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    ものみの塔 1970 | 11月1日
    • 閉鎖されるフランスの数多くの教会堂

      ことしのはじめ,フランス人は,テレビや新聞を通じて,フランスの何千という教会とチャペル(大半がカトリック系)がその門をとざし,空家のまま荒廃しつつあるか,またはさまざまのおどろくべき目的のために使われているということを知って,自分の目と耳を疑いました。

      しかし彼らはそれが事実であることを認めざるをえませんでした。というのは,この驚嘆すべきニュースは,ほかならぬフランスの文化相エドモン・ミッシェル氏という,最も権威ある筋から出ていたからです。同氏の発表を報道したパリの日曜新聞,ル・ジュルナル・デュ・ディマンシュは,「遺棄された1万8,000の教会」という見出しでつぎのように述べています。

      「フランスでは1万8,000にのぼる教会,チャペル,祈とう堂などが放棄されたか,または放棄されつつある。ミッシェル氏はこの恐るべき数字を,『記者会見』というテレビ番組で明らかにした。

      「これはフランスにある崇拝の場所の半数以上が,早晩荒廃し略奪される運命にあることを意味する。教会のこの深刻な苦悩は宗教戦争[1562-1598年]以来のものである。もしかするとその時以上かもしれない。教会が閉鎖されたとか,神を冒とくする事柄のために使用される場所に改装されたとか,…あるいは荒れほうだいになっているとか,はては略奪されているとか,そういったことを耳にせずに1週間がすぎることはなくなった。この事態はますますひん繁になってきている。

      「人口の少ない村にある,見捨てられた教会は,通行人や教会を専門に荒し回るギャングなどに略奪されている。バスザルプス県の小村クリニョン・オーでは,子供たちが,祭服室に置き去りにされた,刺しゅうの施された,18世紀の豪華な大外衣を着飾って遊んでいた」。―1970年1月18日。

      教会の建物に対するこのような蛮行を嘆いて,フランスの一地方ニュース雑誌は,「売りに出された1万8,000の教会」という見出しをかかげ,つぎのように述べました。

      「なんと多くの小村のチャペルが荒らされたことだろう! 人々は,聖具,像,燭台などを持ち去りはじめた。つぎにはステンドガラスやフレスコ画をはずしはじめ,ついには彫刻の施された石細工,扉,座席まではずしていった。だれがこの事態を憂慮し,だれが抗議しているのだろうか。まったく不思議なことに,このことを一番気にかけているのは[牧師ではなく]平信徒である」― 1969年5月10日のヘブド-サン-エティエンス。

      このようにフランスで閉鎖された教会の大多数はローマ・カトリックですが,報道によると,プロテスタント改革派教会やユダヤ教の会堂にまで,その所期の目的を放棄したものや,世俗的な目的のために使用されているものがかなりあります。スコットランド教会は,リビエラ地方のマントン市にあった教会を閉鎖しなければなりませんでしたし,英国教会は,地中海岸に近いイエール市の教会や,ジュネーブ湖に臨むエビアン市の教会を放棄しました。

      神学校・男子修道院・女子修道院

      フランス全土にわたり,多数の教会やチャペルが放棄されているのに加えて,他の教会に関係した建物も多数その門をとざし,あるいは売却に付されてほかの目的のために使われています。

      ブルターニュのようなカトリックの本拠においてさえ,カンペールにある神学校,つまり未来の司祭を養成する大学を閉鎖せねばなりませんでした。ノルマンジーでは,バイユー市,クータンス市およびセー市の三つの大きな神学校が閉鎖されています。これらの神学校は,1970年10月カーン市の養成大学一校にまとめられます。バイユー市の大きな神学校は,1675年以来,未来の司祭たちの養成にあたってきました。またセー市の神学校は1653年に創立されたものです。

      北部フランスではカンベレーとアラスの神学校が閉鎖されたので,1970年10月以降これら二つの司教管区の僧職志望者はリールまで行かねばならないことになります。西部および北部フランスのこれらの例は,フランス全土に生じつつあることの典型的なものです。一地方新聞は「[神学校を]編制し直していない地方は,北部と西部だけである」と伝えています。―1970年3月14日付,ラ・ボア・デュ・ノール

      さらに多数の男子修道院,女子修道院,僧院などが門をとざしつつあります。南部フランスのスナンク僧院のように,これらの修道院のなかには,800年かそれ以上の歴史をもつものがあります。

