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  • 救いはまず家族にそれから隣人へ
    ものみの塔 1960 | 1月1日
    • を与え,訓練を施します。

      14,15 (イ)いつ,そして誰によつて教えは始まらねばなりませんか。(ロ)こらしめを行う正しい仕方と悪い仕方は何ですか。

      14 子供の教育と訓練は,きわめて幼い時に始まらねばなりません。母親が教育を施すことは,生命を与える訓練計画で大きな役割を持つということを忘れてはなりません。母親は幼い子供の心に正しい原則をそそぎこみます。子供の年齢は,物事をまなぶ年齢です。それで,子供が若いときにヱホバ神とその御言葉に尊敬を持つように教えなさい。子供を正義の道に訓練するため母親と父親の両方が十分に協力することは必要です。―テモテ後 1:5。

      15 こらしめは愛の中に行なわれねばなりません。苛酷,いばり散らすこと,圧制的な態度,どなること,短気,頭ごなしに抑えつけること,― これらは良い家庭のこらしめの中にあつてはなりません。むしろ,理性,親切,忍耐,理解,幸福,断乎とした態度,そして愛を用いなさい。次のことを留意しなさい,すなわちヱホバは愛の御心を持たれている故,いろいろの事柄を教えたり説明したりすることに貴重な時間を用いられたということです。同じく,家族も愛の中に取り扱いなさい。

      16 なぜクリスチャンの家庭に生まれるだけでは十分でありませんか。それ以外の何が要求されていますか。

      16 子供たちに注意深い聖書の訓練を与える必要性を,十分認識していない人々がいくらかいます。クリスチャンの家庭に生まれるなら,それで十分だというような考えがあります。そして,時折り「私の息子は真理のうちに生まれました」。と言う言葉を聞きます。真理のうちに生まれた者はひとりもいません。なぜなら新しく生まれた子供の心は白紙のようだからです。ダビデ王は次のように言いました,「私の母は罪のうちに私をみごもりました」。(詩 51:5,新口)クリスチャンの家庭に生まれることが必要であるだけでなく,訓練を与えることは必要です。なぜなら,献身したクリスチャンの子供は「きよい」と考えられているからです。(コリント前 7:14,新口)若い奉仕者テモテに与えられた良い教育は,幼児であつたときに始まりました。「しかしあなたは,自分で学んで確信しているところに,いつもとどまつていなさい。あなたは,それをだれから学んだかを知つており,幼い時から,聖書に親しみ,それがキリスト・イエスに対する信仰によつて救にいたる知恵を,あなたに与えうる書物であることを知つている」。(テモテ後 3:14,15,新口)正義のうちに訓練し,こらしめを与え,そして教育を与えてのみ,子供の心をヱホバ神との個人的な関係を持つ点にまでみちびくことができるのです。

      17 家族でいちばん良い交際相手は誰ですか。有益な習慣はどのようにだめになりますか。

      17 しかし,あなたの家族を救いにみちびくこの有益な習慣も,悪い交わりをするときにだめになります。「まちがつてはいけない。『悪い交わりは,良いならわしをそこなう』」。(コリント前 15:33,新口)家族生活を良い健全な交わりで満たすことにより悪い交わりを避けなさい。両親よ,自分自身の家族と共々に交わりをする時間を設けなさい。夫よ,あなたは自分の妻と子供たちと共にいなければならない,ということを記憶しなさい。また,健全な娯楽も家族のために設けられねばなりません,そうしないなら悪い形式の遊びを求めるようになるでしよう。

      18 クリスチャンの両親は,どんな生活の目標を子供たちの前に置いて彼らの救いを図らねばなりませんか。

      18 あなた方両親が子供たちをみちびいている生命の型は,子供たちを救いにみちびくようなものですか。あなたの子供たちの心にきざみつけられている希望と野心は何ですか。この古い世で重要な地位を持つことは良い,という考えで一杯になつていますか。それとも,新しい世での重要な役割を果す,というすぐれた希望で満ちあふれていますか。古い世という破産している制度を支持するよう子供たちを教えていますか。それとも真理と正義のために生活して天と地の大いなる創造者に感謝の賛美をささげるように教えていますか。今日の子供たちにとつて,次のうちどちらの方が重要ですか。金銭をためて銀行の預け高を多くするのと,ヱホバの是認をうけて生命を救われることの中どちらですか。あなた方の子供たちは,何を目標に訓練をうけていますか。全時間の宣教奉仕は,最高の神からの贈物,大きな特権としてさしのべられていますか。他の者に伝道することによつて救いが来るということは,子供たちの心に銘記されていますか。そのように教えられる子供たちは,生命を救う者となり,子供自身に祝福をもたらすだけでなく,他の者たちにも祝福をもたらします。これらの諸点に十分の注意と思慮をめぐらす両親は,隣人だけでなく自分の家族をも救つています。

