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  • あなたの宗教は正しいものですか
    ものみの塔 1961 | 5月15日
    • バビロンの例をあげてみましょう。どちらの国の支配においても宗教は重要な位置をしめていました。バビロンの勢力が絶頂にあった時のこと,バビロンの王は,宗教に関する祝いの最中に,神の代弁者ダニエルから,その偽りの宗教のために「あなたがはかりで量られて,その量の足りないことがあらわれた」と告げられました。すぐその晩に,メデヤ-ペルシャの軍隊は,難攻不落と思われたそのまちを侵略し,王を殺してバビロンを征服しました。バビロンの神々や多くの宮は,それが宗教であったという理由で,またその崇拝者たちが誠実であったという理由で滅びをのがれましたか,そうではありませんでした。それはまちがった崇拝の形式で,神からその滅亡を預言されていたのです。

      アツスリヤの崇拝の形式も同じことでした。アツスリヤの王セナケリブは,エルサレムに攻めのぼった時,つぎのような言葉でイスラエルを嘲笑しました,「諸国民の神々のうち,どの神がその国をアツスリヤの王の手から救ったか。ハマテやアルパデの神々はどこにいるのか。セパルワイム,ヘナおよびイワの神々はどこにいるのか。彼らはサマリヤをわたしの手から救い出したか。国々のすべての神々のうち,その国をわたしの手から救い出した者があったか」。セナケリブは,自分の神が勝利を得させてくれるものと考えて,エルサレムをくつがえそうとしました。彼の宗教的信念は実現したでしょうか。この問題の結果に注意して下さい。「その夜,エホバのみ使が出て,アツスリヤの陣営で十八万五千人を撃ち殺した。人々が朝早く起きて見ると,彼らはみな死体となっていた」。セナケリブ自身はどうなったでしょうか。「その神ニスロクの神殿で礼拝していた時,その子が,つるぎをもって彼を殺し」ました。(列王紀下 18:33-35,新口; 19:35,新世,37,新口)アッスリヤの宗教は,国またはセナケリブを災から救いませんでした。彼らの宗教は,神にとって正しいものではなかったのです。

      組織制度が終りに臨んでいるいま,神にとって正しくない宗教は,同じ運命に陥るでしょう。バビロンの崩壊を生き残ったダニエルのように,またセナケリブのアッスリヤの軍隊からのがれたエルサレムのように,神の目に正しい宗教だけが生き残るでしょう。

      なぜ正しくないか

      偽りの宗教は,どこがまちがっているのでしょうか。またいつもまちがっていたのでしょうか。イエスは言われました,「わたしにむかって,『主よ,主よ』と言う者が,みな天国にはいるのではなく,ただ,天にいますわが父の御旨を行う者だけがはいるのである。その日には,多くの者が,わたしにむかって『主よ,主よ,わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また,あなたの名によって,悪霊を追い出し,あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき,わたしは彼らにはっきり,こう言うであろう,『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ,行ってしまえ』」。この抗議をする者たちは,自分たちの宗教は自分にとって正しいと考えましたが,それが果たして神にとっても正しいかどうかを,神の要求の書かれている本から調べようともしなかったのです。彼らは奉仕を行なっていましたが,それは神の要求とは反対のものでした。それは,神の方法ではなく,彼ら自身の方法でした。ですから彼らの奉仕は不法のもの,受け入れられない崇拝で,拒否されたのです。―マタイ 7:21-23,新口。

      世界の宗教が,現在神の御心を行なっているはずがありません。もし行なっていたなら,第1世紀における初期クリスチャン制度と同じく,その結果を見ることができるはずです。真の崇拝の一つの最も顕著な結果は,ヨハネ伝 17章3節でイエスが述べられています,「永遠の命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストを知ることであります」。神の目に正しい,まことの宗教の追随者たちは,「彼らの」神を知ります。そして,その神の御名と目的と御心を熟知するようになります。

