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    ものみの塔 1960 | 8月1日
    • それは次のことを意味していません,すなわちエホバの証者はだまされやすく,あざむかれやすい人々,そしていわば誰でも彼でも見るだけですべての人を信ずる,というわけではありません。エホバの証者は分別のある注意を払い,悪企みを持つ人と交渉するときは警戒を払います。悪企みを持つ人は,個人的な利益をはかるためとか,新世社会内に行なわれている親切や信用を利用しようとするため,エホバの証者との交際を求めようと徐々に入りこんでくるのです。悪い計画を持つそのような人は,そのわざにより,心の中では真理と正義を愛する者でない,と示します。そして,円熟したクリスチャンは,それらの者の偽善的な擬装をすぐに見破つてしまいます。―マタイ 7:20。

      21 正直の原則は,商売しているクリスチャンにどのように適用しますか。

      21 自分の商売をしている人についてはどうですか。クリスチャンであるその人は,他の人々と競争し合うため,あざむきの手段を行なつて,自分の収入を増加させるのは正しいことでしようか。次の聖書の原則はその質問に対して全く要点をついたものです,「あなたがたは,さばきにおいても,物差しにおいても,はかりにおいても,ますにおいても,不正を行つてはならない。あなたがたは正しいてんびん,正しいおもり石……を使わなければならない」。それで,クリスチャンの商人は,不正直な利益を得るために,代金に対する品物の分量をすくなくしてお客をだましたり,あるいは仕事の質を悪いものにしないでしよう。同じく,その人は従業員との交渉でも公正にまた正直に行なうでしよう。―レビ 19:35,36,新口。コロサイ 4:1。

      22 この記事は,どんな目的のために掲載されていますか。

      22 しかし,それは次のことがらを意味するものではありません。すなわちクリスチャンはそのような事の裁判官であるかのように,他の人々のところに行つて,その商売の仕方を告げる権利を持つ,ということではありません。ここに書かれている記事の目的は,この世の人々に生活の仕方を告げることではありません。ここに述べられているものは,クリスチャン生活を支配する原則に過ぎないのです。それですから,異邦人のしている生活の仕方を止めて,新しい世の正義に一致する生活をしたいと欲する人は,この記事から援助を受けることができます。

      23 人は自分の仕事にどのように不正直であり得ますか。そして,どんな最も重要な理由のゆえに,クリスチャンは熱心に働かねばなりませんか。

      23 正直についての同じ原則は,雇主と雇人の関係にも同様に適用します。同意した賃銀で,ある人のために働こうと約束するなら,その約束を尊重しなければなりません。もしなまけ心をいだいているため割当ての仕事をしないなら,それは実際にはある種の不正直ではありませんか。また,雇主のために働くと同意しておきながら,賃銀をもらう時間を別の目的に使うなら,それは不正直でしよう。たとえ,そうすることが自分自身と他の者にとつてもつと興味深いものであり,益のあるものであると感ずるような場合でも,それは不正直であります。雇主に知らせないで,そして雇主の許可なしに,時間をこのように使用することは,約束に対して不忠実であります。正直で熱心に働く人は,尊敬とよい名声を得ます。(テサロニケ前 4:11,12)クリスチャンの従業員または僕は,自分の仕事を良く行ないます。人々をよろこばせようとか,人々の是認を得ようとするためではなく,そうすることは正しいことであり,正直なことであり,そのようなことはエホバをよろこばしてエホバから報いをうけると知つているからです。パウロはエペソ書 6章5-8節(新世)で次のように書いています,「あなたがた奴隷たち,キリストに従うように,恐れおののきつつ,真心をこめて,肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく,キリストの奴隷として心から神の御旨を行い,人にではなくエホバに仕えるように快く仕えなさい。あなたがたが知つているとおり,だれでも良いことを行えば,それに相当する報いを,それぞれエホバから受けるであろう」。―コロサイ書 3章22-25節と比較しなさい。

      24 さらに新しい世の生活のどんな原則はエペソ書 4章28節に述べられていますか。

      24 使徒は,エペソ書 4章(28節)の中で新しい世の生活についての別の規則を述べています,「盗む者は,今後盗んではならない。むしろ,困つている人に分け与えることができるようにするため,いつしようけんめい働いて,手ずから良いわざを行なうようにしなさい」。盗むということは,自分の権利に属さないものをひそかに,人に見られずに取りさることです。夜,留守の家に入つて,金銭とか衣服のような品物を持ち去ることが盗みであると理解するのは容易です。しかし,家の使用人として働いているときとか,あるいは商売の事務所または工場で働いているときなどに食物,材料あるいは装具を取りあつかうときはどうですか。そのようなものを自由勝手に持ち去つても良いですか。

