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私は爆発事故で大やけどをした目ざめよ! 1980 | 6月22日
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の生じる初めの数週間の苦しいことと言ったらありません。その医師が指や手首の関節を遠慮なく曲げると,かさぶたから血が出るのです。
ダーシー医師の回診の時は患者が悲鳴を上げるので,彼女がやって来るのが分かりました。しかし,実際のところダーシー女史がいなかったとしたら,私たちは一生かたわになったことでしょう。どうせ痛い思いをするなら,自分でやろう,と私は思いました。そして,朝早くから自分の関節をほぐし始めました。午後1時頃の回診の時,私がダーシー女史の言う通りに関節を動かせたので,女史は何も治療せずに立ち去りました。その苦しい治療を続けた結果,私は指・手・腕をほぼ普通に動かせるようになりました。
リハビリテーションの中で大切なのは抑うつ状態と闘うことです。それは私にとって一番大きな問題でした。来る日も来る日も限りなく続くような,激痛を伴う治療にとても耐えられないことがあります。それが非常につらいのは,回復があまりにも遅く,何か月も,時には何年もかかるからです。
体を使って行なうことは限られてきます。やけどをした方に寝返りを打って目を覚ますことがたびたびあるので,眠ることすら思うにまかせないのです。看護婦は2,3日の間私に食事を食べさせてくれ,そのあと,自分で食事ができるように,スプーンをはさむ付属品を包帯に付けてくれました。でも,私は皿に顔を突っ込んで食べることがよくありました。私は本のページをめくることさえできませんでした。
どんな顔になるだろうか,とやけどの跡を心配することも患者を憂うつな気持ちにさせます。私もそれを心配しました。はっきり言って,たいへんふさぎ込んで泣いたことも時々あります。非常に気丈な患者すら憂うつな気分になりました。ある患者は私に,「明日が来るのがいやだ」と語りました。
しかし,回復には積極的な精神態度を持つことが大切です。私は,フォードのピントという自動車で追突事故に遭ったジュディス・バードという女性のことを思い出します。その事故で燃料タンクが爆発しました。バード家はついに勝訴し,関係したレンタカーの会社とその自動車を造った会社から損害賠償を得られるようになったということが,昨年新聞に載りました。ところで,私がやけどセンターに入ってから2,3週間して,体表面積の55%余りにやけどを負ったそのジュディスが運び込まれました。
数日後,一人の医師は私にこう言いました。「ジュディスの生活徴候はすべて申し分ありません。死ぬことはありません。ただ,ジュディスには生きようという気持ちがないようです」。ジュディスの顔はひどく醜くなり,両手は切断しなければならない状態でした。私はジュディスに幾らか話しかけ,私も私の家族もジュディスの親族と知り合うようになりました。しかし,残念なことに,ジュディスは3か月後に亡くなりました。ある著名な医師の話では,生きる意志のなくなった重病人が回復した例はないということです。
やけどを負った人があきらめの気持ちを持ちやすいのは,理解しがたいことではありません。ですから,励ましの必要をどんなに強調しても,強調し過ぎることはないと思います。私の場合も,大勢のクリスチャンの兄弟姉妹が手紙を寄せてくださったり,見舞いに来てくださったので本当に勇気付けられました。そのような必要を認めて,ナッソーやけどセンターは,同センターを退院した人々が援助を差し伸べるための組織を発足させました。そして,私のように治った患者がそこを訪れ,自分が耐え抜くことのできたその同じ苦しい治療を受けている人々に励ましを与えるという取決めを設けています。
植皮を行なうべきか,否か
医師たちは私に植皮を行なうことを望んでいました。最初のころ使われた豚の皮の移植片は事実上包帯のようなものでした。永久的に植皮できるのは,患者本人の皮膚だけであり,ほかの人の皮膚の場合はやがてはがれます。
私は,自分の皮膚を移植した患者が問題を持っていることに気付きました。皮膚がつかなくて失望する場合が少なくありませんでした。また,やけどをしていない部分から皮膚を採ることには痛みが伴いました。それに,皮膚を採ったあとの傷はすぐに治りません。両腕の,まだ閉じていない傷が自然の治ゆ力でやがて治るかどうか見てみたい,と私は思いました。すばらしいことに,時がたつにつれて,開いた傷に皮膚がどんどんできてきました。
