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円熟した奉仕者は他の人を助けるものみの塔 1965 | 7月15日
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と言います。そして円熟した奉仕者の助けにより,強くて精力的な,エホバ神の賛美者に成長します。自分自身が円熟することにより,彼らは新しい会衆の強力な骨組となり,またエホバの組織の中の監督という責任の地位につくことができます。こうして円熟した奉仕者が他の人々を助けることは良い結果を生みます。
24 新世社会内のすべての円熟した奉仕者は何を考慮すべきですか。
24 エホバの組織内の円熟した奉仕者はすべて,ほかの人を助けるために自分が何をしているかを,よく考慮しなければなりません。その責仕をのがれて,少数の人々におおいかぶせている人がいますか。そういう人々は,エホバの組織の宣教の目的を助けるよりも妨げてはいないでしょうか。イエスの足跡に従っていないのではないでしょうか。円熟した奉仕者の各人には,伝道する責任ばかりでなく,御国のおとずれに答え応じた人々を助ける責任があります。それはクリスチャンの宣教の重要な部分です。このことを認め,へりくだって,「わたしの小羊を養いなさい。……わたしの羊を飼いなさい」というイエスの命令に従う円熟した奉仕者はほんとうに幸福です。―ヨハネ 21:15,16。
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キリスト教国の儀式の起源ものみの塔 1965 | 7月15日
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キリスト教国の儀式の起源
◆ ジョン・ローレンス・ヴォン・モシェイムはその著書「教会の歴史」の中で,コンスタンチンの時代に始まったキリスト教国は,さらに多くの異教徒をキリスト教に改宗させるため,最初から妥協した事を述べています。「皇帝はキリスト教を発展させようと努めたが,教会儀式を増し加えた司教の分別に欠ける信心はその本来の目的をあいまいにし,その力を弱めた。オーガスチン時代の多くのクリスチャンが負ったくびきより,ユダヤ人がかつて負ったくびきのほうがもっと楽に支えられるというオーガスチンの言説はよく知られている。司教はクリスチャンのために,かってギリシャ人,ローマ人,その他の国民が神々を崇拝するために用いた儀式や慣例を,ほとんど修正しないでキリスト教にとり入れた。その理由は代々受けつがれた儀式がクリスチャンのあいだにそのまま存在し,また自分たちの神々のように,キリストや殉教者が崇拝されているのを見るなら,もっと容易に彼らがキリスト教を受け入れるだろうと司教が考えたからである。
「その当時クリスチャンの公の崇拝とギリシャ人,ローマ人の崇拝の間には,ほとんど相違がなかった。りっぱな法衣,司教冠,三重冠,ろうそく,職務の標識,行列,清め,偶像,金銀のかざり花びん,その他多くの物はどちらの宗教にも見られた。「コンスタンチンが先祖の宗教を放棄すると間もなく,壮麗な宮殿がいたるところに建てられた。絵画と偶像で飾られた宮殿の外観も内部も神々の神殿と非常によく似ている。これらの神殿の献堂式には華かな行列があり,その際の儀式の多くは古代ローマ人の高僧法典から借りて来たものである」。―第2巻,4章276,277節。
初期のクリスチャンは異教から借りる事をせず,次の神の命令に従いました。「彼らの間から出て行き,彼らと分離せよ,と主は言われる。そして汚れたものに触れてはならない」。こうして今日真のクリスチャンに模範を残しました。―コリント後 6:17。
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