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組織宗教の滅亡後どこへ行くかものみの塔 1980 | 6月1日
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組織宗教の滅亡後どこへ行くか
この記事と次の記事をお調べになる前に,エレミヤ記 40-49章をお読みになることをお勧めします。
「エホバの任務をおろそかにする者は呪われるように! その剣を控えて血を流さない者は呪われるように!」―エレミヤ 48:10,新。
1 組織宗教の滅びたあと,生き残った者たちにどんな問題が生じますか。
「世界の組織宗教は倒れた!」 今日の組織宗教が激烈な最期を迎えるとき,一般の宗教をすべて嫌悪する人々は,こう言って歓声を上げることでしょう。とても信じられないようなその事件を生き残る人は,そのあとどこへ行くでしょうか。そのとき彼らが頼れるものがあるでしょうか。これは本当にまじめな質問です。
2 エレミヤが預言したために,どんな疑問が生じましたか。40年近くそういう預言をしたあと,エレミヤはどうなりましたか。
2 今もなおいずれかの有名な宗教にしっかり所属していてそのようなことを信じない人は,『天地の創造主がそんなことを許されるだろうか』と言うかもしれません。今から2,625年ほど昔にも,これに似た問いを人々は心に抱きました。それは,祭司の家系のユダヤ人で,中東の町アナトテに住んでいた若い預言者エレミヤが言った事柄のためでした。エレミヤは当時,自国民が奉じていた宗教に反対する預言をしているかのように見えました。宗教上の律法によって許されている唯一の神殿が焼き払われることになる,と彼は言うのです。その神殿のある町エルサレムは廃虚と化し,人々に受けのよい宗教を奉じている者たちは,彼らの征服者の国へ捕らえ移され,そこに70年の間とどまらねばならない,と言うのです。エレミヤのこの災いの預言は,強い反対を呼び起こします。エレミヤはそのような預言を40年にわたって行ないますが,その終わりごろ,つまり王座に座すダビデの王統の最後の王ゼデキヤの治世中に,エルサレムで獄屋につながれます。
3 エホバはそのような宗教上の災いを臨ませることによって,ご自身に対する崇拝を滅ぼされたのでしょうか。それともほかの意味がありましたか。
3 エルサレムの神殿にその名を付されていた神は,その宗教的災難が実際に臨むことを許されました。実は,エルサレムはその神ご自身,すなわちエホバから,その滅びの知らせを受けていたのです。それはどういうことでしょうか。エホバはご自分の宗教,真の神であるご自身に対する崇拝を滅ぼそうとしておられたのですか。そういうことではありません。ご自身の名を負う神殿で行なわれていた,そしてその聖なるみ名を辱める,退廃し,ゆがめられた崇拝の方式を滅ぼすことを意図されたにすぎません。エレミヤの口を通して語られたエホバの言葉は勝ちました。その言葉に対してかたくなに異議を唱えていた者たちは負けました。ユダヤ人の暦年の第五の月である夏の月アブの七日から十日までに,神殿はこわされて打ち砕かれ,飢餓にあえいでいたエルサレムの町は完全に破壊されました。ゼデキヤ王は町が破壊される前に逃げましたが捕らえられ,生き残った,やせ衰えた幾千人かのユダヤ人は捕虜として引いて行かれました。前途に待ち受けていたのは,当時の世界の女王バビロンにおける,物憂い捕囚の身の生活でした。
4 その古代の歴史はすべて重要なもの,今日のわたしたちが関心を抱くべきものですか。
4 ところで,昔のそのような歴史は今日のわたしたちと本当に関係があるのでしょうか。確かにあります。どうしてそう言えますか。その歴史は預言的なものであったからです。したがってそれは,実際に使われている諸言語で聖書に記録され,今日に至るまで保存される必要がありました。その恐ろしい歴史的事件と直接関係のある民族の一員であった,そしてその昔の歴史を深く研究していたあるユダヤ人は,そういう昔の歴史の重要さを強調して,西暦一世紀に次のように書いています。「そこで,これらの事は例として彼らに降りかかったのであり,それが書かれたのは,事物の諸体制の終わりに臨んでいるわたしたちに対する警告のためです」― コリント第一 10:11。
5 どんな宗教上の災いが起こる前に,パウロはコリント第一 10章11節を書きましたか。それが再び繰り返されないのはなぜですか。
5 キリストの使徒パウロが書いたこの言葉には重大な意味がありました。再建されたエルサレムの町は神殿もろとも,西暦70年に,こんどはローマの軍隊によって破壊されましたが,それより15年ほど前にパウロはこれを書いています。しかし三度目の破滅はありません。今日のエルサレムにはユダヤ人の神殿はないからです。現在では,三大宗教すなわちキリスト教世界の宗教,イスラム教,ユダヤ教が,その歴史的都市における権利を主張しています。
6 組織宗教のうち最初に完全に滅ぼされるのはどの部分ですか。それから組織宗教の他の部分に入ることは何を意味しますか。
6 キリスト教世界の宗教よりも古い宗教はあります。にもかかわらず,最初のエルサレムの時代のエレミヤは,キリスト教世界が組織宗教の中で最初に滅ぼされる部分であることを示唆しています。そうですエルサレムはキリスト教世界を預言的に表わすものだったのです。というのは,キリスト教世界は,西暦33年に第二のエルサレムで発足した宗教を実践していると主張するからです。エレミヤの時代の,滅びに定められていたエルサレムに相当するキリスト教世界が完全に滅ぼされたあと,キリスト教世界を支持していた人々でその滅びを生き残った人々はどこへ行くのでしょうか。まだ残っている,キリスト教以外のどれかの宗教に入るでしょうか。しかしそうすることは,永久の滅びに定められているもの,すなわち組織宗教の他の部分に避難することを意味します。