      奇妙な新用途に付される教会関係の建物

      驚くべきは,俗用化したのち,これら宗教関係の建物が何に使われているかです。ノルマンジーのリジュー市にある,名高い霊地であった15世紀の「聖ジャック」教会は,いまではフラワーショウやコンサートに使われています。リビエラ地方から数キロ内陸にはいったサンポールドバンにあるレストラン・ヘンリーに食事に立ち寄る観光客は,自分が“ルルドの聖母”礼拝堂で,ぶどう酒を飲み,食事をしていることを知って驚くでしょう。ここからさほど遠くないラ・コール・スール・ルーの“シェ・ジョゼフ”というレストランは,11世紀に建てられた僧院の中にあります。

      ボルドー市に近いガジネの,あるカトリック礼拝堂は,土地の司祭が組織した,柔道の道場に変わりました。かなり多くの教会が,映画館と博物館に変えられ,他は車庫とか,牛舎,バター市場,公衆シャワー浴場,酒倉,ぶどう酒試飲室,劇場のけいこ場など,ちょっと想像もしないようなものに変身しています。神学校や教会の学校は公立学校として用いられ,郵便局になっているものさえあります。プロテスタントの教会は,車庫,錠前屋,そしてよりにもよってたばこ乾燥場に変えられています。東部フランスのユダヤ教の一会堂は競売場に使われ,もうひとつは農具の倉庫になっています。

      左翼系のあるニュース雑誌の社説記者は,この状態をつぎのように評しています。「サンリー〔パリの数マイル北にある町〕にある五つの教会のうち,ひとつはいま市場に使われており,別のひとつは車庫,三つ目は映画館,そして四つ目はダンスホールに使われている。宗教が現代化されねばならぬことはわかるが,…教会だった建物を,週ごとのダンスや,野菜の販売に使うことは,最善の使い方とは思われない」― 1970年3月1日付,ル・ヌーベル・オブセルバチュール。

      興味深いことに,サンリーから数キロのところにある以前のカトリックの礼拝堂は,よいことに使われています。その礼拝堂は,自発的に働くクリスチャンたちによって清掃され,現代化されて,いまではエホバの証人のクレーユ会衆の御国会館になっています。

  • なぜ諸教会は閉鎖されてゆくか
    ものみの塔 1970 | 11月1日
    • なぜ諸教会は閉鎖されてゆくか

      前の記事で取り上げた事態は,あなたがすでに気づいておられたことかもしれません。しかし,フランスでなぜこんなにも多くの教会と教会の施設が閉鎖されているのか,その理由について,記事は触れていませんでした。

      なぜ神学校は閉鎖されているか

      教会の権威筋は,こうした閉鎖の動きが再編制の必要を反映するものであると言って,釈明に努めます。ノルマンジーの,長い歴史をもつ三つの神学校の閉鎖を正当化しようとして,バイューとリジューのローマ・カトリックの司教は,「聖職を天職と考える青年たちを歓迎しやすくする方式を考えた」と語りました。―1970年2月27日付,ウエスト・ファラーンス。

      しかし,どこまで想像をたくましくすれば,二つの司教管区から司教養成校を取り除くことが,同管区内の司祭志望の青年たちに都合がよくなると言えるでしょうか。今では彼らは第3の司教管区へ行かねばなりません。しかもその管区の広々とした神学校も閉鎖されて別の町に移されています。そこでは,3管区のための神学校1校が,他のカトリックの施設と同居しなければならないでしょう。僧職志望者が少ないために,多数の神学校が廃校になっていると言うほうが,現実に即してはいないでしょうか。

      地方日刊紙ラ・ボア・デュ・ノールは,フランスの神学校再編制にかんする論評で,これは「おもに志望者の減少で」必要になった処置であることを認めています。ブルターニュの一教区雑誌は,土地の司教のことばを引用してつぎのように述べています。「目下,司教が非常に憂慮している事態は,司祭志望者と聖職志望者の数の減少であり,将来,これはさらに深刻さを増す問題の一つとなることである。これは一般に見られる傾向で,フランスだけに限られたものではない。われわれのすべての施設,そして黙想生活,教育,病院,外国宣教など,われわれのすべての使命が影響を受けている」。同誌は,カンペル神学校にかんするつぎのような数字を掲げ,これを例として司教のことばを説明しています。

