう語られました,『あなた方が人の子を上げてしまつた後はじめて,私がそういう者であること,また,私は自分からは何もせず,ただ父が教えて下さつたままを話していたことが,分るであろう。私をつかわされたかたは,私と一緒におられる。私はいつも神のみこころにかなうことをしているから,私をひとり置きざりになさることはない。』(ヨハネ 8:28,29,新口)イエスは忠実な管理者で,自分の責任を為しとげました。それで,十分の報を頂いたのです。イエスは私たちの完全な模範です。

      11 どんな道に従わねばなりませんか。そしてヱホバの祝福を得るためには,何を避けねばなりませんか。

      11 ヱホバの祝福に富むためには,私たちはいつも奉仕に忙しくしていなければなりません。これは勤勉を意味します,そしていつ如何なる時でも真実の努力を払い,大きな忍耐を持ち,今の仕事を為しとげようと決意して行い,かつ任ぜられた仕事を達成しなければなりません。責任を避けたり,言訳をつくつて非難を避けることでは決してありません。是認を求めている管理者が,責任を避ける事柄を言つたり行つたりして,或る事柄に注意を払わなかつたことについて自分の肩に課せられる非難を避ける,などということは全く無益なものです。自分の責任を避ける人は信頼することのできない人です。ヱホバはそのような行によろこばれません。もしヱホバの祝福を得たいと欲するなら,その人は自己犠牲の精神を持つべきであつて,ヱホバをよろこばすよりも自分をよろこばす我儘の気持を持つべきでありません。それは,正直,純正,忠実,忠節,そして信頼性を持つことを意味します。

      忠実にして慧い奴隷

      12 『忠実にして慧い奴隷』は誰ですか。なぜそう言えますか。

      12 イエスは次のように言われました,『主人が家人の上に任命して,正しい時に食物を与える忠実にして慧い奴隷とは実際に誰であるか。主人が着いたとき,そのようにしているのが見られるその奴隷は幸いである。私はほんとうにあなた方に言う。主人は彼を任命して全財産を管理させるであろう。』(マタイ 24:45-47,新世)ヱホバの制度に属している人々は,その『忠実にして慧い奴隷』とは,神の油注がれた者の忠実な残れる者で構成されている一つの級であることを知つています。それらの残れる者は,今は一つの群に集められ,ものみの塔聖書冊子協会の統治体の指示と権限の下に働いています。ヱホバの証者と交つていない読者の方々は,この事柄を認めるのに一寸ためらうかもしれません。しかし,油注がれたクリスチャンたちで成立つこの級の活動にヱホバの祝福がはつきり表し示されていることから,その真実なることがお分りになるでしよう。そして,疑いとか疑問はなくなつてしまうでしよう。その結果,幸いを得ることができます。というのは,最高の神ヱホバはいま御自分の民と交りを持たれ,その祝福は彼らの上にある,ということ知るからです。

      13 どんな出版物は,協会の目的と綱領を十分に述べていますか。それにはどんな結果がともないましたか。

      13 協会の公式な雑誌は『ものみの塔』です。この雑誌は1879年の7月に創刊し,以来1号たりとも休刊したことがありません。今では毎号の発行数は280万部に達し,46の言語で印刷されています。表紙の裏側を開いて,その雑誌の目的を読むなら読者は益を受けるでしよう。お分りのように,この雑誌は危険を警告し,良いたよりを宣伝え,いつも事柄を聖書的に見,現在の事態に注意を払い,避難の道を指し示し,ヱホバの御国を宣明し,霊的な食物でキリストの霊的な共同相続者を養い,永遠の生命というすばらしい見込で善意者を励まし,そして救をもたらすために聖書の真理に正しい忠実な焦点を合わせています。ここに協会の目的,理念そして綱領が述べられています。それは成功を収めました。そしてヱホバの祝福を頂いたのです。

      14 (イ)『忠実にして慧い奴隷』級は,家人に関する責任をどのように果しましたか。(ロ)主の家の内部と外部の状況を比較してごらんなさい。

      14 『忠実にして慧い奴隷』は,正しい時の食物を与えるために家人の上に任命されました。これは忠実に行われてきました。御国,キリストの再臨,予言の成就,サタンとその世,そしてその世の終についての真理は,77年のあいだ信仰を持つ家人に滋養分の豊かな霊的な食物として給せられてきました。聖書にこう書かれています,『天の御国について教える公共の教訓者は,みな自分の倉から新しいものと古いものを取出す主人のようである。』(マタイ 13:52,新世)食物が給せられるにつれて,更に多くの食物が供給せられてきました。霊的な食物が不足する,ということはないからです。ヱホバの制度内で食物の飢饉がある,などと聞いた人はひとりもいません。『神は麦の最善をもて彼らを養い,岩よりいでたる蜜をもて汝を飽かしむべし。』(詩 81:16)この家の外部は飢饉です,『主ヱホバ言たもう。視よ日いたらんとす。そのとき我飢饉をこの国におくらん。是はパンに乏しきに非ず水に渇くに非ずヱホバの言葉を聞ことの飢饉なり。彼らは海より海とさまよい歩き,北より東と奔まわりてヱホバの言葉を求めん。されどこれを得ざるべし。』(アモス 8:11,12)『ほどこし散らして反りて増すものあり,与うべきを吝みて反りて貧しきにいたるものあり。』(シンゲン 11:24)それで,『管理者』級によつて十分の面倒を見てもらつているヱホバの民は,霊的に強く,また力に溢れています。いつも家人の面倒を見たことは,ヱホバに祝福されました。これは予言の成就です。それですから,同じ祝福を得たいと欲する人々は,同じ種類の奉仕をしなければなりません。