      世界の諸宗教にはいっている者で,いく人がこうした重要な点をわきまえているでしょうか。1960年1月2日付のパターソン・ニュージャージ・イブニング・ニュースにのせられたある牧師の報告はこれに答えています。彼は「教会が今日直面している最も大きな問題は,自分の教会の会員を改宗させることである」と言っています。その記事にはさらにこう書かれています,「諸調査は,多数の教会員が,信仰の中心的主張について,はなはだしく漠然とした考えをもっていることを示している。……一例をあげると,カリフォルニアのある牧師は最近,つぎのことを発見してひどく驚いた。つまり,聖書にかんする20の簡単な質問でなるテストで,及第点をとったおとなが,彼の会衆の中にひとりもいなかったということである」。

      こういう傾向はあらゆる宗派に見られます。スイスのある新聞は,「半数の子どもは,手を合わせて祈るということが何を意味するか知らない。両親はそれをぜんぜん教えなかったのだ」と述べたことがあります。フランスのあるカトリック教区の定期報告誌は,こう述べていました,「われわれが教義問答書を教えている何百人いう9歳の子どもたちは,神とキリスト教についてほんの少しか,あるいは全然知らない。一時的な,俗界のことがらでは,彼らは何にも不足はない。宗教的には,すべてに不足している。彼らは何も知らない」。

      多くの人は,一生涯を宗教組織の中ですごしますが,それでも習ったことをよく分かるように討論することができません。一般の信心深い人に,何を信じているのか,その信仰の基礎をなすものは何かを尋ねてごらんなさい。その人はそれに答えることができません。子どもに大学教育を受けさせ,その子が卒業してからも読み書きができないのを知ったならあなたはどう思われますか。その子どもが正常なら,あなたは教育制度に欠陥があると思わざるをえないでしょう。同様に人々が長い時間を宗教にささげたのち,その信仰をもっている理由も話せないなら,その崇拝者だけでなく,崇拝制度にも欠陥があると結論せざるをえないでしょう。

      使徒ペテロは,クリスチャンの果たすべき要求をこう述べています,「あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には,いつでも弁明のできる用意をしていなさい」。(ペテロ前 3:15,新口)キリスト教国の諸宗派の信者たちにそれができないということは,神の霊がそれらの宗派と共にないということを確証するものです。さもなければ,彼らは,「御霊にもえて」おり,自分たちの宗派こそ真のものであることを他の人に確信させることができるでしょう。ただ一つの正しい宗教に属する真のクリスチャンだけがそれをすることができます。彼らは,神の知識と,それを他の人々に伝えようという気持で満ちており,その能力をもっています。

      このつぎにエホバの証者がお宅を訪問する時,彼の希望の聖書にもとづいた理由を尋ねて見て下さい。彼らが,神の御名と御目的と,この時代に対する神の御こころについてあなたに告げることができたら,あなたは,エホバの証者にとって正しいばかりでなく,神にとっても,この世の終りに保護するに足るだけの正しい宗教を彼らがもっていることがお分かりになるでしょう。

      ある宗派に従って自己満足し,ハルマゲドンで神が審判を執行される時,その宗教が自分には正しくても神にとって正しくなかったことを知らされるのは何という災でしょう。

  • 病人を見舞うこと
    ものみの塔 1961 | 5月15日
    • 病人を見舞うこと

      牧師カレブ・J・キングは,1959年2月21日のフロリダ州ジャクソンビル・タイムス・ユニオンにこう書いています,「キリスト教が,実際的な宗教を実践していないことは,共産主義の破壊計画にとって大いにプラスになっている。アメリカ諸教会の会員名簿にのっている1億以上の自称クリスチャンたちは,病人を見舞ったり,やもめや孤児など,困っている人々を世話することについてのキリストの教えを実行する点に関するかぎり,名前だけのクリスチャンである。ほとんどあらゆる会衆で,この事の驚くべき実証が見られるのである。最近地方のある教会の最も忠実な支持者の妻からきた報告は,その一つのよい例である。この御夫婦は,20年間教会の活動的な会員であった。2,3年まえ御主人の方が病気にかかって長い間病床にいたことがあった。しかし,病気のあいだ,その教会から夫の見舞に来た者はだれひとりいなかったと奥さんは言っていた。いまその御夫婦は,病人や他のことで困っている人たちにもっと違った態度を示す会員をもつ教会をさがしている」。

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