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  • 「パンの家」から出た世界支配者
    ものみの塔 1962 | 5月15日
    • と天での交わりを楽しんだため,きわめて多くの知恵と経験を持ってベツレヘムに生まれました。彼は,人類を支配すべく神により定められた支配者の中で最善の支配者になりました! かくも偉大な方が,幾千もあるユダの家族のあいだで見向きもされないほど小さな町,ベツレヘム エフラタで生まれるということを考えてごらんなさい! 彼はその小さな町で生まれただけでなく,馬小屋の中で生まれ,飼葉おけのねかごにねかされました。(ルカ 2:7,12)しかし,ベツレヘムにとってはなんと大きな名誉だったのでしょう。

      8 ダビデの時代中,だれの王座がエルサレムに置かれましたか。神の御子が,その王座にすわっても,それはなぜ彼にとって高められることになりませんか。

      8 エルサレムのシオン山の宮殿で,ダビデ王は「エホバの座位」と呼ばれた座位にすわりました。座位についたダビデは,エホバの代表者でした。(歴代志上 29:23)しかし,イエス・キリストがシオン山にあったダビデ王の座位にすわったことは一度もありませんでした。彼はベツレヘムに生まれたので,当然その座につく人間の権利を持っていました。しかし,イエスは天から来た者ですから,彼がその時シオン山のダビデの王位に実際につけられたとしても,神の子である彼は高められたことにはなりません。イエス・キリストが,イスラエルを治めるダビデの座位にすわるなら,彼は「御使よりもすこし低い」ものになります。ところが,彼は天界では御使たちの中で最初に生まれた者でした。(ヘブル 2:9。詩 8:4,5)この神の御子の生命が栄光に輝く天界からこの地に移されて,人間として生まれることは,たとえタビデの王統に生まれたにしても,いやしいことでありました。(ピリピ 2:5-9)それだけでなく,彼は人間としてこの地上に居られたとき,神の御国の敵にはなはだしくいやしまれたのです。

      ほほを打たれる

      9 イエス・キリストはだれの御国を伝道しましたか。しかし,彼の伝道はどのように誤解されましたか。

      9 イエス・キリストはたえず御国を伝道しました。その御国は,イスラエルを支配するダビデの地的な国ではなく,神の御国,「天の御国」でした。(マタイ 4:17。マルコ 1:14,15)全人類を支配する王権を持つかたは,神です。イエス・キリストは聖書の預言中にあらかじめ告げられた神の御国を伝道したため,暴動を起こす者,異教徒のローマ皇帝の帝国に対する反乱扇動者である,という非難を受けました。しかし,ミカの預言は,ベツレヘムから出た支配者なるイエスが恥ずかしめられ,虐待されることを示していました。

      10,11 (イ)ミカ書 5章1節は,この支配者に対するどんな悪い仕打を預言しましたか。(ロ)これはイエス・キリストの場合,どのように成就されましたか。

      10 ミカは,ベツレヘムにおけるその支配者の誕生について告げるすぐ前のところで,敵に侵入されそうだった神の民の制度にこう告げていました,「軍隊の女よ今なんぢ集りて隊をつくれ,敵われらを攻かこみ杖をもてイスラエルの士師の頬を撃つ」。(ミカ 5:1)イエス・キリストが人間として地上に居られたとき,人間の権威の杖で彼の頬は嘲笑的に打たれました。イエスは,神の天の御国 ― 彼はそれを伝道するよう神の御霊により油そそがれていました ― を伝道したため,逮捕され,イスラエルの宗教的な大祭司の監督したエルサレムの最高法廷に引き出され,そこで実際にほほを打たれました。そのことについては次のように書かれています。

      11 「イエスは黙っておられた。そこで大祭司は言った,『あなたは神の子キリストなのかどうか,生ける神に誓ってわれわれに答えよ』。イエスは彼に言われた,『あなたの言うとおりである。しかし,わたしは言っておく。あなたがたは,間もなく,人の子が力ある者の右に座し,天の雲に乗って来るのを見るであろう』。すると,大祭司はその衣を引き裂いて言った,『彼は神を汚した。どうしてこれ以上,証人の必要があろう。あなたがたは今このけがし言を聞いた。あなたがたの意見はどうか』。すると,彼らは答えて言った,『彼は死に当るものだ』。それから彼らはイエスの顔につばきをかけて,こぶしで打ち,またある人は手のひらでたたいて言った,『キリストよ,言いあててみよ,打ったのはだれか』」。―マタイ 26:59-68,新口。

