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    ものみの塔 1963 | 6月1日
    • を自分よりも弱い器として,思いやりをもって扱うようにと夫たちに助言しています。もしそうしないなら,夫たちの祈りは妨げられるでしょう。神に祈りを聞いていただき,それに応えていただくためには,婚姻関係においても,クリスチャン会衆におけると同じく愛と一致がなければなりません。―ペテロ前 3:7。

      17 神が祈りに答えてくださるには,私たちは何をしなければなりませんか。

      17 また,祈りに一致した行動をするという条件も見おとしてはなりません。私たちがもし,祈りとは反対の行いをするなら,いったい神はどうしてその祈りに応えることができるでしょうか。無事に着けますようにと祈りながら反則スピードで走ったり,不必要な冒険をしたり,酒を飲んだあと運転していますか。知恵を祈り求めながら自分の勉強や集会,大会などをおろそかにしていますか。エルサレムの一致と平和を祈り求めながら同時に,兄弟たちに対して,無分別な,きつい,片意地な態度をとりますか。それなら神に語っても無駄です。神に応えていただくというのならば,私たちも自分の分を果たさなければなりません。

      祈りの内容

      18 どんなことを祈り求めることができますか。

      18 私たちは,祈り求めることができるもの ― イエスが模範的祈りによって教えられたように,エホバのみこころと一致するものであれば何を祈ってもよいことを知っています。私たちと霊的に,肉体的に,物質的に関係のあるものはみな祈りの主題となるでしょう。「ただ事ごとに,祈と願いとをささげ,あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい」。私たちはたしかに,神に病気をなおしていただくことを祈り求めません。なぜならそれは,今の時代の私たちに対する神のみこころとは一致しないからです。しかし,賢明な道を歩み,神の許されるあらゆる事がらに耐える力を持つように,神の聖霊の知恵と力を祈り求めることができます。―ピリピ 4:6。ルカ 11:13。

      19 どうすれば型にはまった祈りをさけられますか。

      19 私たちは定期的に祈るので,表現が型にはまらないように注意がいります。「祈る時…くどくどと祈るな」とイエスは言われました。クリスチャンの奉仕者たちが,来る年も来る年も,戸口で同じ証言をするとしたなら,どんなに機械的に聞こえるでしょう。ところがよく注意しないと,自分個人の祈りについても,それと同じ間違いをするかもしれません。それは多くの祝福を取りにがすことを意味します。エホバ神は,その御言葉の中でも,自然界の中でも,実に無限の変化を私たちに与えてくださっています。それで私たちもそれにならって,同じことを機械的にくりかえし神に語るのではなく,当面の事情や,日々の聖句その他に応じて,祈りの内容に変化をつけるように心がけることが必要です。―マタイ 6:7。

      20,21 会衆の祈りの場合,どんな要素に注意すべきですか。

      20 ことに,ほかの人たちを代表して公に祈る特権をもっている場合は,たとえば,その会衆の集会の主題をノートに書きとめておくことなどに気をくばるべきです。またその特権をもつ人に前もって告げておくというような,ちょっとした心づかいによって,公の祈りは,流暢で,筋のとおった,心のこもった,内容の豊かな,そしてその特定の集会に適切なものとなるでしょう。そのような祈りは,長さの点でも両極端をさけねばなりません。牧師の中には,長々と2時間も祈るので知られている人がいます

      21 会衆の祈りからすべての人が十分に益を得るには,会衆を代表するために選ばれた人は,大きな声で,整然と,明確に自分の考えを表わすことができなければなりません。祈りの目的は,祈っている者を励ますことでもなければ,公の場で祈るけいこをすることでもなく,それはエホバのいつくしみのみくらの前で,ほかの人々を正しく代表することです。会衆の祈りは,外国語でミサを唱えるような形式だけのものではありません。ですからみんなが注意深く祈りに耳を傾け,また祈り方も,凡ての聞く者をして,終わった時に熱烈に「アアメン」と言わしめるようなものでなければなりません。

      22 子供たちはどこで祈ることを学ぶべきですか。

      22 公の祈りは,練習の時ではありませんから,子供におとなを代表して祈るように頼むべきではありません。子供たちが祈ることを学ぶ所は両親のひざもとです。ご両親よ,あなたの子供に,どのように祈るべきか,何を祈るべきかを,時間をさいて教えるように心がけてください。そうして,神に語っているのであること,そのために敬意とけんそんと子供らしい純真さをもって祈るべきであることを子供の心に印象づけてください。

      23 祈りの特権の貴重なことを考えて,何をすべきではありませんか。

      23 祈りの特権は貴重なものですから,実演の一部として祈るべきではありません。ですから,姉妹と一緒に家庭聖書研究に行く男子のしもべは,必要があれば助言を与えるのが目的で,姉妹に研究を司会をさせますが,初めの祈りと終りの祈りは自分でします。それは祈りが助言の対象になることは決してないからです。

      24 神に語る私たちの特権を要約しなさい。

      24 私たちに語らせ,ともに歩かせてくださる神は,ほんとうにへりくだったかたであられます。私たちは神とともに歩むときに,神が語られることにゆだんなく耳を傾け,それを心に留め,また私たち自身も絶えず神に語りかけ,ささげた祈りにふさわしく,感謝しながら耐えなければなりません。それと同時に,祈りと一致した行いをし,常にその場に適合した内容の祈りをささげ,型にはまらないように注意しなければなりません。そうすることによって私たちは,エホバの御名の立証にあずかり,エホバ心をよろこばせ,現在でも,エホバの終りのない正しい新しい世においても,多くの喜びを得ます。

  • 責任をはたして各自の荷を負いなさい
    ものみの塔 1963 | 6月1日
    • 責任をはたして各自の荷を負いなさい

      昔バビロンで偶像の前にひれふして拝め,拝まなければ火の炉に投げ込むと言われたとき,3人のヘブル人は決定を下す必要に迫られました。預言者ダニエルに相談する時間の余裕などはありません。自分たちの責任においてとるべき道を決定しなければなりません。シャデラク,メシャク,アベデネゴの3人は,偶像崇拝を禁じた神の律法を,たとえ殺されても破るまいと固く心に決めていました。その決定は正しく,エホバは3人を救いました。(ダニエル書 3章)この3人が負ったような責任の荷を負えますか。

      クリスチャンならばだれでも聖書の原則に照らして善悪を判断できるかと言うと,そうではありません。知識の足りない人もあり,自分で考えることをしない人もあります。ものぐさのためか,あるいは他の人に責任を持ってもらうため,重要な決定を他の人に下してもらおうとする人がいます。自分がある事をしたいと思っても良心のとがめを感ずる場合,他の人に尋ねてその人の良心がその行いを許すのを見たいと思う人もあるでしょう。理由は何であるにしても,自分で責任をはたそうとしない事は自分の益になりません。

      他の人に考えてもらうくせがつくと,自分で考える力が訓練されず,何時までたっても思考力が弱いことになります。だれかに尋ねて教え

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