7 エルサレムの陥落後,バビロニア人はエレミヤとその書記官がどこに住むことを許しましたか。そのときどんな祭りが近づいていましたか。
7 ではこのことが,西暦前607年,すなわちエレミヤの時代に,最初のエルサレムが破壊されたあとどのように劇的に示されたか,考えてみましょう。一部の貧しいユダヤ人は,ゲダリヤの監督下に置かれた,征服されたユダの地に居残ることを許されていました。ゲダリヤをその地の知事に任命したのは勝利を収めたネブカデネザル王でした。それは西暦前607年の陰暦5月(アブ)のことでした。エレミヤとその書記官バルクは助命されて生きていました。そしてバビロニアの軍の指揮官はエレミヤに,知事ゲダリヤの支配下にある地に貧しい人々と共に残るかどうか,選択の自由を与えました。さて,秋の収穫の季節である第七の月(エタニム,すなわちチスリ)が近づきつつありました。したがって,七日間(チスリ15日-21日)の取り入れの祭り,すなわち仮小屋の祭りを行なう定めの日も近づいていました。しかし,悲しいかな,喜びをもって祭りを祝うべき場所であるエルサレムの神殿は,もはやありませんでした。―申命 16:13-16。
8 脱走していたユダヤ人は,取り入れの祭りを祝うためにユダに戻って来ましたか。
8 バビロニア軍は,生き残ったユダヤ人を多数捕虜として引っ立てながら引き揚げて行き,占領軍の分遣隊が一つだけ残っていました。そこで,脱走していたユダヤ人が近隣の地からユダの地にこっそりと戻ってくるようになりました。彼らは,エルサレムや神殿がなくても,仮小屋の祭り,取り入れの祭りを祝い,自分たちの律法授与者であるエホバに従うという目的で戻って来たのでしょうか。結果から見ると,彼らはそのために戻って来たのではありませんでした。
9 戻って来た者たちとユダの地の貧民に,どちらに行くかという問題があったのはなぜですか。
9 戻って来た者たちとその地の貧民とはどんな道を取りましたか。彼らはその地をどうしても離れなければならないわけではありませんでした。しかしエレミヤは,人も家畜も住まない,70年にわたる完全な荒廃がその地に臨むことを予告していました。それでもエレミヤは,そこにいた者たちに,バビロニア人は引き揚げたので恐れるものは何もないのだから,安心してその地にとどまるように,と言いました。知事ゲダリヤも,今はバビロンの王ネブカデネザルに服従しているというだけで,彼らと同じユダヤ人でした。そういうわけで,彼らの神エホバは,エレミヤに霊感を与えてユダの地の70年にわたる荒廃を予告させたものの,神より与えられた地から彼らを強制的に立ち退かせようとしておられたのではありません。
暗殺!
10 ユダの地で「その地の貧しい者たち」が遭遇した宗教事情は,なぜ悲しむべき状態にあったと言えますか。
10 ユダの地域に残された「その地の貧しい者たち」は,なんと悲しい宗教事情の下に置かれたのでしょう。エルサレムの神殿に向かってエホバに祈りをささげようにも,神殿はありません。エレミヤのほかには祭司もレビ人もおらず,自分たちの犠牲をささげてもらう祭壇もありません。上にみ使いの像を二つ載せてあった金の「契約の箱」もなくなりました。チスリの十日になると,大祭司はその契約の箱に向かって贖罪の日の犠牲の血を振りかけることができたものですが,それもどこかに姿を消し,今日に至るまで,その場所を知っている人は一人もいません。―ホセア 3:4。
11 アンモン人の王バアリスが,ネタニヤの子イシマエルを,邪魔なユダヤ人知事,ゲダリヤを除くのに利用できる格好の人物と考えたのはなぜですか。
11 ここで一人の悪党が活動舞台に登場します。それはネタニヤの子でイシマエルという名の悪党です。イシマエルは,バビロニア人に恐れをなして,アンモン人の王バアリスのところへ逃げていました。バアリスは,ネブカデネザル王がユダ州の知事に任命したゲダリヤを暗殺させるにはイシマエルが格好の人物だと考えたようです。なぜなら,イシマエルは「王族の子孫」だったからです。エリアキムを祖父とするイシマエルは王とは縁続きに当たり,「王の主だった人々」の一人でした。(エレミヤ 41:1,新)したがって,王位から退けられたゼデキヤの正当な縁者が,「王族の子孫」でもないゲダリヤが知事に任じられたことを憤慨してもおかしくありません。そこで,エルサレムが滅びたことを手をたたいて喜んだアンモン人の王バアリスは,ゲダリヤという邪魔者を除くためにイシマエルを利用します。―詩 83:7,8。エレミヤ 40:14。
12 イシマエルはどのように悪らつな芝居を演じましたか。それでも最後に逃走しなければならなかったのはなぜですか。
12 カレヤの子ヨハナンが警告していたにもかかわらず,ゲダリヤは,廃虚となったエルサレムの何㌔か北にある,新しく政治の中心地となったミヅパで,イシマエルとその10人の仲間を食事に招きます。そのときバビロニア人の兵士も幾人かいましたが,イシマエルとその一味は,食事の席にいた人たちとその近くにいた人々に急に襲いかかり,全員を殺すという卑劣なことをしました。(エレミヤ 41:2,3)このほかにも幾人かの人が裏切り者のイシマエルとその一味の手にかかりました。この事件は,普通なら七日間の仮小屋の祭りが行なわれる月である陰暦第七の月,すなわちチスリの月に生じました。そのときミヅパの人々は,このさん奪者にその捕虜として従う方向に傾きかけていました。しかし,カレヤの子ヨハナンが現われてイシマエルに反対したので,イシマエルとその部下八人の者は,バビロンのネブカデネザル王がまだ征服していなかったアンモン人の地に逃げました。―エレミヤ 41:10-15; 49:1-5。