植皮を断わると,私はセンターの別の場所へ移されることになりました。私は退院させてほしいと申し出ました。家へ帰れば妻に看病してもらえます。妻はとてもよく看病してくれました。しかも,子供の世話をし,家事を果たしながらそれをしてくれたのです。数か月の間あいかわらずとても痛みましたが,傷は少しずつふさがり始めました。
退院して2,3週間後に腕の寸法が取られました。形を整えるためにやけどの箇所に着けるゴム製の特別な袖を作るためです。しばらくの間そのゴムの袖を四六時中着けていました。今でも夜になるとそれを着けます。ゴムの袖は傷を絶えず圧迫するのです。そのおかげで,皮膚は滑らかになり,醜いやけどの跡もずいぶん消えました。事故が起きてから8か月後に,私は仕事にもどることができました。
やけどは一般に考えられているよりずっと恐ろしいものです。次に,たいへん効果的なやけどの手当てをご紹介しましょう。
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やけどをしたらどうするか目ざめよ! 1980 | 6月22日
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やけどをしたらどうするか
やけどをする人が毎日大勢いることを知って驚かれるかも知れませんが,アメリカだけでも日に平均270人ほどの人が大きなやけどを負って病院に運ばれています。万一あなたか身近な人がやけどをした場合でも,傷を最小限にとどめられ,また傷跡を残さないようにもできる幾つかの方法があります。
その一例ですが,昨年の夏,ニューヨーク市に住むアンナ・ヘラクという59歳の婦人は客に出す料理を作っていました。天火の戸を開けたとたん,熱気と炎がばっと出ました。右の二の腕が炎に触れはしましたが,それだけで,幸いひどい傷を負いませんでした。間もなく客が来ることになっていたので,その婦人はやけどした二の腕にタオルを巻いて会食の支度を続けました。
客が来始めたとき,アンナは,ショックのためと思われますが,人にも分かるほどの震えが止まらず,腕に痛みを感じるようになりました。タオルを取ってみると,皮膚が赤くなっていて,火ぶくれができ始めていました。客の一人は,氷で冷やした水をバケツに満たしてほしいと言いました。
そして,やけどした腕をそれに浸すようにとアンナに言いました。傷を冷やすと,すぐに痛みを感じなくなったので,アンナは安堵のため息をつきました。ところが,少したって腕をバケツから出すと,またひりひりします。客はアンナに,腕をずっと水に浸して,ほぼ20分ごとに水から出すように指示しました。
3時間ぐらいたってやっと,バケツの冷水に浸していなくても腕がひりひりしなくなりました。そして,跡が残らず,合併症や痛みもなく,腕は治りました。アンナは,やけどの手当ての方法を知っている人が客の中にいたことを深く感謝しました。
医学関係者は,長年の間,この冷水による簡単な手当ての仕方を重要視してきませんでした。しかし,最近の医学関係の文書では,やけどをすぐに冷やすことほど良い手当てはないということが指摘されています。1960年代に,冷水療法を復活させる点で率先したのはアレックス・G・シュルマン博士でした。同博士は,アメリカ医師会ジャーナルのある記事の中で,程度のいかんを問わず,体表面積の20%未満にやけどを負った150人の患者を治療して成功した例を報告しています。
シュルマン博士は,氷片と六塩化フェンを加えた冷水の入った大きなたらいにやけどの箇所を浸しました。水に浸せない部分には,ぬれたタオルを氷で冷やして当てました。「やけどをしてから手当てを受けるまでの時間が結果を左右する。したがって,この手当ては,できれば,患者か応急手当てをする人によってただちに行なわれなければならない」と同博士は語っています。
やけどをしたらどうすべきでしょうか。すぐに冷やしてください。迅速に行なうことが大切です。そうすれば,あまり痛い思いをせずにすみ,やけどの跡がつくのを防ぐこともできます。
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