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    目ざめよ! 1979 | 5月22日
    • 本当の空の王者

      英国諸島の「目ざめよ!」通信員

      1919年,飛行家オルコックとブラウンは,重航空機による無着陸の大西洋横断飛行に初めて成功しました。当然のことながら,このニュースはあっという間に世界中に広まりました。それは驚くべき偉業だったのです。

      しかし,不思議なことに,それより43年も前にさらに驚異的な偉業が成し遂げられていたにもかかわらず,少数の昆虫学者が記録に残したことを除けば,人々の注目するところとはなりませんでした。一般には英国でオオカバマダラとして知られるダナウス・プレキシップスが国の南西部で発見されたと報じられたのは1876年のことでした。このチョウが常食とする唯一の植物トウワタは英国諸島に自生するものではありません。では,このチョウはどのようにしてここまでやってきたのでしょうか。4,800㌔余りも離れたアメリカの生息地から飛んできたと考えるのは愚かなことのように思えました。しかし,1880年に,数匹の標本が,グラスゴーを出港して大西洋を三,四百㌔ほど進んだ汽船の中で採集されました。150ほどの標本が発見され採集された70年間というもの,このチョウに関する考察が続けられてきたのです。

      フランス沿岸で発見されたオオカバマダラはわずか二匹,その外スペインとポルトガルで見付かったものが四匹だけだったことからして,それらのチョウは船に乗って東へ来たか,途中で船にとまったか,そのどちらかに違いないという考えが大勢を占めました。しかし,現在に至るまでそれらのチョウはしばしば姿を現わしているため,結局,これらのか弱いチョウは独力でそうした驚くべき旅をするのではないか,と考える人が多くなっています。なぜそのような見方がされているのでしょうか。それは,米国やカナダではチョウの王者として知られるこの生物が成し遂げる,並々ならぬ偉業に関する現在の理解によります。

      この美しいチョウは,オレンジがかった茶色の大きな羽と,翅脈のあざやかな黒い模様ですぐ見分けがつきます。そうした模様のために,このチョウには黒縞ブラウンという第三の名が与えられています。それは,オーストララシアおよび太平洋の島々の人々にもよく知られた普通のチョウです。しかし,北米におけるこのチョウの生活環は非常に興味深いものであるため,一生をかけた研究課題ともなってきました。

      移動のパターン

      初めてオオカバマダラに関心を示したのは,若い動物学者フレッド・A・アーカートでした。研究助成金として受け取った2万4,000㌦のおかげで,アーカート(現在はトロント大学教授)は,このチョウが移動する道をたどるのに成功し,1976年1月初旬,捕らえにくいこのオオカバマダラの冬期の生息地についての調査を終えました。40年近くにわたって忍耐強く労を惜しまず行なわれた研究は遂に報われたのです。

      冬の厳しい寒さから逃れるために,オオカバマダラは毎年カナダや米国北部を離れて南方へ飛んでゆきます。オオカバマダラは,鳥とは違って,それぞれが自分の道を本能的に選び,一匹だけで飛んでゆきます。このチョウは地上約1.5㍍から150㍍の間を飛んでひたすら南方へ向かいますが,一日約130㌔も進むことがあります。これらの美しいチョウの多くは旅の途中で死んでしまいます。しかし途中で生まれた子供たちによってその数は大群へとふくれ上がります。

      研究が進むにつれて,予想もしていなかった事実がさらに明るみに出ました。ほとんどすべての雄のオオカバマダラが冬の生息地から帰る途中で死ぬということが分かったのです。では,生殖過程についてはどうなのでしょうか。綿密な分析の結果,晩夏になって日照時間が少なくなると,卵からかえるのが遅いオオカバマダラの雌の生殖器官の成長が遅れること,そして恐らく雄にも同じことが起こるらしいことが明らかになりました。その結果,南方へ移動する,生殖力のないチョウの群れは,冬の生息地で日が長くなるにつれ,性的に成熟した状態に達するのです。交尾はその後,春になって北方へ移動する間に行なわれます。

      “すばらしい,夢のような光景”

