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  • 正しい交わりは生命にみちびく
    ものみの塔 1961 | 10月1日
    • に,ふたりが無学な,ただの人たちであることを知って,不思議に思った。そして彼らがイエスと共にいた者であることを認め」た。―使行 4:13,新口。

      22 イエスとの交わりから,弟子たちはどんな益を得ましたか。

      22 人間の伝説と哲学のためにユダヤの国民が腐敗していたときに,イエスは正しい交わりを与えました。その宗教指導者は神から遠く離れた者で,神のことよりも自分たちの利己的な目的を追い求めていました。イエスと共に歩いて賢くなった人々は,モーセの時代の如く,イエスの御父との親しい関係の中に再び導き入れられたのです。イエスは霊と真をもって創造主を崇拝することを教え,神の汚れない崇拝に人々を立ち帰らせました。神と共に歩むイエスのもとに来て共に歩むすべての人のために,イエスは御自分の完全な人間の生命を犠牲にして永遠の生命への道を開きました。「わたしは道であり,真理であり,命である。だれでもわたしによらないでは,父のみもとに行くことはできない。」「神の賜物は,わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。」― ロマ 6:23,新口。

      23,24 イエスが地上におられなくても,今日イエスと親しい交わりを持つことができることを説明しなさい。

      23 イエスは肉体をもってこの地上をもはや歩いていません。しかしそれだからといってイエスと共に歩み,徳を高めるその交わりから益を得られないというわけではありません。イエスの知恵の言葉を聖書から定期的に読むならばイエスと親しく交わることができ,イエスの残した敬虔な献身の手本にならうとき,クリスチャンすなわち追随者となってイエスと共に歩むことができます。「キリストも,あなたがたのために苦しみを受け,御足の跡を踏み従うようにと,模範を残されたのである。」(ペテロ前 2:21,新口)心の腐った人,神の言葉に愛と尊敬を持たない人の仲間になるなら,イエスの足跡に従うことはできません。それはイエスの足跡に従うかわりにその人々の足跡に従うことです。

      24 イエスの手本とイエスに関する記録のほかにも,イエスと交わりを持つことのできる方法があります。それはクリスチャン会衆との交わりです。イエスは言われました,「ふたりまたは三人が,わたしの名によって集まっている所には,わたしもその中にいるのである」(マタイ 18:20,新口)会衆と親しく交わるならばキリストと親しく交わることになります。

      25-27 (イ)1世紀のクリスチャン会衆はどのように一致していましたか。会衆との交わりはなぜ健全なものでしたか。(ロ)今日正しい交わりはどこにありますか。なぜそれはキリスト教国にはないのですか。

      25 クリスチャン会衆は,神の聖霊がイエスの120人の弟子たちに注がれた五旬節の時に始まりました。神と神の御子に共通の関心を持つゆえに彼らは一致していました。また彼らはみな正義を愛し,神のいましめを守って神と共に歩むことを望んでいたので一つに結びつけられていました。昇天後,弟子たちの上に注いだ聖霊によって,イエスは弟子たちの中にいました。イエスは弟子たちと共におられ,弟子たちはイエスと一致していました。彼らは高い道徳の水準を保ち,神のいましめを重んじ,汚れのない崇拝を捧げることを固く決意したクリスチャンの社会を作りあげました。

      26 この比類のない社会と交わることは大きな益となりました。それは良いものであり,生命に導くものでした。五旬節の日に3000人の人がこの事を認め,新しく作られたこの組織に加わりました。「そして一同はひたすら,使徒たちの教を守り,信徒の交わりをなし,共にパンをさき,祈をしていた。」(使行 2:42,新口)五旬節の後にも,イエスの弟子たちからできるだけ多くのことを学ぶため,その人々は資金を出し合ってエルサレムに留まりました。その後,自分たちの町に帰った彼らはイエスの手本にならって他の人々に伝道し,クリスチャン会衆を成長させました。

