ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 神聖な物事を正しく認識する
    ものみの塔 1969 | 5月15日
    • 24 エサウの行ないがわたしたちへの戒めとなることを述べなさい。

      24 霊的な啓発が大いに与えられている今日,感謝の心をもたないのはきわめて危険です。認識の欠けていたエサウの例を忘れてはなりません。エサウはエホバの神聖な取り決めに対して無関心な態度をとりました。エサウが死んでから幾世紀ものち,クリスチャンが神聖な物事に対する認識をもつべきことを強調した勧めの中で,エサウの例が引き合いに出されています。パウロはヘブル書 12章16,17節の中でこうしるしました。「また,淫行の者,あるいはエサウのごとく神聖な事柄に認識をもたない者などが現われないためである。エサウは一度の食事と引き替えに長子としての権利を捨てた。あなたがたの知るとおり,のちに彼は祝福を継ごうとしたが退けられ,涙を流して心変わりを熱心に求めたが,入れられなかったのである」。(新)

      25 とるべき賢明な道はなんですか。

      25 したがって,賢明な道は神聖な物事を大切にし,それを請い願う気持ちをもつことです。エサウその他の聖書中の例を忘れないなら,悲しい結果や後悔を避けることができるでしょう。真に価値のあるものを見失ってはなりません。それに対する認識をつちかうことに努めなさい。「銀を求めるごとくにそれを求め続け,隠れた宝をさがすごとくにそれをさがし続けるなら,あなたはエホバを恐れることを悟り,神を知ることができるであろう」。(箴言 2:4,5,新)これははっきりしたことばです。わたしたちが求め続けるなら,わたしたちは,物事の価値を認識でき,悟りを得て神を知ることができます。エホバがそれを保証しておられるのです。そしてわたしたちは自らエホバに目をとめつつ,他の人々が神聖な物事に対する認識を深めるのを助けることもできます。「すべてさとき者はこれらのことに心をよせエホバのあはれみをさとるべし 願はくはすべての人エホバの恵により人の子になしたまへる奇しきみわざによりてエホバをほめたたへんことを」― 詩 107:43,31。

  • 忍耐は良い結果をもたらす
    ものみの塔 1969 | 5月15日
    • 忍耐は良い結果をもたらす

      エホバの証人には,他の人を助けようという誠実な願いを理解してもらうまでに長いあいだ忍耐をしなければならない場合が多くあります。しかしその報いを考えるなら忍耐するだけの価値があります。では,忍耐には測り知れない価値のあることを示す,あるエホバの証人の経験をお知らせしましょう。

      「1961年,わたしたちはバプテスマを受けてエホバの証人になりました。エホバの証人に反対していた隣家の人は,わたしたちがそうしたことを非常に怒り,わたしたちは善良な隣人であるが,この宗教には関係したくないと言うのでした。彼女の心を変えようとする試みはむだに終わりました。そこで,ものみの塔協会の提案に従うことに決め,彼女が喜んで読みそうな記事の載っている雑誌を渡すだけにしました。

      「これは効果がありました。というのは,彼女は雑誌を受け取って,勧められた記事を読んだからです。このことはおよそ1年も続き,やがて,6歳の娘をわたしの家に来させるほどになりました。

      「その幼児を楽しませるため,『失楽園から復楽園まで』の本を使い,その中のさし絵をよく説明したものです。その子供が家に帰ったとき,エホバ神,エデンの園,アダムとエバその他学んだことについて母親に話したのは当然です。およそ2週間後,その母親は電話をかけてきました。

      「彼女は私が娘ジョー・アンと聖書研究をしているのかどうかを尋ねたのです。そうではなく,エホバの証人の用いている本の絵の説明をしていたに過ぎないと答えてから,『楽園』の本を持って彼女を尋ね,行なっていたことを実際に示しました。やがて彼女は,『ジョー・アンはこれをとても喜んでいますので,娘と聖書を研究していただく時間があなたにあるかどうか思案していたところです』と言いました。

      「隣家の二人の子供と研究が始まりました。ほどなくして,また隣りの母親は私を呼び『あなたが私の子供にしてくださっている事を本当に感謝しています。二人は聖書から多くのことを学んでいます』と述べ,さらに『あのう,実は,私も研究をあなたにお願いしようと何か月間も考えていたのですが,勇気がありませんでした。いままで6年間あなたの行ないを見てきましたが,その間,あなたは本当に信仰を示してこられました。それには何かあるにちがいないと思いました。私と研究する時間がありますか』。私はうれしくなり,喜んでそうしたいと答えました」。

  • 子供にも有益な大会
    ものみの塔 1969 | 5月15日
    • 子供にも有益な大会

      「それはちょっと説明しがたい光景であった」。一記者はその時のことをこう語っています。「子供たちの顔は輝き,若者たちは喜びにあふれて」いました。1941年,ミズーリ州セントルイスで開かれたエホバの証人の国際大会における特別プログラムの時のことです。大勢の聴衆の最前列に着席していた1万5000にのぼる5歳から18歳までの子供たちが,その場で起立し,御国の音信の伝道に参加する意志を表明したのです。そして全員に「子供」と題する本が贈られました。

      このグループはいまでは32歳から45歳までの年齢の人々となり,その多くは家族の責任をもつ父親や母親になっています。こうした人々のほかに,さらに多くの同じ年齢層の父親や母親が加わって,全世界の御国伝道者の総数は現在,1941年当時の総数10万6137名のほとんど11倍に達しています。責任感の強いこれら多数のクリスチャンの親は,子供の霊的福祉に心からの注意をそそぎ,その円熟性を示しています。

      そうした特別の注意と敬虔な配慮の表われとして,1969年に開かれる大会にはそれぞれ家族ごとに出席することでしょう。なぜですか。大会のプログラムは,老若を問わず出席者すべてに喜びと益とを与えるように計画されています。大会のステージで繰り広げられる聖書の劇が,青少年に大きな益を与えてきたことは周知の事実です。

      子供たちにおよぼす益

      若い人々も大会にも出席して,いつも大きな益を得ています。そしてエホバ神への奉仕がおとなの専売特許ではないこと,実際に大ぜいの子供が御国会館での集会や,聖書研究,戸別伝道の野外宣教に深い関心をもっていることを知ります。子供がステージで行なわれることや話されることを見聞きして受けた影響はしばしばたいへん大きなものです。これはひとつの例ですが,ある婦人は自宅で聖書を教えてほしいと頼みにきました。なぜですか。その婦人のひとりの幼い娘が好奇心から,1966年にパナマで開かれた大会のある日のプログラムに出席し,見聞きしたことに感激して帰ってきたので,婦人は,いったいどんなことが行なわれたのか,詳しく調べてみようということになったのです。

      また子供たちは大会で,開拓者としてすでに全時間宣教をはじめている他の若い人々に会い,色々な経験をそうした人から聞き,羊のようなやさしい性質を持つ人々を見いだして親切に養い,主のおり,つまり組織に導くという話に胸をおどらせます。彼らの若い心は,最も価値のある仕事,すなわち開拓奉仕に向けられます。子供をそうしたりっぱな友だちに近づかせることは,たしかに価値があります。

      両親の中には,自分の10代の子供や幼い子供は,大会に連れて行くほど聖書に興味を示さないと考える人があるかもしれません。しかしそうした大会こそ子供たちの必要としているものなのかもしれません。10代のひとり娘は,母親が司会する聖書研究に参加しようとしませんでしたが,大会に行くように誘われて一緒に出席し,大会で見聞きしたことにたいへん驚き,聖書の勉強や御国会館での集会に関心を示すようになりました。その後

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする