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現代の青少年の落し穴ものみの塔 1958 | 4月1日
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者のために,童貞を守ることは彼らの願いとなるでしよう。
子供によく知らせねばならないことは,性を誤つて用いると,病気になる危険があるだけでなく,大人の生活にまで及ぶ重大な精神的害を与えるということです。しかし,そのことにもまして,性の濫用は神から罪に定められます。御自身が人間に与えられた賜物が誤まり用いられることを,神は認められません。『それとも,正しくない者が神の国をつぐことはないのを,知らないのか。まちがつてはいけない。不品行な者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,男娼となる者,男色をする者,……はいずれも神の国をつぐことはないのである。』― コリント前 6:9,10,新口。
道徳の堕落という落し穴から子供たちを守るには,性教育以上のことが必要です。高い道徳の原則に対して敬意を持たなければなりません。これらの原則は聖書に記されているゆえに,両親は子供に聖書を教えることが必要です。この事は両親の義務であつて,教会の義務ではありません。原則は是非とも必要です。世の不道徳の嵐にもまれるとき,子供がつかむことのできる,しつかりしたものは原則なのです。
自分の教える原則に従つて生活するのでなければ,両親は子供を高い道徳をもつ人に強く育てることはできません。これは両親のため,これは子供のためというような二重の原則はあり得ません。子供は目ざとく偽善を知ります。
10才台の青少年は群集の行いに極めて従いやすいのです。彼らは仲間のすることをしなければならないと感じています。それで,仲間が不道徳な行いという道を採つたとき,道徳を守るかどうかは厳しく試されます。子供が自分の道徳の原則を守ることができるかどうかは,幼少時に受けた訓練の質に依存しているのです。
高い道徳に対して同じ尊敬を持つ人々を仲間に選ぶのは,更に良いことです。聖書は賢明にも述べています,『悪い交わりは良い道徳を腐敗させる。』― コリント前 15:33,ア標。
現在の世がつづく間,道徳は若い人にとつてひきつづき落し穴となるでしよう。堕落した大人の作り出す環境は,ひきつづき子供たちに影響を与ることでしよう。そして,この環境は神の御国が現在の組織制度を滅ぼすまでは変りません。従つて,子供たちの道徳を守りたいと望む両親は,子をその行くべき道に教育する責任を負わねばならないのです。
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真理に対する強力な証言ものみの塔 1958 | 4月1日
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真理に対する強力な証言
イエスは,彼の追随者について次のように云われました,『あなたがたは,わしのために長官たちや王たちの前に引き出されるであろう。それは彼らと異邦人とに対してあかしをするためである。』この証言を受けるのは,単に支配者たちだけでなく,神の御言葉である真理が生み出す決意を見る他の人々に対しても証言となります。彼らもまたそれによつて感銘を受けざるを得ません。―マタイ 10:18,新口。
ハンガリーのある若いヱホバの証者は,共産主義者の軍事活動に参加することを拒絶したというので,8年間の入獄を宣告され,労働収容所に送られました。彼はその道中で経験したことを次のように話しています。
『汽車の中である女の車掌が私にたずねました,「どうしてあなたは囚になつたの」「私たちの宗教的信念のためですよ」「青年時代をそんなことでめちやめちやにするの馬鹿らしいことじやない?」と彼女は云いました。そこで私たちは,彼女に証言し伝道之書の12章1節から3節を引用して,青年はすべての力をつくしてヱホバに奉仕すべきであることを示しました。その時以来,彼女は暇がありさえすれば同僚と一緒にやつて来て,私たちと話し続けました。私たちが汽車を降りる時,彼女は目に涙を浮べて言いました,『あなたがたが苦しんでいるのは,ほんとうに真理のためだということがわかりました。でも辛抱して下さい。私は皆さんのために祈つています。」』
すべてのヱホバの証者は,言葉と行いの両方において自分自身の信仰のために同様の証言をなすことを切望しています。
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インドネシヤの役人は『ものみの塔』の価値を認めるものみの塔 1958 | 4月1日
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インドネシヤの役人は『ものみの塔』の価値を認める
インドネシヤ,ジャカルタにある協会の支部が,当地でインドネシヤ語,「目ざめよ!」の印刷を始めるため,用紙の許可を申請したとき,情報省の役人はこう述べました。『「メナラ・ペンガワル」(「ものみの塔」)は,インドネシヤでいちばん良い雑誌の一つであると思います。新しい雑誌のために,喜んで用紙の許可を得てあげましよう。』―「1958年度ヱホバの証者の年鑑」
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