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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1974
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秘術に対する関心

● 大きな波のように,秘術的な行為に対する関心が世界の各地で高まっている。秘術を扱った本や映画やテレビ・ショーの人気は今や沸騰している。司祭が悪魔払いをして悪霊を追い出すところを示す映画を見ようと,大ぜいの観客がみぞれ混じりの雨の中で何時間も列を作って待った。ひとたび中に入ると,気絶したり,気分を悪くしたり,吐気を催したり,心臓麻痺を起こしたりする人さえいる,と報じられている。それでも,観客は相変わらずやって来る。

興味深いことに,その映画を見た後悪霊に取りつかれたと言って助けを求めに来る人の数がこれまでになく多くなった,とカトリック司祭たちは語っている。そうしたことがありうるだろうか。それを「憎むべき事」とみなすことが確かに保護となる。―申命 18:12。

宗教という商売

● たとえそれが宗教という隠れみのを被っているとしても,ビジネスはビジネスである。1967年以来,アメリカのカトリック教会は神学校の生徒数が50%も減少した。明らかに,それはじょうずな商売であるとは言えない。そこで今,同教会は,ビジネスの訓練を受けさせるために“学生募集部長”たちをアメリカ経営者協会に派遣している。

しかし聖書は,神の祭司たちが神の業を行なうために『やみから呼び出された』ことを述べている。(ペテロ第一 2:9)もし彼らが真に神の祭司であるなら,神の後ろ楯を受けているはずではないだろうか。神を信頼することについて彼らがどう感じているかについて,ニューヨーク・ポスト紙は,前述の計画に参与している一司祭の次のことばを伝えた。「数年前であれば,われわれは神を信頼し,予算がなんとか正しく管理されるものと期待することができた。だが,今はうまくいっていない」。

それと対照的に,イエス・キリストは,ご自分の追随者に対し,彼らが『神の王国と神の義を第一に求める』なら,物質の必要物は備えられる,と保証した。(マタイ 6:25-33)僧職者たちが,神は自分たちを顧みてくださらないと感じているのは,そうした僧職者が自分本位の商売に忙しすぎて,神の業を行なっていないからではないだろうか。

政治に関与する僧職者

● 僧職者が政治に関与するのはごく普通のこととなっている。ニューヨーク市役所では,僧職者が市議会議員たちから相談を受けている光景をしばしば目にする。「司祭,ユダヤ教教師,牧師たちは政治家のクラブによく出入りしている」と,ニューヨーク・タイムズ誌は報じている。カトリック教徒の有権者を組織するように司教から任命された一司祭はこう語っている。「政治はわたしの趣味ではない。それはわたしの職業である」。

ブラジル,韓国,スペイン,アイルランド,フィリピンから寄せられる最近の報道によると,そうした土地でも僧職者が政治に関与している。なぜ政治に関与するのだろうか。彼らはなぜその活動を宗教だけにとどめておかないのだろうか。ニューヨークに住む,政治的知名度の高い一僧職者は,それに答えてこう語っている。「今日では政治だけが,聖職者が人々から敬意を受けるための基盤である」。なぜそうなのだろうか。

では,どうすれば,僧職者は宗教的見地から人々の敬意を受けることができるだろうか。僧職者たちは,自ら聖書を信じていないことを公に表明してきた。また政治と融合している彼らの態度は,僧職者が神の王国,つまり神の政府をほんとうに信じていないことを証明している。むしろ彼らは,政治に関心を持っているとの評判を得ている。これら僧職者は,「わたしたちにはカエサルのほかに王はいません」と語ったユダヤ人の宗教指導者に似ている。―ヨハネ 19:15。

輸血の強制

● 最近,アメリカ,オレゴン州の一法廷は,エホバの証人である一妊婦に輸血を強制しようとした。基本的に言えば,同法廷の主張は,親は胎児に『信仰を強要』すべきではない,というものであった。

このことを聞いて当惑した一婦人は,シアトル・タイムズ紙に次のような投書を送った。その婦人は,輸血に関してエホバの証人と同じ考えを持っているわけではないが,その中でこう述べた。「1973年1月22日に当地の最高法廷はその同じ子どもに関し,母親が妊娠中絶を望むなら,その子どもを殺すことができるという判決を下しました。信じられないことです!」。

命を取ることが倫理にかない,神の原則に従って命を顧みることが社会の利益に反するというのは,実にゆがんだ見解である。

ついでながら,エホバの証人であるその母親は輸血を拒み,ほかの州に行って輸血を受けずに健康な赤子を産んだ。

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