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  • 友好的な島民は耳を傾ける ― スリランカからの報告
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
  • 副見出し
  • 「良いたより」に対する反応
  • 数十年にわたる進歩
  • 田舎の区域で証言する
  • 広く行き渡っている心霊術と迷信
  • より多くの働き人を求める招きに答え応じる
  • エホバの民の幸福な会衆
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
塔78 7/1 17–20ページ

友好的な島民は耳を傾ける ― スリランカからの報告

王国の良いたよりは「証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられる」であろうというイエスの預言の言葉は,広範囲に及ぶ業の行なわれることを示していました。(マタイ 24:14)この終わりの時に「良いたより」が伝道されてきた国々の中には,最近までセイロンと呼ばれていた,友好的な人々の住む島スリランカがあります。その形が涙の滴りに似た面積6万5,584平方㌔のこの島は,インド洋上のインドの真南に位置し,全長わずか435㌔,幅225㌔の小さな島です。

米国の著述家マーク・トウェーンは,1896年にスリランカを訪れ,首都コロンボについてこう描写しました。「熱帯特有の花の華麗さと大火のような東洋の衣装は,まるで夢のようであった。男,女,少年,少女,赤ん坊が群れを成して歩いていると,その色ゆえに一人一人は炎のように,人の群れは燃えさかる家のように見えた」。この美しい熱帯の島の魅惑的な自然と,色あざやかな人々が示す暖かさや親しみ深さは今日でも見ることができます。

スリランカの550人余りのエホバの証人にとって,神の王国を宣べ伝えるのは楽しい割当てです。この島のどこで「良いたより」を語っても大抵歓迎され,家の中に招じ入れられます。聖書の音信や,人類の幸福な将来の約束を話していると,この国の名産である気分をさわやかにする紅茶が出されるでしょう。王国の音信の伝道者たちは,しばしば仏教寺院でも歓迎され,上級,下級の僧侶と共に聖書の希望について話し合います。

「良いたより」に対する反応

エホバの証人の行なう「良いたより」の宣明の業は,仏教徒やヒンズー教徒,イスラム教徒が真理を学び,受け入れるのを援助してきましたか。ヒンズー教徒の間には特に注目すべき成果が見られます。地方の会衆に行くと,王国宣明の全時間奉仕者や伝道者の中に,元ヒンズー教徒の人々が見られます。また,ある長老や奉仕のしもべも以前はヒンズー教徒でした。その中に現在ある会衆で監督として奉仕し,自分の妻や姉妹や姻戚が真理を学ぶのを大変熱心に援助し,良い結果を得ている人がいます。昔からビンロウジをかむことを習慣にしていた母親に珍しい問題が持ち上がりました。彼女の歯は歯茎まですり減っていたので,ビンロウジをかむのをやめるとすぐに痛み始めました。

ビンロウジをかむ習慣をやめない限り,エホバの証人の一人としてバプテスマを受ける資格は得られません。彼女はこうした問題をどのように解決しましたか。歯科医に助けを求め,残っていた歯を抜いてもらったのです。その後彼女はバプテスマを受けました。

以前仏教徒だった数人の人々も,現在「良いたより」の伝道者となり,そのうちの一人は全時間の開拓奉仕者として奉仕しています。イスラム教徒に関してはわずかな進歩しか見られませんが,それでも,長老と奉仕のしもべの中に以前イスラム教徒だった人が一人ずついることを,スリランカのエホバの証人は喜んでいます。

人々は老若を問わず,キリスト教世界の教会組織の教理や慣行に幻滅を感じています。教会が信者に満足のゆく教えを与えていないことを示す一つの例として,ローマ・カトリック教徒の家に生まれたある青年が20代半ばに経験した事柄を考えてみましょう。その青年は自分の教会の教えに満足できず,多くの疑問に対する答えを仏教に求めました。それでもなお,明確な答えは得られませんでした。その後,だれかから「ものみの塔」誌をもらいましたが,その雑誌の裏には,「あなたの信仰はぐらついていますか」という見出しの広告が載せられていました。さっそく彼は,ものみの塔協会の地元の支部事務所に手紙を書きました。“特別開拓者”の証人がその青年の家を訪問し,彼やその両親と共に信仰の問題について話し合いました。今ではこの家族は三人とも「良いたより」の伝道者となっています。ローマ・カトリック教徒の多い区域で働く開拓者たちは,こうした良い経験を数多く持っています。

