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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1974
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今でも喜ばれる正直さ

● アフリカの国ザンビアは,毎年,六日間にわたる見本市を開きます。過去四年間,見本市の門には,エホバの証人が配置されました。なぜでしょうか。

「タイムズ・オブ・ザンビア」紙の記事によると,見本市の管理者たちは以前ある別の団体を用いていましたが,それらの団体は「正直ということに対して皆目無関心」でした。入場料不足額が400から500“クワチャ”(約18万円から23万円)にのぼるのはいつものことでした。証人たちの正直さを示すために同記事は,今年の六日間の入場料不足額は「驚くべきことに40n[約186円]であった」と述べています。

コンピューターはどれほど“利口”か

● 現代のコンピューターは,驚くべき速さで数学の問題を処理します。そして膨大な量の情報をその“記憶銀行”の中に蓄えます。20年ほど前,科学者たちは,コンピューターの管理するオートメーションは生産性を増大させて幾百万という労働者に取って代わり,人類社会に革命をもたらすであろうと予言しました。また他の人々は,人間よりもよく“考え”る,政府部内の人間にさえ取って代わる将来のコンピューター像を描きました。実際にはどうなりましたか。

1974年8月の「アトランティック」誌の中で,科学記者フレッド・ハプグッドは,20万台近くのコンピューターが導入されたにもかかわらず,1960年代の生産性は1950年代のそれと全く変わらなかったことを示しています。

コンピューターが“考え”ることについて言えば,そのような案を提唱している人々は,コンピューターに入れる“データ”(数字や事実)そしてそのデータを処理する方法をコンピューターに告げる“プログラミング”を準備するのに人間が費やさねばならぬ時間と労力は無視することにしているのは明らかです。一つの問題にほんの少しの変化があっただけでもこの複雑な仕事をもう一度やり直さねば,コンピューターが正しく作動しないということになりかねません。コンピューターの機械的な作動に“知能”が全く関係していないことを指摘しながら,筆者ハプグッドは次のように述べています。「知能というものがほかの何であったとしても,それは現実の世界とつながりをつけたり,ある目的を追求したり,また少なくとも自然の経験の小さな領域に力を及ぼす能力であることを確かに暗示する」。

コンピューターの能力の限界を示すために古くから引き合いに出されるのは,幾つかの郵便局で使われている郵便番号読み取り機です。開発に幾年も費やした末にできた最も精巧な型(約2億4,000万円する)でも,「郵便物の9.5%しか」正しく扱えません。

「今日の心理学」誌の1974年5月号は,もう一つの例をあげています。コンピューターが言語を“理解”する能力を試すのに,ある会社は次のような文を使います。「トミーはたった今一組の新しい積み木をもらいました。ジミーが入って来るのを見た時,彼はその箱を開けているところでした」。次いで三つの質問がコンピューターに入れられます。「箱を開けていたのはだれですか。箱の中には何が入っていましたか。だれが入って来ましたか」。その記事はこう述べています。「一年生でさえこれらの質問に容易に答えられるのに,コンピューターには驚くほど難しい問題だった」。データがさらに単純につづられ,用語が特殊化される必要があるのです。

別の良い質問は次のようなものです。現代の科学が機械の中に知能をつくり出せないのであれば,進化論が頼む盲目的な偶然が,どうしてそれを人間の中につくり出し得たのでしょうか。

衰える日曜学校

● カナダでは日曜学校の出席が,過去10年間に“激減”しました。「トロント・スター」紙の報道によると,減少は,全体で50%近くにも及び,幾つかの大きな教会ではそれ以上の減少がありました。1962年に合同教会の名簿に載せられていた子どもたちは,64万8,354人でした。1972年にその数は29万3,900人に減っていました。長老派の日曜学校も1963年の10万9,864人から1973年の6万3,362人に減少しました。

トロントの聖公会の主教L・S・ガーンウォーズィは次のように述べました。「クリスチャンの親が自分の子どもを自分で教え始めねばキリスト教は,次の世代に伝えられないであろう。われわれが知っているような日曜学校は衰えつつある」。

幾つかの宗教団体は日曜学校の出席者の増加を報告していますが,ほとんどが,バスで子どもたちを連れて来たり,出席記録の競争をさせたり,日曜学校の前にスポーツをやるなどの方法のみで出席者を増加させています。

日曜学校に子どもを隔離させてよい理由は聖書のどこにも見あたりません。聖書は,両親が自分たちの子孫を「エホバの懲らしめと精神の規整とをもって」育て,自分といっしょに会衆の集会に連れてゆく責任を自ら負っていることを示しています。―申命 6:4-7; 31:12,13。エフェソス 6:4。マタイ 15:32,38。

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