      27 今日でも同じクリスチャン会衆が,正義を愛する人々のために正しい交わりを与えています。キリスト教国の宗派の中に正しい交わりはありません。彼らはキリストの足跡ではなくてカイザルの足跡に従ってきたからです。特にコンスタンチンの時以来,宗教を奉ずるキリスト教国は悪しきこの世の支配者と一つの仲間になってきました。粘土の場合と同じくキリスト教国はその仲間とした者の型にはまっています。従ってその異端審問所のこと,野心をとげるために多くの血を流したことを歴史で読んでも驚くにはあたりません。外見は敬虔をよそおっていますが,その生み出したものと,悪い交わりからはっきり分かるように,キリスト教国は神の敵です。「こういう人々はにせ使徒,人をだます働き人であって,キリストの使徒に擬装しているにすぎないからである。しかし,驚くには及ばない。サタンも光の天使に擬装するのだから。だから,たといサタンの手下どもが,義の奉仕者のように擬装したとしても,不思議ではない。」(コリント後 11:13-15,新口)クリスチャンの教会あるいは会衆のように見せかけているキリスト教国は人をだます働き人であり,人を神と友なる関係に導き入れるよりは人々を神からひき離しています。

      28 正義を愛する社会は今日どこにありますか。その中に住む人々にはどんな希望がありますか。

      28 今日のクリスチャン会衆は現代のエホバの証者の新世社会と密接に結びついていますが,キリスト教国とは無関係です。新世社会はクリスチャン会衆と切っても切れない関係にあります。ここにこそ,正義を愛し,1世紀のクリスチャンと同じく神の律法を重んずる社会があります。これこそイエスと同じく世から離れ,イエスと同じく公に伝道し,イエスの如く神の御国を第一に求めてイエスの足跡に従っている社会です。これこそ腐敗した世に住みながらも神と共に歩いている社会です。大きくなりつつあるこの国際的な社会は,正義の人々から成り立っています。その多くは現在の組織制度の終りを生き延びて地をつぐでしょう。「正しい者は国を継ぎ,とこしえにその中に住むことができる。」(詩 37:29,新口)この人々との交わりは永遠の生命に導く正しい交わりです。

  • 終わりの時におけるあなたの交わりに気をつけなさい
    ものみの塔 1961 | 10月1日
    • 終わりの時におけるあなたの交わりに気をつけなさい

      「悪い交わりは,良いならわしをそこなう。」― コリント前 15:33,新口。

      1 現代の世界のクリスチャンにとって何が苦難となっていますか。

      現代の世界は昔から預言されていたこの世の組織制度の終りのときに至り,人間歴史の最高潮の時代に達しました。この時代こそ使徒パウロが述べていた時代です。パウロは次のように述べました,「しかし,このことは知っておかねばならない。終りの時には,苦難の時代がくる。」(テモテ後 3:1,新口)クリスチャンにとって特に苦難に感じられるのは,現代の社会にしみ通って,ますます増大する悪の影響です。下品なこと,堕落したこと,犯罪と暴力は,よく読まれる本,劇,映画,テレビ,ラジオなどで何時も大きく扱われています。日常の会話や冗談からも分かる通り,人々の一般の考えは何時も悪に傾いています。このような考え方の影響は,神のよしとされる道を歩もうとするクリスチャンにとって益にはなりません。

      2 世の人の振舞はどんなものですか。なぜクリスチャンはその人々の眼に奇異に映りますか。

      2 隣人愛を教える聖書のよい原則を無視しているこの世の人々は,他の人を犠牲にしても自分の益を得るため,さながら狼のようにむさぼり合っています。「骨肉相食む」という言葉の通りに人々は利己主義を旗印にしています。新世社会の神の僕たちは,利己的で不道徳なこの世の行いにならわないので,狼の中の羊にもたとえられます。柔和で神の言葉の教える道徳の標準通りに生活しようとするこれらの人々は,世の人の眼には奇異に映ります。使徒ペテロはこの事を述べました,「今はあなたがたが,そうした度を過ごした乱行に加わらないので,彼らは驚きあやしみ,かつ,ののしっている。」― ペテロ前 4:4,新口。

