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なぜ身障児が生まれるのですか目ざめよ! 1973 | 9月8日
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また,すでに考慮したように,他の種々の要素も問題を助長する要因となる場合もあります。
聖書は,『神は愛で』あり,また神は人類がイエス・キリストの贖いの犠牲とキリストの王国によって完全性を取り戻す備えを設けられたことを述べています。その王国の統治下では,涙や悲しみや苦痛や死もなくなります。したがって,人間はあらゆる心身障害から解放されます。死者さえよみがえらされて,そうした祝福の益にあずかるのです。―ヨハネ第一 4:8,新。ヨハネ 5:28,29。使行 24:15。
それまでの間どうしますか。神の律法や実際的な知恵に注意深く従えば,何らかの点で障害をかかえた子供が生まれるような事態を回避するのに役だつでしょう。今日ではまた,『遺伝問題相談所』もあるので,親は子供を設けるさいに危険を伴うかどうかを少なくともある程度確かめることができます。
また,身障児にかかわる悲劇に見舞われている家庭の場合,どうすればよいでしょうか。それを,対処すべき挑戦とみなせるでしょう。どのようにして対処するのですか。家族の他の人たちが無私の関心,辛抱強さ,忍耐を示すことによってです。家族全員がそれぞれ自分に行なえる仕方で貢献し,人にしてもらいたいと思うように身障児のために尽くせば,身障児は悩みをかかえてはいても,生活を享受できるでしょう。
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障害を克服する目ざめよ! 1973 | 9月8日
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障害を克服する
聖書の真理はいろいろな障害をかかえている人びとに大きな力を与え,生活を喜びの多いものにします。エホバの証人である盲人の一奉仕者は,神のことばを学んだ自分の経験を次のように述べています。
「一昨年の6月に,あるエホバの証人の奉仕者が私を訪問してくださり,家庭聖書研究をすすめてくださいました。家に来てくださるというのがうれしくて,すぐに応じました。私は全く目が見えませんので,まず次の週に学ぶところをテープに吹込んでいただいて予習をしておき,各節ごとに答えを点字で書き留めて討議をするという方法で『見よ! わたしはすべてのものを新しくする』,『正義の新しい世を待ち望んで生活する』,そして『とこしえの命に導く真理』の本を学びました。研究が始まってすぐ集会にも出席したいと申しましたら,次の日曜日に連れていってくださいました。そこで暖かい歓迎を受け,この人たちとぜひ交わり続けたいと思いました。仕事の都合もありましたので,木曜日に研究をして,その後,夜の集会に定期的に出席することにしました。家族からは,マッサージの仕事を始めたばかりで,来はじめたお客さんのためにもあまり家をあけないほうがよいと言われましたが,資料を読むことはなかなかむずかしいので,せめて集会に出席することによって,より多く学びたいと思いました。初めは奉仕者たちが車で送り迎えをしてくださいましたが,いつまでもそのように甘えていてはいけないと思い,駅まで歩いて行く練習をすることにしました。土地にまだ慣れていませんでしたが,エホバが勇気を与えてくださいました。駅からはエホバの証人の奉仕者に連れていっていただきました。
「その年の秋,所沢の巡回大会に2日間出席しました。そこで再び暖かい社会を知り,まだそのことを知らない人びとに伝えなければならないと考え,早く伝道者になりたいと思いました。でも一人では伝道を行なえないと考えると消極的になってしまいました。そのことをお話しすると,そのエホバの証人の奉仕者は,『みなさんはあなたに奉仕するのではなく,エホバに奉仕するのですから援助を受けることを遠慮しないでください』とおっしゃってくださいました。野外奉仕に参加するようになってから,ひとしお多くの喜びを感じるようになり,バプテスマを考えるようになりました。幾人かの奉仕者たちが,勉強がたいへんでしょうから何かお手伝いをしましょうと申し出てくださいましたので,『神が偽ることのできない事柄』,『神の自由の子となってうける永遠の生命』,そして『あなたのみことばはわたしの足のともしび』の本をテープに吹込んでいただきました。そして8月に浸礼をうけることができました。今度は週に2回野外奉仕に出たいと思い,祈りのうちに9月からそのようにしてみましたら,奉仕から帰るとお客さんがちょうどみえるようになり,エホバの導きが確かにあると感じました。今ではすべての集会と奉仕に参加でき,障害のあることを忘れるほどです。そして今の私の願いは,家庭聖書研究を司会できるようになることです。きっとこの願いもエホバは聞いてくださると確信しています」。
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