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杭につけられたキリストは「神の知恵」ものみの塔 1978 | 8月15日
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している異国人は,暇な時間といえば何か新しい事がらを語ったり聴いたりして過ごしているのであった」。
4 一部の哲学者はパウロをどのように見ましたか。パウロは彼らに何を説きましたか。
4 哲学者たちはパウロを軽べつしておしゃべりと呼びました。これは「種を拾い集める者」という意味のギリシャ語スペルモロゴスの訳で,種を拾うカラスや他の鳥を表わします。また街路や市場をうろついて,荷から落ちる食べ物のかけらを拾い集める者,したがって他人の費用で生きる寄生虫的な存在に対しても用いられました。ひゆ的には,この表現はアテネの俗語で,他人の知識を聞きかじってはそれを人に伝えて感心させようとするけれども,実際には無知なひょうせつ者を指しました。しかしパウロは,くだらないおしゃべりをする者などではありませんでした。彼は「世界とその中のすべてのものを作られた神」について,また「ご自身がすべての人に命と息と」を与えておられること,そして「ひとりの人からすべての国の人を作」られたことを彼らに説きました。イエスについてはパウロは,神は「彼を死人の中から復活させ」られたと述べました。そのためにある者たちはあざけりましたが,それを信じてパウロに加わった者たちもいました。―使徒 17:24-26,31-34。
哲学者たちは魂の不滅を教えた
5 (イ)哲学者のどんな教えは復活を愚かな事がらにしましたか。(ロ)オルフェウス神学のどんな教理は,地獄と贖宥に関する現在の宗教教理より前にありましたか。
5 復活のことを話したとき,どうしてある者たちはあざけったのでしょうか。それは彼らの哲学的知恵と相反するものだったでしょうか。そのために彼らは復活を愚かなことと見たのでしょうか。聖書的には,復活は意味をなします。聖書にある通りに,もし人が獣の滅びるように死に,無意識になり,塵に帰り,死んだ魂となるなら,復活はその人の生き返るための唯一の希望です。(詩 146:4。伝道 3:18-20; 9:5,10。エゼキエル 18:4)しかしそれらギリシャの哲学者にとっては復活は意味をなしませんでした。それは愚かなことでした。ギリシャの哲学者の多くは,人間には不滅の魂があると教えたので,復活を必要としなかったのです。パウロの聴衆の中にいたストア派の哲学者たちは,肉体の死後も魂は生きつづけると信じていました。それよりもずっと昔,ギリシャの哲学者タレス(西暦前七世紀)は,金属や植物,動物や人間に不滅の魂があると教えていました。生命力は形を変えるけれども決して死なない,と彼は言いました。a 西暦前六世紀に,有名な数学者ピタゴラスは,魂は死後ハデスに行って清められ,それから戻ってきて新しい体に入る,そして最高度に浄化されて完全に道徳的な生活を営むようになるまで,この一連の輪廻を継続する,と唱えました。b プラトンはソクラテス(西暦前五世紀)の言葉を引用し,「魂は明らかに不滅である」と述べています。c 西暦前七世紀の密儀的宗教の始祖オルフェウスはオルフェウス神学を起こしました。その教えによると,魂は死後ハデスに行って裁きに遭います。「文明物語」第二部,190,191頁の中のウィル・デュラントの記述は次のようにつづきます。
「もし判決が有罪であるなら厳しい罰があった。一つの教理はこの罰を永久的なものと考えた。そして後代の神学に地獄の概念を伝えた。別の教理は輪廻の思想を取り入れた。魂は,その以前の存在が清かったか汚れていたかによって,より幸福な生活をするもの,またはより苦しい生活をするものに再生することを繰り返す。そしてこの再生の輪は完全な清さが得られるまで回わりつづけ,魂は極楽島に入ることを許される。さらに別の教理は,ハデスにおける罰は当人が前もって,あるいは当人の死後その友人たちが,罪滅ぼしの行為をすることによって終わるかもしれない,という希望を提供した。このようにして煉獄と贖宥の教理が生まれた」。
