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血の神聖さを尊重して潔白を保つものみの塔 1959 | 12月15日
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ということは,神の与えられた命を食べるという意味であつて,それを食べる人は,その事によつて,ひとつの命を神のみ手から取り去つている責任を負うことになります。
クリスチャンは,血の律法の下にある
14,15 (イ)律法契約とノアに与えられ神ご自身の律法に関して,初期ユダヤ人のクリスチャンたちは何を認めましたか。(ロ)そのため,統治体は,ユダヤ人でないクリスチャンにどんないましめを送りましたか。
14 ところで,神の子イエス・キリストの足跡にほんとうに従つているクリスチャンたちはどうでしようか。イエスは,クリスチャン会衆を地上に設立されました。イエスが死んで復活されてから後3年半の間,会衆は割礼のあるユダヤ人もしくはイスラエル人および改宗者たちだけで成つていました。これらユダヤ人のクリスチャンたちは,神がモーセを通して結ばれた律法契約は解消されたこと,いわば,イエス・キリストが完全な人間として処刑された刑柱に釘付けにされたということを認めていました。以前ユダヤ人のパリサイ人であつたクリスチャン使徒パウロはこの事実を確認しました。(エペソ 2:13-16。コロサイ 2:13-17)そのクリスチャン会衆は,イエス・キリストの施された血を通して,ヱホバ神と新しい契約に入つていたのです。しかしながら彼らは,自分たちがノアに与えられた血の神聖さに関するヱホバご自身の律法の下にまだいるということを認識していました。その神聖な律法が,解消または撤回されたことは一度もなかつたのです。ですから,エルサレムにあつた12使徒と他の円熟したクリスチャンたちの会衆は,統治体として,これらのいましめを,以前は割礼のあるユダヤ人ではなかつたがいまは洗礼を受けているクリスチャンたちにさえ送りました。
15 「聖霊とわたしたちとは,次の必要事項のほかは,どんな重荷をも,あなたがたに負わせないことに決めた。それは,偶像に供えたものと,血と,血を取り出さずに殺したものと,淫行とを,避けることである。注意してこれらのものから遠ざかるならばあなたがたは栄えるであろう。あなたがたの良い健康を祈る。」― 使行 15:28,29; 21:24,25,新世。
16 律法契約が廃止されて,新しい契約が立てられたにもかかわらず,クリスチャンは何をしてはなりませんか。なぜですか。
16 律法契約が廃止されたにもかかわらず,またイエス・キリストの犠牲の血によつて有効にされた新しい契約が立てられたにもかかわらず,ヱホバ神は,偶像崇拝と血と性的不道徳に関する律法を変えませんでした。従つてクリスチャンたちは,像や象徴物を通して神を崇拝することも,姦淫または淫行を行うことも,人を殺して血を流したり,鳥や獣または人間の血で体を養うこともしてはなりませんでした。
17 主の夕食で同じさかずきから飲むことは,なぜ血に関する契約を破ることになりませんか。
17 いうまでもなく,それら第1世紀のクリスチャンたちは,主の夕食または晩餐を祝いました。しかし,ひとつの杯からぶどう酒を飲んでも,彼らは犠牲の小羊イエス・キリストの文字通りの血を飲んでいたのではありません。ローマの兵士が,はりつけになつたイエスの左わきをついたために血と水が流れ出ましたが,主イエスはそれより何時間も前に,エルサレムのある2階で,象徴的な杯をご自身の忠実な11人の使徒たちにまわして言われました,「あなた方は,みなこの杯から飲みなさい。これは罪のゆるしを得させようと,多くの人のために注がれる私の『契約の血』を意味する。あなた方に言う。私の父の御国であなた方と共に新しく飲む日までは,今後決してぶどうの実から造られたもの(つまりぶどう酒)を飲まない。」(ヨハネ 19:33-37。マタイ 26:26-29,新世)その杯に入つていた赤いぶどう酒は象徴にすぎませんでした。それは,私たちの罪を清めるために,神への犠牲として注ぎ出されることになつていたイエスの命の血の象徴でした。
18 どんな方法で主の夕食を祝う人々は,キリストの血にあずかりますか。
18 何年か後使徒パウロは,主の夕食を祝う人たちに次のよう書き送りました,「わたしたちが祝福する祝福の杯,それはキリストの血にあずかることではないか。」(コリント前 10:16,新口)彼らがこの記念のぶどう酒を飲むことは次のこと,すなわちイエスの血によつて象徴されていた,犠牲にされた人間としてのイエスの生命から生ずる益にどのようにあずかるかを描いたものでした。彼らは,イエスこそ自分たちを罪と死から買い戻すために死なれた方であるというイエスへの信仰によつて,その益にあずかります。
19 命を得るために,血がどのように使われることを神はゆるされましたか。そのため,真のクリスチャンはキリストの血をどう考えますか。