      年 神学生

      1961 150

      1964 103

      1968 67

      同記事の見出しが,「閉鎖に向かうカンペル神学校」とあるのも不思議はないわけです。―1969年6-7月号カンペール誌

      フランスで最も広く読まれているニュース雑誌のひとつは,事態の重大さを示して,このほどつぎのように報じました。

      「〔フランスのカトリック教会〕は,1961年以来毎年,ボルドー,ニュース,クレルモンフェランなどの標準的司教管区で必要な司祭の合計数を獲得できないでいる。それは死亡〔1年に約900人〕や離職による減少があまりにも大きくて補充できないからである。……

      「フランス人牧師は4万人を越え,世界でも最も数の多い部にはいるが,年を取っている。……1975年には,その3分の1が60歳を越える。……

      「リヨンの大司教アレクザーンドル・ルナール枢機卿は,今月のはじめ,彼の顧問たちにあてた秘密報告の中で,この危機の重大さを示した。昨年の10月,[フランスの]神学校に入学した青年はわずか475名であった。これは一昨年にくらべ,41パーセントの減少である。学生が少ないため,現在地方に残っている神学校はほとんどない。イシイ-レ-ムリノーにある,大きな灰色の兵舎に似た神学校には,パリ地方の神学生が全部集められている。……

      「この調子でいくと,聖職者というものは,100年もたたぬうちにいなくなってしまうだろう」― 1970年1月5-11日号レックスプレス誌。

      なぜ教会は閉鎖されるか

      フランスで多数の教会が閉鎖されているのは,人口が,地方の小さな教区から町や工場都市へ移動した当然の結果で,そのかわりに都市や町には過去25年間に,1,000以上の教会が建てられた,と教会は弁明します。それは,いなかの小さな礼拝堂が閉鎖された理由になるかもしれませんが,住民が1万人を越えるサンリーのような町で,五つの教会のうち四つが閉鎖された理由の説明にならないことはたしかです。真の理由は別のところにあるはずです。

      その理由のひとつは,明らかに僧職者の不足です。フランスには,常住司祭のいない教区が少なくとも1万8,000あります。多数の司祭は幾つかの教区を掛け持ちで世話をしなければなりません。そして多くの教区の教会が,月に一度開かれればよいほうで,それより少ないところもあります。葬式やほかの特別の儀式があるときだけ,開かれるところもあります。司祭の不足がますます深刻になっている現在ですから,司祭が結婚するとか他の理由でやめれば,その司祭が受け持っていた教区は,「おって通知があるまで閉鎖します」という札を教会のとびらに打ちつけるほかはありません。そしてほとんどの場合,「おって通知」はこないのです。

      しかし,多くの教会が閉鎖されつつある最も重大な理由は,おそらく伝統的な宗教に対する関心がしだいに薄れていっていることでしょう。絶対に誤りのないキリストの教会に属している,と長年考えてきたカトリック教徒は,司祭から言われて神聖視してきた物が,今ではその同じ司祭たちによって,重要でない物,かえって有害な物と言われていることを発見しました。こうした変化が多くのカトリック教徒におよぼしつつある影響について,レックスプレス誌はつぎのように伝えています。

      「長年,クリスチャンの守るべきものとして定められていた儀式が,今では時代遅れとみなされている。[カトリック]教会は,変化の概念を紹介することによって相対性の概念をも紹介した。きのう定められた規定が,きょうもはや有効でない以上,きょう定めらた規定が,あす有効であることを証明するものはなにもない」― 1968年10月14日-20日号レックスプレス誌。

      国家間の戦争や国内紛争において,伝統的宗教の演ずる役割が一般に嫌悪されていることも,人々が教会をうとんじるひとつの理由です。世界教会会議の事務総長ユージン・ブレイクはこの点を認め,スイスのジュネーブで最近つぎのように語りました。

      「宗教は必ずしも平和に寄与するものではない。われわれは,資本主義,植民政策,白人の人種的偏見,古い封建的または部族的な習慣などと結びついた。現代の宗教的狂信の恐るべき結果を目撃してきた。率直に言うと,インドとパキスタンの関係は,宗教的要素によって改善されるどころか悪化している。また北アイルランドで宗教が演じている役割も,カトリック教徒と新教徒に慰めをもたらすものではない」― 1970年4月2日付,ル・モンド紙。

      東洋の宗教も,キリスト教世界の諸教会も,人々の宗教的な望みをかなえず,かえって不穏と戦争に寄与したとなれば,彼らがまいたものを刈り取るのは,わからない話ではありません。多くの教会が閉鎖されていることは,彼らの日が数えられたことのしるしです。

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