      12 どのようにそのほほを打つ度合は,強まりましたか。このほほを打つことは,だれの利益をはかることになりましたか。

      12 将来イスラエルをさばくこのかたのほほは嘲笑的に打たれました。しかし,宗教権威者たちはその嘲笑のほほ打の度を強めて,イエスをローマの支配者に引き渡し,ポンテオ・ピラトを説得しました。イエスは杭に釘づけされ,神より呪われた者のように恥辱の死を遂げました。(申命 21:22,23。ヨハネ 18:38–19:37)エルサレムにいた宗教の権威者は,当時の預言的な「北の王」の益をはかりました。(ダニエル 11:15,20-22)しかし,彼らはこのイエスに勝つことができなかったのです。このイエスは「イスラエルのさばき人」「イスラエルの支配者」になるように神は定めました。

      13 (イ)ペテロによると,神は将来「イスラエルをさばく者」が彼らに負かされることをどのように妨げましたか。(ロ)ダビデの王位と比較して,エホバはイエスを何に高めましたか。

      13 イエス・キリストの12使徒のひとりであったシモン・ペテロは,パレスチナ駐在のローマの一軍人,百卒長にこう語りました,「わたしたちは,イエスがこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人であります。人々はこのイエスを木にかけて殺したのです。しかし神はイエスを三日目によみがえらせ,全部の人々にではなかったが,わたしたち証人としてあらかじめ選ばれた者たちに現われるようにして下さいました。わたしたちは,イエスが死人の中から復活された後,共に飲食しました。それから,イエスご自身が生者と死者との審判者として神に定められたかたであることを人々に宣べ伝え,またあかしするようにと,神はわたしたちにお命じになったのです。預言者たちもみな,イエスを信じる者はことごとく,その名によって罪のゆるしが受けられると,あかしをしています」。(使行 10:38-43,新口)この聖句によると,エホバ神はシオン山にあったダビデの座位よりも高い座位にイエス・キリストをたかめました。

      14 それで,エホバは,イエスとダビデ王との関係をどのようなものにされましたか。

      14 エホバ神は,天界のご自分の右にあるエホバの天の御座にイエス・キリストを高めました。この処置を取られたエホバは,詩篇 110篇1,2節に預言されているごとく,ダビデの子イエス・キリストをダビデの主にならせました。―使行 2:29-36。

      15,16 (イ)イエスがベツレヘムで人間として生まれたことを述べる以上に何を述べる方がふさわしいことですか。したがって1914年をおぼえることは,どうして価値のあることですか。(ロ)この支配者の即位について,詩篇 2篇1-9節は何と述べましたか。

      15 このすべては,ほんとうにすばらしいものです! このことにより,小さなベツレヘムから大いなる支配者が出ることに関するミカの預言は私たちの時代中に大規模に成就しました。この支配者が,いまから19世紀前にベツレヘムで人間として生まれたことは,宇宙の歴史中,特筆に値することでした。しかし,彼が設立された神の御国の座位につく支配者として大いなるベツレヘムから出ることは,いっそう特筆すべきことでした。それは宇宙にとって,特に人類にとって,大きな重要性を持つ出来事です。その支配者は,かつて人類の血と肉にあずかりました。正確な聖書の預言によってその時を調べると,この最も重要な出来事は,この時代に,1914年に起きました。1914年を,破壊的な第一世界大戦が起こった年として記憶するよりも,むしろ異邦人の時,すなわち「諸国民の定められた時」の終わった年,そして黙示録 12章にはっきり描写されているごとく,神の御国が天で誕生した年として記憶するべきであります。この世の諸国民は,その年に争いを始めました。また,地の王たちはエホバと新しく即位したキリスト,すなわちあぶらそそがれた者に反対しました。はるか昔のダビデ王は,彼らについて詩篇 2篇1-9節で預言的にこう述べました。

      16 「主かれらをあざけりたまふべし かくて主はいきどほりをもてものいひ……我わが王をわがきよきシオンの山にたてたりと,われ〔キリスト〕詔命をのべん ヱホバわれに宣給へり,汝はわが子なり今日われなんぢを生めり われに求めよ,さらばなんぢにもろもろの国をゆづりとしてあたへ地の極をなんぢのものとしてあたへん なんぢくろがねの杖をもて彼らをうちやぶり陶工のうつはもののごとくに打碎かん」。

