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『忠実な者たちの手本となる』よう若い人々を助けるものみの塔 1976 | 12月1日
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て,子供たちに愛を示してください。こうして親が直接に示す関心は,子供の生活に著しい影響を及ぼします。ほかのだれがほめるよりも,子供にとっては親の愛情や感謝の表現のほうが大切なのです。子供たちは親の誉れとなります。そして子供が『忠実な者たちの模範となって』反映するもののほとんどは,親の愛,親の信仰,親の行状,親の貞潔さなのです。―ペテロ第一 1:22。
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ポルトガルで「活動に通ずる大きな戸口」が開かれるものみの塔 1976 | 12月1日
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ポルトガルで「活動に通ずる大きな戸口」が開かれる
ポルトガルのエホバの証人の前に,「活動に通ずる大きな戸口」が突然開かれたのは,1974年4月25日のことでした。48年間続いた独裁政権は,全く予期されなかった軍事革命によって,一夜のうちに倒されました。信教の自由が宣言され,他のすべての市民的自由も回復されました。これら忠実なクリスチャンにとって,何と喜ばしい変化なのでしょう。幾年もの間,彼らはその業を禁止され,少数者の宗教として迫害されてきました。その革命以来,ポルトガルでは彼らにとってすばらしい事柄が起きています。
神と隣人に対する愛に動かされて,ポルトガルのエホバの証人は,この「王国の良いたより」をかつてないほど精力的に宣べ伝える機会をとらえています。そして,人間の組織が人類の諸問題を解決し得ると信じるのがむだであることに気付いた多くの人々を,非常に短期間のうちに見いだしました。封建主義,独裁的国家社会主義<ファシズム>,共産主義,社会主義,そして帝国主義など,多種多様な“主義”を長い間試みたにもかかわらず,根本的な問題が相変わらず存在していることを,これら心の正直な人々は認めました。幸いにも,彼らは人類の諸問題に対する唯一の解決策を見いだしました。「どこにですか」とお尋ねになるかもしれません。現存する最古の歴史書,聖書の中にです。人間にとって唯一の希望とは,神による政府,そうです,神の王国です。
ポルトガルで起きている事柄を理解するために,次の事柄を考慮してください。1950年から1969年の20年間に,活発なエホバの証人の数は58人から最高数の6,037人にまで増加しました。しかし,1974年4月からわずか20か月の間に,6,270人余の人々がエホバのクリスチャン証人としてバプテスマを受けました。平均すると,一日に10人以上の新しい弟子が生まれたことになります。これは,多くの人々にとって生活を大きく変化させることを意味しました。彼らはもはや,神の単なる“伝統的な”信者ではありません。彼らを行動へと動かす生きた信仰を持っています。そして,「霊と真理をもって」,喜んで神を崇拝しています。―ヨハネ 4:24。
支部事務所を開設する
1975年2月14日には,業の再組織に向かって大きな前進が見られました。この日,エホバの証人の支部事務所となる立派な施設を借りるための契約が結ばれたのです。それは近代的で優れた設計の建物で,部屋数は20あり,ポルトガルにおける証人たちの業を監督するのに,まさに理想的なものです。それ以来,リスボンに近いエストリルという町にあるその建物が使用されています。
2か月の間に,総重量約60㌧にも及ぶ聖書文書が,ニューヨークのブルックリンにあるものみの塔協会の工場から,大型コンテナ4台で送られて来ました。さらにポルトガルの協会は1975年中に,印刷会社を通して合計33万3,700冊の書籍を印刷しました。聖書文書に対する需要は非常に大きいので,会衆の長老たちが500冊ないしは1,000冊もの文書を積み込むため,自分たちのトラックでエストリルへやって来るのは珍しいことではありません。
この支部のベテル・ホーム(「ベテル」は「神の家」を意味する)の開設は,さらに別の面でも祝福をもたらしました。その敷地には建物の裏に菜園とりっぱな芝生があります。その地方で庭師をしている人の妻がたまたま近隣の会衆に交わっていますが,その庭師は友好的な人で,エホバの証人との交わりを楽しんでいました。彼自身は聖書を学ぼうとはしませんでしたが,エホバの証人が禁令下にあったときにも,自分の家を集会のために提供していました。ベテルの庭は専門家に手を加えてもらう必要があったので,この人に援助が依頼されました。幸いにも彼はそれを引き受け,1975年の春に数日間ベテルで働きました。ベテル家族との交わりは,彼の思いと心に深い感銘を与えました。家族の一人から聖書研究を勧められたとき,彼は余り乗り気ではありませんでしたが,やがてその勧めに応じました。その庭師に必要だったのは,ただ『きっかけをつかむ』ことだけでした。というのは,その後彼は急速に進歩し,1975年12月の始めにバプテスマを受けたからです。
しかし,この庭師はバプテスマを受ける前から,異なった種類の“種”をまく業に忙しく携わっていました。彼の説得力のある話を聞いて,市の検査官が神の王国に関心を抱いていました。その食糧検査官はすぐに音信の意味を理解し,それ以降,不正な行為をやめ,聖書研究のための集会に出席するようになりました。彼が近所の人に話をしたところ,その人も会衆の集会はもちろんのこと,毎週の家庭聖書研究にも参加するようになりました。その結果,その庭師がバプテスマを受けた日には,彼の司会で研究している四人の関心ある人々が共に出席していました。真理を語ることがイエス・キリストの活発な弟子を生み出すことを示す,何とすばらしい方法なのでしょう。その庭師のエホバの証人は,今でも草木を植えたり手入れしたりする仕事を楽しんではいますが,「王国のことば」を他の人々に語ることによって,その実を育てることに,より大きな喜びを抱いています。―マタイ 13:18-23。
増加する王国会館
1975年1月9日,ポルトガルの諸会衆に対して,王国会館を持つことができるとの知らせが出されました。この『開かれた戸口』は,エホバの証人を本当に興奮させました。その時以来,合計72の立派な会館が借りられ,装飾が加えられ,献堂式が行なわれました。現在,さらに40の会館が献堂式を目指して着々と準備されています。大都市では借用料が高いので,三つないしは四つの会衆が同じ会館を使用して,こうした費用を支払っています。清潔で品位のある王国会館を建てるのに十分な資金を得るため,ラジオ,テープ・レコーダー,金の指輪,腕輪やブローチなど,個人の所有
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