      分裂している家族

      19 反対している夫を持つ妻には神の言葉は,どんな指示を与えていますか。これはどのように適用しますか。どんな希望がともないますか。

      19 結婚配偶者のひとりはヱホバの御こころを行なうために献身しているが,他のものは献身していない家庭は多くあります。その両人のくびきは,不釣合のものです。献身したしもべは結婚配偶者の救いについて深い関心を持つでしよう。信者である妻は,自分の夫を救うために努力を惜しみません。それは大きな心痛をもたらすしごとになることでしよう。夫は怒りを感じて反対し,妻が神の言葉について夫に語つてもいけないし,子供たちに語つてもいけない,と命ずることでしよう。妻は何をしますか。使徒ペテロは,明白な指示を与えました。彼は妻たちに次の言葉を述べています,「たとい御言葉に従わない夫であつても,あなたがたのうやうやしい清い行ないを見て,その妻の無言の行ないによつて,救に入れられるようになるであろう」。(ペテロ前 3:1,2,新口)妻が言葉で伝道しても夫を救に入れることができないときは,その行いによつて夫を救に入れることができます。妻の行いは,いちばん力づよいものです。決して希望を失なつてはなりません。使徒パウロの書いた言葉を記憶しなさい,「なぜなら,妻よ,あなたが夫を救いうるかどうか,どうしてわかるか」。―コリント前 7:16,新口。

      20 不信者の妻に対する夫の必要な態度は何ですか。彼が真理を受けいれたことは,結婚の関係を変えましたか。

      20 信者の夫と不信者の妻という場合でも,同じ思いやりが払われるでしよう。使徒パウロの言葉は次のようにつづいています,「また,夫よ,あなたも妻を救いうるかどうか,どうしてわかるか」。(コリント前 7:16,新口)非常な巧みさと愛が必要です。夫は忍耐づよく,やさしくそして寛大でなければなりません。ヱホバの崇拝者になつたとしても,結婚の責任が取りのぞかれるわけではありません。かえつて,結婚の責任はつけ加えられるのです。妻には物質の必要物を与えるだけでなく,いつしよになつてその相手にならねばなりません。クリスチャンの夫は,自分の崇拝にまつたく没頭してしまい,妻のことをすつかり無視する,というようなことがあつてはなりません,

      21 夫は,使徒パウロの従つた原則をどのように自分の妻に適用することができますか。もし自分の妻を信仰に入れたいと希望するなら,彼は何をしてはなりませんか。彼はどんな質問を自問しますか。

      21 自分の妻を真の崇拝にみちびき入れたいと希望する夫は,使徒パウロが救おうとつとめた人々に対してとつた原則に注意を払うことは良いでしよう。「ユダヤ人には,ユダヤ人のようになつた。ユダヤ人を得るためである。……弱い人には弱い者になつた。弱い人を得るためである。すべての人に対しては,すべての人のようになつた。なんとかして幾人かを救うためである」。(コリント前 9:20,22,新口)パウロは人々の状態に適合して行きました。彼は人々の問題にたいして同情し,思いやりの態度を示しました。彼は愚かでもなく,弱い者でもありませんでした。人々は間ちがつていると,彼は知つていましたが,彼らの確信に対しては尊敬の態度を持ちました。パウロ自身は,ユダヤ教から来た者であるので,彼が救おうとしていたユダヤ人を馬鹿にしようともせず,あなどらず,また狭量の行いをしませんでした。人々の理解を良い方向にみちびくことによつてのみ,彼らの生命を救える,とパウロは知つていました。同じように,夫は馬鹿にしたり,寛容を示さぬ態度を取つてはなりません。もしそうするなら,妻をますます遠ざけてしまうことになります。夫は次のように自問すべきです,「もし自分がこれと同じ立場にいるなら,どのようにしてもらいたい,と思うだろうか」。このことを決意したなら,妻をそのように取りあつかいなさい。愛を行使しなければなりません。パウロは次のように述べています,「愛は寛容であり,愛は情深い……いらだたない……すべてを忍び,すべてを信じ,すべてを望み,すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない」。―コリント前 13:4-8,新口。

      22 奉仕者たちに面している問題のいくらかは何ですか。彼らは何をしなければなりませんか。

      22 自分の家族を愛したくない人はひとりもいないはずです。ところが,会衆内のある僕たちは,会衆の活動とか,委員の会合や野外奉仕であまりに忙しいため,自分の家族と共にすごす時間がありません。その僕たちは安易にもこう言います,「私の家族の救いをたしかにするため,いろいろと考慮と世話を払わねばならぬことは重々承知している。私は自分の妻と家族を愛しており,隣人が救われるように家族が救われるようにと欲している。しかし,私は宣教の仕事に忙しくて,家族の為の時間というものはほとんどない。しかし,家族は真理に入つており,私がいつしよにいなくても不平を言わない」。実際のところ,時間についてのあらゆる要求を平衡にかける,という事柄ではありませんか。このはかりでは,あなた自身の家族のために正しいおもりを掛けなさい。会衆の活動に全時間をついやして,兄弟たちや隣人を救うことに援助の手をさしのべながら,自分の家族の救いに注意を払わない,というようなことはヱホバ神がのぞまれないことです。自分の妻と子供たちは,まず第一の責任です。使徒パウロもこう述べています,『もしある人が,自分の家族をかえり見ない場合には,不信者以上にわるい」。―テモテ前 5:8。