      冬の休息地をつきとめようとして様々な試みがなされました。初めに,粘着性のある幾千枚ものラベルがチョウの羽にそっと張りつけられました。しかし,ある晩に降った突然の大雨で,雨宿りをしていたチョウのラベルは洗い流されてしまいました。しかし,最新の接着剤を使った,スーパーマーケット式の特別な付け札を用いた結果,やっと成功にこぎつけました。幾年もの間に,印を付けた数十万匹ものチョウが放たれ,幾千人もの協力的な目撃者の観察がトロントに送られるにつれ,報告の量はどんどん増えてゆきました。移動のパターンは明らかになりましたが,その最終的な目的地は,メキシコではないかと考えられてはいたものの,依然としてなぞに包まれていました。

      この研究がその感動的な最高潮を迎えたのは,二人の有志が一年近くメキシコを東奔西走したあげく,メキシコの山腹で8ヘクタールほどの地域を埋め尽くしたチョウの大群を見つけたときでした。標高3,000㍍の高地で,数え尽くすことのできないオオカバマダラが空と地面を覆いつくし,1,000本はあると思われるオヤメルの木に花綱のように群がっていたのです。人も通わぬこの場所を訪れて,目くるめく興奮を味わったアーカート教授は,ナショナル・ジオグラフィック誌の中で,自分の目撃した驚くべき情景を次のように描写しました。「私は魂を奪われる思いでその光景に見入った。チョウ ― それもおびただしい数のオオカバマダラである。それらは,緑がかった灰色の大きなオヤメルの木の枝という枝,幹という幹に寸分のすきまもなくぎっしりと群がっていた。そして,それらのチョウは秋の木の葉のように空中を舞っており,無数のチョウで覆われた地面は照りはえるじゅうたんのようだった。……私は声を上げた。『信じられない! 本当にすばらしい夢のような光景だ!』」

      導く本能

      一匹のチョウが花の蜜を吸っているのを見るだけでも,私たちは創造者に対する認識を大いに深めることができます。しかし,4,800㌔もの距離を飛んできた無数のチョウが一つの場所に集まっているのを見ると,当然,なぜという疑問が生じます。オオカバマダラに関する限り,今でも完ぺきに答えられる人はいません。ただ,暖かい春にまた飛んでゆくための脂肪を蓄える面で,メキシコのシエラ・マドレ山脈の寒い冬の冷気がちょうど必要な助けになっているとは言えそうです。

      理由はどうであれ,そうした移動性の生物を導く完全な本能には驚くばかりです。その重さは250ミリグラムしかありませんが,毎時19㌔から23㌔の速度で飛ぶことができるのです。その上,オオカバマダラは,あらしや炎暑に出会ったり,開けた土地や山や町を通ったりして,まだ一度も訪れたことがなく,いずれは去って二度と見ることもない外国の地へと幾千㌔も旅をするのです。

  • アリ塚ならぬ“アリ塚”
    目ざめよ! 1979 | 5月22日
    • アリ塚ならぬ“アリ塚”

      一般にアリ塚として知られている,赤みを帯びた珍しい塔を初めて見たとき,西アフリカの旅行者たちは好奇心をかき立てられたことでしょう。この“塚”は,基部の幅が1.2㍍以上,高さが6㍍もあります。しかし,それはアリ塚とは似ても似つかないものです。それはターミタリースと呼ばれ,アフリカの大半の地域を覆っている紅土からシロアリが造り上げたものです。細かい土が一緒に固められ,円すい形の塚が出来上がります。両側の尾根の部分で,この塚は支えられているかのように見えます。塚の内部は,この社会性昆虫の階級の違いに応じて数層に分けられたり,水路や部屋などの区分がされたりしていますが,男の人が乗っても耐えられるほどじょうぶにできています。

      シロアリは,アリと似ているというだけでアリとは関係ありません。むしろカゲロウ目に近いと言えます。アフリカの多くの地域では,焼いたシロアリは非常な珍味とされており,食事にたん白質を補うのに不可欠なものとなっています。

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