      15 ヱホバの援助と祝福をうけて,管理者級は際立つどんな奉仕をいたしましたか。パウロは,それをどのように言及していますか。

      15 この同じ油注がれた残れる者,すなわち『奴隷』級は,聖書のみを私たちの導きにする,という責任を忠実に果してきました。真の教理は清い崇拝を生ぜしめました。それは,人間や制度の理論とか言伝えを捨てて,智恵の書なる神の言葉にかたくしつかりとつき従いました。ヱホバの証者は『真理によつて彼らを聖別して下さい。あなたの御言葉は真理であります。』と書かれているように,いま聖書の真実なることを知つています(ヨハネ 17:17,新口)今日,神の言葉はヱホバの証者の身にかたくついています。神の聖なる御言葉は,ヱホバの証者に委ねられました。たしかに,神の啓示の貴い宝は,この忠実な奴隷級に委ねられました。それは,神の証明し給う証詞であり,また律法です。私たちはそれにつけ加えることも,取去ることもしません。それはヱホバ神から御自分の民に与えられた手紙であつて,印の押された言葉です。そして,今では忠実な者たちの手元に安全に保管されています。パウロは次のように述べました,『キリスト・イエスに対する信仰と愛とをもつて,私から聞いた健全な言葉を模範にしなさい。そして,あなたにゆだねられている尊いものを,私たちの内に宿つている聖霊によつて守りなさい。』(テモテ後 1:13,14,新口)この管理者は,今はヱホバ神の清い言葉を保管する者です。(イザヤ 8:16)この事実は,予言の成就であり,それにはヱホバの祝福がともないます。あなたもその祝福を頂きたい,と欲するなら,真理をしつかり保ち,そしてその真理を心から信じなさい。また,真理にもとづく行をいたしなさい。

      16 1918年以来および以後では,この忠実な管理者はどんな実際的な業を成しとげてきましたか。

      16 この忠実な級に委ねられている別の責任は,人々の注意を惹き,かつ達成せられました。それは,マタイ伝 24章31節(新口)に予言されているごとく,「選民」を集めることでした,『彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして,天のはてからはてに至るまで,四方からその選民を呼び集めるであろう。』1880年の11月に,『ものみの塔』(英文)は,『キリストに集める』という題の記事を出版しました。その中心の聖句には詩篇 50篇5節が用いられています,『祭物をもて我と契約を立てし我が聖徒をわがもとに集めよ。』そして,集めることは死後になされるのでなく,この組織制度の終りの地上でなされる,ということがはつきり示されました。この集める業は続けられて行き,1918年には幾千人もの人々が集められていました。そして,ヱホバが突如として御自分の宮に来たときに,彼らは裁きをうけたのです。(1956年4月1日号の『ものみの塔』130,131頁を見なさい)1918年以来,裁きは続けて行われ,この宮級の悪は取のぞかれ,精錬されて清められました。それで,彼らはヱホバが霊によつて住み給うヱホバの建物を形成します。(エペソ 2:22)地上にある制度で,その試錬,清め,熱,迫害を耐え忍んだものは他にありません。実際のところ,他の群の民でこの民ほどにヱホバの峻厳さ,懲戒,恵み,過分の御親切を受けたものはひとつもないのです。

      17 この僕級とヱホバが交りを持たれていることは,予言されているごとくに,ヱホバに対する彼らの関係をどのように表し示しましたか。

      17 約40年にわたつて,ヱホバがこの民と交りを持たれてきたことが表明せられました。幾千人という人々は,罪人とか偽善者であつたために,制度から捨てられ,排斥されて来ました。『シオンの罪人は恐る。戦慄はよこしまなる者にのぞめり。われらの中たれか焼つくす火にとどまることを得んや。われらの中誰かとこしえに焼くるなかに止まるをえんや。』(イザヤ 33:14)次に続く聖句は,誰が止まるかを示しています。神の裁きの火に耐え,そして神の憤りと不興に忍んだ油注がれた残れる者は,今は幸いです。イザヤ書 33章17節は,次のように述べています,『なんじの目は美わしき状なる王を見,遠く広き国を見るべし。』神の油注がれて祝福を受けた者たちは,なんと幸福なのでしよう! その地は良く,その王はともにいるのです! 次の聖句は現在に成就されています,『からだは一つ,御霊も一つである。あなた方が召されたのは,一つの望みを目ざして召されたのと同様である。主は一つ,信仰は一つ,バプテスマは一つ。……父なる神は一つである。……全き人となり,ついに,キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。』(エペソ 4:4-6,13,新口)これもまた,この悪しき組織制度の終を示す大きなしるしの一つを成就しているものです。このわけで,ヱホバの豊かな祝福は,はつきり示されています。あなたもヱホバの祝福を頂きたい,と欲しますか。それでは神の油注いだ者の奉仕に参加し,共に一致してヱホバ神に讃美を捧げ,そして平和の中にその指示をうけつつ働きなさい。

