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見張っているところを見られる人々は幸いです!ものみの塔 1984 | 12月1日
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に見えないものであることをすぐに理解しました。彼らは他のグループとの関係を断ち,1879年には「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」誌の中で霊的な食物を広め始めました。この雑誌はその出版の最初の年から,聖書的で確かな根拠のある計算により,1914年を聖書の年代学上画期的な年として指し示しました。したがって,目に見えないキリストの臨在が1914年に始まった時,これらのクリスチャンは見張っているところを見られて本当に幸福でした! 現在は「エホバの王国を告げ知らせるものみの塔」と呼ばれるこの雑誌は,「ずっと見ていて」,『目をさましている』よう,1世紀以上にわたって増え続けた真のクリスチャンを助けてきました。(マルコ 13:33)これがどのように行なわれてきたかは,次の記事で考慮します。
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用意をしていなさい!ものみの塔 1984 | 12月1日
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用意をしていなさい!
「用意をしていなさい。あなた方の思わぬ時刻に人の子は来るからです」― ルカ 12:40。
1 ずっと見張っていることの必要性について,キリストは何と言われましたか。
イエス・キリストは,見張りを怠らないよう追随者たちに勧めました。例えば,こう述べておられます。「ですから,あなた方は気を付けていなさい。わたしはあなた方にすべてのことを前もって告げたのです。……またその時,人々は,人の子が大いなる力と栄光を伴い,雲のうちにあって来るのを見るでしょう。……その日または時刻についてはだれも知りません。天にいるみ使いたちも子も知らず,父だけが知っておられます。ずっと見ていて,目を覚ましていなさい。あなた方は,定められた時がいつかを知らないからです。それは,自分の家を離れ,自分の奴隷たちに権威を与え,各々にその仕事をゆだね,戸口番には,ずっと見張っているようにと命令して,外国に旅行に出た人のようです。それで,あなた方は,家の主人がいつ来るか,一日も遅くなってからか,真夜中か,おんどりの鳴くころか,あるいは朝早くかを知らないのですから,ずっと見張っていなさい。彼が突然に到着して,あなた方の眠っているところを見つけることがないようにするためです。しかし,わたしがあなた方に言うことは,すべての者に言うのです。ずっと見張っていなさい」― マルコ 13:23-37。
2 “模範的な祈り”が,見張りを怠らない態度を暗示しているのはなぜですか。しかし,キリスト教世界の諸教会は,神の王国に対する期待をどのように弱めてきましたか。
2 この前の幾つかの記事の中では,偏りのない情報源から,キリスト教世界の諸教会が『ずっと見張って』はこなかったことを示す証拠が十分に示されました。カトリック百科事典によると,諸教会は,「神の王国とは……人間の心の中における神の支配を意味する」と主張して模範的な祈り,つまり主の祈りを全く無意味なものとすることにより,王国に対する期待を弱めてきました。ところが新ブリタニカ百科事典(英文)は,「主の祈りの請願は,神のみ名と目的が侮辱され,神の王国がまだ到来していないという苦悩に満ちた状況を前提としている」と述べています。そうです,“模範的な祈り”は,見張りを怠らない態度を前提としているのです。ではクリスチャンは,特に何を見張り続けなければなりませんでしたか。
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