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    ものみの塔 1960 | 12月15日
    • 人がいます。新教徒は,全世界に2億2500万人おり,正統派は2億人を持っています。このような大きな数は,神の祝福を表わし示しますか。多数の自称クリスチャンたちは,肯定の答をします。彼らは会員の増加をクリスチャンの実のしるしと指摘します。

      最近20年間に目ざましい増加を示したもののひとつは,アメリカ合衆国内における自称キリスト教の進歩でした。リーダーズ・ダイジェストは,次のように報告しています,「1955年の初期においては,教会の会員数は1929年の5000万人から9500万人以上に急増していた。これは,90パーセントの増加である。一方,人口の増加はわずか31.4パーセントだけだ。同じ期間中に5万8000もの崇拝の場所が建てられ,その合計数は29万5000の教会と会堂になった」。南部のバプテスト教会の会員数は,1940年の510万から1958年の920万6758に増加し,メソジスト派は740万から969万1916にふえ,監督派は220万から327万4678に増加しました。1958年アメリカ合衆国内の教会と会堂に所属する人の数は,1億418万9678人と推定されました。それは1億7050万人の推定人口の61パーセントにあたります。各100人のアメリカ人のうち,いま62人はなんらかの教会と結びつきがあると主張します。1世紀前では,各100人につき20人だけが教会と結びつきを持っていました。1958年,53の新教徒の群れと,東方正統派が受け取った受領金額の統計は,20億ドルに達しました。それは,会員の増加よりも3倍以上の増加です。

      アメリカ合衆国のローマ・カトリック信徒は,1949年以来47.8パーセントの増加がなされたと報じています。1959年のローマ・カトリック信徒の合計数は,3950万5475人と発表されました。それは1958年中に,348万1498人も増加したことを示します。ローマ・カトリック教会は,その受領金額を公表しません。

      会員数と,公表された受領額は,急激な増加を示しています。教会の建築は,かつてないほど盛んに行なわれています。今日の崇拝の家々には,安楽な坐席,科学的な照明,派手な色の装飾,音量調節機が備えられており,多くの場所には冷房装置がついています。しかし,このすべてのこと ― 数,金,および慰安 ― は,キリスト教を代表するものですか。かならずしもそうではありません。アメリカキリスト教会国家会議の副議長ロズウエル・ビー・バーンズ博士は,アメリカの宗教は繁栄しているが,犯罪の数は新最高数に達した,と述べていました。彼は次のように言っています。「この困った事実は,道徳の規律が低い状態にあること,不穏と緊張を表わす。富と慰安は,我々の国を正しいもの,幸福なものにしなかった」。

      ガラテヤ書 5章22,23節に述べられている神の御霊の実は,キリスト教国内で示されていません。人々は教会に行きますが,クリスチャン原則は公共の生活内で実施されていません。離婚の率は,最高であり,大人と青少年の犯罪は最悪であり,不道徳はひろまり,忠実と美徳は愚弄されています。平和は大声で叫ばれていますが,平和を行なっている人はほとんどいません。一致と「爆弾癈止」が叫ばれていますが,それは愛の原則を重んずるためでなく,恐れのために発せられているのです。

      宗教の会員の数は大きいものです。しかし,数だけでは十分でありません。正義,善,愛,信仰そして忠実 ― これらのものこそ真実に大切なものです。

  • 眠りぐすり
    ものみの塔 1960 | 12月15日
    • 眠りぐすり

      ラントの新しい司祭ニルス・ボランダーは,自分の管区内にいる牧師たちに手紙を送り,なぜ少数の人しか教会に来ないのか,その理由をたずねていました。そして,彼自身も次のように答えています。「最大の理由は,我々牧師がうすぐらい天蓋の下に立つて,詩のような美しい言葉を言うのでもなく,また理性のある言葉を言わないからであろう」。彼はさらに説教についてこう述べています。「教会は眠気を催すところだ,と言われている。それは当らずと言えども遠くはない。ときどき,我々の説教は眠りぐすりの役割を果たす」。―1959年1月23日,ストックホルム・スベンスカ・ダグブラデット。

  • いなごの雲
    ものみの塔 1960 | 12月15日
    • いなごの雲

      チャールス・エム・ダフティは,『アラビア砂漠の旅』という本の中で,いなごの侵入について次のように描写しています,『2番目に孵化したいなごの雲は……太陽光線中の微塵のように渦を巻きながら,ゆらぎながら,幾日もの間我々の上を飛んだ。地表から高い大気層にいたるまで,まつたく雨のように密集していた。いなごは鳥のようにとまり,その長い脛を地におろす。いなごは小屋のなかに侵入して,コーヒーを飲んでいると,我々の向脛さえかじつた。いなごは風の向きに従つて自由に飛んで行く。詩篇の中で「われはいなごのごとくほんろうされる」と書いてある通りである。……子供たちはいなごを集めて,小枝の上で串焼きにし,遊牧民は石炭の上で焼く。焦げた四肢を抜き取つてから,あたまをもぎとる。残つている昆虫のからだは良い肉だ。しかし,草が乾いたときに孵つたいなごの肉は良い肉ではない』。

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