      18 どんな限られた期間内に,さらにどんな広範囲な活動が行われて,成功の結果に達するべきですか。

      18 小さな群である油注いだ者の残れる者が集められた後に,別の集める業が為されねばなりません。イエスはこう言われました,『私には,またこの囲いにいない他の羊がある。私は彼らをも導かねばならない。彼らも,私の声に聞き従うであろう。そして遂に一つの群,ひとりの羊飼となるであろう。』(ヨハネ 10:16,新口)また,黙示録 7章9節(新口)には,こう書かれています,『その後,私が見ていると,見よ,あらゆる国民,部族,民族,国語のうちから,数えきれないほどの大ぜいの群衆が……御座と小羊との前に立ち』『他の羊』であるこの大ぜいの群衆を集めることは,1931年以来,特に1935年以来行われており,今では集められた者の数は,最初この集めの仕事をするために油注がれた者の数をはるかに上廻つています。それは奇蹟のようです。現在,地上にいる油注がれた者の数は約1万6000人ですが,集められて御国の音信を宣伝えている者の数は64万2000人です。これは,ただヱホバの祝福によるのであつて,全く驚嘆すべきものに見えます。ヱホバは,この大いなる業に繁栄と成功を与えられてきました。しかし,「ヱホバの大いにして恐ろしい日」の来る前,ハルマゲドンで世が亡びる前に,更に幾十万人という人を集めねばなりません。あなたは,今日ヱホバのすばらしい祝福を見ることができますか。あなたもヱホバの祝福を欲しますか。もしそうなら,この祝福を頂いた者のなす同じ仕事をいたしなさい。道はあなたの前に開かれています。何人も妨げないでしよう。全くのところ,多くの人はよろこんであなたを援助し,この祝福を得させるようにするでしよう。この達成した宣教も予言の成就であり,それを首尾よく否定することはできません。

      19 西暦1914年以来,他の予言のどんないちじるしい成就がなされてきましたか。

      19 王キリスト・イエスは,サタンの世の終を証明する時代のしるしの一つは,次のようである,と約束されました,『この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。』(マタイ 24:14,新口)1914年,王は地の正しい支配者として天の御座に即きました。御国は現に存在しているのです。王は,たしかに多くの仕事をしてサタンの古い世を取除くための準備をしなければなりません。最終の結末までは極く間近です。このことが起きる前に,『小さな群』と『大いなる群衆』を集め,そしてこの世にむかつてその終を警告することが肝要です。しかし,栄光に輝く御国の良いたよりは,全世界で伝道されるでしよう。1922年以来,「設立された御国の良いたより」は,全く特別な方法で宣伝えられてきました。本当に,34年以上ものあいだ,地の新しい王と御国は今までになく熱心に宣伝えられてきました。この音信は,64万2000人以上の奉仕者によつて160の国で伝道されています。この世は,その宣明を聞いており,言訳はありません。それで全世界にわたる予言の成就は,現在行われているのです。これはみなヱホバの『忠実にして慧い奴隷』級の指示の下に,その権限を受けて為されているのです。その大いなる業の上にヱホバの祝福は,今までにも,また今日でも注がれています。あなたはヱホバの恵みと祝福を欲しますか。そうならば,この忠実な級の示した導きと道に従い,そして前進して行きなさい。また,他の者たちに御国とその祝福を告げなさい。

  • 奉仕による祝福
    ものみの塔 1957 | 3月15日
    • 奉仕による祝福

      1 何の理由によつて,油注がれた残れる者は御国の事柄を100倍に増加しましたか。

      神の油注がれた忠実な残れる者たちが,どのように自分たちの特権を増して,多くの責任を得たかについては,読者は御存知のことでしよう。残れる者たちは,100倍以上も増加しました。また御国の事柄を勤勉に,熱心に,そして敬虔に用いた彼らは,ヱホバの援助を受けて奉仕に栄えました。ヱホバはその奉仕を成功させ,その業を栄えしめました。この忠実な管理者級は,神の是認のしるしを頂き,幸いです。幾年ものあいだ,宣教のために捧げられた勤勉で,熱心な,無私の奉仕を注意深く見てごらんなさい。あなたも同じ恵みと是認を頂く道を知ることができるでしよう。名誉なことでもありまた利益にもなることですが,あなたは一つの級が最高の神の是認を頂いている様を目のあたりに見ているのです。彼らは最高の神の御旨にかなつています。

      2 (イ)たつた一つだけの制度は,なぜ神の御名を宣明しましたか。(ロ)これは,世の終についての予言を,どのように成就していますか。

      2 真の神ヱホバの御名は,暗中に匿されていたところから高く揚げられました。ヱホバの御名は,冒瀆され,嘲笑され,そして非難をうけてきました。しかし,ヱホバの民は御名を高く揚げたのです。ヱホバの言葉は,次のように命じています,『その日なんじら言わん。ヱホバに感謝せよ。その御名を呼べ。その御業をもろもろの民の中に伝えよ。その御名のあがむべきことを語りつげよ。』(イザヤ 12:4)クリスチャンと称えるすべての宗教制度を考えてごらんなさい。その中のどれがヱホバの御名を宣伝えていますか。また御名ヱホバのあがむべきことを語つていますか。たつた一つしかないのです。不思議に聞えるかも知れませんが,ヱホバを崇めるこの宣教を行つている民は,ただヱホバの証者だけです。そして彼らは神の油注がれた残れる者の合法の行政機関,ものみの塔聖書冊子協会の指示の下に働いているのです。今日では,幾十万人というクリスチャンたちはヱホバの御名を呼んで救と保護を求めています。御名は,これらの人全部の心と思の正しい地位に置かれたのです。ずつと昔には彼らはその御名を知りまんでした。それで,奉仕者が『私はヱホバの証者のひとりです』と言つて家庭を訪問したなら,おそらく何のことか分らなかつたことでしよう。ヱホバは誰でしたか。なぜ証者を有しているのですか。今では,『ものみの塔』の読者は知つています。しかし,隣人の家に行く必要の無くなる日が来るでしよう。神の予言者は次のように述べているからです,『人おのおの其隣とその兄弟に教えて,汝ヱホバを知れとまた言わじ。そは少より大にいたるまでことごとく我を知るべければなり,とヱホバ言いたもう。我彼らの不義をゆるし,その罪をまた思わざるべし。』(エレミヤ 31:34)これはなんとすばらしい業だつたのでしよう! たしかにヱホバの故に非難を受けても,それはいつもヱホバを愛することなのです! 間もなくしてその御名は地と天に住むすべての者によつて高くあがめられるでしよう。他のものは存在しなくなつてしまうからです。ヱホバはこの業を栄えしめられ,一番豊かな祝福を与えました。それはあなたの欲するものですか。それでは,同じ模範に従い,同様なことをいたしなさい。唯一つ真の神なるヱホバの御名を伝道しなさい。ヱホバをあがめなさい。そうすればヱホバはあなたに栄誉を与えるでしよう。ヱホバを称えなさい。そうすれば,ヱホバはあなたを祝福するでしよう。これも又,この悪しき時代の終を特徴づける明白な予言の成就です。

      3 なぜ報復の日を宣伝えねばなりませんか。そして,宣伝える者にはどんな結果が生じますか。

      3 私たちはいまこの悪しき組織制度の終,すなわち,ヱホバの目的によればあらゆる不義の亡される時にいるのです。いまはヱホバの怒の日であり,報復の日です。しかし,ヱホバは警告を与えずに亡すようなことをしません。神は暗闇にまぎれて,狡猾にも背後から短刀を突きさすようなことをしません。ヱホバはこう命じています,『ヱホバのめぐみの年とわれらの神の刑罰の日とを告しめ。』(イザヤ 61:2)予言的な言葉を語つたペテロは,次のように述べました,『今の天と地とは,同じ御言葉によつて保存され,不信仰な人々がさばかれ,亡ぼさるべき日に火で焼かれる時まで,そのまま保たれているのである。』(ペテロ後 3:7,新口)またこうも書かれています,『ひとりの力強い御使が,大きなひきうすのような石を持ち上げ,それを海に投げこんで言つた,「大いなる都バビロンは,このように激しく打ち倒され,そして全く姿を消してしまう。」』(黙示 18:21,新口)ヱホバの証者は,神の報復の日を宣伝えている故に,全国民から憎まれています。しかし,彼らは恐れを感ぜず,勇敢にも命ぜられたすべての言葉を語りつづけてきました。彼らは,世界全体と地上にいるすべての支配者たちに,また人間の目には見えない悪霊共や,悪鬼共の長なるゴグ,すわち大敵対者サタンに対しても神の裁きを宣伝えました。

      4 保護は与えられましたか。そしてまだ約束されていますか。

      4 この業は忠実になされてきました。そして現在でもなされており,ハルマゲドンまでなされるでしよう。すべての事は,『忠実にして慧い奴隷』級の指示と導きの下になされました。危険をともなうこの業をするとき,ヱホバは私たちを保護します。従順で確信を持つときに救は与えられます。ヱホバの祝福は,ヱホバを恐れる人から離れないでしよう。あなたもヱホバの祝福を欲しますか。もしそうなら,ヱホバの側に真直ぐ来て,古い世を離れ,悪しき友を避け,そしてヱホバの御業に信仰を持つ幸福なヱホバの奴隷に参加しなさい。心からヱホバに依頼みなさい。そうするなら,ヱホバの祝福を頂くことができます。この世は亡びに定められています。いま警告を受入れて,この世から逃げなさい。ロトの妻を思い出しなさい。次の約束に信頼を置いて安全でありなさい,『至上者のもとなる陰れたるところに住まうその人は,全能者の蔭にやどらん。』― 詩 91:1,2。