      23 彼が設けねばならぬ第一の備え物は何ですか。そして,何を目標にしなければなりませんか。

      23 それですから,兄弟がまず自分の家族の者の救いをはかることは,はるかに良いのです。物質をそなえることだけでは十分でありません。必要なものをそなえるために,家族の救いにみちびく霊的な福利をまず考慮しなければなりません。私たちはみな神の新しい世に住みたいとのぞみます。家族を互に密接にむすびつけなさい。ヱホバを恐れる家族の成員は,みな互に助けあつて正しい側にいなければなりません。ハルマゲドンの大きな戦は近づいています。家族全員が救われることを目ざしなさい! あなたがこれらのことをするとき,大きな幸福と平和はあなたの家庭に与えられる祝福となるでしよう。

  • 高慢な伝統に打ち勝つて救わる
    ものみの塔 1960 | 1月1日
    • 高慢な伝統に打ち勝つて救わる

      「『しるされている定めを越えない』ことを学び,ひとりの人をあがめ,ほかの人を見さげて高ぶることのないためである。いつたい,あなたを偉くしているのは,だれなのか。あなたの持つているもので,もらつていないものがあるか。もしもらつているなら,なぜもらつていないもののように誇るのか」。―コリント前 4:6,7,新口。

      1 この世の伝統の中には,家族に対するどんな危険がありますか。

      高慢な伝統は,古い世の考えであつて取りのぞかねばなりません。それは神の新しい世に存在しないからです。この世の伝統は,なんらかの面で各家族に影響を及ぼします。多くの場合,人々は自分の住んでいる場所の根深い伝統とか習慣のために,自分の考えがいつたいどの程度まで支配されているかに気づいていません。家族が救われるためには,家族の成員がこの古い世の習慣の危険に気づくことが必要です。この記事は,高慢な伝統が家族間,社会間,そして国家的な群れのあいだにつくり出す障壁とか分裂または不一致を論じています。

      2 この世の高慢な伝統のいくらかは何ですか。なぜ,それらは新しい世の原則に反対していますか。

      2 考えに深い影響をおよぼして分裂と偏見をもたらすこれらの伝統のいくらかは,国家的な誇り,人種又は氏族の誇り,家族とその歴史的な偉業の誇り,富,社会的地位,皮膚の色,または言語の誇り,階級または職業の誇りなどです。ある家族は,自分の先祖と先祖崇拝,先祖たちの軍事的な偉業や伝統,むかしからの宗教上の伝統に大きな誇りをいだいています。ひとりの人または群れを別のものから分裂させるこれらの伝統が,一致についての神の原則に反対していることは疑問の余地がありません。これらの伝統や偏見にしたがいながら,新しい世の社会の一部になることはできません。

      これらの事を避けなさい

      3 高慢な伝統は,何にもとづいていますか。なぜ,それはクリスチャンの交わりと奉仕に妨害をもたらしますか。

      3 いまこれらのこの世的な伝統のいくらかが,人類に対してどう働きかけるかを考察してみましよう。階級の差別は,実際のところすべての国民の中に見出さいます。それは,財産,偉業,称号を持つ先祖,職業または知的な業績にもとづれていることでしよう。特権を持つこれらの群れの子孫にあたる家族は,自分たちが他の人間よりも上であると考えます。それで,彼らはごうまんな思いを持ち,高ぶつた気持をいだいて,他の者たちよりもすぐれていると考えます。この考えは,キリスト・イエスの教えに全く反するものです。使徒パウロは,「大言壮語する者,高慢な者,……高言をする者」たちのこの世的な考えを禁じました。(テモテ後 3:1-7,新口)「神は高ぶる者をしりぞけ,へりくだる者に恵みを賜うからである」。(ペテロ前 5:5,新口)そのような態度を持つている人は,隣人を救いの道に助け入れることはできません。なぜなら,そのような態度があるとき隣人と兄弟愛のよしみを持つことができないからです。それですから,すべての者は謙遜を求めねばなりません。神の言葉は次のように述べています,「人の高ぶりはその人を低くし,心にへりくだる者は誉を得る」。―シンゲン 29:23,新口。

      4 なぜ国家的な誇りはつくられましたか。なぜ新しい世の社会内には,そのようなものがありませんか。

      4 古い世の考え方に大きな役割を果す別の伝統は,国家的な誇りです。これは政治国家や教育機関また教会の権威者たちにより注意深くつくり上げられています。

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