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自転車のブーム ― その背後にあるもの目ざめよ! 1973 | 9月8日
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すれば十分だと考えるべきではありません。それ以上の事がらが関係しています。オハイオ州のある警察の副隊長が述べたとおりです。「交通規則に従わねばならないことを子供や親に納得させることができれば,事故を半分に減らすことができよう」。ですから,交通規則に従ってください。お子さんがいるなら,そうするよう子供に教えてください。
自転車に乗って,その益にあずかるとともに,危険を避けてください。前方の車がドアを開けるかどうかに注意することです。大雨のための排水溝や下水溝の鉄格子をよけて走り,前輪がはさまれて転倒するようなことがないようにしましょう。車の流れに沿って走り,決して逆方向に進んではなりません。夜自転車を使う場合には,リフレクター(反射鏡)を付けることです。絶えず注意を払うとともに,礼儀を守ってください。注意して乗れば,自転車で走るのは,たいへん楽しいことであり,いろいろの場所に行き来するのにたいへん便利です。自転車のブームが起きたのも,何ら不思議ではありません。
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障害を克服する目ざめよ! 1973 | 9月8日
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障害を克服する
聖書の真理はいろいろな障害をかかえている人びとに大きな力を与え,生活を喜びの多いものにします。エホバの証人である盲人の一奉仕者は,神のことばを学んだ自分の経験を次のように述べています。
「一昨年の6月に,あるエホバの証人の奉仕者が私を訪問してくださり,家庭聖書研究をすすめてくださいました。家に来てくださるというのがうれしくて,すぐに応じました。私は全く目が見えませんので,まず次の週に学ぶところをテープに吹込んでいただいて予習をしておき,各節ごとに答えを点字で書き留めて討議をするという方法で『見よ! わたしはすべてのものを新しくする』,『正義の新しい世を待ち望んで生活する』,そして『とこしえの命に導く真理』の本を学びました。研究が始まってすぐ集会にも出席したいと申しましたら,次の日曜日に連れていってくださいました。そこで暖かい歓迎を受け,この人たちとぜひ交わり続けたいと思いました。仕事の都合もありましたので,木曜日に研究をして,その後,夜の集会に定期的に出席することにしました。家族からは,マッサージの仕事を始めたばかりで,来はじめたお客さんのためにもあまり家をあけないほうがよいと言われましたが,資料を読むことはなかなかむずかしいので,せめて集会に出席することによって,より多く学びたいと思いました。初めは奉仕者たちが車で送り迎えをしてくださいましたが,いつまでもそのように甘えていてはいけないと思い,駅まで歩いて行く練習をすることにしました。土地にまだ慣れていませんでしたが,エホバが勇気を与えてくださいました。駅からはエホバの証人の奉仕者に連れていっていただきました。
「その年の秋,所沢の巡回大会に2日間出席しました。そこで再び暖かい社会を知り,まだそのことを知らない人びとに伝えなければならないと考え,早く伝道者になりたいと思いました。でも一人では伝道を行なえないと考えると消極的になってしまいました。そのことをお話しすると,そのエホバの証人の奉仕者は,『みなさんはあなたに奉仕するのではなく,エホバに奉仕するのですから援助を受けることを遠慮しないでください』とおっしゃってくださいました。野外奉仕に参加するようになってから,ひとしお多くの喜びを感じるようになり,バプテスマを考えるようになりました。幾人かの奉仕者たちが,勉強がたいへんでしょうから何かお手伝いをしましょうと申し出てくださいましたので,『神が偽ることのできない事柄』,『神の自由の子となってうける永遠の生命』,そして『あなたのみことばはわたしの足のともしび』の本をテープに吹込んでいただきました。そして8月に浸礼をうけることができました。今度は週に2回野外奉仕に出たいと思い,祈りのうちに9月からそのようにしてみましたら,奉仕から帰るとお客さんがちょうどみえるようになり,エホバの導きが確かにあると感じました。今ではすべての集会と奉仕に参加でき,障害のあることを忘れるほどです。そして今の私の願いは,家庭聖書研究を司会できるようになることです。きっとこの願いもエホバは聞いてくださると確信しています」。