      5 (イ)マタイ伝 6章10節は,どのように成就されていますか。(ロ)私たちはどのように神権主義ですか。

      5 ヱホバ神は大いなる神権者です。キリスト・イエスは,力と権威において次の地位を持たれています。それから,最高の神の御意を行う霊者たちです。神の御意だけが天で行われているのです。神権者の規則は天における律法である故,それは神権主義です。いま地上におけるヱホバの民は,ヱホバの御意を行うことだけに献身しており,神の御言葉は彼らの律法です。神は,愛する御子を通し,御霊により聖なる御使たちを用いることにより御意を指示せられます。そして,『忠実にして慧い奴隷』級をして御自分の目的を遂行せしめます。油注がれた残れる者とその忠実な友にとつては,今はヱホバ神の御意をするのみです。現在,個人的な目的をするのでなく,ただ神の目的だけをいたしなさい!『みこころが天に行われるとおり,地にも行われますように。』(マタイ 6:10,新口)これは,主イエスが弟子たちに教えた祈であつて,今日それはヱホバの選ばれた民には成就された事実です。聖書の規則は,神の制度の規則です。また,私たちは聖書に述べられている原則にしたがつて働きます。私たちはヱホバの御考え,道,そして目的に従うのであつて,自分自身の考え,道,そして目的には従いません。それは純粋な神権主義です。それですから,私たちの群の中には平和があるのです。これも又,予言の別の成就です。ヱホバは,すべてのことを聖書に合わせようとする御自分の民の心からの努力を祝福しました。もしこのことを見て,あなたも平和や,繁栄や,ヱホバの祝福を欲するなら,生活をヱホバ神の御意に従わせ,そして神権的な規則に服従しなさい。また,ヱホバの清くして幸福な制度内にあつて,監督の権威を有している人々を認めなさい。

      6 (イ)過去の時代の忠実な者たちは,現代を待ち望みましたか。(ロ)この事実は,私たちの中に何を生ぜしめますか。

      6 幾千年にもわたつてヱホバの予言者や神の聖徒たちは,私たちのいま生活しているこの時代の来ることを祈り求め,また待ち望んでいたのです。ヱホバはそれを約束し,それが必らず来る,と述べられました。ヱホバの忠実な者たちは,その希望に大いによろこんだのです。或る者たちは,そのことについてもつと知りたい,と欲しましたが,できませんでした。主イエスは,その栄光に輝く時の来ることを知り幸福でした。そして,使徒たちは神の同じ確かな約束によつて,兄弟たちを慰めました。いまや御国は現に存在しています。サタンの悪しき古い世は,間もなく終ろうとしているのです。極く間近い中にヱホバ神は悪しき敵共を絶滅せられるでしよう,そして不義,罪,また死はもはや無くなるでしよう。たしかにヱホバとキリスト・イエスは,共同に働かれて御自分の民を清め,祝福せられたのです。そのことは明白に示されています。それですから,ヱホバの民は神の次の言葉を聞いて,感謝の叫びをあげます,『イスラエルよ,汝は幸いなり。誰か汝のごとくヱホバに救われし民たらん。ヱホバは汝を護る楯,汝の栄えの剣なり。汝の敵は汝に諂い服せん。汝はかれらの高き処を踏まん。』― 申命 33:29。

      7 今日のヱホバの民にくらべられる者がいますか。なぜそのように答えるのですか。

      7 ヱホバの恵みを十分に受け,ヱホバの愛の保護の下に働き,恵み豊かな御準備によろこぶ民は,なんと幸福な民なのでしよう! 実体のイスラエル人であるヱホバの証者よ,全地で誰があなた方のようでしようか。全国民の中で,あなた方に比較できるものは一人もいません。ヱホバ神は,油注がれた愛する残れる者に恵みを与えられて,あなた方の上に祝福を注がれています。油注がれた者は,ヱホバ神の目に見ゆる宮である故,ヱホバ神はあなた方と共に住まわれます。ほんとうにヱホバはあなた方の神です。ほんとうにヱホバはあなた方の救です。栄光に輝く王キリスト・イエスを通してヱホバは私たちに先行せられるでしよう。ヱホバは私たちと共に居られますから,いま何ものも私たちに首尾よく反対することはできません。昔のヨシュアやカレブの場合と同じく,今でも『忠実にして慧い奴隷』級は,あなたにヱホバを選ばせてヱホバに仕えさせ,そしてヱホバの祝福を得るようにと命じているのです。―ヨシュア 24:15。

      救の祝福

      8 ヱホバは,なぜこれらの祝福を与えるのですか。その結果,何が生じますか。

      8 このすべての祝福から何が結果として生じますか。簡単に答えるなら,ヱホバの御名に大きな栄光が捧げられ,王キリスト・イエスとその御国を高くあがめて宣明し,主の『他の羊』を更に集め,燃える松明のごとく真理を高くかかげて世の暗やみにいる人々に避難の道と安全を得る道を示すことになるのです。聖書にこう書かれている通りです,『起よ,光を発て。なんじの光きたり,ヱホバの栄光なんじの上に照出でたればなり。視よ,暗きは地を覆い,闇はもろもろの民を覆わん。されど,なんじの上にはヱホバ照出でたまいてその栄光なんじの上に顕わるべし。もろもろの国は汝の光に行き,もろもろの王は照出づるなんじが光輝にゆかん。』(イザヤ 60:1-3)『ヱホバかく言いたもう。エジプトが働きて得しものと,エチオピヤが商いて得しものとは,汝のものとならん。また身の丈高きセバ人きたりくだりて汝にしたがい,繩につながれて降り,なんじの前に伏し,なんじに祈りて言わん。まことに神はなんじの中にいませり。この他に神なし一人もなしと。……イスラエルはヱホバに救われて永遠に救を得ん。なんじらは世々かぎりなく恥をいだかず,辱かしめをうけじ。』― イザヤ 45:14-17。

      9 今日,どんな急ぎの行為が要求せられていますか,何処に? そして,どんな目的で?