      17,18 (イ)イエスは,即位したとき,大いなるベツレヘムからどのように出てきましたか。(ロ)イエス自身の言葉によると,全人類はどんな大きなパンを必要としますか。

      17 預言されていたこの支配者が,神の右の座で御国の座位につかれたとき,彼は地的なベツレヘムよりもはるかに重要なベツレヘムからエホバ神のところに来ました。ベツレヘムという名前は,パンの家という意味です。ベツレヘムとむすびつけられているエフラタは,実りの多いこと。多産という意味です。ベツレヘム・エフラタのあったユダは,〔エホバ―〕あがめるという意味です。(創世 35:19; 29:35; 49:8)人類にとって,そのパンの家は多くの意味を持ちます。そうです,生命そのものを意味します。人類はその大いなるパンの家からの支配者,奉仕者を心要とします。人類が生きつづけるために必要なものは,単なる小麦,大麦,あるいはライ麦のパンではありません。イエス・キリストご自身もその事実を強調しました。彼は40日の断食を終えたとき,パンを奇跡的につくることを拒絶し,天の御父の言葉をくり返して語りました,「人はパンのみにて生る者にあらず人はヱホバの口より出ずる言によりて生る者なり」。―申命 8:3。マタイ 4:1-4。

      18 イエスが人間になって地上に来られたとき,彼は生命を与える,エホバの御口からの言葉をたずさえて来ました。また,朽つべき地的なパンを求めた者たちに,彼はこう述べました,「わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は,いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは,世の命のために与えるわたしの肉である」。―ヨハネ 6:51。

      19 1914年,イエスが人類のためにより大いなるパンの家から出ることはどうして可能でしたか。ベツレヘムとむすびつきをもつエフラタとユダの名前は,このパンの家にどのように反映しますか。

      19 イエスが天に戻られて,神の御前にふたたび現われたとき,彼は死に行く人類のためにご自分の肉体である人間の犠牲の価値をささげられました。それで,1914年に王として即位されて後のイエスは,パンの家,パンの供給所から出て来ることができました。そのパンは地上で信仰によって,それを食べるすべての者たちに,神の新しい世における永遠の生命を与えることができます。天的なパンの家は,人類にとってぜひ必要です。人類は,そこから出るエホバの支配者をぜひ必要とします。むすびついている名前,エフラタからも分かるとおり,それは実りの多いところ,多産な場所です。それは生命をささえる実をたくさんむすびつづけます。ベツレヘム・エフラタがユダの地方にあったように,パンの家は,エホバが御使の全軍によってたたえられる聖なる天にあります。

      20 イエス・キリストの出てくるこの大いなるベツレヘムは,ユダの幾千の町との関係における地上のベツレヘムと,どのように似ていますか。

      20 エホバ神をたたえるそれらの天的な者の中で主要なかたは,ベツレヘムから出た支配者です。支配者なる彼は,地上にいる彼の民の全部にもエホバをたたえることを教えるでしょう。彼は,地的なベツレヘムの代表者でなく,彼の霊的な兄弟たちの家,小さな群れの代表者として,エホバ神のところに来ます。これらの者たちは,彼の足跡に従う14万4000人の弟子たちで,天の御国で彼といっしょに共同相続者になります。(黙示 7:4-8; 14:1,3)幾億という天の軍勢の中にあって,その群れはほんとうに小さなものです。数多くの天の賛美者の中では,数えるにも値しないほどの少数です。(ダニエル 7:9,10)しかし,支配者イエス・キリストとその14万4000人の共同相続者で構成されるこの小さな群れは,みな天界でもっとも重要な者たちになります。彼らは神の宇宙制度の全部を支配する神の首都制度になります。彼らは永遠の生命のパンを切望している人類に「生命のパン」をもたらします。(ヨハネ 6:48,50)この大いなるベツレヘムから出た支配者イエス・キリストは,天界で神をたたえる無数の御使たちの中で大切な役割を果たします。

