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    目ざめよ! 1982 | 9月22日
    • 家庭での強姦

      新しい道徳は,その実を刈り取っている

      今では近親相姦までが是認を求めて声を上げている

      「児童はすべて,親・兄弟姉妹・他の責任ある大人あるいは児童と性的なものをも含め,愛ある関係を持つ権利を有する」― 児童性愛サークルの指導者の著わした「児童の性の権利章典」第7条。

      隠された犯罪,近親相姦はこれまで,いわば舞台の両そででじっと待機していましたが,今や自分の出番が来たとばかりに舞台中央の前方へ進み出ています。

      毎年全米で新たに5,000件が通報されており,通報される1件につき通報されないものが10ないし20件あると専門家は言います。ある近親相姦診療所の一所長は,「近親相姦はアメリカ中に広まっていると思う」と述べています。一育児研究家の述べるところによると,近親相姦は「強姦よりも広く見られ,通報されることは強姦以上にまれである」とのことです。中には,今日のアメリカ女性のうち2,500万人は子供のときに近親相姦的な強制わいせつ行為を受けたという推定もあります。他の国々でも同じような問題が増大していることを報告は示しています。児童虐待に関する新刊書は,「今や最新の流行は父親と息子のセックス・クラブである」と述べています。ある情報筋によると,「発生率が余りにも高いので,規制は無意味である」と言われています。もし犯罪がひどくはびこっているのであれば,それと闘う理由はない,と言わんばかりの奇妙な論議です。

      最後に引用した意見は奇妙なものですが,その出所を知ると合点がいきます。これは近親相姦に賛成する圧力団体の推し進める数々の論議の一つなのです。「今日の心理学」誌の1980年3月号は,近親相姦を支持する圧力団体の主張の幾つかとして,次のようなものを挙げています。

      「近親相姦体験の中には積極的で,有益とさえ思われるものがある」。「場合によっては,近親相姦は積極的かつ健全な体験か,悪くても,どっちつかずで退屈なものか,そのいずれかである」。「近親相姦に対する恐れは,家庭内での愛ある感情の表現に,身を凍らせるような影響を及ぼす」。

      「今日の心理学」誌に載せられた記事の筆者は,こうした近親相姦賛成派の論議に同意していません。その記事の筆者はこう述べています。「あるがままの自分として,つまり自分が与えることや自分がなることのできるもののためにではなく,自分自身の存在ゆえに愛されることは,子供にとって物質の栄養と同じほど切なる願望なのである。しかし,自分の存在ゆえに愛されていることと……年長の者の性欲を満たすために利用されていることとの違いを,幼い時から見分けられる子供はほとんどいない」。

      タイム誌の1981年9月7日号に,「揺りかごから墓場までの親密さ」と題する近親相姦賛成の宣伝<プロパガンダ>が載りました。

      「ごく幼い子供たちも,親や法律の介入を受けずに,充実した性生活を送ることが認められるべきであり,さらにはそうすることが推奨されるべきである」。「ヒトは他の霊長類と同様,初期の性のリハーサル遊戯の期間を必要としている」。「子供たちは実際には権利を奪われた少数派である。子供たちには,性的に自らを表現する権利が与えられてしかるべきである。これは自分よりも年が上の人々と接触を持っても,持たなくてもよいという意味である」。「そのようなセックスは子供にとって基本的には無害である」。「近親相姦は時として有益なものになり得る」。「子供は生まれてすぐにセックスを始めるべきだと我々は信じる。近親相姦をならわしにしないと多くの問題を引き起こすことになる」。

      タイム誌の記事は結びに,幾人かの精神科医の見解を載せています。そのうちの一人は,「この社会の子供たちの間で行なわれている未熟な性行為は,必ずと言ってよいほど心理学的な問題を引き起こす」と述べています。子供たちの治療に当たっている別の精神科医は,「児童期の性行為は,弾を込めた銃をもてあそぶようなものである」と結論しています。

      自分のしたいことをしろ,という俗受けするスローガンもやはり弾を込めた銃です。売春あっせん人は自分のしたいことをしているかもしれませんが,それは,“少女売春婦<ベイビー・プロ>”のしたいことではありません。男色者は自分のしたいことをしているかもしれませんが,それは幼い被害者のしたいことではありません。近親相姦にふける親は自分のしたいことをしているかもしれませんが,それが幼い子供のしたいことであるとはとても言えません。子供にとって一番望ましいのは子供であること,安心して児童期を送り,結婚した両親からの愛を注がれることです。愛とは他の人のことを考えることであり,自分のしたいことをするのは自己中心的な考えです。