      3 今日交わりに気をつけることは,なぜ絶対に必要ですか。

      3 新世社会内の献身したクリスチャンであるなら,今の終りの時にあって気をたしかにし慎しんでいることは是非とも必要です。この世の狼の仲間になっても,その考え方に影響されないなどと考えてはなりません。交わりに気をつけないと,狼に似た振舞をすようになり,羊ではなくなるかも知れません。使徒パウロの次の言葉は正しいものです。「悪い交わりは,良いならわしをそこなう。」(コリント前 15:33,新口)このような交わりによって,粘土の場合と同じく,不名誉な器に形づくられ,神の制度内で用いられない者になるのはあり得ることです。

      4 人々の群れと一緒にいるとき,何を当然に願いますか。なぜそのことから問題が起こりますか。

      4 どんな人々の群れと交わりを求めるときにも,その仲間の一人として受け入れてもらいたいと望むのは当然です。このため,どうしてもその人々と同じ考え方,同じ行いをするようになり,時には同じ服装をするようになることさえあります。若い人々は特にこの点に敏感で,仲間とは違っていると見られることを恐れます。仲間として認めてもらいたいという欲望は,エホバ神を愛さず,その要求を尊重しない人々を自分の仲間にするとき,悪い結果に導きます。その交わりは霊的また道徳的に不健全なものです。肉の欲と弱さにつけこんで,その人々はあなたを悪行に誘い込むかも知れません。これについて使徒ペテロの述べた言葉に注意して下さい。「彼らはむなしい誇を語り,迷いの中に生きている人々の間から,かろうじてのがれてきた者たちを,肉欲と色情とによって誘惑するのである。」― ペテロ後 2:18,新口。

      5 職場におけるこの世の人々との交わりをどのように見なすべきですか。

      5 生計を立てるためには,正義に対する愛を持たず,神の言葉にある高い道徳の水準を尊重しない人々の間に立ちまじって働くことも,多くの場合に必要です。就業時間中にこれらの人々と交わることはやむを得ませんが,仕事を終えてからも交わりをつづける必要はありません。それらの人々の悪い考えや,きたないおしゃべりにわざわざ加わるのをやめましょう。これは職場の人々に対して不親切あるいは困っているときに知らぬ顔をするということではありませんが,親切にすることと仲間になることは別問題です。仲間に加わらなくても,一緒に働いたり,親切に援助できます。

      考え方に及ぼす影響

      6,7 悪い交わりから特に影響を受けるものは何ですか。悪い交わりからは何が起こり得ますか。

      6 悪い交わりは考え方に影響をおよぼします。悪い交わりのために,聖書の高い水準から離れてこの世の低い水準に従った考え方をするようになるかも知れません。肉の弱さのゆえに,考え方は良いものの影響よりも悪いものの影響を受けやすいのです。賢明な行いは,この事実を認めて,はじめから悪い交わりを避けることです。あなたの考え方を守りなさい。世の考え方に影響されて曲がった考え方をするようになると,悪から身を守ることができません。また生命に至る狭い道を歩きつづけることもできません。世の交わりに影響された考え方を持つなら,死に至る広い道を歩くことになるでしょう。「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく,その道は広い。そして,そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く,その道は細い。そして,それを見いだす者が少ない。」― マタイ 7:13,14,新口。

      7 信仰の盾を固くつかむ力は考え方に依存しています。考え方が悪い道に導かれると,その力は弱まり,たてを持つ手は次第に下がります。その悪い道に導かれるにまかせるうち,ついには信仰のたてをとる力を全く失って,この世の考え方にならってしまうでしょう。それは体を洗ってから泥の中にころがる豚に似た者となることです。―ペテロ後 2:22。