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なぜ身障児が生まれるのですか目ざめよ! 1973 | 9月8日
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聖書はそれをどう見ていますか
なぜ身障児が生まれるのですか
4歳になる幼いカレンは白血病がもとで臨終の床についていました。非痛な衝撃を受けたその両親は,それまでローマ・カトリック教会の礼拝に定期的に出席していましたが,今では出席しなくなりました。なぜなら,その二親が述べたとおり,「正しい生活を送ろうと努力しているのに,どうしてこういうことが起きるのか,わたしたちにはわからない」というわけです。―1973年2月2日付,ニューヨーク・タイムス紙。
カレンは生まれながら障害をかかえていましたが,それがわかったのは3年後のことでした。アメリカでは100人につき4人の赤ちゃんが,せむしやびっこ,あるいは盲目などの明らかな障害,または心臓や脳などの欠陥をかかえて生まれてきます。そして,幼児が生後1年を経たころには,さらに多くの欠陥が明らかになるので,身障児の比率は100人につき7人にふえます。どうしてそのようなことが起きるのでしょうか。それはだれの責任でしょうか。どうすればよいのでしょうか。
聖書時代にも身体障害をかかえて生まれた人たちがいました。使徒ペテロとヨハネは,「母の胎を出た時から足なえの男」を奇跡的に癒しました。(使行 3:1-10,新)イエス・キリストは,生まれつき目の見えない男の人の視力を回復させました。弟子たちは,その男が盲目だったのは親の罪のためか,それも当人自身の罪のためかについてイエスに尋ねました。イエスの弟子たちは,当時の一部のラビたちのように,人は生まれる以前に母親の胎内で罪を犯す場合があることを信じていたようです。イエスは,その男が盲目だったのは当人あるいはその親の犯した罪によるのではなくて,「神のみ業がこの人の場合に明らかに示されるためだった」と答えました。もとより神がその人を盲目にさせたのではありません。むしろ,その人が盲目だったことは,神のわざを現わす機会となりました。―ヨハネ 9:1-7,新。ロマ 5:12。
ちょうど幼いカレンの場合がそうであったように,その男の人が生まれながら盲目だったのは,おそらく染色体の支障か遺伝子の欠陥のためだったと考えられます。たとえば,両親が心臓の重大な欠陥をかかえている場合,子供に同様の欠陥が現われる危険性は,普通の親の場合より21ないし37倍も大きくなります。また,血友病の人はその遺伝的欠陥を娘を通して孫に伝えます。こうした例の場合はいずれも,親を責めるわけにはゆきません。自分ではどうすることもできないからです。
また,無知のために母親が奇形児を生む場合もあります。妊娠の初期に,合成薬剤であるサリドマイドを含む睡眠薬を服用した女性の場合がそれです。「医学史上最大の悲劇の一つ」を招いたと言われるこの薬のために多くの国の1万2,000人もの婦人が奇形児を生みました。そのうちの半数はひどい奇形のため,死産に終わったり,あるいは数時間,または数日生きただけで亡くなったりしました。
生き残った『サリドマイド児』6,000人のうち,3分の1ないし半数は手足を持たずに,あるいは奇形の手足を持って生まれてきました。そうした身体障害児を一生涯世話するには,一人あたり25万㌦(約6,500万円)の費用がかかると見積られています。人間がもたらすこうした事がらに関しては確かに神を責めるわけにはゆかないのではありませんか。