13 ヨハナンとその追随者たちの求めに応じ,エホバはエレミヤに霊感を与えてどんな知らせを彼らに告げさせましたか。彼らはそれにどう反応しましたか。
13 バビロニア人が設けた臨時政府がそのようなことになったので,ヨハナンと人々は,エホバ神が中東における刑執行者として用いておられた新しい世界強国のバビロニア帝国が,このままですますわけがない,と考えて恐れました。さて彼らはどこへ行くべきでしょうか。ヨハナンと長たちは,エルサレムの滅びを正確に預言したエレミヤのところへ威儀を正してやってきます。そして,エレミヤを通して知らされるエホバのお告げが,自分たちの意に沿う沿わないにかかわらずそれに従うと約束します。彼らがエレミヤに相談したその日に,エホバのお告げがエレミヤにありました。それによると,彼らは恐れに屈しないでその地にとどまり,バビロンに従うべきでした。しかしもし南に下ってエジプトに行くような不忠実なことをするなら,バビロンの王の勝利の剣がそこで彼らに追いつき,飢きんと疫病が彼らに追いすがります。わずかの残りの者のほかは,滅びに定められている地エジプトで滅びます。バビロニア帝国の滅亡後ユダの地に無事に帰ることはありません。ヨハナンと彼に従う者たちは,神のこのお告げを心に留めたでしょうか。彼らはそれを心に留めるどころか偽りときめつけ,エレミヤのことをうそつき呼ばわりしました。―エレミヤ 42:1-43:3。
14 約束を守らなかったのはだれでしたか。西暦前607年に取り入れの祭りが祝われなかったのはなぜですか。
14 しかし,彼らめいめいがうそつきでないとしたら,いったいだれがうそつきでしょうか。エレミヤを通して伝えられるお告げには,たとえそれが自分たちの意に沿わないものであっても従うと誓ったのは彼らでした。彼らはすでにエジプトに下る道にありましたが,いまやナイルの地に入るまで進んで行く決意をします。第三世界強国バビロンの支配に服従することは,彼らの望むところではありませんでした。エジプトは以前,版図を広げる世界強国バビロンに対抗する盟友でした。ですから,ユダの地がバビロンの支配下に入っている今,彼らは一人といえどもその地に残ってバビロンに仕えるようなことを絶対にすべきではない,と考えます。バビロンへの服従を唱える者,つまりエレミヤや彼の書記官バルクのようなやからを,後に残していくのはもってのほかです。そこで彼らはエホバのその僕たちを自分たちと一緒に引いていきます。別に時を合わせるように計画したわけではありませんが,ちょうどユダの地が普通ならば取り入れの祭り,つまり仮小屋の祭りで喜びにわいているはずの西暦前607年チスリ15-21日ごろに,エホバのご意志に逆らう者たちは,エホバが予告しておられた通り,その地を人も家畜も住まない所にしてしまいました。―エレミヤ 43:4-7。
15 エレミヤの時代の出来事は,わたしたち自身の時代の事柄とどのように結びついていますか。どのようにわたしたちの関心を引きますか。
15 全能の神のご意志を妨害することなどできません。また全能の神の預言が不正確であることを証明することもできません。不従順なユダヤ人がユダの地を出て行くと共に,イスラエル人も家畜も住まない,予告されていた70年の荒廃が始まりました。また,エホバがネブカデネザル王に夢を見させ,預言者ダニエルにその解き明かしをさせておられた象徴的な「七つの時」も,そのときに始まりました。その期間は2,520年です。(ダニエル 4:13-27。ルカ 21:24)ですから,平和な世界に第一次世界大戦がぼっ発したのは偶然ではありませんでした。それは西暦1914年の陰暦チスリの月に,「七つの時」が終わったことをしるしづけるものでした。エレミヤの時代の出来事は,本当にわたしたちの時代と関連を持つものでした。それらの出来事が持つ意味に,わたしたちは今深い関心を抱いています。
16 信仰のないユダヤ人がエジプトへ逃げたことは,結局正しくありませんでした。なぜですか。ユダヤ人の取った行動から,わたしたちはどんな将来を考えるべきですか。
16 律法を無視するユダヤ人の組織した宗教が西暦前607年に滅びたのち,エジプトへ逃げたユダヤ人は彼らが嫌悪していたものを避けることができたでしょうか。彼らは最善の道,正しい道を選んだでしょうか。彼らが,エホバの言葉に従おうとしない宗教的な人々の例にもれず恐るべき惨状を衆目にさらしたのであれば,彼らの選んだ道が最善であったとはとうてい言えません。エレミヤは強制的にエジプトに住むようにさせられたのですが,そこでも預言することをやめませんでした。エホバの霊は引き続きエレミヤを動かし,信仰のないユダヤ人難民に対する預言,また彼らが選んだ居住地に対する不利な預言を行なわせました。エレミヤが霊感を受けて書いた書物は,この重大な時期に至るまで生き残りました。それらの書物に書かれていることは,現代に住む,エレミヤの時代の反逆的なユダヤ人に相当する人々への警告となっています。このことを考慮に入れて,わたしたちは近い将来に何を予期すべきでしょうか。
17 キリスト教世界の滅びを目撃する生存者がどんな行動を取るとは考えられませんか。なぜですか。