数十年にわたる進歩

スリランカで初めて「良いたより」が伝道されたのは早くも1910年のことでした。そのとき,少数の関心ある人々とその家族の心に真理の種がまかれました。国際聖書研究者協会の当時の会長C・T・ラッセル兄弟は,1912年にこの国を訪問しました。その後1917年に,スライドと映画と録音からなる「創造の写真-劇」がコロンボとカンディで上映されました。幾年もの間,真理はなかなか広まりませんでしたが,1947年,ついに宣教者が援助の手を差し伸べるために遣わされました。それ以来,一層組織された土台の上に業が進展し,拡大が見られるようになりました。

忠実な宣教者の熱心さと辛抱強さは,この国にエホバの証人の会衆が設立される際の重要な要因となりました。現在,島の主要な町に合計17の会衆があります。1977年の伝道者最高数は552人で,同じ年に49人の人々がバプテスマを受けました。1977年4月3日に島内23か所で行なわれたイエスの死の記念式に,これまでの最高数である1,662人が出席したのは喜びでした。この出席者数は,将来さらに増加するすばらしい可能性があることを示しています。

「王国ニュース」の冊子配布は熱心に支持され,その結果孤立した土地に住む多くの人々に「良いたより」が伝えられました。彼らは現在聖書の音信に関心を示しています。「犯罪と暴力はどのようになくなりますか」と題する冊子が配布されたときには,特に優れた反応が見られました。ものみの塔協会のスリランカ支部に,聖書文書を送って欲しいとの依頼が殺到しました。ある人からは聖書研究の申し込みがあり,その地方のエホバの証人は喜んで援助しました。

田舎の区域で証言する

田舎の典型的な家に近付いて行くと,あなたとあなたの仲間のために家の人たちが忙しそうにいすを準備しているのに気付かれるでしょう。その後家の人たちは,立ったままうやうやしくあなたの話に耳を傾けます。家の人たちはしばしば,熟しきらないさまざまなココナッツで作ったクルンバやタンビリという気分をさわやかにする飲み物を勧めてくれます。この果実の真ん中にある汁は甘くて大変おいしいので,熱帯の暑い太陽の下で家から家に「良いたより」を忙しく伝えていると,一日の午前中だけで何杯も飲めるのに驚かれるでしょう。

田舎に住むこれら親しみ深い謙そんな人々の熱意には胸を打たれることがあります。そうした地域で働く二人の開拓者の経験はそれを示しています。彼らは大変年取った婦人に出会い,音信を伝え,聖書研究の手引書を勧めました。その年老いた婦人は家の中へ入り,粘土製の貯金箱(ブタの貯金箱)にためたお金を持って戻って来ました。婦人がそれを壊すと,ぴかぴか光る小さな硬貨がたくさん出てきました。彼女は3スリランカ・ルピー(約50円)に相当する150枚の硬貨を根気強く数え,書籍に対する寄付としてその開拓者に手渡しました。それほどまでして文書を求めたいと思ったのです。

広く行き渡っている心霊術と迷信

様々な地域社会,宗教団体の人々は,非常に迷信深いことで知られています。心霊術的な慣行が広く行き渡っているため,クリスチャンはそのわなに掛からないように注意する必要があります。これはあるエホバの証人の経験に示されています。彼女の孫娘は頭痛薬としてある油を使っていました。この油は,そのエホバの証人の義理の娘に当たる仏教徒の女性がある寺院で手に入れたものでした。頭に油を塗った瞬間,献身したエホバの証人であるその孫娘は奇妙に振る舞い始めました。気が遠くなるらしく,祖母に向かって,「ここはどこ?」とか,「あなたはだれなの?」といった質問を繰り返すのです。その油が原因であることに気付いた祖母はすぐにそれを洗い落としました。すると,望み通りの結果になり,子供は正気に戻りました。

スリランカでは多くの人が心霊術的な慣行に捕われているため,この国のエホバの証人は,最近発行された「あなたを幸福にする良いたより」と題する英文の出版物を手にして胸を躍らせています。この東洋の島に住む人々がまさに必要としている事柄がその本の中に書かれているからです。シンハリー語やタミール語を話す多くの伝道者は,自分たちの区域でも教える業により良く備えるためにこの本がそうした言語で発行されることを心から願っています。

