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若い人たちは知りたがっている目ざめよ! 1977 | 1月22日
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業に対して全く整えられた者となるためです」― テモテ第二 3:15-17。
わたしたちの時代に,この種の教育と訓練を子供に施すことのできる親たちがいるでしょうか。わたしたちのための導きとして神の霊感により書かれた聖なる書物を,「幼い時から」知っている子供たちがいるでしょうか。確かにいます。事実,200以上の国々の,あらゆる国籍の人々の中に,そのような人々が200万人以上います。彼らは,神のことをおとなと子供に定期的に教えまた彼らを訓練する取り決めにあずかっています。この教育は,世界のあらゆるところにいるエホバの証人の生活の重要な部分を成しています。
今日,神を恐れる親から訓練を受けてきた若い人々は,自分が何を信じているかよく知っています。神について,またクリスチャンの生き方についての正しい見方はどういうものか,自分の聖書から自分自身に証明することができます。彼らは現在,しっかりした生活の基盤を持っており,将来の生活に対してはすばらしい希望を抱いています。
ある小学生は,生活の重要な事柄に関する真理を知っている,と言いました。それは,その少女の言葉を借りると,「わたしが赤ちゃんの時から,お母さんが聖書を読んでくれた」からでした。つまり聖書や聖書の手引きを直接に教えられたのです。『幼い時から聖書に親しみ』,その知識によって,生きるための正しい備えをしたテモテにその少女は似ていました。
別の子供は,学校の友達に,死んだ人はどこにいるか,地獄とは何か,将来どんなことがあるか,などについて話すことができました。そういういろいろなことをどのようにして知ったのか,と別の子供に尋ねられたとき,その子は,両親が何年もかけて聖書から教えてくれたのだ,と説明しました。その両親は,聖書の教理と,聖書が教えている,生活に関する実際的で有益な原則とを説明したポケット版の本も用いました。
また,小さな子供たちのために特別に書かれた,「偉大な教え手に聞き従う」という,ポケット版の良い本からも,多くのことを学んだ,とその少女は言いました。子供たちはこの本から,神に関する知識と,日常生活に関係のある,実際に即した教訓を得ます。
受けた教育に感謝する
子供たちは大きくなるにつれ,過去を振り返ってみて,自分が正しく教育されたことを本当に感謝します。それによって自分の思いが本当に真っすぐにされ,自分の生活が正しく整えられたために,若者が陥りがちな多くの落し穴を避けることができたのだ,ということに気付きます。
ある若い人は,高校を卒業した時,両親に次のような手紙を書きました。「私がお父さんとお母さんをどれほど深く愛し,またお二人が私にしてくださったことにどれほど深く感謝しているかを知っていただきたいと思ってペンを取りました。私がここまで来られたのは,お二人の助けがあったからこそでした。必要な時にはいつでも親切に,愛情を込めて,本当に良い助言と励ましを与えてくださいました」。
この卒業生はさらにこうつけ加えました。「このほかにもお父さんとお母さんは,私が永久に感謝してやまないにちがいない,あるものをくださいました。エホバ神と,エホバ神が定められた聖書的原則を教えることによって,お二人は私に人生の目的を与えてくださいました。そのために私は非常に幸福です。またお二人は将来に対するすばらしい希望を与えてくださいましたし,エホバとそのお約束に頼ることも教えてくださいました。これから私は一層よく神に奉仕するよう努力します。人生における最も貴重なものを与えてくださったのですから,私はお二人が幸福でいてくださることを望んでいます。お父さん,お母さん,本当にありがとうございました。私がどれほど深く感謝しているかは,どれほど多くの言葉を用いても十分に言い表わすことはできませんが,それは分かっていただけると思います」。
この若い人の両親の,多年にわたる誠実で愛のこもった努力は,なんと立派に報われたのでしょう。神の律法と原則と目的を学び,そして自分の子供を教える備えをした親たちの子供は一般にこのような感謝の念を抱いています。しかもこれは,親が完全でなければ,あるいは知識人でなければ,またはまれな才能の持ち主でなければならないというのではありません。自分の子供を教えることに心から関心を持っている親なら,だれでも学んで行なえることです。
この方法が効果的で,実際的で,良い結果をもたらすことを,あなたはご自分の目で見ることができます。一番近くにあるエホバの証人の王国会館に行くか,またはエホバの証人の大会に出席してみてください。出席者の中に若い人たちが非常に多いという印象を受けられるに違いありません。もちろん,その子供たちは完全ではありません。しかし彼らは,命とは一体何なのか,自分たちの将来には何があるのかを知りたがっています。そして今それを学びつつあります。彼らが生来持っている,そうした事柄に対する興味は満たされつつあります。
もちろん,全部の子供が良い反応を示すというわけではありません。が,大多数はそうします。もしあなたが親であるなら,努力が報いられたときの親の喜びがどんなものか想像できるでしょう。それは神の言葉が述べているようなものです。「義なる者の父は必ず喜びに満たされ,賢い者の父となる者も彼を歓ぶ。あなたの父と母は歓び,あなたを産んだ母は喜びに満たされる」― 箴 23:24,25,新。
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外見で判断してはいけない目ざめよ! 1977 | 1月22日
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外見で判断してはいけない
■ 外見で人の心を判断してはいけない,と聖書は助言しています。たとえぼろぼろの服を着て真のクリスチャンの集会場所に来たとしても,愛と思いやりを示さねばなりません。―ヤコブ 2:1-4。
アフリカの国マリに住むある青年の身に起きたことは,この態度が人に良い影響を及ぼすことを示す一つの例です。あるエホバの証人はこの青年と聖書の勉強をしていました。そして王国会館の集会に出席するように繰り返し招待していました。その青年は,来ることを約束はしても,実際には来ませんでした。しかし最後に,また招待されないうちにと思って,集会に行きました。
彼はまことに汚い服を着てやってきました。つんつるてんのうえに破れてぼろぼろでした。おまけに,糸で編んだ,先端に毛糸の玉のついたひざまで届く長い帽子をかぶっていました。彼は目的があってそういういでたちで現われました。そんなかっこうをしていればエホバの証人は自分を王国会館の中に入れはしないだろうと考えたのです。ところが彼は,温かい歓迎を受けてすっかり驚いてしまいました。
その時の感想を彼はこのように語りました。「あれほど恥ずかしい思いをしたのは生まれて初めてでした。追い返してもらうつもりで王国会館へ行ったのに,エホバの証人の一人のように歓迎されたんですからね! あーあ,ちゃんとした服を着てくればよかった,とぼくは本当に思いましたよ。みんなきちんとした服装をしていましたからね」。出席者の中に友達が一人いたことも,彼を一層まごつかせました。集会が終わるとその友達は早速彼のところへやって来て,「そんな汚い服を着て王国会館に来るなんて,恥ずかしくないのかい? 君がそんなことをするなんて全く意外だね」と言いました。その時以来この青年は自分個人の聖書研究と集会への出席を真剣に考えるようになり,今では,聖書の真理を他の人々に熱心に伝えています。
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