17 組織宗教の中でも最も大きな影響力を持つ部分,すなわち乱立する無数の宗派,教派を擁するキリスト教世界の滅びです。このことは変わることのないエホバの定めの時に必ず生じます。そこで問題は,キリスト教世界が実際に滅びるとき,その驚くべき出来事を目撃する人々はみな,どんな道を取るかということです。エホバの助言に従おうとしなかったイシマエル,ヨハナンそれに彼らの追随者たちが西暦前607年に残したパターンによると,わたしたちは,その目撃者の無数の大群衆が,エレミヤ級とその忠実な仲間たちの実践する真のキリスト教に心を向けることは期待できません。真のキリスト教は,エレミヤの神であり,イエス・キリストの天の父であるエホバに対する崇拝に考慮を払います。イエスはサマリアのある井戸のところで女に話されたとき,エホバに対する崇拝について次のように語られました。「真の崇拝者が霊と真理をもって父を崇拝する時が来るのであり,それは今なのです。実際,父は,ご自分をそのように崇拝する者たちを求めておられます。神は霊であられるので,神を崇拝する者も霊と真理をもって崇拝しなければならないのです」― ヨハネ 4:23,24。
18 イエス・キリストは地上におられたとき,だれの証人でしたか。現在はだれがイエスのような証人でなければなりませんか。
18 クリスチャンも,神としてのエホバに対する崇拝を無視することはできません。神のみ子は啓示 1章5節の中で,ご自身を,『「忠実な証人」であるイエス・キリスト』と呼んでおられます。人間として地上におられたとき,イエスは一人のユダヤ人,一人のイスラエル人でした。イザヤ書 43章10節の次の言葉は,イエスの属していたそのイスラエル国民を対象にして書かれました。「『あなたはわたしの証人である』― エホバのお告げ ―『すなわちわたしが選んだわたしの僕である』」。イエスはご自身がエホバの忠実な真の証人であることを実証されました。イエスの今日の真の弟子たちも同じ種類の証人,すなわちエホバの証人でなければなりません。
19 キリスト教世界の滅亡後,生き残った目撃者たちはエホバの証人のところに集まりますか。他の宗教制度は,生存者にどんな希望を与えますか。
19 来たるべき「大患難」において,古代エルサレムの現代版が滅ぼされたあと,以前キリスト教世界に属していた人々が多数改宗し,エホバの証人として知られる迫害されているクリスチャンの側につく,ということを示す預言的聖句を指摘することはできません。多くの人々は,物質主義的なキリスト教世界が悲惨な最期を遂げたために自分が有利な立場を失ったことを嘆くでしょう。それは啓示 18章に描かれている,大いなるバビロンの焼かれるのを見て泣き悲しむ旅商人のようでしょう。彼らはもはや大いなるバビロンを相手に,もうけの多い商売をすることができません。宗教心の厚い人々の中には,キリスト教世界よりもわずかばかり長く存続するいずれかの非キリスト教宗教に集まる人たちもいるかもしれません。そういう人々は,滅びに定められている別の宗教に入るにすぎません。それらの宗教もすべて,大いなるバビロン,偽りの宗教の世界帝国に属しているからです。大いなるバビロンに属する部分はすべて滅びることになっています。
20 大いなるバビロンの滅亡を生き残る人々がどちらへ行くかを,どうすれば知ることができますか。
20 大いなるバビロンの滅びを生き延びる人々はそれからどこへ,あるいはどちらへ行くでしょうか。霊感によって書かれた預言の書,聖書はそのことについて何を示していますか。彼らは,エレミヤとその書記官バルクによって予表された人々の側に来るでしょうか。また来ることができるでしょうか。これに対する答えは,それらエホバの崇拝者たちの終末期に起きた預言的な事件から得ることができます。
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今正しい道を選ぶ必要があるものみの塔 1980 | 6月1日
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今正しい道を選ぶ必要がある
1,2 (イ)聖書は,崇拝に関して間もなくどんな世界が出現することを予言していますか。(ロ)なぜ今は,自分の歩むべき道を決めなければならない重要な時ですか。
人類の大多数が聖書の神を信じていないことは,公にされる様々な事実が示しています。過去の歴史を通じて,地球上の住民の圧倒的大多数は,聖書の神を信じてきませんでした。キリスト教世界の組織宗教は聖書の神を信じていると主張します。少なくとも聖書の一部を信じていてそう主張する宗教組織も幾つかあるかもしれません。しかし,宗教を持つと公言する人々がすべて滅ぼされ,あるいは圧迫されて自分の崇拝方式を断念させられるとしたら,大きな相違が生ずるでしょうか。言い換えれば,この世界はどんな世界になるでしょうか。その場合には,聖書がもうすぐに来ると予言しているような,短期間しか続かない非宗教的な世界となるでしょう。
2 しかし世界は,いつの時にも増して公然と「この事物の体制の神」を崇拝するようになるでしょう。この「神」の正体を明らかにしている聖書は,この神こそエホバの大いなる敵,悪魔サタンであると述べています。(コリント第二 4:4)イエス・キリストは悪魔サタンのことを,「君」または「この世の支配者」と呼ばれました。(ヨハネ 12:31; 16:11)やがて全世界がこの偽りの「神」を強制的に崇拝させられるときが来ますが,今そのことを聞いて驚がくする人はその時どうしますか。どんなことをする宗教的力があるでしょうか。今こそ,慎重に考慮して,決断すべき重要な時です。
3 エホバは諸国民に判決を執行されましたが,その判決を下されたのはどれくらい前でしたか。