ギリシャの哲学者たちが教えた進化説
6 エホバ神をすべての命の創造者と宣べ伝えたパウロの話も,彼らにとってはなぜ愚かなことに見えましたか。
6 アテネで哲学者たちに話したとき,パウロはエホバ神が世界およびその中の植物,動物,そして人類を含むすべての物の創造者であることを宣言しました。そこでパウロはもう一度ギリシャの哲学者たちと対立することになりました。彼の聴衆の中にいたエピクロス派の哲学者たちは,生命は自然発生によって始まり,自然選択と適者生存を通して偶然に,より高い方へ向かって発達した,と信じていたのです。(デュラントの「文明物語」第二部,647頁)ストア哲学者たちは,人格的創造者の存在を信じていませんでした。創造者が地上の全生物を生み出したという考えは,彼らにとっては愚かなことでした。ギリシャの哲学者たちは幾世紀にもわたり,生命は自然に発生し,その後偶然に,自然選択や適者生存という方法で,長い間に変化し上に向かって進化した,と教えていました。アメリカ百科事典第10巻,606頁には次のように記述されています。
「ギリシャ人は全体的に見て,生物は徐々に進化したという考え,産出において誤りは除かれるという考え,したがって適者が生存するという考え,部分はある目的に適応する,またはある構造はある目的に適合するという考え,自然界には理知的意図が絶えず働いているという考え,また自然界は,最初から存在する偶然の法則に帰すべき自然因の働きによって制御されているという考えを,やや粗雑に提唱した」。
7 その進化説が現代にはじまったものでないことは,(イ)アナクシマンドロス(ロ)アナクサゴラス(ハ)エンペドクレス(ニ)アリストテレスなどのどんな教えから分かりますか。
7 さらに具体的なところでは,西暦前六世紀のギリシャの哲学者アナクシマンドロスが,次のように教えていました。
「生物は始原の湿気から徐々に多くの段階を経て生じた。陸棲動物は最初魚であった。彼らは地が乾いて初めて現在の形態を得たのである。人もかつては魚であった。人が最初に出現したときは,今のようにして生まれることはできなかったはずである。というのは,あまりにも無力で食物を確保することができず,滅びてしまったに違いないからである」。d
アナクサゴラス(西暦前五世紀)の教えに関しては次のように記述されています。
「全生物は最初土,湿気,熱から発生し,それ以後は互いから生まれ出た。人は直立した姿勢を取るようになり,物をつかむのに手が自由になったので,他の動物以上に進化した」。e
エンペドクレスの教えについては次のように述べられています。
「例えば,『進化説の父』と呼ばれているエンペドクレス(西暦前493-435)は,生命の起源の説明として自然発生を信じていた。また異なる形態の生命は同時に生じたのではないと信じていた。まず植物が出現し,動物は長い一連の道を経て初めて出現した。しかし生物の発生はきわめてゆっくりしたものであった。[ここで多くの怪物が生み出されたことが記されている。]しかし,不自然なものは繁殖能力がなかったのですぐに絶滅した。これらの怪物が絶滅したあと自ら命を支え繁殖することができる他の形態が出現した。そういうわけで,もしその気になれば,エンペドクレスの思想に,適者生存説,あるいは自然選択説の芽ばえを見ることができよう」。f
有名な哲学者アリストテレス(西暦前384-322)は次のように書いています。
「自然界は無生物から動物へと,正確な境界線を定めることができないような方法で少しずつ前進する。……こうして上昇段階における無生物のあとに植物の類が出現する。……植物にも動物に向かって上昇する継続的段階がある。……したがって動物の進化の段階には全体を通して累進的な差異がある。……つめはかぎづめの相似物であり,手はエビのはさみ,羽毛は魚のうろこの相似物である」。g
自らの知恵で盲目になる
8 ユダヤ人とギリシャ人のどんな知恵が,神の知恵に対して彼らを盲目にしましたか。
