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  • マリヤは神の母ではない
    ものみの塔 1968 | 5月15日
    • のもとに私はのぼる”といいなさい」。(ヨハネ 20:17)イエスは,ご自分の神すなわちイエスをつかわされたかたのもとに上ろうとされていました。ですからイエスの母マリヤが神の母であるはずはありません。

      イエスの弟子たちの証言

      しかし霊感によってイエス・キリストのことを書いたイエスの弟子たちについてはどうですか。使徒パウロは,復活後のイエス・キリストが天において御父よりも低い地位を占めていることをあかしすることばを,コリント人への前の手紙 11章3節に霊感の下に書きました。「さて私は,あなたたちに,次のことを知ってもらいたい。すべての男の頭はキリストである,女の頭は男である,キリストの頭は神である」。イエス・キリストが神であるなら,そして特に天にもどられてのちは,ご自分の上にかしらを持たないはずです。

      コリント人への前の手紙 15章28節は,昇天後のキリストが神に従属することをさらに示しています。「すべてのものがかれの下に置かれるとき,子みずからも,すべてのものをご自分の下に置いたお方に服従するであろう。それは,神がすべてにおいてすべとなるためである。」

      しかし「みことばは神であった」と述べるヨハネによる聖福音書 1章1節のことばについてはどうかと,問う人がいるかもしれません。ことばの上でみると,イエス・キリストは神であるように思われます。しかしいまカトリックの聖書から検討したように,それは他の聖句と調和しないゆえに,まちがった結論と見なければなりません。困難はこの句をギリシャ語から英語にほん訳する時に生じます。1808年に出た改訳新約聖書(英文)は,イエス・キリストについて聖書の他の句が述べる事柄と調和するようにこの句を訳しています。「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばはひとりの神であった」。これは,ことばは「神とともに」あったという次の節の表現とも一致しています。

      イエス・キリストが神であるというまちがった仮定をすることから,イエス・キリストの母マリヤは神の母であるという結論が出ます。しかし聖書があかしするところによれば,イエス・キリストは全能の神ではなく,神の御子また御父の創造の初めであるゆえに,前述の結論は正しくありません。マリヤを崇める何百万の人は,それに惑わされてきました。そしてローマ人への手紙 1章25節に述べられているような人になったのです。「かれらは,神の真理をいつわりに変え,創造主の代りに被造物を拝み,それをとうとんだ。神は世世に賛美されますように」。

      被造物の崇拝に人を誤導する宗教組織は,その主張するように,地上において真に神を代表するものではありません。それは聖書の中で「大バビロン」と呼ばれる偽りの宗教の世界帝国の一部です。大バビロンに惑わされた人であっても,神の目に正しいことをしようとする人に対して,黙示録 18章4節はこう呼びかけています。「私の民よ,町を出て,その罪にあずからず,それを打つ災難を受けないようにせよ」。

  • 忠実を守る子供
    ものみの塔 1968 | 5月15日
    • 忠実を守る子供

      ● 太平洋のポナペ島では,動物を殺して食卓に備える一般の方法が神の律法に反するため,エホバの証人の家族は,肉を食べるのに,家で家畜を殺すか,あるいは他のクリスチャン兄弟から分けてもらった肉を料理する以外に道がありません。あるとき,エホバの証人の一婦人の肉身の兄が,その妹の5歳になる娘に,村の祭りに行って持ち帰ったブタ肉を食べさせようと誘惑しました。しかし,その幼い娘は,「おとうさんと,おかあさんに,いけないと言われていますから,食べません。それに,そのブタ肉には血があるわ!」と,きっぱり断わりました。その家を訪れていた祖母は,その様子を見て,むすこにこう語りました。「この子は親から神の律法にしたがって訓練されているのでお前はこの子に,それを食べるよう納得させることはできないのだよ」。

      ― エホバの証人の1968年度年鑑より

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