3 ヨエル書 3章14節(新)は次のように予告しています。「群衆,群衆が決定の低原にいる。エホバの日が決定の低原で近いからである」。リビングバイブルのヨエル書 3章14節はさらに詳細に,「谷は,群衆,また群衆でうずまっている。運命の判決が下るのを待っているのだ。さばきの谷に神の日が近づいているからだ」と述べています。バイイングトン訳の現代英語聖書ではこの谷は「決定の谷」となっています。預言者ヨエルはこのヨエル書を,西暦前820年ごろに完成しています。ですからそれは,エホバが古代の諸国民に対して予型的に「決定」を実行に移された時よりも200年以上昔のことでした。
4 (イ)この点で,エホバはわたしたちにどのように良い模範を示されましたか。(ロ)ネリヤの子バルクは,わたしたちにどんな良い模範を残しましたか。
4 エホバは良い模範をわたしたちに示されました。つまり前もって決定を下し,それを公に告げ知らせることをされました。当時に勝るとも劣らない重大な時期に住む今日のわたしたちは,来たるべき世界的破滅の臨む前に,各自が個人的に決断を下しておく必要があります。その時が来たら,それまで歩んできた道を急きょ変更して正しい決定を行ない,災難を逃れることができる,といった考えは危険な自己欺まんです。国際的災いについて西暦前625年ごろに知らされ,それが臨む18年前から正しい行動を取った模範的な人は,ネリヤの子バルクでした。西暦前625年は,滅びに定められたエルサレムの,終わりから三番目の王の治世の第四年に当たりました。その王の名前はエホヤキムで,ヨシヤの子でした。エホヤキムは,弟のエホアハズがエジプトのファラオ・ネコによって退位させられてエジプトに連れて行かれたあと,すなわち西暦前628年に王位に就きました。
5,6 (イ)エホバの言葉がエレミヤを通してバルクに臨んだ年は,なぜ重大な年でしたか。(ロ)エレミヤ記 45章1-3節によると,そのころバルクはどのように感じていましたか。
5 エホヤキムがエジプトに従属する立場で三年統治した後,預言者であり祭司でもあったエレミヤは,ネリヤの子で自分の書記官だったバルクに関する知らせをエホバから受けます。時はエホヤキム王の第四年で,重大な年に当たります。というのは,ナボポラッサルの子ネブカデネザルがその年(西暦前625年)にバビロンの王になったからです。エルサレムの王は,アッシリア帝国を征服した第三世界強国バビロンの王を無視するわけにはいかなくなりました。ここで,エレミヤ記 45章1-3節(新)を読んでみましょう。
6 「ネリヤの子バルクがユダの王,ヨシヤの子エホヤキムの第四年にエレミヤの口からこれらの言葉を書に書き記したとき,預言者エレミヤが彼に語った言葉はこうであった。『バルクよ,イスラエルの神エホバがあなたに関してこのように言われた。「あなたは言った,『今や,わたしは災いだ。エホバがわたしの痛みに悲嘆を加えられたからだ! わたしは自分のため息のために疲れ果て,憩い所を見いださなかった』」』」。
7 エルサレムの状態が悪くなっていくのを見て,バルクはどのように感じたと思われますか。エレミヤが滅びの音信を繰り返し伝えたことは,バルクにどんな影響を与えたようですか。
7 この時までバルクが何年エレミヤの書記官を務めていたかはわかりませんが,その後バルクは少なくともさらに18年間,同預言者の仲間として行動します。ユダ王国の状態が悪化するのを見て彼がどんな「痛み」をおぼえたのか,それは知る由もありません。しかし今彼は,それに加えて,エレミヤが口述する悲しい滅びの音信を筆記しなければなりません。バルクは,西暦前607年にエルサレムがバビロンの王によって破壊されたあと「哀歌」という本を書いたときの預言者エレミヤと同じような気持ちになったことでしょう。エレミヤは滅びをあくまでも繰り返し預言しました。そのためにバルクは疲れていたかもしれません。
8 バルクに対してエホバはご自分がどんな目的を持っていることを明かされましたか。しかしバルクは自分のために何を求めていましたか。
8 バルクには,自分の「憩い所」を得るというあてはありませんでした。エホバはバルクの心の傾向をご覧になって,バルクに次のように話しなさいとエレミヤに言われました。「エホバは言われた。『見よ,わたしは自分の築き上げたものを打ち壊し,自分の植えたものを根こぎにしている。実にこの全地をも。しかしあなたは自分のために大いなることを求めている。求め続けてはならない』」― エレミヤ 45:4,5,新。
9,10 エホバには,その当時バルクが自分のために「大いなること」を求めるのを是認しない理由があった,と言えるのはなぜですか。
9 エホバは,バルクが自分のためにどんな「大いなること」を求めていたかについては告げられませんでしたが,バルクにはそれが何であるかわかっていました。エホバはそれを是認しておられないようでした。それでバルクはそれを求めることをやめなければなりません。なぜでしょうか。
10 それはエホバの目的がすぐにも実行に移されようとしていたからです。ちょうどその年に,エホバはネブカデネザルをバビロンの王として立てておられました。この人物こそ,バルクの属する民に対する刑執行者としてエホバが用いようとしておられた人物でした。エホバは,特にダビデ王の時代(西暦前1077-1037年)からイスラエル王国を築き上げてこられましたが,今やネブカデネザルを用いてその王制を打ち壊し,2,520年間,すなわち今世紀の1914年まで,その活動を封じようとしておられました。西暦前1473年にエホバはイスラエル国民を約束の地にお植えになりました。しかし,それから800年以上たった今,エホバはそれを引き抜こうとしておられます。ユダ王国の地は70年間,つまりその民がネブカデネザルの国で捕囚として過ごす間,ユダヤ人も家畜も住まない荒れ地となることになっていました。そういう事態が差し迫っていることを考えるなら,当時は,エレミヤのふれ告げるエホバの目的を知っている者が,自分のために個人的な種類の「大いなること」を追求するような時だったでしょうか。そのような場合ではありませんでした。