      8 まつわりやすい罪とは何ですか。それは悪い交わりとどんな関係がありますか。

      8 信仰を失うことは,人生で最善,最重要のものを失うことです。信仰がなくては,神に喜ばれることはできません。(ヘブル 11:6)悪い仲間はあなたの信仰を失わせることに努めるでしょう。あなたが正しい事をしようとするたびに,彼らは自分たちの悪を思い知らされて不快な思いをするからです。自分たちが行いを改めるかわりに,彼らはあなたを堕落させて仲間にひき入れようとします。考え方を守らないと信仰を失うことは,目に見えて明らかです。ヘブル書 12章1節において使徒パウロはからみつく罪のことを述べ,この事を警告しています。悪い仲間を持って,信仰を失うきっかけを作ってはなりません。

      9 独身者は同室する人を選ぶとき,なぜ注意しなければなりませんか。

      9 家から離れて暮らす独身の人にとっては,別の独身の人と一つの部屋にくらすことが経済的に有利となる場合もあります。献身したクリスチャンがこの事をする場合,共に神を愛し,聖書の正義の要求に対して同じ考えを待つ人を選ばないならば,大きな間違いをすることになります。聖書的に正しい考え方を持たない人と同室するとき,その影響で堕落するかも知れません。考え方に何時も悪い影響をおよぼす人と同居するよりは,一人で暮らす方がよいでしょう。

      10 正しく考える能力は,この終りの時にあってなぜ大切ですか。

      10 神の言葉に親しみ,神の言葉を愛する人の仲間になることは,正しい真直ぐな考え方をする能力をつちかうのに役立ちます。それによって,信仰をあやうくするものを見分け,何が神の眼に正しいか,何が悪いかを知って自分の身を守ることができます。「これは知恵が,あなたの心にはいり,知識があなたの魂に楽しみとなるからである。慎みはあなたを守り,悟りはあなたを保って,悪の道からあなたを救い,偽りをいう者から救う。彼らは正しい道を離れて,暗い道に歩み……。」― シンゲン 2:10-13,新口。

      11,12 読み物の選択はクリスチャンにとってなぜそれほど大切ですか。

      11 道徳的,霊的な健康を保つうえに考え方は大きな役割をはたしますから,何を心の糧とするかについては注意が肝要です。体によくない食物が沢山あるのと同じく,考えを毒し,心を害する読み物も沢山あります。世の哲学,神の言葉と矛盾する理論と高等批評は,信仰を強めず,知恵を深めることなく,高い道徳の水準に対する認識を増し加えません。それらのもののまく種は悪魔の草の如く成長して遂には信仰の息の根をとめてしまい,信仰と希望を失いはてた人を作り出します。このような読み物はサタンの組織制度の産物であり,人を聖書との結びつきから切り離して当てもなくさまよわせ「だまし惑わす策略により,人人の悪巧みによって起る様々な数の風に吹きまわされたり,もてあそばれたり」させるのがその目的です。(エペソ 4:14,新口)使徒パウロもこのような人間の哲学のことを警告しました,「あなたがたは,むなしいだましごとの哲学で,人のとりこにされないように,気をつけなさい。それはキリストに従わず,世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。」― コロサイ 2:8,新口。

      12 聖書の高等批評家や無神論者となぜかかわりを持つのですか。それらの人の書いた物は信仰をうちこわすだけです。心の中で「エホバはいない」と言った分別のない人の愚かな言葉で心を養うべきではありません。(詩 14:1)世の腐敗,汚れた行い,犯罪を書き立てている人々の考えになぜあずかるのですか。うちこわす力を持つこの世の考え方でなぜ心を養うのですか。精神的,霊的な健康にも肉体の健康と同じく注意を払い,読み物と眼で見る娯楽を選択しなさい。

      結婚配偶者を選ぶ

      13,14 (イ)妻を選ぶにあたって知恵を示したどんな例がありますか。なぜその行いは賢いものでしたか。(ロ)この事について神はどんないましめを与えられていますか。

