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  • 現代に生きる配偶者のいない親たち
    ものみの塔 1980 | 12月15日
    • ていました。しかしある日,相手が結婚にではなく自分のことだけに関心があるのに気付きました。それからというものは,良心のかしゃくを抱えて生きてゆかねばなりませんでした」。ひとりでいるのは確かに難しいことかもしれません。しかしある離婚したクリスチャンの婦人は,「ひとりでいるよりもずっと悪いことが一つあります。それは不適当な相手と結婚生活を送ることです」と言いました。献身したクリスチャンたち,つまり「主にある」人たちの中に結婚の相手が見つかる可能性は常にあるのです。(コリント第一 7:39)ある人たちはそのような相手が現われるのを何年も待ちました。しかしその間,そのことで悩んだり,自分の境遇に打ちひしがれたりするようなことはありませんでした。より良い配偶者になるための特性を養うことに時間を賢く用いました。女手ひとつで子供を育てているある女性は,「『私はだれかに選ばれるような霊的な女だろうか』と自分に尋ねてみます。ひとりでいるときにじめじめした暗い気持ちでいるなら,私の配偶者になる人も惨めな気持ちにさせてしまうと思うからです」と言いました。

      家庭管理と育児

      15 (イ)女手ひとつで子供を育ててきた親の中には何をして家庭管理に成功した人たちがいますか。(ロ)このほかに何か提案がありますか。

      15 配偶者のいない親の多くは,簡単なことではありませんが,箴言 31章に述べられている有能な婦人に倣うよう努めてきました。その婦人は結婚してはいましたが,家事全般を管理していました。お金を節約するために,買い物をするにもよく注意を払い,材料を手に入れて自分で物を作り,また「定めの分」を準備するようにして食物をむだにしませんでした。(13-15,19節,新)朝早くから仕事を始め,遅くまで働きました。(15,18節)色々な物を作ってそれを売りました。(24節)「その手」で様々な家事を行ないました。(17,19節)今日でも,片親の立場にある人の中には,『自分の手』をうまく使うことを学ぶために手引き書を読んだり,専門家に助言を求めたりした人たちがいます。(境遇を説明すると,専門的な事柄を無料で教えてもらえることがよくありました。)また,特殊技術を持つ仲間のエホバの証人に自分の必要を話して,親切な援助を受けることができた人たちもいます。こうしたことはすべて費用の節約に役立ちます。

      16 神を信頼するのはなぜ重要なことですか。だれの例がこの必要を示していますか。

      16 しかし,やもめにできることがどれほど多くあっても,時がたつにつれて難しくなってきますから,日々の糧を神に頼らなければなりません。『神に希望を置いた』人の良い例は,神の預言者エリヤの時代にザレファテの町に住んでいた,子供を抱えたあるやもめです。エホバの指示によってエリヤは,神が養ってくださるという約束をそのやもめに与え,手もとに残っている最後のわずかな食物を食べさせてくれるように頼みました。あなただったらどうしたでしょうか。それは最後の食物で一食分しかありませんでした。その一食は少なくとも当てにできるものでした。にもかかわらず彼女は,信仰を持っていたゆえに,不確実なもののために確実なものを断念しました。預言者を通して語られた神の言葉は真実となりました。やもめとその息子は食物に事欠くことはありませんでした。同様に今日でも,配偶者のいない親を含めクリスチャンはすべて,神の王国を第一に求めることにより,また神の義の規準に従って行動することによって,神に信頼を置かねばなりません。そうすれば,神が養ってくださるということが分かるでしょう。―列王上 17:8-16。ルカ 4:25,26。マタイ 6:31-33。

      17 子供を正しく育て上げたいと願う配偶者のいない親が,片時も忘れてならないのはどんなことですか。なぜですか。

      17 「母親」と「父親」の両方の役を果たして子供たちを正しく養育するのは難しい仕事ですが,家庭内で何を最重要事とすべきかを親が忘れないようにするときに初めてそれは成し遂げられます。聖書の答えは次の通りです。

      「エホバを恐れつつわずかである方が,豊かな備えとそれに伴う混乱があるよりも良い。野菜の料理でもそこに愛のある方が,飼い葉おけで肥育された牛とそれに伴う憎しみがあるより良い」。(箴 15:16,17,新)

      食事の真の価値は食卓に出される物にあるのではなく,共に食する人々の心の中のものにあります。真に重要なのは,愛と神に対する健全な恐れです。

      18 (イ)お金ももうけ,子供たちの世話をする時間も確保するために,ある親たちはどうしましたか。(ロ)あなたはこのほかにどんなことができると思われますか。

      18 子供たちがエホバに恐れを抱くように助ける時間を設け,一方で必要なお金を得るために,多くの場合子供たちに手伝わせながら,手作りの品物を売ったり,家にいてできる仕事をしたりした親もいます。a 国が行なう援助で,自分たちが受ける法的・道徳的権利のあるものをよく活用した人たちもいます。パートタイムの仕事でやっていけるように,生活水準を下げた人も少なくありません。4人の子供を持つあるクリスチャンの婦人はそうしました。「できるだけ子供と一緒にいたいと思いました。父親がいないだけでもひどく寂しいのに,母親までいなくなるのはかわいそうだと思ったからです」と,その人は言いました。もちろん,だれもがそういう都合のよい仕事を見付けられるとは限りません。しかし,子供を信頼し,世俗の仕事をしなければならないわけをよく説明し,できるだけ多くの時間を子供と過ごすようにするならば,このような立場にいる人たちも,家庭の雰囲気を愛のある温かいものに保つことができます。

