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子どもを教えるのは一つの挑戦王国宣教 1972 | 3月
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子どもを教えるのは一つの挑戦
1 子どもを教えることは一つの挑戦といえます。クリスチャンの親である皆さんは,きっとこのことに同意されるでしょう。それはあなたの奉仕の務め中の肝要な事柄です。お子さんの命がそれにかかっているのです。そして,子どもたちが,親から教えてもらったおかげで,『神によりたのむ』ようになるなら,それは多大の時間と努力を費やしただけの価値があるということがわかります。―詩 78:7。
2 その挑戦にはどんな要素が関係していますか。実に多くの要素が関係しています。家族研究のために時間を見いだすことはその1つです。また,ある日の晩あるいは午後,あるいは必要に応じて他の都合のよい時間をそのためにあてることを意味します。肝要なのは定期性です。時間を浪費させるテレビその他の関心事は貴重な時間を奪います。子どもたちがみなエホバに忠実に仕えているある家族は,自分たちの研究計画を何ものにも妨害させまいとの決意をいだきました。そして,友だちが尋ねてきたときには,いっしょに研究に加わるよう招じ入れるか,できれば家族の研究が終わるまで待ってもらうようにしました。あなたの家族研究はあなたにとってそれほど重要なものとなっていますか。
3 研究の時間は家族全員にとって楽しい時であるべきです。単なる堅苦しい形式的な研究ではなく,むしろ楽な気分で学べる時間であるべきです。この研究を,家族の大好な食事をする予定の同じ晩にしたり,家族で何かをして楽しむ時間を含めたりすることにはなんの異存もありません。それはいっしょに歌をうたったり,みんなで楽しめるゲームをしたりするとかといった簡単なことかもしれません。
4 どんな研究計画に従って事を運ぶべきでしょうか。親のみなさんご自身が最善の計画を決められます。多くの家族は会衆の集会に備えていっしょに勉強します。それはたいへん良いことです。集会に備えるよう子どもを助けるさい,子どもが注解できるよう,しかも注解の部分を読むのではなく,自分のことばで言い表わせるよう教えるのは一つの挑戦と言えます。心から出るそうした答えは,子どもが研究から益を得ており,真理を自分のものにしているということを示すものです。
5 あなたの家族研究についていえば,費やされた時間と,取り上げられた資料の両方の面で,子どもたちがとくに必要としていることや関心のある事柄を考慮してきましたか。十代の子どもには,「ものみの塔」誌の適切な記事を家族で討議すれば,子どもを強められるでしょう。その場合,学校で直面する不道徳への誘惑や麻薬そしてこの世的な交わりに対抗できるほどに,十分深く原則を子どもの思いに刻むのは挑戦となります。もし十代の若者が,自分と自分のかかえている問題に親が関心を持っていることを知って,自分たちの直面する問題について率直に親に相談できるのであれば,親であるあなたにとって,子どもを教えることはずっと容易になるでしょう。
6 子どもを教えるさいに考慮しなければならないもう1つの要素は,年齢が異なり,また知識を取り入れる能力にもいろいろと差のある子どもたちにどのようにして興味を保たせるかということです。助けを余分に必要とする子どもがいても,全員が参加できる家族研究を持つのは良いことです。子どもが幼くて,日中は母親といっしょに家にいる場合には,「楽園」などの本の資料を毎日少しずつ取り上げて,いっしょに定期的に学べば,母親は,エホバに仕える道を子どもに歩み始めさせるようりっぱに助けることができます。
7 もし子どもが時々興味を失うなら,なぜだろうかと自問してください。「神権宣教学校案内書」の研究10に載せられているような提案のいくつかをもう一度考慮するのは助けになるのではないでしょうか。もし資料をもっと変化に富んだものにする必要があるとか,子どもにもっと関心を持たせる必要があるなどの場合には,週中に調べるよう宿題を少し割り当てるのも良いでしょう。それは,何かの主題についてなおいっそう深く考えさせることにもなり,聖書にかんして自分の持っている質問に対する答えを見いだすよう子どもを助けることにもなるでしょう。
8 もしあなたが家族のかしらでしたら,自分の責任を真剣に受け入れて,子どもを教えるという挑戦に答え応じますか。もしあなたが若い人なら,良く準備して研究に十分参加するという責任を受け入れて各人の分を果たし,家族研究に貢献しますか。わたしたちすべては自分の存在を天の父に負っています。それでわたしたちは,神が備えてくださる「土台の上に根ざし,かつ確立されるため」,また神のみことばが包含する驚くべき範囲およびわたしたちの生活におけるその適用方法を「知的に把握することがじゅうぶんにできるように」神がわたしたちのために設けてくださった備えに感謝を表わしたいと思います。親の皆さん,あなたがたはお子さんがそうするのを助けたいと思われますか。もしそうなさるなら,お子さんはあなたに感謝することでしょう。―エペソ 3:14-19。
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今年の記念式の時期はどんな結果をもたらすでしょうか王国宣教 1972 | 3月
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今年の記念式の時期はどんな結果をもたらすでしょうか
1 昨年,日本では記念式には23,702人,特別講演には17,500人がそれぞれ出席し,そして4月中に11,019人の伝道者が報告し,わたしたちはエホバの豊かな祝福にあずかりました。他の国々でもすぐれた出席数が見られました。今年の記念式の季節はどんな結果をもたらすでしょうか。
2 わたしたちの集会に人々を招待し,奉仕の務めに携わるよう新しい人々を助けるために特別の努力を払うとき,わたしたちはエホバの喜ばれることを行なっているのです。確かにわたしたちはそのような活動に大きな喜びを見いだせます。
3 たとえば,3月26日,日曜日に予定されている公開講演のことを考えてみましょう。「神の新秩序への人類の救出」という特別講演の主題について思いをめぐらしてみると,ほんとうに喜びを感ぜずにはおれません。ですからこの講演を特に広く宣伝したいと思います。出席するよう,すべての人を招待すべきです。
4 集会の価値,そして集会が関心を持つ人々に与える効果を決して過小評価すべきではありません。事実,人は集会にただ1度出席しただけで考え方を一変させる場合があります。マデイラ島のひとりの関心のある男の人は妻から絶えず反対されながら研究をしていました。集会に初めて招待されたとき,その人は出席することを決意し,もしいっしょに集会に行くのがいやなら,ひとりで家にいてもらわなければならないと妻に言いました。孤立した場所に住み,しかも妻はどちらかといえば憶病だったので,ひとりで家にいるのがこわくなり,結局夫といっしょに出かけることにしました。人の心を動かす真理の音信に抵抗することはできませんでした。そして,その最初の集会に出席して,聖書を学びたいという意欲がひき起こされたのです。数か月間研究したのち,その夫婦はそろって同じ日にバプテスマを受けました。確かに今年の特別講演にできるだけ多くの人を招待すべき十分の理由があります。
5 記念式は1年のうちで最も重要な集会ですから,わたしたちはぜひすべての人を招待したいと思います。3月29日には王国会館で出席者の最高数を見たいとわたしたちはみなほんとうに願っています。昨年,ガーナのある会衆では記念式を宣伝するため兄弟たち全員が出かけていきました。100人ほどの伝道者の交わっているこの会衆はその晩,記念式に966人もの人々が出席したのを見てたいへん喜びました。わたしたちひとりびとりが ― しもべも開拓者も伝道者もみな ― この問題を祈りのうちに考慮し,今年の記念式の時期に対する熱意と興奮の霊を喚起させるよう勤勉に努力するなら,確かに限りない祝福がわたしたち,そしてわたしたちとともに交わるよう励まされた人々に注がれるでしょう。
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