      間接的にほほを打つ

      21 1914年,イエス・キリストはだれの中で支配し始めましたか。その後,彼のほほが打たれることは,どうして可能でしたか。

      21 19世紀前に「イスラエルを治める者」が地的なベツレヘムから出て来たときと同じく,今日の諸国民はエホバのご準備に感謝していません。それで,ミカ書 5章1節を大きぼに成就する際,彼らは「イスラエルのさばき人」のほほを打ちました。いつ? どのように? もちろん,直接に打ったわけではありません。イエス・キリストはいま天で神の右の座位に座しており,諸国民はたとえ宇宙船を用いても,そこに達するのは不可能です。彼の御国が天で1914年に誕生して後,彼は直ちに敵のただ中で支配し始めました。彼はサタン悪魔と悪鬼共を天からこの地近くに追い落としました。彼らは二度と再び神の聖なる制度の天に戻らないでしょう。それで,天の「イスラエルのさばき人」のほほを嘲笑的に打つことは,間接的に行なわれました。どのように? 第一世界大戦中,地上にいた忠実な弟子の残れる者たちに対してなされたのです。イエスは神の御国を伝道するために12人の使徒たちを送り出したとき,次のように言われました,「あなたがたを受けいれる者は,わたしを受けいれるのである」。(マタイ 10:40,新口)反対に,御国の音信を伝えるイエスの弟子を拒絶する者は,イエスをも拒絶します。

      22 王イエス・キリストは,羊と山羊のたとえ話の中でどんな原則を述べましたか。それで,彼の場合,ほほはどのように打たれますか。

      22 みくらにつかれた王イエスは,いま行なわれている諸国民のさばきを示すため,羊と山羊のたとえを用いました。そのたとえの中で,彼は羊に向かいこう言われます,「あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは,すなわち,わたしにしたのである」。彼は山羊に向かってこう言います,「これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは,すなわち,わたしにしなかったのである」。(マタイ 25:40,45,新口)それで,今日,権威の杖を濫用してイエスの霊的な兄弟たちの残れる者のほほを打つことは,天的な「イスラエルの支配者」のほほを嘲笑的に打つという意味です。―列王紀上 22:24。ヨブ 16:10。

      23,24 (イ)1914年よりずっとむかしから,霊的な残れる者はその年について何を伝道しましたか。キリスト教国の支配者たちは,彼らに対してどんな態度を取りましたか。(ロ)ベツレヘムから出た支配者は,残れる者に対するそのような悪い仕打をどのように見なしましたか。

      23 1914年よりずっと前からキリストの霊的な兄弟の残れる者は,異邦人の時が1914年に終わり,キリストによる神の御国が天でまったく設立されることを,キリスト教国の諸国民の中で伝道しました。彼らは本,冊子,雑誌,およびパンフレットを配布したり,公開講演を行なったり,そして最後には「創造の写真-劇」を大群衆に無料で見せるなどして,この御国の伝道をしました。キリスト教国の宗教指導者はみな,そのときの世界戦争という論争にまきこまれました。彼らはいうまでもなく,戦争に参加していた諸国民は,キリストの霊的な兄弟の残れる者にすこしの敬意をも示しませんでした。残れる者は,異邦人の時が1914年に終わって,その後は神の御国こそ地を正しく支配するものと伝道していたのです。

      24 宗教指導者たちは,この音信を聞いて激怒しました。戒厳令や熱狂的な愛国主義は彼らに絶好の機会を与えました。彼らはこの機会を利用して,忠実な御国伝道者を人々の前に悪く見せかけ,また軍隊化した政府に対して暴動をたくらむ者であると見せかけました。イエスの兄弟たちの残れる者は,イエスの場合と同じく,暴動,陰謀,および国家の安全を危険にするという偽りの非難で嘲笑されました。彼らのほほは,政治と法律の権威の杖で,いわば強く打たれ,彼らは刑務所や収容所に入れられ,その文書は禁ぜられ,その宗教的な集会は禁止されました。この不正な,反キリスト教行為は,ベツレヘムから出た天的な「イスラエルの支配者」の注意をひかずにすみましたか。「否!」であります。彼らは彼の霊的な兄弟であり,御国の代表者であったため,彼はそれを自分に対してなされたと同様に考えました。キリスト教国は,さらに嘲笑を加えるため,キリストの御国の代わりに国際連盟を選び,国際連盟を「地上における神の御国の政治的な表現」と呼べば,キリストをたぶらかすことができると考えたのです。