11 バルクが正しい決断を,しかもその時に下すかどうかによって何が左右されましたか。
11 ですからエホバはバルクに,そういうものを求めることをやめなさい,と言われました。もしバルクが自己本位の事柄をいつまでも追い求めていたとしたらどうでしょうか。筆記することとふれ告げることを自分に任されていた音信と一致した心が持てたでしょうか。それは不可能でした。バルクとエホバの預言者エレミヤとの間には,何かの点でひびが生じたに違いありません。エレミヤと,そしてまた彼のふれ告げる音信と一致した心を保ちたいと思えば,バルクは個人的な大望を抑制しなければなりませんでした。予告されていた災いまでにはまだ18年ありましたが,バルクが決断を下す必要があったのはその時でした。彼の命,彼の「魂」は,彼が正しい決意をしてそれを貫くことにかかっていました。もし命綱をつないでおきたいと思えば,そうしなければなりませんでした。
12 バルクの場合のように,わたしたちが今この世で自分のために「大いなること」を求めるのをやめるのは,なぜ賢明と言えますか。
12 バルクが迎えた重大な局面は,今日のわたしたち事情に通じている者のそれと,なんとよく似ているのでしょう。1914年以後は特にそう言えます。エホバの証人はその年以来,不忠実なエルサレムの現代の対型であるキリスト教世界が,ネブカデネザルよりも大いなる方,すなわち今統治しておられる天の王,イエス・キリストによって滅ぼされるということを,宣べ伝えてきたからです。したがって,だれにせよ神と契約関係にある人が,今のような重大な時に,滅びゆくこの事物の体制の中で,自分のために「大いなること」を追求するのは,極めて無分別なことと言わねばなりません。それは,わたしたちが「終わりの時」に住んでいることを認識していない証拠にほかなりません。それは,この古い事物の体制の滅びに関してエレミヤ級が公にふれ告げている音信の正確さと,彼らが適切な時期にそれをふれ告げているということとに対する信仰と確信がない証拠です。これは人の命,人の「魂」にかかわる問題です。エホバは間もなく,ネブカデネザルよりも強力な代理者イエス・キリストによって,打ち壊し引き抜く業をしようとしておられます。わたしたちは,背教したエルサレムの現代の対型であるキリスト教世界と共に処刑されることを望んでいるでしょうか。もし望んでいないなら,まだ時間のあるうちに,エホバがエレミヤの書記官バルクに言われたことを行なう決意をしなければなりません。つまり,この世で「大いなること」を求める考えを捨てなければなりません。
13 今は,わたしたちがエレミヤ級と共に何をすることに参加すべき時ですか。
13 わたしたちは各自,エレミヤ級がふれ告げる音信に一致して生きていきましょう。自己本位の野望を捨て,滅びゆくこの事物の体制のはかないものに愛着しないようにしましょう。そのためには,エレミヤ級と共に,勇気をもってエホバの「復しゅうの日」の到来を警告する業に参加する必要があります。今は心を分かつようなことをすべき時ではありません。―イザヤ 61:1,2,新。
14,15 (イ)従順であった報いとして,バルクは何を自分のための「分捕り者」として持つことになっていましたか。(ロ)その通りになりましたか。
14 この警告の業に参加するとき,どんな報いがあるでしょうか。それは,エレミヤがバルクに告げるよう命ぜられた言葉の中に述べられています。「『見よ,わたしはすべての肉なる者の上に災難をもたらすからである』― エホバのお告げ ―『わたしはあなたの行くすべての場所で,あなたにあなたの魂を分捕り物として与えよう』」― エレミヤ 45:5後半,新。
15 バルクにとって事は実際そのように運びました。このことは,バルクが不当に時を延ばすことなく正しい決断を下していたことを物語っています。この点を確証しているのは,少し前の章,すなわちエレミヤ記 43章5-7節です。この部分には,西暦前607年にエルサレムが破壊された後に起きた事柄が述べられています。それによると,生き残ったユダヤ人は恐れをなし,ユダの地からエジプトに向けて逃げ,「預言者エレミヤと,ネリヤの子バルク」を同行させます。『そして,彼らはついにエジプトの地にやって来ました。エホバの声に従わなかったからです。やがて彼らは』北部エジプトの『タパネスまで来ました』。しかしその後もエレミヤは,その不従順なユダヤ人たちに対して預言し続けました。―エレミヤ 43:8-44:30,新。
16 もしバビロンの王がエジプトを打ち破るまでバルクが生きていたとしても,彼はその征服者に何を期待することができましたか。
16 片意地なそれらのユダヤ人が世界強国バビロニアの支配を避けえたのも長くはなく,ネブカデネザルはやがてエジプトを帝国の領土に加えます。エレミヤとバルクが,ネブカデネザルのこの領土接収を目撃できるまで生き残ったとしても,彼らはネブカデネザルの逆鱗に触れることはなかったでしょう。ネブカデネザルには彼らのことを思い出して親切に扱う理由がありました。バルクは自らの「魂」を分捕り物として持ち続け,エレミヤ記 45章5節にあるエホバの約束の確実さを実証したでしょう。そして,自分のため「大いなること」を求めるような,時をわきまえない生き方をきっぱりと思い切った点で,自分がいかに賢明で正しい考え方をしていたかを,つくづく感じたことでしょう。
17 バルクの従順な行動は何を行なうようにという実例ですか。