      9 今日,多くの諸国家から来た人々は,ヱホバが私たちと共にいるのを見ています。そして,ヱホバの道についてもつと多くのことを知り,来るべきハルマゲドンにおける全能の神の怒を避けようと急ぎます。この目的のためにヱホバの民は衆人の注視をひいています。それですから,諸国民から逃げる人々は何処に行くべきかを知ることができるのです。この時代の為に書かれた予言の言葉は,次のように述べています,『国々の民および多くの町の居民来り就ん。すなわち,この邑の居民行きてかの邑の者に向い,我らすみやかに往きてヱホバをなだめ,万軍のヱホバを求めん,と言わんに,我も往くべしと答えん。多くの民,強き国人エルサレムに来りて万軍のヱホバを求め,ヱホバを和めん。万軍のヱホバかく言いたもう。その日にはもろもろの国語の民十人にてユダヤ人ひとりの裾をとらえん。すなわちこれを捉えて言わん,我ら汝ら(民)とともに往くべし。そは,我ら神の汝らとともにいますを聞たればなり。』これは,肉によるユダヤ人を意味しません。今日,ヱホバの恵みを受けている民,すなわち霊的なイスラエル人とその友たちのことなのです。―ゼカリヤ 8:20-23。

      10 ゼカリヤ書 8章20-23節に述べられている十人とは誰ですか。彼らはユダヤ人の裾をどのように捉えますか。

      10 諸国民から逃れ出た者たちは,全速力で急ぎ,そしてヱホバが御自分の民を祝福しており,神は彼らと共にいる,という良いたよりを町から町に宣伝えています。彼らは神の恵みを願い求めています。裾を捉えることは,指示と保護を願い求めることを意味します。実体のイスラエル人なるヱホバの証者は,その願いを聞いて大急ぎで助けに行きます。今日のこの集める業,教えを与える業は,まつたく緊急なものなのです。大いなる邑のこれらの居民たちは,浮浪者ではなく,仕事をする賢明な人々,探究心のある人々です。すべての人々は活潑に前進し,熱心にヱホバの道についての知識を得ます。ヱホバの証者とその友は,みな『我らすみやかに往かん』との言葉を銘記すべきでしよう。まつたく,ヱホバの恵を願い求めるために,絶えず行くべきです。『「私は恵みの時にあなたの願を聞き入れ,救の日にあなたを助けた。」見よ,今は恵みの時,見よ,今は救の日である。』急速に行われるこの業は,私たちの救のためであり,さらに幾万人以上の人々の救でもあります。それは最重要の事柄であり,遅延することは危険です。―コリント後 6:2,新口。

      11 諸国家から来た民は,どのようにヱホバの民を認めますか。

      11 しかし,次のことを留意して下さい。すなわち,ヱホバが御自分の寵愛の民に祝福を注いでおられるからこそ,諸国民の他の者たちも神の民と共にいるなら保護と安全が得られる,と認識するようになつたのです。諸国民から逃れ出た人々は,神の民と共に行くことを熱心に欲しています。それですから,ヱホバ神に属するためには,ヱホバの民に属さねばならぬ,とすべての人は知らねばなりません。その一つをも欠かすことはできないのです。それで,愛と良い業に励まし合いましよう。ヱホバの誉を受けた人々を尊敬しなさい。かくして,あなたは,知恵の始めであるヱホバの恐れを学ぶでしよう。

      12 神権的な市民権を保つための要求は何ですか。私たちは,どのようにそれらの要求を学びますか。

      12 ヱホバとその制度に近づくことは,みな制度の指示に従つてなされねばなりません。次のように書かれています,『汝らもし是らの律法を聴き,これを守り行わば,汝の神ヱホバ汝の先祖たちに誓いし契約を保ちて,汝に恵みをほどこし給わん。すなわち,汝を愛し汝を恵み,』(申命 7:12,13)『われ汝のただしき審判を学ばば,直き心をもてなんじに感謝せん。』(詩 119:7)ヱホバは,正義の審判を神権制度を通して発表せられました。そして,その制度内には平和があります。我『汝をもとめん。そは汝のさばき地におこなわるるとき世に住めるもの正義をまなぶべし。悪者はめぐまるれども公義を学ばず,直き地にありてなお不義を行い,ヱホバの稜威を見ることをこのまず。』(イザヤ 26:9,10)それですから,熱心にヱホバを求め,ヱホバを恐れつつ歩み,ヱホバの裁きを学びなさい。そうすればあなたは救の道を歩むでしよう。