8 ユダヤ教の書士の知恵も,ギリシャの哲学者の知恵も,神の知恵である杭につけられたキリストに対して彼らを盲目にしました。パウロは次のように書いています。「神の知恵によることでしたが,世はその知恵を通して神を知るに至らなかったので,神は宣べ伝えられる事がらの愚かさを通して,信じる者を救うことをよしとされたのです」。ユダヤ人にとってこの宣べ伝えることは愚かなことでした。彼らの知恵は,律法の業により,施すことにより,そして先祖とりわけアブラハムの功により救われる,と彼らに教えました。それに杭にくぎ付けにされてしまうような弱いメシアなど欲しくありませんでした。その宣べ伝える業はギリシャ人にとっても愚かなことでした。自分たちを救うために,どのユダヤ人にも,さげすまれた罪人のように死んでもらう必要はありませんでした。彼らは決して死なない不滅の魂を有していたのです。―コリント第一 1:21。
9 (イ)パウロは自分の宣べ伝えていることをもっと受け入れやすくするために何をするようなことをしませんでしたか。(ロ)パウロとペテロは二人とも何を予見しましたか。それに対して何をしましたか。
9 そこでパウロはコリントのクリスチャン会衆に手紙で警告しました。法律主義の複雑な口伝を持つユダヤ教の書士の知恵であろうと,議論ときべんにたけたギリシャの哲学者の知恵であろうと,人間の知恵は,もし彼らがそれにおぼれるなら,キリストの苦しみの杭は彼らにとってむだになってしまいます。パウロは,以前の信条を持ち込もうとするユダヤ人やギリシャ人のクリスチャンの口にもっとよく合うように,神の言葉に混ぜ物をしようとはしませんでした。そのような不純物で神の言葉を弱め,神にとっては愚かな知恵を持つ世がそれをもっと受け入れやすくするようなことはしませんでした。(コリント第二 2:17; 4:2; 11:13)パウロおよびペテロの両使徒は,ユダヤ人や異邦人が持ち込む偽教理で,杭につけられたキリストの真理が不純にされる時が来ることを予見し,次のような警告を発しました。
使徒 20章29,30節。「わたしが去ったのちに,圧制的なおおかみがあなたがたの中に入って群れを優しく扱わないことを,わたしは知っています。そして,あなたがた自身の中からも,弟子たちを引き離して自分につかせようとして曲がった事がらを言う者たちが起こるでしょう」。
テモテ第二 4章3,4節。「人びとが健全な教えに堪えられなくなり,自分たちの欲望にしたがい,耳をくすぐるような話をしてもらうため,自分たちのために教え手を寄せ集める時期が来るからです。彼らは耳を真理から背け,一方では作り話にそれてゆくでしょう」。
ペテロ第二 2章1節。「しかしながら,民の間に偽預言者も現われました。それは,あなたがたの間に偽教師が現われるのと同じです。実にこれらの者は,破壊的な分派をひそかに持ち込み,自分たちを買い取ってくださった主人のことをさえ否認し,自らに速やかな滅びをもたらすのです」。
10 彼らの警報がうその警報でなかったことを,何が証明していますか。
10 その後の歴史は,使徒たちの警告が十分根拠のあるものであったことを証明しています。ブリタニカ百科事典(1976年版)は次のように述べています。「西暦二世紀の半ばごろから,以前ギリシャ哲学をいくらか学んでいたクリスチャンたちは,自分自身の知性を満足させ,また教育のある異教徒を改宗させるためにも,自分の信仰をギリシャ哲学の用語で表現する必要を感じるようになった」。また「宗教知識の新しいシャフ-エルゾグ百科事典」は次のように指摘しています。「初期クリスチャンの中には,プラトンの教理に奇妙な魅力を感じ,キリスト教の弁明と布教のための武器としてそれを用いたり,キリスト教の真理をプラトン的型にはめたりする者が少なくなかった」。
11 キリスト教世界の大多数の教会が,パウロとペテロの警告を無視していることは,どんな事実から分かりますか。
11 そのことはこの時代に至るまで少しも変わっていません。キリスト教世界の教会の大多数は,依然として魂の不滅,三位一体などの教理を教えています。それらは西暦二世紀から,背教したキリスト教にギリシャ哲学から浸透してきたものです。ギリシャ人はそれらをより古い文化から習得しました。というのはそれらはエジプトやバビロニアの宗教にまでさかのぼるからです。今日の多くの宗教も,神は進化を手段にして創造を行なった,と教えて自分たちの教理を近代化したと考えていますが,実際にはそれはギリシャ哲学の誤りを受け入れているのです。地上の生命はエホバ神が創造されたという聖書の真理,また生命は「その類にしたがって」繁殖する,エホバは永遠の昔から存在され全能で,キリスト・イエスは初めを持つみ子でエホバに従属する,という聖書の真理を無視します。そして一世紀のユダヤ人のように,もはやイエスを,従順な人類がそれによって永遠の命を得ることのできる贖いとはみなしていません。
