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広告はどのように人をあやつるか目ざめよ! 1974 | 6月8日
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少しでも事実があるとすればそれを確かめるようにし……どのように,なぜ,いくつ,どれほど多く,といった質問をする」ことです。また,自分ははたしてこれを必要としているだろうか。これは,もっと安い,これほど宣伝されていない競争製品よりも実際に質が良いだろうか,といったことを考えてみるのも適切です。
しかし広告業の兵器庫にはもうひとつの武器があります。
「計算された」場面
ラッシュアワーにハイウェーへ向かって車を走らせている自分を想像してください。速度を出そうとするとあなたの車はがくがくします。この場面は最近テレビで放映されているガソリンのコマーシャルです。あなたに影響を及ぼすように計算されているのがおわかりですか。この場面にはふたつの要素があります。あなたと恐怖です。この問題にはどれほどの真実性がありますか。もし場面のことを忘れ,計算されたことばについて学んだことを応用するなら,宣伝文句そのものがそれを示すでしょう。彼らはこの問題を「息つぎ」と呼びます。『ガソリンが全部のシリンダーに正しく行き渡らないときに[「起こる」のではなくて]起こる可能性があります』。彼らのガソリンは『その種の息つぎを直すのに役だちます』。
しかし,わたしの車は息をつぐだろうかと自問してみてください。もしそうだとすれば,それはその種の息つぎですか。それとも,燃料ポンプの調子が悪い,キャブレターが汚れている,整備が必要,といったもっとありふれた事がらが問題の原因になっているでしょうか。そう言う代わりに,宣伝文句は,ある不思議な添加物が,『その種の息つぎ』だけを直すことをうたっています。『ガソリンがもっと平均に流れるのを助ける』ためにそれは加えられるのです。計算された場面は多数の視聴者に,広告主よりも強い確信を製品に対して持たせます。
別のテレビ・コマーシャルは,アナウンサーが,この車の性能は『抜群』で,『あなただけの車です』と言う間に,かわいい子ネコが新車のモデルの回りを歩き回ったり,屋根にのぼったり,車の中を通り抜けたりするところを見せます。このコマーシャルの場面がよく計算されているのにお気づきですか。(1)明らかに人の誇りに訴えています。(2)それにネコが車とどんな関係があるでしょうか。その点では,よく知られている『あなたのタンクの中のタイガー』も,ガソリンとなんの関係があるでしょうか。製品はそれらの動物の自然の魅力を「借用」しているだけのことです。
性は,そのような魅力の「借用」にいちばんよく利用されるものです。ニューズ・ウィーク誌の1973年4月16日号は,「近ごろは性を利用して売り込もうとする厚顔で低俗な広告が次々に登場する」と述べています。人をつり込むような姿を見せる場面が,キャンデーからコンクリートにいたるまでのあらゆる品物の宣伝に使われます。その代わりに有名な運動選手や映画俳優を用いても同様の目的 ― 製品と場面を楽しむこととを結びつける ― が達成されます。
この種の心理操作を避けるには,製品と直接関係がないかぎり場面を無視することです。ネコ,コアラグマ,美男美女,母親と赤ちゃんなどはみな,あなたの注意を引き,あなたの感情をかきたてるために使われることをおぼえていましょう。誇り,愛国心,家族に対する誠意などの訴えもみな,同じ目的を果たすために「借りてきたもの」です。
広告にあやつられなければ倹約できる
多くの人は広告にあやつられて,宣伝されていない競争者の製品は品質が劣っていると思い込んでいます。これは,前にも述べたように,いつも真実であるとは限りません。
宣伝されている「メーカー品」は,良い品物であることを表わし,消費者の保護となるかもしれません。しかし,そのような製品の高い値段は,宣伝費の高いことを反映している場合が少なくないのです。そのわけで,宣伝されていない店あるいは「会社」の商標の製品の中には,値段がずっと安く,品質も同等のものがあります。このことを発見した,ペンシルバニア州フィラデルフィア市の一主婦は次のように書いています。
「わたしたちはほんとうに驚きました。宣伝されている商品を買うのになれてしまっていたからです。……わたしたちはたくさんのお金を節約しました。宣伝されていない商品でも十分まに合います」。
もうひとつ倹約に役だつことがあります。子どもが好む物を買ってやるのは自然の情ですが,それは他のすべての考えに代わるものではありません。子どもにあやつられて広告業者の思うつぼにはまらないようにしなければなりません。たとえば,盛んに宣伝される砂糖菓子,穀物食,清涼飲料などは高価なばかりでなく,栄養のある必要な食物に取って代わるかもしれません。
ですから,広告があなたをどのようにあやつろうとするかを知っているのはむだではないといえます。製品のちがいを誇張したり,あなたの浪費となる不必要な品物への購買欲をかきたてたりする種類の情報と率直な情報とのちがいを識別するのに役だちます。
そうです,広告はあなたを支配することも,あるいは奉仕することもできます。それはあなた次第です。
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電力の供給が絶たれた場合目ざめよ! 1974 | 6月8日
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電力の供給が絶たれた場合
「国じゅうに停電の危機!」 エネルギー危機が深刻化するにつれ,こうした新聞見出しもまともな問題として感じられるようになりました。ニューヨーク,ロンドン,パリ,ローマ,東京などの大都市に長時間の停電が起きたとすればどうなるでしょうか。想像するだけでも恐ろしいものがあります。しかし,電力の供給不足という事態は日ごとに現実味を帯びた問題となっています。
ほんの数日にせよ電気の供給が絶たれると,その社会にどのようなことが起きるでしょうか。1973年12月19日付ニューヨーク・タイムズ紙は,「熱と光と電話を失った三つの州の多くの人々」という見出しでその点を伝えました。これは,ニューヨーク州,ニュージャージー州,コネチカット州において,ふぶきと凍りつくような雨が降ったさいに起きたものです。
みぞれが幾千本の樹木と電線に大きな被害を与えました。結果として,合計45万世帯が,数時間から数日にわたって電力を絶たれました。タイムズ紙の報道によると,二日たった時にも,電気のない家が七万世帯,電話のない家が三千世帯ありました。コネチカット州の一“被災地域”では,電灯の光がどこにも全く見られなかったとのことです。暖炉のある家は暖房の取れない隣人たちに家庭を開放し,ろうそくをともし,あらしの残した木材をまきにして湯をわかしたり調理をしたりしました。町の公会堂,消防署,教会なども避難センターに変わりました。
以前の大停電
1965年11月9日,米国北東部と,カナダのそれに隣接する地区の住民は,大規模の全体的な停電が何を意味するかを多少なりとも味わいました。
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