      近親相姦は子供に対する虐待の中でも最も利己的でとがむべきものでしょう。それは子供の信頼と依頼心とをグロテスクな仕方で侵すものです。子供の一番身近な保護者が急に子供に襲いかかるのです。そして,子供は損なわれて犠牲者になります。“性による精神的外傷治療計画”の元委員長,スーザン・スグロイ博士は,「近親相姦の犠牲者であることを私が承知した上で話し合った人の中に,幸福で,環境によく順応し,心配をしていない人はこれまでに一人もいなかった」と述べています。

      ニューヨーク市のオデッセー研究所の所長,ジュデーヌ・デンセン-ガーバー博士はこう述べています。「私自身,治療に当たって,近親相姦の被害者であるこれらの子供たちを扱うのが一番難しいと思う。殴打され,虐待され,火を付けられ,むち打たれた子供よりも難しい。というのは,少なくとも虐待された子供たちは自分たちに対してなされている事柄と愛とを混同していないからである。『愛している』と言いながら子供を性的に利用する親は,自分の生活の中でだれとも,治療専門家<セラピスト>とさえ親しい関係や信頼感を築いたり,約束を交わしたりすることを恐れる子供を育てていることになる。殴打された子供とは異なり,その子は愛情を求めるのではなく,愛情を恐れ,極端に孤立するようになるからである」。

      「純潔の死」という本の129ページには次のように書かれています。「売春婦の間で,子供のころに性的に迫られたことのある者の割合は92%であった。67%は何らかの形での近親相姦的な暴行を経験している。……全米平均で少なくとも家出人の75%は,近親相姦的な虐待から逃れて来る。青年期の麻薬中毒の場合にも同じ数字が当てはまる。約70%は近親相姦の犠牲者である」。

      この点でも,同性愛行為の場合と同様,聖書はこれを死刑に相当する犯罪とみなしています。「あなた方は,すなわちあなた方のうちのだれも,自分の身近な肉親に近づいてその裸をさらしてはならない。わたしはエホバである。だれにせよこれらすべての忌むべき事柄のどれかを行なうならば,それを行なった魂はその民の中から断たれねばならない」― レビ記 18:6,29。

  • 子供に対する強制わいせつ行為を終わらせる方法
    目ざめよ! 1982 | 9月22日
    • 子供に対する強制わいせつ行為を終わらせる方法

      新しい道徳は,その実を刈り取っている

      この救済策は口で説く時ではなく,実践する時に真価を発揮する

      新しい道徳は新しいものではありません。それは古い不道徳に与えられた新しい名前に過ぎないのです。その木は依然として腐っており,その実はやはり無価値です。その知恵は義にかなっておらず,その「子供ら」はそのことを証明しています。ノアの日にまたロトの日に起きた通りに,もう一つの不道徳な体制のこの終わりの日に,同じことが起きています。刈り取られている実は同じですが,ただ今回はその収穫が並外れて大きいだけです。しかも,少しも実際的ではなく,全くもって非実際的です。特に子供たちにとってはそう言えます。

      聖書の救済策は子供にとってもほかのすべての人にとっても実際的です。子供に対する強制わいせつ行為の問題に取り組む専門の人々でさえ,あるところまでは聖書と類似した解決策を差し伸べています。専門家たちは,家庭環境が悪いと子供たちは家出をし,家出人がかなりの高い率で宿なしになり,売春やポルノに身を落とし,恐るべき虐待を身に受けるようになることを知っています。そうした子供たちの中には,家庭での近親相姦や離婚によって崩壊した家庭,親との慢性的な争い,愛ある関心の欠如などから逃れて来ている子供もおり,仲間に唆された子もいます。はっきりした原因が何であれ,救済策は崩壊した家族を元に戻すことです。これは専門家たちの述べるところです。

      聖書も同様のことを述べています。聖書は親と子供との間の意思の疎通による親密な間柄の必要性を示しています。義にかなった原則に関して,次のような命令が与えられています。「あなたはそれを自分の子に教え込み,家で座るときも,道を歩くときも,寝るときも,起きるときもそれについて話さねばならない」― 申命記 6:7。

