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    ものみの塔 1955 | 10月1日
    • の宗教です。今日の宗教の教は,ほとんどみな漠然としているものと,少数の牧師は卒直に認めています。ダブリュ・エル・ペッテインギル牧師は,ニューヨーク市の宗教について最近こう言いました。『この都市の99パーセントの宗教を棄てるべきである。……その大部分は偽りの宗教であつて,キリストの教を無視している。』

      真実の希望は,人間の言い伝えからは来ないで,神から来ます。ヱホバは『希望を与える神』です。正直な心を持つ人は,ヱホバの御言葉に頼らねばなりません。『むかしに書かれたすべての事柄は,私たちを教育するために書かれたもので,私たちの忍耐とそして聖書から来る慰めによつて,私たちが希望を持つためである。』希望の源は,ただ一つだけです。すなわち,神の御言葉である聖書です! ロマ 15:4,13,新世。

      聖書の真理は,核心を鋭く刺して,誤りを取りのぞきます。しかし,牧師はその真理をうすめています。現代の説教の中で聖書を全くなおざりにすることは当り前になつています。かりにとつぜん世界中の聖書が全部なくなるとしても,大抵の教会はなんの痛痒も感ぜずに経営して行くことができます。ビンゴのゲームは,聖書なしにすることができます。社交,ピクニック,そしてダンスに聖書は必要でありません。書物の評論は,いろいろな本について為されますが,しかし聖書に関係する本についてはなされません。『実際生活』についての説教は,根本的な心理学の原理に基いてなされています。その説教に聖書は必要でありません。オルガン音楽,合唱隊,そして宗教的な見せものに聖書は必要でありません。三位一体論,永遠の苦悩説,不滅の魂を教えたり,香を燃したり,『聖人』にローソクをともしたり,珠数を用いて祈つたり,偶像を用いたり,そして煉獄から人を出してもらうのにお金を払つたりすることなどは,聖書を必要といたしません。それらの一つとして,聖書の支持を全然うけていないからです! 実際のところ,教会は今日聖書を用いずに行つています。教区民が自分の希望をはつきり述べ得ないことも,又はたして希望を持つているかどうかを疑問にすら思わないのも当然至極のことでありませんか?

      宗教放送と言われるラジオやテレビジョンの番組も,実際には聖書を抜いているものです。1955年3月2日のニューヨーク・タイムズ紙の報ずるごとく,エール神学校の学長は,こう述べました。『いわゆる宗教放送の多くは,クリスチャンの見地から見るとき,意味のない,理性の欠けたものである。簡単に言えば,多くの宗教番組は感傷的なものか内容の無いものである。あるいはその両方である。人気を得ようと努力するとき,彼らには科学および,しつかりした土台に立つ強いクリスチャン信仰の見地を考えて恐れを感じている。』その結果,希望はより一層に漠然とします。

      最後に,悪魔は人々を全く盲目にしてしまつたため,多くの人々は自分の希望だけではなく,神の御目的についても絶えず暗やみに閉じ込められています。『いま私たちの宣べる良いたよりが実際に覆われるならば,それは亡びゆく人々の中に覆われるのである。それらの人々の中にあつて,この世の組識制度の神は不信者の心をめくらにしている。』― コリント後 4:3,4,新世。

      いまこそ,偽りの宗教の暗やみを取り払う時です。暗やみに閉じこめられている宗教指導者から離れなさい。彼らは,自分のいる暗やみに他の人を導いているのです。ヱホバの新しい世を学んで,あなたの希望を輝かし,そしてたしかなものにしなさい。新しい世の社会と交りつつ,聖書を研究しなさい。―ペテロ後 3:13。

  • 揺がない態度は実を結ぶ
    ものみの塔 1955 | 10月1日
    • 揺がない態度は実を結ぶ

      次の経験から,揺がない態度が,どのように迫害の目的を打ち破るかが分ります。東ドイツのある町には,多くのメソヂスト派の者がいます。その中ひとりは,メソヂスト派の教えに満足を感ぜず,そして特にその会の人々が共産主義者と妥協する仕方に嫌悪をおぼえていましたが,ヱホバの証者と知り合うようになりました。間もなくしてヱホバの側に立ち,洗礼をうけ,そして神の御国の良いたよりを熱心に伝道しました。洗礼をうけてから3ヵ月後のある朝,仕事に行く途中,国家安全隊に捕えられ,待機しておいたトラックで連れ去られました。

      その兄弟には手紙を書くことが許されなかつたため,家族の者はいつたいどうなつたのか見当がつきませんでした。これがきつかけで,彼らは事態を考えるようになりました。ヱホバの証者が訪問したとき,家族は証者を招じ入れ,家庭聖書研究が取り極められました。間もなくして,家族全部が研究に参加し,別の研究は友人の家庭ではじまりました。

      裁判をうけて7年間の投獄を宣告された兄弟は,6ヵ月の後,訪問者との面会が許されました。自分の娘が『お父さん ― いまでは兄さんもそうなのよ!』と言つたその時の兄弟の深いよろこびを想像してください。まつたく,この時までに家族の8人までがヱホバの側に立ち,洗礼をうけてヱホバの証者になつていました。最年長は84歳で,一番若い人は15歳でした。その6ヵ月の中に,その地のヱホバの証者の会衆は,12人から22人に増えました! 本当に,揺がない態度は迫害を打ち負かします。

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