『サリドマイド児』の事例については,裁判所は,母親よりもむしろ製薬会社に責任があるとの裁定を下しました。しかし,親,それも特に母親に責任のある身体障害の例は非常にたくさんあります。たとえば,母親が性病にかかったために欠陥をかかえて生まれてくる子どもは少なくありません。そうした親は婚前,あるいは結婚後不品行にふけったため,わが子に身体上の障害を受け継がせたのです。たばこをのむ妊娠した婦人は,死産を招いたり,赤ちゃんの発育を妨げたりする危険を増大させます。また,アスピリンと出産時の障害との間に関係があることも知られています。妊娠した婦人が不必要にも体重を減らそうとすると,胎児に害を及ぼす場合さえあります。
近親相姦の結果に関する最近の報告によれば,子供の身体障害に対して母親が責任を負わねばならない場合のあることがわかります。聖書は近親相姦を厳重に戒めています。モーセの律法は,近親相姦に対して死刑の処罰を規定しています。(レビ 18:8-17)たとえば,チェコスロバキヤのある医学研究者は,近親相姦の関係から生まれた子供たちと,同じ女性たちから近親相姦以外の関係で生まれた子供とを比較,調査しました。その研究の結果,「近親相姦によって生まれた子供たちの間では奇形の現われる危険が恐るべきものであることをまざまざと示す証拠」が得られ,また「近親結婚は幼児の死亡・先天的奇形・知能水準などの点でまぎれもない影響を及ぼす」ことがわかりました。(1972年10月9日号,ニューズウィーク誌)確かにこうした調査結果は次のような聖書の原則を強調しています。「なんであれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取…ることになるからです」― ガラテヤ 6:7,8,新。
身障児にかかわる非常に不幸な面の一つは,前述の幼いカレンの場合のように,ともすれば親は,自分たちの窮状の責任は神にあるといわんばかりに,神はどうしてそういう障害が生ずるのを許したのだろうか,あるいは神はどうしてそれを生じさせたのだろうかなどと不審に思うことです。中には,それがあたかも自分たちに対する神の意思であるとしたり,あるいはそうした悲劇に見舞われたのは仕方のないことと諦めたりする宿命論的な態度を取る人もいます。さらには,奇形児が日ならずして死ぬと,まるで『神がその子をご自分のそばに置きたいと望んでおられた』のだといわんばかりの説明をする人もいます。
しかし,創造者エホバ神を責めることはできません。エホバは最初の一組の人間を完全な者として創造しました。というのは,エホバのわざはすべて完全だからです。(申命 32:4)わたしたちの最初の二親が罪を犯したとき,両人は不完全になり,また自分の命をもって償いをしただけでなく,その時以来両人の子孫はすべて,不完全で,死ぬべき者として生まれてきました。(ロマ 5:12)こうした不完全性は,子供が身障児として生まれるかどうかに関係を持っています。そういうわけで,妊娠の初期にサリドマイドを服用した女性すべてが奇形児を生んだわけではなく,遺伝子に欠陥の生じた婦人だけが奇形児を生んだのです。また,すでに考慮したように,他の種々の要素も問題を助長する要因となる場合もあります。
聖書は,『神は愛で』あり,また神は人類がイエス・キリストの贖いの犠牲とキリストの王国によって完全性を取り戻す備えを設けられたことを述べています。その王国の統治下では,涙や悲しみや苦痛や死もなくなります。したがって,人間はあらゆる心身障害から解放されます。死者さえよみがえらされて,そうした祝福の益にあずかるのです。―ヨハネ第一 4:8,新。ヨハネ 5:28,29。使行 24:15。
それまでの間どうしますか。神の律法や実際的な知恵に注意深く従えば,何らかの点で障害をかかえた子供が生まれるような事態を回避するのに役だつでしょう。今日ではまた,『遺伝問題相談所』もあるので,親は子供を設けるさいに危険を伴うかどうかを少なくともある程度確かめることができます。
また,身障児にかかわる悲劇に見舞われている家庭の場合,どうすればよいでしょうか。それを,対処すべき挑戦とみなせるでしょう。どのようにして対処するのですか。家族の他の人たちが無私の関心,辛抱強さ,忍耐を示すことによってです。家族全員がそれぞれ自分に行なえる仕方で貢献し,人にしてもらいたいと思うように身障児のために尽くせば,身障児は悩みをかかえてはいても,生活を享受できるでしょう。
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