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円熟にむかって進歩するものみの塔 1961 | 9月15日
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その人が新しい世の社会内で立場を取るのを見るとき,あなたは神の御旨にかない,神はあなたと共に働いていることを知るでしょう。ヨハネ伝 6章44節に記録されているごとく,イエスはこう言われました,「わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ,だれもわたしに来ることはできない」。
27 最後に,円熟している人は拡大された奉仕の機会を持つことができます。そのように拡大された特権を持つ準備をしなさい。責任を避けてはなりません。むしろ,神の過分の御親切に感謝し,その過分の御親切の中に成長して,その目的を失ってはなりません。ほんとうに,より円熟に向かって進歩しつづけて行きなさい。―ペテロ後 3:18。
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まぜ合せた道徳の水準ものみの塔 1961 | 9月15日
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まぜ合せた道徳の水準
「教会は,イエスの教えた絶対的な道徳のいましめに口先きだけの敬意を払っているが,一般の新教の教会で実際に行なわれている道徳の水準,つまり教会のメンバーが互を判断する標準は,異教の道徳の教え,昔からの言伝え,中産階級の気にする世間体,それに聖書のいましめを少しばかり加えてまぜ合わせた,奇妙で不浄なものである」。―「使徒の伝道」からタイトー・カントネン著「福音伝道の理論」の中に引用されたもの。
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神の目的とエホバの証者(その26)ものみの塔 1961 | 9月15日
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神の目的とエホバの証者(その26)
「『あなたがたは私の証者です』とエホバは言われる。」― イザヤ 43:10,新世訳
「上なる権力」に従う
ジョン: さて,1929年の6月号の「ものみの塔」(英文)は,「上なる権力」と題する記事を二部に分けて掲載しました。a すこしの言葉をここに引用してみましょう。その危険な時に証者たちがどんな立場を取ったかが分かるでしょう。
ロマ書 13章についてはたくさんの注解の言葉が書かれている。その要旨は,異邦人の権力あるいはこの世の政府は「存在すべき権力」であって,そのような政府はエホバ神からその権力をいただくという。それは,かつて「帝王神権説」の教理を裏づける基礎理論に用いられ,国家が持っていて行使する力がどんなものでも,その力は神から任命されたものであり,したがって神の子供はその力に従わねばならないと論ぜられている。b
一つの国では合法の行ないも,他の国では違法になっいる例が数多く述べられています。それから,神はこれらのちがった国家に異なった権力あるいは権威をゆだねたかという質問がなされています。この論議の特定な部分を結論するにあたって,記事は次のように述べています。
アメリカ合衆国の基本的な法律は,人がこのむいかなる方法でもその宗教を行なうことができると述べている。この基本的な法律に反して,ある州は福音が特定な場所で,特定な環境下で伝道することができないような法律をつくり,福音の伝道をしようとする者たちを逮捕して罰する。ロシアでは,政府の許可がないかぎり,福音の伝道を禁止する法律が施行されている。イエス・キリストを通して神の子たちに与えられている神のいましめは,この福音をあかしとして全国民に伝道することである。(マタイ 24:14)神の子はアメリカ合衆国やロシアの法律に従うべきか,あるいは神の律法に従うべきであろうか,神は御自分の御こころと予盾反対し,御こころをきずつける法律をつくったり施行したりする権利と権威を,これらのいろいろの国に与えたであろうか。
使徒パウロの言葉を,この世の諸政府に適用することは正しくない。それはまったく明白である。「存在している権威は,すべて神によって立てられたものだからである」とパウロが言うとき,彼はこの地の異邦の諸国家に言及しているのであるか。彼は神の制度内で行使される力に言及しているのであって,サタンの制度内に行使されるものに言及しているのでないと言うのは理に合う。c
この結論を確証づけるために多くの聖句と論議が提出されていました。
この世の諸政府とクリスチャンの関係についてこの新しい見解が示されたので,エホバの証者は活気づけられ,津波のごとくに襲いかかってきた法廷の戦いにも,彼らは敢然と立つことができました。d エホバの証者は,真実の「上なる権威」であるエホバ神とキリスト・イエスに従って大胆な立場を取りました。これは御くらについた神の政府の王に対する反対者の心をいっそうかたくなにするだけでした。
トム: 1929年と言えば,大きな株界崩壊の年だったとしかおぼえていません。その年から世界最悪の
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