      19 (イ)親にとって『子供を愛すること』は何を意味しますか。(ロ)それはひとりで子供を育てている親にとって必ずしも容易なことではありません。なぜですか。

      19 『子供を愛すること』は絶対に必要です。この愛には必要な懲らしめを与えることも含まれます。(テトス 2:4。箴 13:24)懲らしめは,すでに片親を失っている子供に不安を感じさせないようにするのに役立ちます。女性は人によって感傷的になる傾向がありますから,懲らしめを与えるには本当に努力がいるかもしれません。しかし子供は,時に罰を含む懲らしめを受けることによって,自分が親から愛されており,問題に巻き込まれないように親が願っていることを知るという点を忘れないようにしましょう。

      20 (イ)ある人たちは,いつも子供のそばにいるようにするために何をしましたか。(ロ)そばにいて子供を正しく育てるなら,どんな二重の祝福がありますか。

      20 いつも子供のそばにいるようにしてきた人たちは,次のように提案しています。

      「子供と一緒にいる時間を特別に設け,どんなことにもその時間を奪われないようにすることです。家の仕事はいつでもありますが,子供たちはいつもいるものではありません。子供の霊性を築き上げることに心を集中するようにしてご覧なさい」。「子供たちは母親を失ってショックを受けていたので,懲らしめにも理解を加味しなければなりませんでした。私は昼の何時であろうと夜の何時であろうと,機会あるごとに子供に話しかけます。食事の仕度をするときは親子が“打ち解けるとき”です。子供たちが何でも打ち明けて話してくれるのはこのときです」。

      そのような愛は通じます。子供たちはそれを見,また感じることができます。子供を育てる際のこうした努力はいずれも楽ではないかもしれませんが,親は子供が成長して責任の果たせるエホバの賛美者になるのを見る満足を存分に味わうことができるのです。またその働きは,親にとっても道徳面で保護となります。―テモテ第一 2:15。

      完全な解決策 ― 新秩序

      21 (イ)ひとりで子供を育てる親が抱えている問題は容易に解決するものですか。(ロ)忠実な歩みは何を成し遂げますか。

      21 「私は毎日のように伝道活動に参加します。勉強もよくし,絶えず祈ります」とある婦人は言いましたが,「でも,毎晩泣き疲れて寝入るのです」と告白しました。確かに,配偶者がいなくてひとりで子供を育てている人が対処しなければならない問題は,容易には解決し難いものです。日々闘いが求められるものも少なくありません。それでも,クリスチャンが毎日忍耐を示すことは,困難な事態になれば人々は神に仕えることをやめるだろうと非難したサタンの顔に,さらに一撃加えることになるのです。(ヨブ 1:9-11。箴 27:11)全く申し分のない生活をしている人は現在一人もいないということに気付いてください。「仲間の兄弟全体」が苦しい思いをしています。(ペテロ第一 5:9)他の人が抱えている問題はあなたの問題とは違うかもしれません。でもその人にとってそれは同じほど深刻なものなのです。あなたの抱えている問題がどんなものであろうと,もっと悪い状態だってあり得るのです。ですから,できるだけ積極的な面をよく考えるように努めましょう。

      22 (イ)わたしたちは何に目をとめるべきですか。なぜですか。(ロ)次の記事ではどんなことが取り上げられますか。

      22 わたしたちは何よりも,完全な満足をもたらす体制が訪れるという生きた希望に目をとめて離さないようにしなければなりません。使徒パウロは次のように述べています。「わたしたちは,見えるもの[わたしたちを当惑させ倒しかねない患難]ではなく,見えないもの[永遠の命の希望]に目をとめます。見えるものは一時的ですが,見えないものは永遠だからです」。そうです,今日の希望のない体制から来る重圧はついにはなくなるのです。間近に迫っている新秩序の祝福は無限です。その希望に焦点を合わせ,それを常にはっきりさせておきましょう。そうすれば『あきらめることはない』でしょう。(コリント第二 4:8,9,16-18)しかしほかの人たちは,ひとりで子供を育てている配偶者のいない人を何をして助けることができるでしょうか。そのことは次の記事の中で取り上げられています。

  • あなたは,やもめや父なし子を「その患難のときに」助けることができますか
    ものみの塔 1980 | 12月15日
    • あなたは,やもめや父なし子を「その患難のときに」助けることができますか

