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  • 不正の重荷に耐える
    ものみの塔 1979 | 1月15日
    • でしょう。不正,圧制,差別などに直面して難儀を強いられるとき,こうした見方がそれに耐えるための助けとなるでしょう。

      12 (イ)人間に関しサタンはどんな主張をしていますか。(ロ)不正の重荷を耐える上でこの点はどのように助けになりますか。

      12 ここに関係するもう一つの要素があります。人類の大敵対者悪魔サタンは,神に仕える者たちについて,その動機は利己心であると唱えています。そのことはサタンがヨブに浴びせた非難の中に明らかです。「人は自分の魂のためなら,持っているすべてのものを与えます。趣向を変え,どうかあなたの手を出し,彼の骨と肉にまで触れ,果たして彼があなたを,しかもあなたの顔に向かって呪わないかどうかを見てください」。(ヨブ 2:4,5,新)したがって,不正に直面しながら神への忠誠を守るとき,わたしたちはヨブと同じように自分の心の正しい動機を実証することになります。

      13 好ましくない状況に対して詩篇 73篇21,22節に述べられるような反応の仕方をどのように避けることができますか。

      13 偏見あるいはわたしたちが政治に参与しないことのために不正な事柄の犠牲者にならされるとき,わたしたちは,神が不正を許しておられる事態に対し,分別のない動物のように,ただ感情のままに反応することのないよう注意しなければなりません。それはわたしたちの内奥に苦々しいものを生み,考え方の平衡を失わせ,ただわたしたちの観点からのみ物事を見させて,神の目的に盲目にならせます。そのことがアサフに起きました。彼はこう認めます。「わたしの心はうずき,わたしは腎に鋭い痛みを覚えた。そしてわたしは理性のない者となり,知ることができなかった。あなたの観点からはただ獣のような者となった」― 詩 73:21,22,新。

      14 だれとの関係をしっかり守るためにわたしたちは努力すべきですか。

      14 個人的にどんな事態に直面するとしても,わたしたちは自分とエホバ神との関係を守るため一心に努力すべきです。わたしたちが高められるのはただエホバによるからです。詩篇作者はその点を認識するようになりました。こう記されています。「わたしは絶えずあなたと共にいます。あなたはわたしの右手を捉えてくださった。あなたはご自分の計り事をもってわたしを導き,後に,栄光へまでもわたしを連れて行ってくださる。わたしには天にだれがいるでしょうか。そしてあなた以外に地に喜びはありません。わたしの体と心臓は衰えました。神はわたしの心の岩,定めなき時に至るまでのわたしの分。ご覧ください。あなたから離れているその者たちは滅びるのです。不道徳な仕方であなたを去って行くすべての者を,あなたは確かに沈黙させられます。しかしわたしにとっては,神に近づくのは良いことなのです。主権者なる主エホバに,わたしは自分の避難場所を設けました。あなたのすべてのみ業を告げ知らせるために」― 詩 73:23-28,新。

      15 エホバはどのようにわたしたちを栄光へ導かれますか。

      15 どのような事情のもとでも,わたしたちが忠実である限り,エホバ神がわたしたちを見捨てられることはありません。この点を忘れてはなりません。エホバは常にわたしたちと共におられます。至高者がわたしたちの手を取られ,わたしたちを導き,支えてくださいます。エホバの諭しまた忠言は安全で幸福な将来への導きとなります。しばしのあいだ辱めを被るとしても,エホバは事態を翻し,わたしたちを栄光と誉れに導かれます。アサフのように,わたしたちには,慰めを求めて頼るべき方として,天の父以外にありません。

      16 (イ)どのような意味でエホバは人の心の岩ですか。(ロ)どうしてエホバはわたしたちの受ける「分」ですか。(ハ)エホバのすばらしいみ業に関してわたしたちは何を行なうことに努めるべきですか。