17 バルクがエホバの矯正的な助言に従順に従ったことから,今日のわたしたちは真の益を得ることができるでしょうか。確かにできます。わたしたちは,エレミヤ級とどれほど親しい関係にあろうとも,キリスト教世界の終わりの日である今,自分のために「大いなること」をしようとしないで,神が是認しておられることを行ないます。人としてのわたしたちの「魂」,わたしたちの命は,すべての人から何もかもはぎ取ってまる裸の「魂」にし,この邪悪な世と共に過ぎ去ってしまう「大いなること」よりもはるかに貴重です。そのときに,神によしとされた「魂」として生きていることのほうが,キリスト教世界やすべての組織宗教に属する,やがては滅びるものを今しばらくの間楽しむよりもはるかに大事です。
剣を用いないことに対するのろいを避ける
18,19 エホバの「復しゅうの日」が,ユダとエルサレムに臨んだ災いで終わらなかったのはなぜですか。
18 バルクとエレミヤは,エルサレムが破壊されて人の住まない所となったことを嘆きました。しかし周辺の異教国はエホバの契約の民にそういう災いが臨んだことを大いに喜びました。(詩 83:6-8; 137:7)もちろん,エジプトは手放しで喜んだわけではありません。ユダとエルサレムを支配下に置き,同盟国にしておくことをわるくはないと思っていたからです。それにユダ王国は,エジプトと脅威的な世界強国バビロンとの間の緩衝地帯になっていました。しかしエジプトは,ユダと,ダビデの王統の王たちが座した「エホバの王座」のあったユダの首都エルサレムとに関して,不敬なことを行なっていました。エホバの契約の民に対する諸国民のひどい憎しみは,エホバの目を逃れることはありませんでした。それにはエホバの崇拝が関係していたからです。
19 そういうわけで,エホバの「復しゅうの日」は,エホバがバビロンの王を道具として用いてユダ王国を覆された時に終わったのではありません。ユダとエルサレムのくちびるに押しつけられた国家的災難の杯は,それら敵意を持つ諸国民にも,エホバを憎む者として滅びるよう,渡されてしかるべきでした。
20 (イ)エホバはエレミヤに霊感を与えて,悪意を持つ国々に対し何をさせられましたか。(ロ)エレミヤ記 48章10節はだれに関して言われたものですか。彼らは呪いに値しましたか。
20 そこでエホバはエレミヤに霊感を与え,エジプト,ペリシテ,モアブ,アンモン,エドム,ケダルなどの悪意を持つ国々,それにエラムに対してさえ激しい破滅を予告させて,預言の業を完遂させられました。(エレミヤ 46:1-49:39; 25:15-33)真の神に挑戦したそれら諸国民に対して,エホバが刑執行の剣を振るうために用いようとしておられたのは,ネブカデネザル王配下のバビロニア人でした。したがって,エホバはエレミヤに霊感を与えその刑執行隊に関して,「エホバの任務をおろそかにする者は呪われるように。その剣を控えて血を流さない者は呪われるように!」と言わせたのです。(エレミヤ 48:10,新)バビロニア人もネブカデネザル王も,神から与えられた彼らの「任務」を徹底的に遂行したのでその呪いを受けることはありませんでした。
21 (イ)エレミヤとバルクは金属製の「剣」を用いなかったために「呪われ」ましたか。(ロ)キリスト教世界を除き去るのはエホバの証人ですか。それともだれですか。
21 しかし,今日のわたしたちはどうでしょうか。その「剣」に関して言うことを控え,自分の任務を怠って同様の呪いを受けることがありうるでしょうか。わたしたちが知っている通り,確かにエレミヤもバルクも,敵国に対して金属製の剣を振るうことはしませんでした。それは彼らに与えられた任務ではなく,新たに王位に就いた皇帝,ネブカデネザル配下のバビロニア人に与えられたものでした。エホバの証人としての今日のエレミヤ級は,背教したエルサレムの対型であるキリスト教世界とその領域に対して暴力を用いるようなことはしません。キリスト教世界のかつての政治上の仲間と反宗教的な分子が,同世界を情け容赦なく除き去るでしょう。ちょうど,生き残った諸国民がいわば隣人であったエルサレムとその王国を除き去ることを喜んだのと同じように。―啓示 17:12-18。
22 組織宗教をことごとく覆す者たちの大きな希望に同調しないのはだれですか。その人々は,新しい支配権力に対してどんな態度を取りますか。
22 それにしても,偽りの宗教の世界帝国に属するキリスト教世界と他の部分がすべて完全に滅ぼされた後,この地上には何が残るのでしょうか。反宗教的な政治勢力が残って,人間に関する事柄をすべて支配するようになるでしょう。彼らは成功するという大きな希望と,もう組織宗教に指図されなくてすむ,という解放感を抱いて支配を行なうでしょう。(エゼキエル 23章と比較してください。)しかしエレミヤ級と神を恐れるその仲間は,新しい「上にある権威」としてその新しい支配権力に相対的に服従するかもしれませんが,神を無視したそのような希望に同調することはありません。―ローマ 13:1,2。
23 そのとき,エホバの「復しゅうの日」の残りの部分は,どんなことから成就しますか。
23 そのときにはエホバの「復しゅうの日」はすでに始まっているでしょう。しかしその復しゅうの日は,組織宗教,すなわち偽りの宗教の世界帝国の破滅で終わるのではありません。エホバの宇宙主権に反対する者すべてに神の「復しゅう」が完全にそそぎ出されるまで続くはずです。しかしその前に彼らは,ヨハナンと彼の追随者たちがエレミヤとバルクを捕らえて無理にエジプトへ引っ張って行ったのと同じように,エレミヤ級とその忠節な仲間を,神を認めないその事物の体制に全面的に従わせようとするでしょう。そしてそれに失敗すると,妥協しないエホバの崇拝者たちに対して総攻撃を加えるでしょう。マゴグの地のゴグの配下の国際的な大集団のように,彼らはエホバに属する残りの者,ならびに彼らと密接不可分の関係にあるその仲間の霊的パラダイスを侵略しようとするでしょう。そのようにして世界の絶対支配を目ざし,エホバの報復の炎が彼らに対して燃え上がるのが当然であることを示すでしょう。―エゼキエル 38:1-39:20。