      13 ヤコブはエサウの如くヘテ人の中から妻を選ぶことなく,またエホバ神を崇拝していなかった自分のまわりの人々の中に妻を求めませんでした。アブラハムの神の崇拝者の中から妻を探すため,ヤコブは母の兄弟であるラバンの家に行きました。これよりも前ヤコブの父イサクの妻を選ぶにあたって,アブラハムもこれと同じ賢い道をとっていました。アブラハムはその僕に告げました,「我なんぢをして天の神地の神ヱホバを指て誓はしめん即ち汝わがともにすむカナン人の女の中よりわが子に妻を娶るなかれ汝わが故国にゆき吾親族にいたりてわが子イサクのために妻を娶れ」(創世 24:3,4)これらの人々は,結婚のきずなをむすぶときにも,良い交わりを求め,よい手本を残しました。

      14 悪い仲間は考え方に不健全な影響を及ぼすゆえに,不信者の配偶者を持つならどういうことになりますか。その者は悪い影響を与えないでしょうか。その者は悩みの種となって,神の御心を行なうのを妨げないでしょうか。明らかにアブラハムとヤコブはそのように考えて,ヘテ人やカナン人の女を避けました。何世紀も後のイスラエル民族も,エホバを崇拝しない者と結婚してはならないと警告されました。アブラハムとヤコブの残した手本にならうことが要求されたのです。「また彼らと婚姻をなすべからず汝の女子を彼の男子に与ふべからず彼の女子を汝の男子に娶るべからず其は彼ら汝の男子を惑して我を離れしめ之をして他の神々に事へしむるありてヱホバこれがために汝らにむかひて怒を発しにはかに汝を滅したまふにいたるべければなり」― 申命 7:3,4。

      15 不信者との結婚はイスラエル人にどんな影響を与えましたか。

      15 イスラエル人は神の命令に従わず,その先祖イサク,ヤコブの残した賢い手本にならいませんでした。自分の考えに頼った彼らは約束の地の異教徒と交わり,愚かにも異教徒と婚姻しました。「しかるにイスラエルの人々はカナンびと,ヘテびと,アモリびと,ペリジびと,ヒビびと,エブスびとのうちに住んで,彼らの娘を妻にめとり,また自分たちの娘を彼らのむすこに与えて,彼らの神々に仕えた。」(士師 3:5,6,新口)彼らの悪い交わりは良いならわしをそこない,前以て警告されていたとおり,自分たちの創造主から離れ去りました。

      16,17 ソロモンのあやまちから何を学ぶことができるかを説明しなさい。ネヘミヤは捕われからもどったイスラエル人にどんな叱責を与えましたか。

      16 ソロモンの知恵を以てしても,彼は異なる崇拝の道を行なう妻たちをめとるという間違いをしました。時たつうちにこれらの妻たちはソロモンの考えを変えさせ,ソロモンは偽りの崇拝を始めて神の怒りを招いたままその統治を終えるに至りました。ソロモンほどの知恵を持つ偉大な人が悪い交わりのために神の恵みを失ったとすれば,同じことは誰にでも起こり得ます。あなたはソロモンよりも賢く,新世社会の外の人と結婚しても自分の立場を危うくする心配はないと考えますか。もしそう考えるならば,自分を欺いているのです。

      17 ネヘミヤもまた神を愛さない者と結婚することの危険を悟っていました。そしてバビロンの捕われから戻ったイスラエル人の中でこの事をした人々を責めています。その人々はヤコブの手本にならわず,ソロモンの後に従いました。「あなたがたは彼らのむすこに自分の娘を与えてはならない。またあなたがたのむすこ,またはあなたがた自身のために彼らの娘をめとってはならない。イスラエルの王ソロモンはこれらのことによって罪を犯したではないか。彼のような王は多くの国民のうちにもなく,神に愛せられた者である。神は彼をイスラエル全国の王とせられた。ところが異邦の女たちは彼に罪を犯させた。」― ネヘミヤ 13:25,26,新口。