19 神は,犠牲の血を,神に対する命のささげものとして,神の聖なる祭壇に注ぐことを定められました。それですからクリスチャンたちは,イエスの完全な人間の血が,イエスの犠牲を受けいれるすべての者に永遠の生命を備えるため,神の真の犠牲の祭壇に注がれたことを認めています。そういうわけでその血は貴重なものであり,また神にとつては,買い取る力をもつていました。使徒ペテロは,仲間のクリスチャンに書き送りました,「あなたがたのよく知つているとおり,あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは,銀や金のような朽ちる物によつたのではなく,きずも,しみもない小羊のようなキリストの尊い血によつたのである。」― ペテロ前 1:18,19,新口。
20 キリストの血をそそぐことは,ピラトにイエスを処刑するよう言い張つたユダヤ人たちになぜ異なつた影響を与えましたか。
20 従つて,イエスの血が神の祭壇の上に注ぎ出されたことは,信者のクリスチャンに対する場合と,ローマの総督を強制してイエスを刑柱の上で殺させたユダヤ人に対する場合とは異なつた影響を与えました。総督ピラトは群衆の前で水で手を洗つて言いました,「この人の血についてわたしには責任がない,おまえたちが自分で始末をするがよい。」彼らは始末することに同意していました,「その血の責任は,われわれとわれわれの子孫の上にかかつてもよい。」(マタイ 27:24,25,新口)彼らは進んで,イエスの血を流した責任を負い,またその責任を彼らの子孫に渡すことに同意したのです。
21 主の夕食で,さかずきから飲んだために,初期クリスチャンたちは,どんな非難を受けましたか。彼らの弁明は,ノアに述べられた律法について何を示していますか。
21 初期のクリスチャンたちは,毎年主の夕食を祝いました。その時彼らは,同じ杯から,イエスの血を象徴したぶどう酒を飲みました。この事のために,あるいはこの事が部分的な理由となつて,異教の不信者たちは,人間の血を飲んでいるとこれらの忠実なクリスチャンたちを非難しました。これは,クリスチャン会衆の代弁者たちが,弁明しなければならなかつた偽りの非難のひとつでした。そこで彼らは,次のような説明をすることによつて,それらキリスト教の敵どもの口をふさぎました。すなわち,人間の血は,動物の血よりもはるかにすぐれており,もつと価値が高いこと。また物も言えず理性もない下等動物の血を飲むことさえ,彼らの神の律法に反するのであるから,ましてやクリスチャンが人間の血を飲むことなどあり得ないこと。いかなる目的のためにせよ,それら忠実なクリスチャンたちが,人間の血を自分の体の中に取り入れなかつたという証拠はたくさんあります。―aジョセフ・ビンガム(1668-1723)著「キリスト教会の起源」または「古代キリスト教会」第17巻5章20節参照。
22 クリスチャンをよそおう者たちは,いつノアに与えられた神の律法に反対する議論をしはじめましたか。そしてどのように?
22 クリスチャンと自称する人びとが,キリストの追随者に血を食物として食べることを禁止する神のおきては,ただ一時的な禁令であつて今はもう適用されないのだ,などと言い出したのは,ローマカトリックの神学者で北アフリカの大司教であつたオーガスチン(354年-430年)の時以後にすぎません。しかしながらこの論法は,クリスチャンをよそおう者たちが,真の信仰から落ちたことを部分的に表わしたもので,使徒パウロが預言していたところのものでした。―テサロニケ後 2:1-3。
23 ヱホバはかわらない以上,クリスチャンたちはどのようにユダの勧告に従い,潔白を保ちますか。
23 み子イエス・キリストが,さばきのために宮に来ることを預言された後神はこう言われました,「われヱホバはかわらざる者なり。」(マラキ 3:1-6)まことに今日の忠実なクリスチャンは,弟子ユダの勧告に従つて,「聖徒たちによつて,ひとたび伝えられた信仰のために戦い」ます。(ユダ 3,新口)またこの信仰に従つて血にかんする罪を犯しません。彼らは血の神聖さに関する神のかわらない聖なる律法に違反して罰を科せられないように注意します。いかなる人の命または魂を取ることも神は彼らに命令されてはいないようです。
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ナイル河が増水しなかつた時ものみの塔 1959 | 12月15日
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ナイル河が増水しなかつた時
エイ,レンデル・ショートは,「現代発見と聖書」(英文)という自著の本の中で,次のように報告しています,「エジプトのききんが長くつづくということは,まずなかつた。すべての人の知るごとく,その国の農業はナイル川のはんらんに,全く依存している。エレハンチン島で,極めて興味ぶかい発見がなされた。それは,7年間連続してナイル河が増水しなかつた事実を記念する石碑である。この石碑の日付はわからない。しかし,そこに彫まれていることがブラグシュにより発見されて出版された。それから判断すると,ヨセフの時とぴつたり合うと言うことができる」。
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