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  • あなたはお子さんにどんな本を読ませますか
    目ざめよ! 1978 | 6月22日
    • 得ようとする競争も激しくなっています。本を読むように子供を励ますのは正しいことです。しかし,子供たちが読む物に関心を払い,その若いエネルギーを導いてやるのは賢明なことです。

      結局は,哲学者ベーコンがかつて書いた通りかもしれません。「ある本は味わうべきもの,他の本は飲み込むべきもの,そして少数の本はよくかんで消化すべきものである」。

  • 海路を通う
    目ざめよ! 1978 | 6月22日
    • 海路を通う

      ハワイの「目ざめよ!」通信員

      何千年にもわたって,世界の水路を行き来する大型船は人々や食物や財産を輸送することなど,多くの目的を果たしてきました。

      巨大な船舶や帆船などが水上に浮かぶ様は,いつ見てもわたしたちの想像力をかき立てます。七つの海のそれぞれには独特の船があり,それらは作った人々の多様性を反映して,それぞれ異なっています。大小さまざまな船の歴史を簡単にふり返ってみると,いくつかの興味深い事実が明らかになります。

      古代の様式が今なお用いられる

      船に関して現在知られている最古の絵画は,エジプトのものです。その中にはボートに似たパピルス紙のいかだ舟が描かれていますが,この舟の運搬方式は今日にまで伝えられています。両手足を櫂にしてこぐ,このいかだ舟は,今日,アフリカのチャド湖やナイル川で使われています。

      水路を通う古代の別の方法は,西暦前700年ごろのニネベの浮き彫りの中に見いだせます。それは獣の皮をふくらませることによって,乗客や荷物が浮かぶようになっている舟で,アッシリアのこれらの船に類似したものは現在チベットで見られます。チベットにはもう一つ,木製の肋材の上に獣の皮を広げて作った船もあります。

      古代のボートの中で最も有名なものの一つは恐らく丸木舟として知られる,木の幹をくり抜いたものでしょう。これもまたアフリカ,南アメリカ,オーストラリア,そして北欧の辺ぴな地域で今なお使用されています。

      昔の大型船

      エジプト,デール・エル・バハリ神殿の中に,興味深い船遊びの浮き彫りがあります。この彫刻はハトシェプスト女王が西暦前1500年ごろに催した船旅を表わしたもので,非常に大きな二本のオベリスクを運ぶ船が描かれています。これら二本のオベリスクのうち,発見された一方の重量,高さから推測してみると,二本のオベリスクを運搬できたこの船は,長さが約60㍍,最大横幅が約24㍍あったに違いありません。このような船は積荷を除いても800㌧の重さがあり,荷物を満載すると1,500㌧にもなります。これはエジプトでかつて製造された船の中で最も注目すべきものでしょう。

      古代社会における商業や航海の面で傑出していた民族は地中海沿岸に居住していたフェニキア人でした。水夫,航海者としての彼らの手腕は名高く,地中海をまたにかける貿易を営んだだけでなく,南はアフリカの先端から,北は英国まで足を伸ばしました。

      フェニキア人は自国の船について何の記述も残していませんが,預言者エゼキエルはフェニキアのツロの町を美しい船に見立てて,同国の船についての明確で詳細な説明を加えています。船は丈夫なねずの木の厚板で作られ,帆柱はレバノン杉,櫂は恐らくオーク材と思われるバシャンの“大木”で作られていました。背が高く,湾曲していたと思われるへさきは象牙をはめ込んだイトスギの木,帆はエジプトの着色された亜麻織物,甲板の天幕(恐らく日陰を甲板上に設けるための覆い)は染色された羊毛で作られました。船体の継ぎ目は水が漏らないようにされています。―エゼキエル 27:3-7,27。

      西暦前六世紀ころのつぼや皿にはギリシャの戦艦が描かれていますが,これらは昔から知られているあらゆる船舶の中で,最も軽く,優美なものです。ある船などは一晩停泊するために乗組員たちが岸へ引っ張って行けるほど軽いものです。ギリシャ人は3ないし5列もの櫂を備えたガレー船も建造しています。

      古代の船を論ずる際に東洋のことを無視しては片手落ちです。東洋の商船についての最古の記録は,西暦13世紀にマルコ・ポーロによって記されました。彼は中国のジャンクについて次のように書いています。

      「[それには]甲板が一面あり,その下は60の小船室に分かれていて,……各々が小じんまりした居間として商人にあてがわれていた。……比較的大型の船体になると,ぶ厚い板をつなげて作った,13枚の仕切り壁が備えられている。これらの壁が設けられたのは船に水の漏れ口ができたり,……度々起こることはまずないとしても,飢えた鯨に襲われたりする場合に,船を保護するためである」。

      中国人は今でもジャンクを利用して,川や海岸づたいに乗客や荷物を運んでいます。ジャンクは船体の長さと平行な帆がついた,がんじょうな木製の船です。

      帆船がさらに発達

      15世紀には「発見の時代」として知られる一時期が始まります。この時代に船は新大陸を求めて大海原に出掛けて行きます。この活動に深い関心を抱いたのは,後にヘンリー航海王と呼ばれるようになったポルトガルの王子でした。彼はアフリカ南岸に遠征隊を送り,やがてはインド航路を発見することを願っていました。その後数多くの人々や国々が「インド亜大陸」に興味を覚えるようになりました。「インド亜大陸」とは当時のインド,中国,東インド諸島,日本を含む地域です。彼らが望んだのは,それまで隊商がお金と時間をかけ,陸路からヨーロッパに輸送するしかなかった金,宝石,薬,香辛料などを,もっと早く手に入れることでした。

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