24 そのときだれが反撃に出ますか。彼らは,怠慢のために,つまり任務の遂行を控えるために,当然の「呪い」を受けますか。
24 それからどんなことが起きるでしょうか。啓示 19章11-21節の示すところによると,ネブカデネザルよりも偉大な征服者イエス・キリストが,馬に乗り,み使いの軍隊を率いて反撃に出られます。彼らは,エホバから与えられた任務の遂行をおろそかにしないので,呪われません。刑執行の「剣」を控えて敵の血を流さないというようなことはしないので,呪われるわけがありません。(エレミヤ 48:10)彼らは侵略的な諸国民に対し,エホバの復しゅうを行ないます。それをするために彼らは輝かしい勝利を収めます。そしてその勝利は,エホバの正しさの永久的な証明となります。
25 エホバの証人はそのとき,エジプトに引きずって行かれた後のエレミヤ,同国に対して預言したエレミヤに,どのように倣わなければなりませんか。
25 わたしたちは1914年以来「終わりの時」にいます。(ダニエル 12:4,新)したがってエレミヤ級とその献身している仲間たちは,来たるべき「大患難」のときにエホバが刑執行の道具としてお用いになる恐るべき「剣」に対して,世界の注意を呼び起こさなければならないのです。(マタイ 24:21)彼らはエレミヤに倣わねばなりません。エレミヤは,ユダの地から無理に引きずり出された後も,自分が引きずられて行ったエジプトの国や,ペリシテ,モアブ,アンモン,エドムその他の敵国に対してネブカデネザル王の恐るべき「剣」が臨むことを預言しました。「大患難」のぼっ発する前の現在でも,彼らは,組織宗教と世界の国々の民すべてに対して,「わたしたちの神の側の復しゅうの日をふれ告げる」ようにとの命令の下にあります。(エレミヤ 46:1-49:39,新)彼らの「任務」は,「エホバは復しゅうの日を,シオンに関する訴えのために応報の年を持っておられる」という警告的音信を公然と告げることです。―イザヤ 34:8,新。
26,27 見張りの者としてのエゼキエルに対するエホバのどんな言葉を,今エレミヤ級は心に銘記しなければなりませんか。
26 ルカ 21章22節にある「これは処罰の日であり,それによって,書かれていることのすべてが成就するのです」というイエスの預言的な言葉は現在に当てはまります。今こそ,エゼキエルに臨んだエホバの言葉を特にエレミヤ級が心に銘記しなければならない時です。エゼキエルは,西暦前613年,すなわちエレミヤが自分の意に反してエジプトに連れて行かれる七年前に,バビロンで預言を始めました。
27 「『さて,見張りの者についてであるが,剣が臨むのを見ても,実際に角笛を吹き鳴らさず,民は少しも警告を受けず,剣が臨んで,彼らから魂を奪い去るなら,その咎のためにそれ自体必ず取り去られるが,その血の返還をわたしは見張りの者の手に求める』。さて,あなたについてであるが,ああ人の子よ,わたしはあなたをイスラエルの家にとって見張りの者とした。あなたは必ずわたしの口から言葉を聞き,わたしからの警告を彼らに与えねばならない。わたしが邪悪な者に,『邪悪な者よ,あなたは必ず死ぬ!』と言うとき,あなたは実際には邪悪な者に警告してその道から離れるよう語らず,その人が邪悪な者として自分の咎のうちに死ぬなら,わたしはその血の返還をあなたの手に求める。しかし,あなたについては,邪悪な者にその道から引き返すよう,だれかに実際に警告し,その人が実際に自分の道から引き返さないなら,彼は自分の咎のうちにあって死ぬが,あなたは必ず自分の魂を救い出すであろう」― エゼキエル 33:6-9,新。エゼキエル 9:2-10と比較してください。
28 この点に関してエレミヤ級とその仲間はどんな願いを持っていますか。しかし,どんなことが起きる可能性がありますか。それは彼らにとって何を意味しますか。
28 今日のエレミヤ級と彼らの協力的な仲間たちは,そのようなことで流血の罪を負うことを望んでいません。しかしその罪を負う可能性はあります。もし人を恐れ,エホバの「復しゅうの日」の「剣」についてすべての人に警告することを差し控えて,自分たちの「任務」を果たさないなら,エホバの呪いに値する者となります。それは,彼らが怠慢であったために生き残ることに失敗したことを意味します。
29 組織宗教が滅びた後,命を求める人が思慮のない人々の道に行かないようにするには,今何を選ばなければなりませんか。
29 足早に近づいている「大患難」において,神の復しゅうの「剣」がすべての組織宗教を撃つとき,エホバの「見張りの者」であるエレミヤ級の言うことに注意を払わなかった人々は,滅びに定められている政治の領域に逃げ込むでしょう。そうする彼らは,ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」のときに,確実に滅びます。(啓示 16:14,16)彼らと共にそちらに行かないようにするためには,正しい道がまだ開かれている今のうちに,その正しい道を選ぶ必要があります。その道を歩んでいるなら,命を求める人々は道を変える必要はありません。
(エレミヤの預言に関するこの連載の最終記事は後日掲載されます。)
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