      25 ぬすみをふせぐためどんな質問をすることができますか。

      25 ある国々の村社会の習慣によると,旅行者はその村を通る時,ある食物を自由に食べても良いことになつています。そうすれば,旅行者は元気を回復して旅行をつづけることができます。これは思いやりのある習慣であつて,賞賛に値するもてなしを示します。その村の人々はみなこの習慣のことを知つており,たとえ旅行者が所有主のいないときに食物を食べても,それを盗みとは決して見なしません。この習慣は,ユダヤ人の律法下にあつた見知らぬ人,旅行者あるいは貧乏人に対する準備を思い起させます。(レビ記 19章9節と10節を見なさい)しかし,習慣は変ります。この習慣はまだある田舎で行われていますが,現代文明の大都市では一般に行なわれていません。それで,それぞれの状況に適応することが必要です。盗みか,盗みでないかを安全にきめるものは,「私はこれを取る権利を持つているか」と自問することです。すなわち「私はこの食物や材料の所有主からそれを使用して持ち去る許可を有しているか」と自問することです。もしもそれが雇主の所有物であるなら,次のように尋ねることもできます,「もし雇主がここにいて,私がそれを持ちさるのを見るときでも,私はこれを持つて行くだろうか」もし,これらの質問に対する答が「いいえ」という否定のものであるなら,それを持ちさることは盗みである,と知ります。

      26 正直にそして熱心に働く人は,何をすることができますか。

      26 使徒の助言に従い,クリスチャンはいつしようけんめいに働き,手ずから良いことをなし,悪を行なつてはなりません。正直であると共に勤勉でもなければならず,十分の食物を得るために盗みをしてもなりません。クリスチャンは自分自身の必要物を備えるだけでなく,結婚しているなら自分の妻と子供たちの必要物を備えなければなりません。それだけでなく,思いもよらぬ損失や災害を受けた会衆内の仲間の不幸なクリスチャンたちをたすけることが必要です。また,会衆の資金に寄付をすることも必要です。それは会衆の必要な出費をまかない,その地で神の御国の良いたよりを伝道するわざを拡大するためです。

      27,28 (イ)人々は金銭を借りるときは,どのように不正直ですか。(ロ)借りても返済しようとしない者たちについて聖書は何と述べていますか。(ハ)クリスチャンは,どんな良い性質をつちかうべきですか。どんな悪い性質を捨てねばなりませんか。

      27 この古い組織制度には,利己主義が満ちています。人々は,生活に対する態度のなかにこのことを示します。なるべくわずかのものを与えて,できるだけ多くのものを得ようとつとめているのです。政治的な指導者や宗教的な指導者は,この利己主義に訴えてそれぞれの特定な制度の支持を得ようとしています。この利己主義は,金銭を借りるときは急いでしても,返済するときはおそいという人々の態度に見られます。多くの場合,借りる人は返済しようとする気持をもちません。ある人々は,金持ちから金を借りて返済しなくても,それは別に悪いことではない,金持ちはお金に不自由しないのだからと言つてこのことを正当化しようとつとめます。借金を返済しないために,なんと多くのけんかや争いが起きているのでしよう! そのわけで詩篇 37篇21節は次のように述べているのです,「あしき者はものかりて償はず」。

      28 エホバは悪い者たちを祝福しません。エホバは,利己的なもの,貪欲なもの,得ることだけに興味を感じても他のものにはできるだけすこししか与えない,というような者たちを祝福しません。新しい世の生命を望む者たちは,利己主義よりも愛をつちかい,貪欲の精神よりも与える精神をつちかわねばなりません。クリスチャンは,物質の持物を殖やすために負債をするということをせず,むしろ必要なもので満足し,正直にいつしようけんめい働いて必要ななものを得ようとします。使徒パウロは,兄弟たちに無用な重荷を課せないように注意深く行ないました。彼は,使徒というその立場を用いて仲間のクリスチャンたちから物質的な利益を得ようとしませんでした。彼は「金銀」をむさぼらなかつたのです。全時間の使徒であつた彼は,会衆からの援助を感謝しました。その援助によつてパウロは全時間を宣教にささげることができたのです。しかし,この自発的な援助が来ないときは,パウロは手ずから天幕づくりの仕事をして自分の物質的な必要物をまかないました。―使行 20:33,34; 18:3。テサロニケ前 2:9。

  • 神の新しい世に備えて生活する益
    ものみの塔 1960 | 8月1日
    • 神の新しい世に備えて生活する益

      1 ヤコブとパウロは,怒り,あらそい,そして舌の悪用について何と述べていますか。

      今日のこの世の人々は,すぐに怒つて自分の気持を抑えられないということは,真実ではありませんか。この結果しばしば荒々しい乱暴な言葉,きたない不潔な言葉が出てくるようになります。その種類の話しは,他の人に対する親切と

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