      16 エホバのみ前でその是認を受けた立場を得ていること,それこそわたしたちの最大の喜びであるはずです。たとえわたしたちの肉体と心臓が弱るとしても,エホバはわたしたちを強められます。エホバはわたしたちの心に安定性を与えてくださり,それによってわたしたちは逆境の中でも希望と勇気を失うことがありません。確かに,天の父との親密な関係を楽しみ,この父に仕え得るという特権は,極めて喜びある分,金銭で値づもりし得ない所有物です。わたしたちは決してそれを離すことがありませんように。エホバを捨てる人々と共にそうした道を取るなら,それは災いとなるのです。詩篇作者と同じく,わたしたちはエホバに近づき,自分のすべての心配をエホバにゆだねましょう。それは良いことです。わたしたちの幸福と福祉を増し加えることになるからです。さらに,エホバのすばらしいみ業を他の人々に語り告げ,こうして疑問を持つ人がいればその人たちを強めましょう。

      17 何をわたしたちの生活の中心とすべきですか。これは不正な事柄に耐える上でどのように助けになりますか。

      17 確かに,詩篇作者が自分の経験によって書いた事柄から今日のわたしたちも大いに益を受けられます。この体制に見られる不正な事柄がわたしたちの思いをかき乱す場合もありますが,神への奉仕を生活の中心とすることによってわたしたちはこの重荷に首尾よく耐えることができます。そうするなら,わたしたちの報いは確かです。(ヘブライ 6:10)事実,その報いは極めて大きいため,それと比べるなら,わたしたちが立ち向かわねばならないどんな試練や患難も,むしろ「つかのまで軽いもの」となるでしょう。―コリント第二 4:17。

  • あなたの益となる苦しみ
    ものみの塔 1979 | 1月15日
    • あなたの益となる苦しみ

      「このことをあなたがたは大いに喜んでいます。もっとも,現在しばらくの間,やむをえないことであるにしても,あなたがたはさまざまな試練によって憂え悲しんできました。でもそれは,火によって試されていながらも滅びてしまう金よりはるかに価値ある,あなたがたの信仰の試された質が,イエス・キリストの表わし示される時に,賛美と栄光と誉れのいわれとなるためなのです」― ペテロ第一 1:6,7。

      1 クリスチャンは会衆の初期の時代にどんな虐待に遭わされましたか。

      彼らはあざけられ,打ちたたかれ,投獄されました。彼らの家は侵され,所有物は奪い取られました。その忠信なる友人や親族の中には激こうする暴徒の手にかかって死に,あるいは司法の手で死刑を宣告された人たちもいました。そうした手荒な処置を正当化し得るような犯罪を彼らが犯したというのではありません。彼らは他の手本となるような生き方をし,仲間の人間に対して真の愛を抱いていました。それなのに多くの人々の憎しみを浴びせられました。なぜ? 彼らがイエス・キリストの弟子であったというだけのことです。―使徒 8:1-3。ヘブライ 10:32-34。

      益ある鍛練の一つ

      2,3 (イ)クリスチャンとなったユダヤ人のある人々は,なぜ命のための競走にうみ疲れていましたか。(ロ)彼らは何を忘れていましたか。

      2 クリスチャンたちの受けた恐ろしい苦しみに益がありましたか。人はすぐにこれを否定するかもしれません。しかし聖書は,人が虐待の下に置かれ,それが極めて有益である場合について述べています。一世紀にクリスチャンとなったユダヤ人に対して次のことが述べられました。「そうした罪と闘うことにおいて,あなたがたはいまだかつて血に至るまで抵抗したことはありません。むしろ,あなたがたを子と呼びかけているこの勧めをすっかり忘れてしまっています。『わたしの子よ,エホバからの懲らしめを軽く見てはならず,また彼に正されるとき,弱り果ててもならない。エホバは自分の愛する者を懲らしめるからである。事実,自分が子として迎える者をすべてむち打たれるのである』」― ヘブライ 12:4-6。

      3 クリスチャンとなったユダヤ人に加えられた反対には確かに厳しいものがありました。しかし,容易に絡みつく罪,すなわち信仰の喪失に対する彼らの闘いは,いまだ自分の血を流すまでには至っていませんでした。中には,命を目指す競走に生半可で,『血に至るまで抵抗』し通すに必要な態度でこの罪への闘いを続けていない人たちも少なからずいたのかもしれません。その人たちは,不信の人々から浴びせられる非難に耐えてゆく

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