より多くの働き人を求める招きに答え応じる

最終的な収穫に際し一層多くの働き人を求める招きに答え応じ,全時間の“開拓”奉仕を始めた若者は少なくありません。(マタイ 9:38)ある人々は,最終的な収穫の業にさらに多くの働き人が必要とされていることを認め,収入の多い仕事を辞めました。そうした人々の中に,開拓奉仕のために世俗の仕事を辞めた一組の若い夫婦がいます。二人は必要の大きな地域で奉仕するよう派遣されました。今ではそこに会衆が設立されたことを喜んでいます。その夫婦は自分たちの決定について次のように語っています。

「物質的なものと創造者エホバへの愛について平衡の取れた見方を持つことによって,私たちは世俗の仕事を辞め,開拓奉仕を始める決意ができました。そう決心して以来,開拓者になったことを一瞬といえども後悔したことはありません。命を与える音信を広める業にエホバの助けがあることを信頼した結果,数々の霊的祝福にあずかることができました。この新しい任命地には,真理に飢え渇く羊のような人々が大勢います。そうした人々に出会い,聖書の正確な知識に至るよう彼らを援助するときに,私たちは,『大患難』の前になさねばならない業の緊急性について常に思い起こさせられます。大勢の人がこの音信に答え応ずるのを見るのは心暖まるものです。そして多くの人々が会衆の集会に定期的に出席するのを見て,大きな喜びと満足を経験しています。エホバの心を喜ばせるために今日できる業の中で,開拓奉仕以上に優れた業はありません」。

この国では,正規開拓奉仕を希望する人が自活しながらそうした業を行なえるよう,パートタイムの仕事を見付けるのは容易なことではありません。しかし多くの人々は,宣べ伝えて教える業により一層あずかれるように仕事を調整しています。(マタイ 24:14; 28:19,20)ある人は政府公団の管理職を辞め,妻と三人の子供と共に織物のプリント工場を建て,自家営業を始めました。親たちは交互に家で働きながら,開拓奉仕を行なっています。「良いたより」の伝道者の中には,一時的に開拓奉仕を“味わってみる”人々も少なくありません。1976年には,学校や仕事が休みになる4月に,79人の王国伝道者が,正規及び補助開拓奉仕に忙しく携わりました。

エホバの民の幸福な会衆

会衆を訪問する二人の旅行する監督は,広く行き渡る愛ともてなしの立派な精神のために,その割り当てから多くの喜びを味わっています。これら旅行する奉仕者の一人は,妻と二人の幼い息子と共にオートバイで会衆を訪問しています。彼はこう述べています。

「巡回監督の奉仕には,特に家族がいる場合に困難が伴いますが,しかしこれはエホバからのすばらしい割り当てです。兄弟たちと共に働き,彼らの信仰に関する経験を聞き,そのもてなしにあずかることはすばらしい経験です。どんなに貧しくても兄弟たちは私たち家族四人を世話し,暖かく親切にもてなしてくれます。訪問中に,時折り幾つもの家族がグループとして集まり,共に食事を取り,くつろぐこともあります」。

妻と三歳になる娘を伴って任務を果たしているもう一人の旅行する監督は,巡回区内の会衆へ行くため大抵バスや電車などの公共の交通機関を利用しています。会衆で奉仕するときは,よく自転車を使います。彼はこう述べています。「妻は娘をひざに載せて荷台に座ります。私たちはこのようにして8㌔から11㌔も走ることがあります」。時々,ひざのしびれや手足の疲れを治すために止まらねばなりません。しかし娘の絶え間ないおしゃべりや様々な質問,時折り口ずさむ歌のおかげでそうした旅も楽しくなります。「私たちはエホバの奉仕を楽しみ,兄弟たちに仕えることを喜んでいます」とこの巡回監督は語っています。

スリランカのエホバの民は数の面では少なくても,霊的な繁栄を享受しており,それによりどこにいても信仰を熱心に宣明するよう鼓舞されています。このためにスリランカでは,キリスト教世界の諸教会の間に大きな不安が生じ,その代表者はこれら「良いたより」の宣明者の根気強い活動に対して教会員の注意を促す文書を発行しています。キリスト教世界の教会の人々が発行したエホバの証人に反対する文書の中には,エホバの証人の熱心さや誠実さについてうらやましげに語り,信仰を守る面で同様の資質を示すよう教会員に促すものさえあります。確かにスリランカのエホバの証人はエホバの助けを得て進歩しており,「大患難」から救われるようさらに多くの羊のような人々を助けることを願っています。―マタイ 24:21,22。

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