      聖書は親と子の双方にどのように行動すべきかについて助言を与えています。「子供たちよ,主と結ばれたあなた方の親に従順でありなさい。これは義にかなったことなのです。……また,父たちよ,あなた方の子供をいら立たせることなく,エホバの懲らしめと精神の規整とをもって育ててゆきなさい」― エフェソス 6:1,4。

      精神科医もこのことに同意し,親は公平で,立派な模範を示さねばならず,一方子供は規整と懲らしめとを必要としている,と述べています。ある精神療法医はこの点を確証して次のように述べています。「我々は,子供たちと“仲良く”なろうとして,手本また立法者としての責任を放棄するときにも,自分たちの子供を見捨てている。子供はこの裏切りを鋭く感じ取る。成長しつつある子供にとって,限界と制限の感覚以上に必要とされるものはないからである。子供たちはそれを愛の表われとして経験する」。聖書はこの点を確証してこう述べています。「エホバは,父がその楽しみとする子を戒めるように,ご自分の愛する者を戒められるからである」― 箴言 3:12。

      必要なのは学校でさらに多くの性教育を与えることだと言う人もいれば,性教育はすでにあからさまで,行き過ぎていると主張する人もいます。セラキュース大学の一教授の著わした子供向けのイラスト入りの本は次のように述べています。「どんな考えも正常です」。「自慰行為<マスターベーション>はどの年代の男女にとっても,性の正常な表現法です。大いに楽しむことです」。同性愛行為をするかどうかは他人の干渉することではないので,「自分の望む性生活を選びなさい」。「口腔交接や肛門交接をしてもよいか思い悩む人は少なくないし,それは“倒錯している”と考える人もいます。どんな種類のセックスも何ら間違ってはいないというのがわたしたちの考えです」。「ポルノは無害です」。

      うちの子に読み書きができないのは,先生方が性倒錯は“正常”だということを子供に教え込むのに忙し過ぎるからかもしれません。子供に対する性指導が多過ぎ,早過ぎることもあり得ます。グリーンウッド博士はこう警告しています。「親は慣習にとらわれていないことを示そうとして,度を過ごして教育する場合が多い。親は自分の子供たちにまだ処理するだけの用意がないような資料を与えていることがある」。性教育に対する賛否両論は別にして,子供の売春・男色・ポルノ・近親相姦が激増しているというのが厳しい現実なのです。

      貪欲にもこうした仕方で子供たちを食い物にする人々には,エフェソス 4章19節にある聖書の次の描写が当てはまります。「彼らはいっさいの道徳感覚を通り越し,貪欲にもあらゆる汚れを行なおうとして,身をみだらな行ないにゆだねたのです」。そうした者たちにはノアの日に関する次の描写が当てはまります。「エホバは,人の悪が地にあふれ,その心の考えのすべての傾向が終始ただ悪に向かうのをご覧になった」― 創世記 6:5。

      聖書の解決策だけが子供に対する強制わいせつ行為を終わらせます。イエスはその解決策を要約して,『心をこめて神を愛し,隣人を自分自身のように愛しなさい』と言われました。(マタイ 22:37-39)使徒パウロはこの点を繰り返し,「愛は自分の隣人に対して悪を行ないません。ですから,愛は律法を全うするものなのです」と述べました。―ローマ 13:10。

      兄弟愛というこの解決策は実際的です。それを当てはめるときに,それは真価を発揮します。神の言葉を聞きながら,それを行なわない人があまりにも多過ぎます。「主よ,主よ」と言いながら,イエスに耳を傾けず,エホバのご意志を行なわない者が多過ぎるのです。―ヤコブ 1:22。マタイ 7:21。

      キリストの下にある神の王国を受け入れる人々すべては,神のご予定の時にこの愛の律法を完全に守ることができるようになります。その時,箴言 2章21,22節の次の言葉が成就します。「廉直な者たちが地に住み,とがめのない者たちが地に残される(の)である。邪悪な者たちは地から断ち滅ぼされ,不実な者たちは地から引き抜かれるのである」。

      子供に対する強制わいせつ行為を終わらせる唯一の方法,最終的な方法は,これしかありません。

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