      25 エホバは,ミカ書 5章3節でこのことをどのように預言されましたか。肉のイスラエルの場合,このことは最初どのように成就されましたか。

      25 御国を拒絶するというこのキリスト教に反するすべての行動は,全能の神エホバによりゆるされました。それは忠実な心を持つ残れる者たちにとってこらしめの経験になりました。(ヘブル 12:4-11)エホバは,「イスラエルを治める者」がベツレヘムから出てくることについて告げてすぐ後に,ミカ書 5章3節(新口)の言葉の中で次のように予告せられました。「それゆえ,産婦の産みおとす時まで,主は彼らを渡しおかれる。その後その兄弟たちの残れる者はイスラエルの子らのもとに帰る」。もちろん,この預言は昔にも成就されました。そのとき,肉によるイスラエルの子たちはエホバ神に不従順であったため,バビロン人に渡され,捕えられて遠い地に追放されました。しかし,エルサレムとその宮が70年間の荒廃の後,忠実な残れる者はバビロンから解放されて母国に帰り,彼らの国を再建して,エホバの宮崇拝を始めました。あたかも,エホバの見える地上の制度シオンが,新しいイスラエル人の国家を生み出したのと同じです。(イザヤ 66:7,8)同様なことは霊的なイスラエルについても言えます!

      26 1918年と1919年,ミカ書 5章3節は,霊的なイスラエルにどのように成就しましたか。

      26 特に第一世界大戦の最高潮の年であった1918年に,残れる者は,強暴な宗教的攻撃者によって取り囲まれました。残れる者は,その勢力に圧倒されて束縛され,戦争をしていたこの世の制度にとらわれました。これは,イスラエルがバビロンにとらわれて,その首都エルサレムが荒廃していたことに相当しました。エホバ神は,献身して洗礼をうけていたこれらの残れる者の成員を霊的な子たちとして養子にしたため,彼らは使徒パウロがずっと昔に語ったごとく,「上なるエルサレムは,自由の女であって,わたしたちの母をさす」と言うことができます。(ガラテヤ 4:26,新口)「上なるエルサレムの霊的な子たちは,その天的な母と同じく,自由でなければならず,現代のバビロンに捕われていてはなりません。それで大戦後の第1年である1919年に,天のみ父なるエホバ神は,彼の「女」,上なるエルサレムに子を生ませ始めました。彼はバビロン的な束縛の力を砕きました。彼は忠節な残れる者を恐怖の束縛から解放したので,彼らは霊的な「イスラエルの子」として,エホバとの正しい関係に戻りました。彼らは戦時中世界が,言論,行動,および崇拝の自由に課した数多くの制限から解放されただけでなく,人間を恐れるという束縛からも解放されました。―箴言 29:25。

      27 それで1919年にはどんな霊的な誕生がありましたか。それで,1939-1945年の世界戦争のとき,残れる者はどんな状態にはいりませんでしたか。

      27 マタイ伝 24章14節の言葉を成就するため,彼らはわざを再組織して「御国の良いたより」を大胆に伝道しました。あたかも,彼らの天の母,「上なるエルサレム」が1919年に新しい国民,すなわち自由の霊的な国民をエホバの崇拝の地に産み出したことと同じです。その後の1939-1945年のあの激烈な世界大戦のときでも,残れる者が恐怖に屈し,バビロンにとらわれたことは一度もありません。

      28 諸国民の中で生じたそのような霊的な誕生は,諸国民にどんな影響をおよぼすことが期待できますか。

      28 この世の諸国民のただ中で,新しい霊的な国民はこのように救い出され,生み出されました。これは諸国民にはっきりと目立つ重要な影響を与えるにちがいありません。救い出されて回復した霊的な国民がこのように驚くべき,予想外の誕生をしたことは,諸国民にどう影響しますか。世界の注意をひきつける方法で影響します。しらべてみましょう!

  • すいせん
    ものみの塔 1962 | 5月15日
    • すいせん

      オハイオ州のあるエホバの証者は次のような経験を述べてます。「ある日,私の働いている工場の部長が,私の部門の人々を前に,私について次のように述べました,『ビル某はこの部門で信頼できる唯一の人だ。私は彼を信頼している』。その後,部長は私がエホバの証者であることを知りましたが,清潔,正直,勤勉な働きについて部下に訓辞を与えた際,次のように話を結びました。『おそらく諸君全部がビル某の宗教にはいると良いだろう。そうすれば皆がもっと良くなるに違いない』」。

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