ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • エホバに仕えるために生命を用いる
    ものみの塔 1964 | 9月1日
    • 仕えることはますます必要です。「世と世の欲とは過ぎ去る。しかし,神の御旨を行う者は,永遠にながらえる」。ゆえに今こそエホバに仕えるために生命を用いる時です。―ヨハネ第一 2:17。

      22 エホバに仕えるために生命を用いることは,なぜ賢明ですか。

      22 足なえのいけにえを携えてきて,「神につかふることは徒然なり」と言ったイスラエル人にならうべきではありません。「今われわれは高ぶる者を,祝福された者と思う。悪を行う者は栄えるばかりでなく,神を試みても罰せられない」。イスラエル人はこのような態度をとりました。しかし次のことを心に留めて下さい。「その時エホバをおそるる者互に相かたりエホバ耳をかたむけてこれを聴たまへり」いまは「その時」です。またエホバに仕えるために生命を用いるならば,それはどんな結果となりますか。「エホバを畏るる者およびその名を記憶る者のためにエホバの前に記念の書をかきしるせり」と,エホバは約束されています。エホバに覚えられて,新しい正義の組織制度における生命を見出そうとするならば,設立されたエホバの御国の福音を宣明して,いまエホバに仕えるために生命を用いて下さい。―マラキ 3:15,16,文語。

  • 神に仕える正しい動機
    ものみの塔 1964 | 9月1日
    • 神に仕える正しい動機

      1 クリスチャンの奉仕の動機は,この世において職業を選ぶ一般的な理由とどう異なっていますか

      自分の一生の仕事として宣教を選ぶ人は,なぜ宣教者になるのかと,友人から聞かれることでしょう。それは宣教が神のみ心であると確信しているからですか。どんな理由で宣教を選びましたか。人は自分の才能を生かすため,あるいは多額の収入や社会的な地位を得るために弁護士や医者になるかも知れません。また人間形成の機会を求めて教育者になるかも知れません。しかし全く無私の動機で一生の職を選ぶ人はまれです。それでもイエスの初期の弟子たちまた今日の真のクリスチャンについてこの事が言えます。

      2 弟子たちは宣教に対してどんな態度をとりましたか。

      2 イエスは大工の職に才能を生かし,大工として名声を得るかわりに,なぜその職をやめたのですか。ルカはなぜ有利な医師の職をやめて宣教に力をそそいだのですか。使徒たちはなぜ漁業をやめましたか。「侮られて人に捨てられ」た人と交わったのは,自分の利益や社会的地位を求めたからではありません。(イザヤ 53:3)この人々がイエスと共に宣教に従事したのは,イエスが真理を持つことを知ったからです。多くの弟子が難しい教えのためにつまずいたとき,イエスは12使徒にむかって言われました,「『あなたがたも去ろうとするのか』。シモン・ペテロが答えた,『主よ,わたしたちは,だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです』」。真理を知って神に仕えることは永遠の命を得る道であることを,使徒たちは知っていました。それで生き方を全く変えて宣教に従事したのです。―ヨハネ 6:67,68。

      3 ある牧師はなぜその職を辞しましたか。

      3 うわべを飾り,自分の利益を求めたイエス時代の宗教家は,真理を愛するゆえにイエスと交わった使徒たちと著しい対照をなしていました。同じく今日でもキリスト教国の俸給を受けている牧師と,自発的に教えたり伝道したりするエホバの証者とは全く異なっています。(マタイ 23:5-8。ミカ 3:11)1962年11月17日付サタデー・イブニング・ポストにもと牧師だった人が書いた記事は,これを示す例です。「我々は単にこの出来事また我々の教会を見て憂えているのではない。憂えるべきものは聖職一般の現状である。今日,仲間の牧師のことを考えてみると,そのすべてはクリスチャンであるという。しかし我々は会員数,大きな建物,有名人を会員にすることを求めて競争している……ある者は有名な教会に赴任するためのつてを求めて,恥知らずの運動を行なった。我々は神学上の問題,社会の宗教的必要にどう答えるかなどの問題を話し合ったことがない。牧師の会合でもっぱら話題に上るのは建物のこと,俸給のこと,会員獲得の方法である。自分がかつて天職と考えた聖職とは,こんなものではない」。イエス・キリストをまだ信じてはいるものの,リクリエーションの監事役か,それとも日曜日朝の社交会とあまり変らないようなもののために無駄な働きをしたと感じて,この人は牧師をやめました。

      4 イエスは何に関心を持っていましたか。パウロは,奉仕の正しい動機を何と述べていますか。

      4 キリストやキリストと共に奉仕した人々が関心を払ったのは,会員の増加,経済的に豊かな会衆,大きな建物などではありません。イエスは耳ざわりの良い話を聞こうとして集まる群衆よりも,霊と真を以て神を崇拝する人を見出すことを望みました。滅びに至る道は広く,生命に至る真直ぐな道は狭くて,歩くのが難しいことを,イエスは指摘しています。それでもなお,正しくない動機で神に仕える者がいるのを,使徒パウロは認め,「一方では,ねたみや闘争心からキリストを宣べ伝える者がおり」と,述べました。大きな建物,多くの会員を目ざして競争する現代の牧師は,この部類にはいると言えるでしょう。しかしパウロはつづけて「他方では善意からそうする者がいる。後者は……愛の心でキリストを伝え,前者は……純真な心からではなく,党派心からそうしている」と述べています。―ピリピ 1:15-17。

      5 真の崇拝に対する真の関心はどのように示されますか。

      5 エホバは人のささげる奉仕またその人の地位を見るだけでなく,心を見て奉仕の動機をさぐります。ゆえにクリスチャン各人は神に奉仕する自分の動機を考え,それが個人的な理由によるものか,競争心や敵がい心のためか,あるいは愛と善意から出た純真な動機に基づいているかどうかを顧みなければなりません。「奉仕」というものは,形式に堕した崇拝者が望むような安易なものではありません。前述の元牧師の言葉を借りれば,「人々はキリストの考えによらず,自分たちの考えに合わせたキリスト教を好む……キリストの説いた教えになると,人々は話すのはおろか,聞くことさえも好まない」。この人の言うところによれば,日曜学校で教える人々はお粗末な内容で満足し,霊的な進歩を図って会員の家で始められた討論会も10人と出席したことがなく,2ヵ月たたないうちに立ち消えになりました。これではイエスの教えたキリスト教とは大変な相違です。「心をつくし,精神をつくし,思いをつくして,主なるあなたの神〔エホバ〕を愛しなさい」と,イエスは教えました。真の崇拝を実践する道は奉仕にあることを,イエスは自ら示しました。―マタイ 22:37。

      喜んでエホバに仕える

      6 今日多くのクリスチャンはどんな態度を示しますか。

      6 むかし詩篇に預言された通り,今日心からエホバに奉仕する人々がいます。「汝のいきほひの日に,なんぢの民は心よりよろこびて己をささげん」。(詩 110:3,文語)この人々は熱心に神のことばを学びます。そして聖書について喜んで語り,心から喜んでエホバに仕えます。それでエホバに献身し,公のバプテスマによってそのことを象徴します。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする