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  • 門戸を開きはじめた中国
    目ざめよ! 1974 | 9月22日
    • 共同体に与えられてきました。その地域共同体は実際には政府を意味しているのです。地域共同体は,農業労働者の数千世帯から成る農業団体です。しかし,そうした地域共同体の中では,自分の余暇を利用して幾らかの野菜を栽培する場所として農家に与えられている,ほんの少しの土地を除いて土地の個人所有はいっさい認められてはいません。しかも,そのわずかの土地さえも,地域共同体の当局者の厳重な規制を受けているのです。

      このようなわけで,共産主義支配のもとでもたらされてきた変化は,自発的に求められたものではありません。それは人々が欲すると否とにはかかわりなく,人々に負わされた変化なのです。ですから,個人の意志は重要なものとはみなされませんでした。

      神を崇拝する自由

      たいていの土地では,自己の良心にしたがって神を崇拝する自由は,基本的な権利として認められています。しかし,今日の中国では,その自由は厳しく制限されています。確かにほとんどの宗教団体は事実上抹殺されてしまいました。

      多くの中国人がキリスト教世界の諸宗教や仏教あるいは儒教に対して敵意を抱いていることは,確かに理解できます。それら諸宗教はすべて政治に干渉し,昔の中国の被った政治的圧制に関与しました。確かにそれら諸宗教の僧職者は,中国人を憤慨させた偽善や政治的干渉の点で重大な罪を負っています。

      それにしても,神ご自身もまた,それら宗教団体とその偽善に敵意を抱いておられるのです! そして,確かに神はそれら宗教家の罪に関しては責任を負ってはいません。というのは,彼らは神のみ言葉,つまり聖書に記されているとおり,はっきりと示されている神の律法や原則に反する行為をしてきたからです。この点で,神は彼らの責任を正されるでしょう。―マタイ 7:21-23。啓示 17:16,17。

      とはいえ,真の崇拝,人々に益する崇拝もあります。国籍を問わずすべての人々はそのような真の崇拝を必要としています。それは人々の心に訴えるもので,人々がより良い生活,平和な生活を営めるような真の変化をもたらします。それはどうすれば良い働き手になれるか,どうすれば強制されてではなく進んで権威に従えるかを人々に示します。それは政治に干渉したり,他の人々の益に反することを行なったりしてはならないこと,かえって正直で,廉潔であるべきことを人々に教えます。

      その上,真の崇拝は,より良い世界,つまり貧困や飢えばかりか,病気や悲しみや死の除かれる世界が到来するというすばらしい希望に人々を注目させます。それは人々にとって永遠の命を意味します。人間の立てた政府は一つとしてこうした事柄を約束できるものではありません。しかし,神はご自分の天の王国の管理する,ほかならぬこの地上にそのような新秩序をもたらすことを保証しておられます。その天の王国は,周期的に行なわれる政治上の抗争で分裂させられることはありません。―啓示 21:4。マタイ 6:10。

      エホバの証人は神のこの王国に人々の注意を向けさせているのです。エホバの証人の音信はこうした明るい希望を中心としたものであって,かつて中国人に多大の苦悩をもたらした諸宗教の教えとはまるで異なったものです。エホバの証人の活動は広く知られており,他の多くの土地では尊ばれています。そうした土地では,証人たちは,神について,また人類に対する神の遠大な目的について学びたいと願う人々を無償で,また喜んで援助しています。

      ところが,エホバのクリスチャン証人は中国では自由に神を崇拝することが禁じられているのです。実際,証人たちは激しく迫害され,その多くは何年にもわたって投獄されているのです。そして,聖書はもとより,崇拝を表現する他の方法,たとえば聖書研究を行なうために他の人々と一緒に集まるというようなことも禁じられてきました。

      しかし,神はまもなく義の新秩序を招来されます。神はあらゆる場所で人々に多大の苦悩をもたらしてきた体制を滅ぼして,つまり現在この地を支配している邪悪な事物の全体制を滅ぼすことによって,新秩序を招来されます。この輝かしい希望こそ,あらゆる場所の誠実な人々が学ぶ必要のある事柄なのです。中国の人々もやはりそれを学ぶ必要があります。

      最近,中国は社会,経済そして政治上の事柄においてさえその門戸を諸外国に開いてきましたが,真の崇拝の導入を許すほどにその門戸を広く開放するでしょうか。神の義の新秩序で永遠の命を享受するという驚くべき希望にあずかることを中国の人々に許すほどに広く門戸が開かれるでしょうか。私たちはそうなることを祈っていますが,どうなるかは,世界じゅうの人々にとって今後なお待った上でなければわかりません。

  • 衰えゆくイエズス会
    目ざめよ! 1974 | 9月22日
    • 衰えゆくイエズス会

      イエズス会のことがニュースに載るのは特に目新しいことではありません。イエズス会は永年の間,『第一軍団』とか『教会の先兵』とか呼ばれてきました。しかし,ローマ・カトリック教会の幾つもの修道会の中で特に強力で,多くの部外者からも非常な関心を集めてきたイエズス会は,今や異なった見出しのもとでニュースとなりつつあります。

      今日では,イエズス会士の中にさえ,同修道会が消滅するのではないかとの懸念を表明する人が少なからずいます。いったい何が原因でそのように感じるのでしょうか。

      その一つは,イエズス会士の数が減っているからです。1966年には,全世界で3万5,000人を超すイエズス会の助修士,修学修士,司祭がいましたが,現在では3万1,000人ほどにすぎません。その会をやめた人の中には,イエズス会の高位者もいます。しかもあらゆる徴候からすると,会士の数は今後も急速に減少していくものと思われます。事実,米国イエズス会は,神学生の不足から,五つある同会の神学校を最近になって三つに減らしました。

      イエズス会の歴史を振り返る

      イエズス会は1540年にイグナチウス・ロヨラによって創立されました。創立当初から,同会は数々の修道会の中でも特異な存在でした。それ以前の修道会ではおおむね,祈りとめい想を中心にした修道院生活に重きが置かれていました。しかし,イグナチウスの会はきわめて行動的なものとなるはずでした。こうして同会は,教皇が考えるどんな特別な業をも行なうべく教皇に対して特別にささげられた最初の修道会となりました。ですからイエズス会士は,清貧と貞潔を誓うだけでなく,教皇に対する従順を特に強く誓います。イグナチウスは,外国での務めを行なうにあたり,ほかにも必要な点があることを知っていました。それは融通を働かせることでした。

      イエズス会士は世界じゅうに出かけて行き,どんな仕事でも行なうことになっていました。彼らは,自分たちの仕事が『司祭の務め』だけに限られてはいないと考えていました。そして種々の状況に適応するため,他の修道会の修道士が着る特徴のある服をめったに着なくなりました。時たつうちに,イエズス会士の姿は,商業,芸術,社会事業など数多くの職種に見られるようになりました。しかし彼らは,特に二つの分野で広く知られました。

      アジア,アフリカ,および南北アメリカにおけるイエズス会士の宣教活動は,ほとんど伝説化されるまでになっています。別の点は,彼らが知識

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