      13 ヱホバは誰に救を与えられますか。なぜ特に今なのですか。

      13 ヱホバの救は,ヱホバを恐れる者だけになされるのです。神の言葉は,次のように述べているからです,『西の方にてヱホバの名をおそれ,日のいずるところにて,その栄光をおそるべし。ヱホバは堰きとめたる河のその気息にふき潰えたるがごとくに来り給うべければなり。ヱホバのたまわく,贖う者シオンに来り,ヤコブのなかの愆をはなるる者につかんと。』(イザヤ 59:19,20)ヱホバの恵みを求める者たちは,偶像崇拝やあらゆる種類の偽の宗教から離れねばなりません。ヱホバは私たちのすべての敵を敗走せしめるでしよう。ヱホバは,堰とめられていた河が,ヱホバの疾風によつて堰が切られるように,臨在の御使を通して,来るでしよう。ヱホバの啓示し給う裁きは恐ろしいもので,神のすべての敵の心に恐怖の念をひき起します。恐れる者は,ヱホバの御稜威と畏怖の前に平伏します。彼らはヱホバの御前を静かに,またうやうやしい態度で歩きます。ヱホバは愛する者たちと共に住んでいるからです。何ものも真理の進み来る事と,ヱホバの裁きの表明を止めることはできません。ついに正義が高められて,悪しき者のことごとく斥けられる時が来ました。この栄光に輝く幸福な日は,いま現在なのです。あなた方ヱホバの証者たちよ,よろこびなさい。なぜなら,真実の永続する救は,いまや地の新しい王の力の中にあるからです。

      14 今日,アブラハムになされた約束は,ヱホバの民を通してどのように成就されていますか。

      14 ヱホバの油注いだ者の導きと模範にいま従うなら,すべての者は祝福されるでしよう。彼らはアブラハムの裔の残れる成員です。神はアブラハムにむかい,次のように約束しました,『我はなんじを祝する者を祝し,なんじを呪う者を呪わん。天下のもろもろの宗派なんじによりて幸いを得んと。』(創世 12:3)それで,神と油注がれた者を祝する者たちは祝されるでしよう。これは富と繁栄を意味します。ヱホバを恐れる忠実な級は,導きを祈り求めて,その歩みは導かれてきました。『人の歩みはヱホバにより準備さる。人はその道を欲せしなり。』(詩 37:23,ヤング訳)この『良い人』級の歩みは,ヱホバの民をヱホバの聖なる山と神の宮に導きました。かくして,彼らはそこに永遠に住んで清い崇拝をささげ,かつ真の神聖さを保ちます。

      15 (イ)今日,清い汚れなき崇拝を捧げることは必要ですが,それにはどんな重要な理由があるのですか。(ロ)人は今日,ヱホバの聖所にどのように立つことができますか。

      15 私たちはいまヱホバの御前に住んでいます。ヱホバの栄光は私たちの上にあり,制度を充しています。ヱホバの聖なる御前に残るためには,神の民の各人は,いまヱホバを崇めてヱホバを恐れなければなりません。清い崇拝のみを捧げることが必要です。なぜなら,ヱホバとその民は偶像崇拝を忌み嫌うからです。すべての者は,あらゆる不純から身を清めねばなりません。『ヱホバの山にのぼるべき者は誰ぞ,その聖所に立つべき者はたれぞ。手きよく,心いさぎよき者,そのたましい虚しきことを仰ぎのぞまず,偽りの誓をせざるものぞ,その人なる。かかる人はヱホバより福祉をうけ,その救の神より義をうけん。かくのごときものは,神をしたう者の部類なり。』(詩 24:3-6)ヱホバの宮に来て崇拝をする,ということは,特権と名誉のある奉仕の地位についている神の油注がれた残れる者を認めることです。もし,あなたがそうしたい,と心から欲するなら,これらの事柄をしなさい。清い手と清い心を持つていないなら,あなたはそこで崇拝も捧げず,またヱホバの愛する者と共に止まらないでしよう。それですから,いま清い崇拝のために神の道を学びなさい。ヱホバの証者の取極めるすべての集会に出席しなさい。そうすれば,聖書の手引の本の助けをうけて神の聖なる言葉を学ぶことができ,真理の価値を一層良く認識してこの悪しき世を逃れることができます。そして,読むにつれて,急いで隣人のところに走り行き,隣人に告げなさい。あなたの区域内の人々のところに行き,告げなさい。本当に,もしできるなら町から町に行つて逃れる方法と,ヱホバの祈の家なるヱホバの宮に行く方法を他の人に示しなさい。

      16 ヱホバが共にいることは,ヱホバの模型的な民にとつてどれ程重要でしたか。

      16 モーセがイスラエル人を紅海から約束の地に導いていたとき,夜には火の柱,昼には雲の柱があるあいだは彼らはいつも安全でした。たしかに,ヱホバは彼らと共に居られ,彼らは敵からの危害をうけずに安全だつたのです。ヱホバが彼らを導かないのではないか,というような可能性がすこしでもあると,彼らはたいへんな恐怖に陥つたのです。或るとき,ヱホバは,彼らを導かないと述べました,『我は汝の中におりては共に上らじ。なんじは項の強き民なり。』民はこの不吉の言葉を聞くや,悲しみ始めました。そしてモーセはヱホバを求めているときに,次の言葉を述べました,『見たまえ,「汝はこの民を導き上れ」と我に言たまいながら,誰を我と共に遣したまうかを我にしらしめ給わず……ヱホバ言たまいけるは,「我みずから汝と共にゆくべし,我汝をして安泰にならしめん。」モーセ,ヱホバに言けるは,「汝もしみずから行たまわずは,我らをここより上らしめ給うなかれ。」』― 出エジプト 33:3,12-15。