      1,2 (イ)難儀している人を「黙ってながめること」と「世話すること」との間にはどんな違いがありますか。(ロ)ヤコブ 1章27節によると,真の崇拝にはどんな責任が伴いますか。

      難儀している人を黙ってながめることと世話することとの間には大きな違いがあります。真の崇拝は,人を無関心な傍観者から仲間の信者を気遣って世話する人へと変化させるはずです。なぜなら,『わたしたちの神また父から見て清く,汚れのない崇拝の方式は,孤児ややもめをその患難のときに世話すること,また自分を世から汚点のない状態に保つこと』だからです。―ヤコブ 1:27。

      2 ヤコブ 1章27節で「世話する」と訳されている元のギリシャ語は,『面倒を見る,必要物を与える』と定義されます。それには,必要な助けを与えるためにだれかを訪問するという意味合いがあります。そうした助けは深く感謝されます。

      子供たちは価値ある助けを差し伸べることができる

      3,4 (イ)テモテ第一 5章4節によれば,やもめを助けることにだれが関心を持つべきですか。(ロ)片親しかいない子供たちは,どんな面で助けを与えられますか。このような子供たちが与えることができる最も優れた援助とは何ですか。

      3 使徒パウロは,やもめたちを助けることに関心を持つべきであることを次のように言い表わしています。「やもめに子どもや孫がいるなら,彼らにまず,自分の家族の中で敬神の専念を実践すべきこと,そして親や祖父母に当然の報礼をしてゆくべきことを学ばせなさい。これは神のみまえで受け入れられることなのです」。(テモテ第一 5:4)この陳述は成人した子供たちを対象にしたものであるとはいえ,年若い人でさえ,自分たちに多くのことをしてくれた親たちに「当然の報礼」をして,敬神の専念を示すことを学べます。どのようにでしょうか。若い人の中には経済的な援助を与える人がいます。例えばある若者は,ふいに生じた負債の支払いをするために,自分がパートタイムの仕事で貯えたお金の全額を提供しました。その母親は顔を輝かせて次のように語りました。「14歳の息子が示してくれたこのような物惜しみをしない態度は,私にとって言い尽くせぬほどの励ましです」。

      4 子供たちが金銭の面で貢献できないとしても,より重要なもの,つまり感謝や従順を示すことはできます。(箴 23:22。エフェソス 6:1-3)配偶者のいない親の多くは,「子供を育てることに私は成功しているのだろうか」という疑問を抱きます。では自分の小さな子供が,次のような文面のカードを書いた時の,ある父親の喜びを想像してみてください。「お父さんが大好きです。がんばっておられますね」。では,もしあなたが片親しかいない子供であるなら,自分に対して親が払ってくれている犠牲にどれほど感謝しているか,最近親に話したことがありますか。あなたはすぐに従いますか。すぐに従うということは,分かるでしょうか,文句を言わずにお皿を洗うこと,ごみを外へ持って行くこと,宿題をすること,時間どおりに家に帰って来ること,掃除をすること,そしてとりわけ定期的に聖書の勉強をするということなのです。このように進んで従うということは,親に与える最も優れた援助なのです。

      会衆はどのように助けを与えることができるか

      5 (イ)「思いやり」を示すことにはどんな意味がありますか。なぜこれは非常に重要ですか。(ロ)わたしたちの会衆は配偶者のいない親に対するこうした「思いやり」をどんな面で示すことができましたか。

      5 1歳5か月の双子を含む6人の子供を一人で育てているある女性は次のように語りました。「とても大変で疲れてしまう時もあります。でも時々[会衆内の]兄弟姉妹たちが『ジョーン,よくなさっていますね。その働きは必ず報われますよ』と言ってくれます。他の人たちが自分のことを考えてくれており,世話してくださることを知るだけでも大変助けになります」。これはすべての人にできる援助の方法を物語るものです。使徒ペテロは次のように勧めています。「あなたがたはみな同じ思いを持ち,思いやりを示し合い,兄弟の愛情を実践し,優しい同情心に富み……なさい」。(ペテロ第一 3:8)人の身になって考えましょう。親切な言葉,心の底から出たほほえみは非常に大きな価値があります。批判的であるよりも優しい心を抱いてください。

      6 ヨハネ第一 3章17節に描かれているような行動をする人は,まさしく神の前に責めを負うべきです。なぜですか。

      6 真の愛には親切な言葉以上のものが伴っています。使徒ヨハネは,愛を行ないによって活動させるようクリスチャンを励ましたすぐ前のところで,次のように書きました。「しかし,だれであろうと,生活を支えるこの世の資力があるのに,自分の兄弟が窮乏しているのを見,しかもその兄弟に向かって優しい同情の戸を閉じるなら,その者にはどんな意味で神の愛が残っているでしょうか」。(ヨハネ第一 3:17)『見る』という言葉の原語は単なる無関心な一べつではなく,まじまじと見つめることを意味しています。

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