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法人団体と異なる統治体ものみの塔 1972 | 3月15日
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は同誌上で明らかにされたとおり,そのわざはエホバの支持を受けているので,資金の懇願はしないということでした。ラッセルはテモテ前書 3章1-7節およびテスト書 1章5-9節に述べられている監督の資格にかなっていることを示したので,アレゲーニーのクリスチャン聖書研究生の会衆の要請により,同会衆の牧師つまり霊的な牧者として奉仕することになりました。その5年後,シオンのものみの塔冊子協会は法人化され,神を知り,そのみことば聖書を理解し,キリストを通して神との関係にはいろうと努める誠実な幾千人もの人びとに霊的な食物を供して仕える「機関」として働くことになりました。
献身してバプテスマを受けて油そそがれたクリスチャンたちはペンシルベニア州の協会の本部で同協会と提携するようになりました。同協会の理事会の一員であろうとなかろうと,それらクリスチャンは「忠実で思慮深い奴隷」級の特別のわざのためにみずからを役だてました。彼らは奴隷級を養い導くわざに助力したのです。こうして統治体が登場しました。それは明らかに,エホバの見えない活動力すなわち聖書の指導のもとに,また同時に,クリスチャン会衆のかしら,神のみ子イエス・キリストの導きのもとに登場しました。その統治体の成員が主イエス・キリストによって直接任命されたのでないことは確かです。この点では,1世紀のエルサレム会衆と提携していた統治体の成員も全員がそのように直接任命されたわけではありません。それでは,エレサルム会衆の「長老たち」で,12人の使徒の中にはいっていない人たちはどのようにして統治体の成員とされたのでしょうか。それらの人は明らかに,エホバの聖霊の指導のもとに行動した最初の12人の使徒から任命を受けて成員にされたのです。
このことを例証しているのは,エルサレム会衆内のある仕事を処理させるべくステパノとピリポおよび他の5人の男子を任命したそれら12人の使徒の講じた措置です。(使行 6:1-8)また,使徒パウロはエペソ会衆の長老たちに対する話の中で,神の霊的な羊の群れの監督たちは神の聖霊によって任命されているということを指摘しました。(使行 20:28)このようなわけで,19世紀にはキリストの使徒はいなかったにしても,やはり神の聖霊が「忠実で思慮深い奴隷」級の油そそがれた残れる者の統治体を形成すべく働いていたに違いありません。事実はおのずから明らかです。イエス・キリストの足跡に従い,マタイ伝 24章45-47節のイエスの預言に述べられているわざを遂行すべく努力する,献身してバプテスマを受けて油そそがれたエホバの民の事がらを管理する責任を引き受けた,油そそがれたクリスチャンの一団が確かに登場しました。ことばよりも事実のほうがいっそうはっきりしています。統治体は存在しています。エホバのクリスチャン証人は,これがひとりの人間の支配する宗教組織ではなくて,霊によって油そそがれたクリスチャンで成る統治体を持つものであることを知り,かつ断言できることを感謝しています。
理事会内の役員の職は交替制か
統治体の成員の間では司会者の職は任期1年の交替制です。ということは,ペンシルベニア州のものみの塔聖書冊子協会の理事会内の役員の職は毎年選挙の時期に交替されねばならないという意味ですか。そうではありません。協会の定款はそうした交替制を要求してはいません。
会長の任期に左右されない司会者の職
「忠実で思慮深い奴隷」級の統治体の成員の間では司会者の職は確かに交替制です。b 「奴隷」級の統治体は,ペンシルベニア州のものみの塔聖書冊子協会として知られる法人団体に先立って存在してきたのですから,統治体の司会者の職は協会の会長として年毎に選出される人に左右されたり,依存したりするものではありません。では,どういうことになりますか。たとえ会長の職にある人が適任者であるがゆえに,非常に責任の重いその職に何年も留任する場合でも,「奴隷」級の統治体内の司会者の職の交替制は妨げられません。統治体は厳密な意味での霊的な分野で活動します。非営利法人団体である協会はエホバの証人の管理機関として,前述の分野に付随する数多くの責務を負っています。c
統治体は,宗教団体である当協会をエホバのクリスチャン証人の機関として用いうることを神に深く感謝しています。非営利法人団体である当協会は,協会の管轄下で働く,イエス・キリストの献身してバプテスマを受けた,忠実な弟子たち,つまりエホバ神に直接行なうように自発的に奉仕する,すべての任命された奉仕者たちの活躍によって,今日の地上における最大のわざの遂行を大いに促進させてきました。そのわざとはすなわち,この事物の体制の終わりが今や間近に到来する前に,樹立された神の王国の良いたよりを人の住む全地で諸国民すべてに対する証のために宣べ伝えることです。ですから,宗教法人としての協会のこうした機能のおかげでエホバの証人は,この邪悪な世界の商工業界の営利会社の労使双方を悩ましているやっかいな問題や障害,妨害となる事がらや論争をかかえずにすんでいるのです。それもそのはずで,93の支部事務所を有する宗教法人である当協会は提携する他の協会とともに,世界中の献身した幾千人もの働き人の自発的な奉仕を受けてきました。それら働き人は2億3,000万冊の聖書の手引きの本および5億3,000万冊の小冊子を生産し,宗教雑誌である「ものみの塔」および「目ざめよ!」両誌を40億冊余印刷,頒布しました。しかも印刷物はごく少額の価格で提供して,そのわざを160余の言語で行なったのです。こうして過去30年間に,つまり1942年以来,それら献身した働き人たちが聖書や本,小冊子や雑誌を合計49億4,261万9,411冊も生産したのは驚くべきことです。この世の事物の体制が終わるとともに,政治諸国家の法律のもとに組織された,世の多くの法人団体はその機能を停止しますが,エホバのクリスチャン証人はまちがいなく存続します。
興味深い問題
1971年10月1日,ペンシルベニア,バッキンガムで開かれた,ペンシルベニア州のものみの塔聖書冊子協会の年次総会で前述の事がらが論じられ,その終わりにさいして,聴衆に,それも特に同協会の表決権を有する会員の出席者に向かって興味深い問題が提起されました。それはこういう問題でした。19世紀前当時の「忠実で思慮深い奴隷」級は統治体とともに,カイザルの認可を受けて設立された法人団体を持たずに活動し,しかも首尾よく堂々と活動しました。現代の「忠実で思慮深い奴隷」級の統治体についてはどうでしょうか。d それも,ペンシルベニア州のものみの塔聖書冊子協会として知られる非営利法人団体なしに活動でき,そして功を奏しうるでしょうか。この質問については,西暦1世紀当時の使徒たちおよびエルサレム会衆の仲間の長老たちが確立した先例に照らして答えを考慮するよう読者におまかせします。
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主の晩餐ものみの塔 1972 | 3月15日
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主の晩餐
主の晩餐の祝いは,歓迎のことばと会衆が歌う賛美の歌で始まり,そのあと祈りがささげられます。それから出席者は,この祝いの意義と目的,またそれから得られる益について励ましを与える聖書の話を聞くことができます。それに続いてパンとぶどう酒に祈りがささげられ,まずパン種のはいっていないパン,それから赤いぶどう酒が出席者にまわされます。
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