      17 その重要性を示すものとして,ヱホバ神が今日御自分の民と共にいることの影響は何ですか。

      17 ヱホバが共に居られるということは,モーセとイスラエルにとつてすべてのことを意味しました。ヱホバは彼らを導き,養い,保護し,救い,そして約束の地に導き入れました。今日でも同じです。ヱホバ神は私たちと共に居り,死にいたるまで私たちを導き給います,『この神はいや遠長にわれらの神にましまして,われらを死ぬるまでみちびきたまわん。』(詩 48:14)もしヱホバが私たちと共にいるなら,私たちは恐れる必要はありません。なぜなら,『神は我らの避所また力なり。なやめるときの最ちかき助けなり。……たとえ地は変り,山は海の中央に移るとも,……もろもろの民はさわぎたち,もろもろの国は動きたり…………万軍のヱホバは我らとともなり。……神その(最高者の幕屋の聖所)なかにいませば,都は動かじ。』― 詩 46:1-11。

      18 イザヤ書 4章4-6節は,今日どのように成就していますか。

      18 今では,ヱホバの証者はヱホバが聖なる宮にいることを知つています。(1956年4月1日号の『ものみの塔』を見て下さい)最高の神は御自分の民と共に住まわれている故に,彼らは畏怖,恐れ,恐懼に充ちています。しかし又,すべての者は慰めを感じて平和の状態にいます。ヱホバは忠実な者たちと共に居られ,その栄光の雲は彼らの上にある,と知つているからです。それは絶えざる導きと保護を意味します。また,油注がれた者と,諸国民から逃れたすべての『他の羊』に対する救を意味します。神の民に対する清めの業が終つてから,神の祝福が来ます。それは,次の約束によつても示されています,『主さばきするみたま(息)と焼きつくす霊とをもてシオンのむすめらの汚を洗い,エルサレムの血をそのなかよりのぞき給う時きたるべければなり。ここにヱホバはシオンの山のすべての住所ともろもろの集会とのうえに昼は雲と煙とをつくり,夜はほのほの光をつくり給わん。あまねく栄の上に覆いあるべし。また一つの仮盧ありて,昼はあつさをふせぐ蔭となり,暴風と雨とを避けてかくるる所となるべし。』― イザヤ 4:4-6。

      19 この世の諸問題に面してもヱホバの民はなぜ動揺しませんか。

      19 ヱホバ神の御前に住む者たちは,なんというよろこび,なんという祝福を持つているのでしよう! 彼らは聖所にいるのです。反対の暴風や迫害の熱が来るでしよう。そして,地の諸問題はますます増加して紛糾を極めるようになるでしよう。しかし,これらの問題のひとつといえども,ヱホバの仮盧にいる者を害しません。そのところに永遠にいたい,と欲しませんか。もしまだヱホバの民との交りに入つていないなら,祝福はあなたを待つています。神の約束の一つは,次のように述べています,『ヱホバはなやみの日にその仮盧のうちに我をひそませ,巌の上に我を高く置き給うべければなり。』『汝かれらを御前なるひそかなる所に匿して人の謀略よりまぬかれしめ,また仮盧ののうちにひそませて,舌の争を避けしめ給わん。』『至上者のもとなる隠れたるところに住まうその人は全能者のかげにやどらん。われヱホバのことを宜べてヱホバはわが避所わが城,わが依りたのむ神なりと言わん。……彼わが名を知るが故にわれこれを高きところに置かん。』― 詩 27:5; 31:20; 91:1,2,14。

      20 ヱホバの民は,何に対しての保証ですか。そして,なぜですか。

      20 すべての者を大急ぎでヱホバの制度に行かせなさい。そしてそこに住まわせなさい。ヱホバの祝福を頂くように求めなさい。ためらつてはなりません。この末の日にいる神の油注がれた者のとつた忠実な道を見なさい。そしてヱホバが彼らのために為されたことは,あなたの為にもなされるということを,知つて確信して下さい。もしあなたがこの悪しき世に止まるなら,神の恵みはあなたに与えられないでしよう。また,立踏みするなら神の隣れみをも頂かないでしよう。いまやあなたに示された十分の証言によつて生ずる信仰をもつて,あなたは前進しなければなりません。約束はこうです,『われヱホバ正義をもて汝を召したり。われなんじの手をとり,汝をまもり,なんじを民の契約とし異邦人の光となし。』(イザヤ 42:6)たしかに,ヱホバの民はあなたの光と安全に対しての保証であります。

      21 どんな祝福された約束を得ることを私たちの目標にしなければなりませんか。

      21 すべての者は忠実を保つて,ヱホバを恐れつつ責任を持ち,この美しい信頼を良く守り,そして自分に委ねられた管理の責任を果さねばなりません。かくして,私たちの特権を増すことによつてヱホバの是認を得ることができますように。そして遂には次の言葉を聞くことができますように。『良い忠実な僕よ,よくやつた。あなたはわずかなものに忠実であつたから,多くのものを管理させよう。主人といつしよによろこんでくれ。』― マタイ 25:21,新口。

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