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  • 人口問題に対する真の解決
    目ざめよ! 1974 | 9月8日
    • 比較)妥当な範囲で地を『満たす』べくイエスが愛をもって物事を制御する時,人類はイエスのその優しさを存分に感じるはずです。

      今日でさえ,子どもを持とうとするクリスチャンも,「必要な物を備え」うる範囲という聖書的なわくの中に置かれています。(テモテ第一 5:8)同じように,その将来の時にも,地上の人口の増加は社会と田園生活の双方もしくはそのいずれかが環境に破滅をもたらさず,また子孫に飢えをきたさない範囲の中でなされるでしょう。

      そのとき人は,住む人々のために必要な物を産出する大地の能力を余すところなく見るでしょう。現代のかんがいや耕作法によってところどころの荒れ地にどれほどのことがなされているかを思い起こしてください。そして,地球が創造者の祝福によって栄え輝く時にどれほどの産出力が付与されるかを考えてください。それを例示するものとしてイザヤのことばはこう述べています。『荒れ野とうるほひなき地とはたのしみ さばくはよろこびてさふらんの花のごとくに咲きかがやかん……そは荒れ野に水わきいでさばくに川ながるべければなり』― イザヤ 35:1-6。

      その時には,ソロモン王の平和な治世と同じように,『地上では穀物が豊かになり,山々の頂にも満ちあふれる』ようになります。(詩 72:16,新。イザヤ 65:17,20-24; 25:6と比較)これこそただ一つの解決の道です。

      今日地上には,まもなく実現するこの解決法に添って生活することを学んでいるクリスチャンが世界のあらゆる国に約200万人います。米国コロンビア大学で応用生物学を講ずるデイビッド・W・エレンフェルド教授は近著「地上生命の維持」の中でこう述べています。「今日のユダヤ教およびキリスト教系の諸宗教グループの中で,[生物界が損うことの許されない統一体であるという信念]をまとめ上げ,哲学と生活環境とを調和させたのはエホバの証人のほかにはまずないように思われる」。(「目ざめよ!」1971年10月8日号参照)エホバの証人は自分でそれを考え出したのではありません。それは聖書の中に見いだされるのです。証人たちは,あなたもそれを学ぶように喜んで助けます。―イザヤ 2:2-4。

  • 清いことば
    目ざめよ! 1974 | 9月8日
    • 清いことば

      ◆ 聖書を読む人々の中には,性的な問題について聖書の述べる事がらを責める人がいます。聖書は,結婚関係内で性が清くかつ方正な位置を占めていることに関する記述を含んでいます。また,不行跡に関する記述も幾つかありますが,それは創造者の目から見て何が正しくないかを聖書の読者に知らせるのに長い間役だってきました。この種の情報に関する率直さは,聖書をして不道徳でわいせつな書物とするでしょうか。

      現代の“性の革命”について書いたさい,デイビッド・R・メース教授は次の点を指摘しました。「この問題を扱うさい,聖書の記述者たちは,今日の多くのキリスト教徒と異なり,押し黙ってはいなかった。開化された我々の時代においてさえ,公に読んだり公に論じたりするには全く適さないと見なされるような性行為についてたくさんの物語が記録されている。しかし,それらの物語に,不快なところは全くない。それらは単刀直入で地に着いた記録である。……性は人間生活の一部として正しく扱われている。当惑して隠しだてしているようなところはない。他方,欲望を起こさせるような暗示的なところもない。性に対する姿勢は正直で健全なものである。ルーテル派の神学者オットー・パイパーが言うように,『聖書の中のどこにおいても性がわいせつのレベルにまで落ちているところはない』」。

      確かに,聖書はあるところではきわめて率直ですが,決して暗示的であったりわいせつ的であったりはしません。詩篇作者が述べる通りです。『エホバの法はまたくして たましいをいきかえらしめ……エホバの誡命はきよくして眼をあきらかならしむ エホバをかしこみおそるる道はきよくして世々にたゆることなし』― 詩 19:7-9。

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