12 今日,幾百万ものクリスチャンは,コリント会衆に対するパウロの音信にどのように答え応じますか。
12 幸いにして,今日地上に住む幾百万もの人にとっては,杭につけられたキリストを愚かな弱い事とみなすこの宗教的,哲学的知恵こそむなしく愚かなものです。彼らはコリントのクリスチャン会衆に対するパウロの次の宣言に答え応じます。『神の力また神の知恵なるキリストなのです。神の愚かな事がらは人間より賢く,神の弱い事がらは人間より強いのです』。そして命を与える知恵を探し求める人々すべてのために,次のことを高らかに叫ぶのです。『杭につけられたキリストは神の力! 杭につけられたキリストは神の知恵!』―コリント第一 1:24,25。
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神の意志に逆らった人ものみの塔 1978 | 8月15日
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神の意志に逆らった人
バラムは威力を持つ呪いや祝福の言葉を語ることで,自分の故国だけではなく広く名声を博していた預言者でした。彼の故郷はペトルであり,その町はユーフラテス川上流の流域,サジュール河の近くに位置していました。そこからそう遠くない所にハランがあります。そこはアブラハム,ロト,ヤコブといった,神を恐れる人々がかつて住んでいた所です。預言者バラムが真の神について知っており,「自分の神エホバ」とさえ語っている理由はここにあるようです。―民数 22:18,新。
しかしバラムはどうして神のご意志に逆らうようになったのでしょうか。イスラエル人が約束の地に入ろうとした時,モアブ人の王バラクとその民は,恐らく約三百万人を数える途方もない大群衆を見て度胆を抜かれたのでしょう。モアブ人の代表者たちはミデアンの年長者たちと協議し,イスラエル人が自国の繁栄を脅かすものだという判断を下しました。(民数 22:1-4)彼らはエホバがイスラエルをエジプトから救出するに際して行なわれた事柄を熟知しており,さらにエホバがイスラエルをして,ヨルダン川の東側で強い勢力を誇っていたアモリ人の王国に大勝利を収めさせたことも知っていました。それゆえ彼らにはイスラエルとの戦いで勝利を収める目算はありませんでした。しかし彼らはこう考えたのです。“イスラエル人たちが呪われた場合はどうだろうか。それで彼らを弱らせ,追い払うことができるかもしれない”と。それでバラク王はイスラエルを征服するという目的で,バラムの援助を求めようと謀りました。
最初の派遣代表団
やがてモアブ及びミデアンの年長者たちないしは君たちからなる派遣団がペトルへ向かいます。バラムに対する伝言は次のようなものでした。「見てください! 一つの民がエジプトから出て来ました。見てください! 彼らは地を覆って,見渡す限りに及んでいます。しかも彼らはわたしの真ん前に住んでいます。ですから今,どうか来てください。わたしのために,どうかこの民を呪ってください。彼らはわたしより強大なのです。が,もしかすると,わたしは彼らを打つことができ,彼らをこの土地から追い出すことになるかもしれません。わたしは知っています。あなたが祝福する者は祝福されており,あなたが呪う者は呪われているのです」― 民数 22:5-7,新。
それからバラムは派遣代表団に一晩滞在するように求め,エホバの言葉は明日伝えようと約束します。バラムに対する神の啓示はどんなものでしたか。それは「あなたはその者たちと共に行ってはならない。あなたはこの民を呪ってはならない。彼らは祝福された者たちなのである」という
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