      18 結婚を考えている今日の若い人は何をすべきですか。

      18 独身で結婚のことを考えているならば,イスラエル人やソロモン王のあやまちを繰り返してエホバ神と自分との関係を危うくしてはなりません。信仰を持たないという点ではカナン人にも似た人となぜ結婚するのですか。自分と同じく神に献身している人の中から結婚配偶者となるべき人を見つけることができなければ,見つかるまで待ちなさい。不信者とくびきをひとつにしてクリスチャンの忠実をあやうくしてはなりません。「不信者と,つり合わないくびきを共にするな。義と不義となんの係わりがあるか。光とやみとなんの交わりがあるか。」(コリント後 6:14,新口)「主にある者と」のみ結婚せよという聖書の賢明な助言に従いなさい。―コリント前 7:39。

      19 結婚している人は,悪い交わりを避けるために不信者の配偶者から離れることができますか。

      19 神の献身した僕になった時,すでに結婚していた人は,配偶者が不信者だからと言って結婚関係を解消しようとしてはなりません。その人は配偶者につながれており,今後も一緒に暮らさねばなりません。環境はむずかしくてもそれを最大限に利用し,信仰と霊的な力を強めるために最善をつくすべきです。(コリント前 7:12,13)未婚の人は結婚配偶者を注意深く選ぶことによって,このような問題を避けることができます。

      あなたの交わりに気をつけなさい

      20,21 新世社会にはいるとき,どんな変化が起こりますか。なぜ交わりに気をつけていなければなりませんか。

      20 この古い組織制度の終りの時に生活し腐敗した世の中で暮らしているかぎり,自分の交わりにいくら注意しても注意し過ぎることはありません。生命に通ずる狭い道を歩むことは,たとえ悪い交わりによって自分の足もとをあやうくしなくても,それだけでかなり難しいのです。新世社会と交わるようになって神と共に歩み,生命に至る道を歩み始めたとき,多くの行いを変えることが必要でした。そのことはあなた自身の益になったのです。使徒パウロはこの事を次のように述べました,「あなたがたは,この世と妥協してはならない。むしろ,心を新たにすることによって,造りかえられ,何が神の御旨であるか,何が善であって,神に喜ばれ,かつ全きことであるかを,わきまえ知るべきである。」(ロマ 12:2,新口)いまではこの世の考え方を変えて聖書の考え方にならうようになったのですから,仲間あるいは結婚配偶者を求めて古い世にもどってはなりません。イエスの次の言葉から分かるように,この世の人々は霊的に死んでいます。「死人を葬ることは,死人に任せておくがよい。」(マタイ 8:22,新口)生命に至る狭い道を歩き始めた人々は神の眼から見て霊時に生きている人々です。一方たとえ生きていても死に至る広い道を歩いている人々は霊的に死んでいます。では生きている者がなぜ死んでいる者との親しい交わりを求めるのですか。

      21 自分は粘土と同じであり,自分の考え方は交わる仲間と同じものになるということを一時といえども忘れてはなりません。長く交わるうちにはその考え方,言葉,行いに影響されて自分もそれに似た者となります。悪い仲間を持つと,その影響を受けて悪い行いに加わり曲がった考え方をするようになります。悪い交わりの危険に目を閉ぢてはなりません。神の言葉のよいいましめに聞き従い,交わりに注意しなかったイスラエルの国民やソロモンがどうなったかを考えてその前例から益を受けて下さい。

      22 正しい交わりはどこにありますか。

      22 新世社会に留まって正しい交わりを求めなさい。不信者の仲間とならずに霊的な兄弟たちと交わりなさい。毎週開かれる会衆の集会,霊的な兄弟たちと共に働く野外の宣教の活動,加えて巡回大会,地域大会は,そのような交わりの機会です。ここにこそ友人を求め,将来の結婚配偶者を見出すべきです。ここにこそ正しい交わりを見出すことができます。それは良い影響を与え,考える能力を守ることを助け,神と共に歩んで生命への道に進むのを助けます。

      23-25 (イ)クリスチャンはどのようにしてふさわしい仲間を選ぶべきですか。(ロ)どんな事のために,ハルマゲドンを生き残る者の中にはいり得ないことがありますか。

      23 世の人の外見の美しさにひかれて,仲間になりたいと望んではなりません。肉体の美しさはうわべだけのものです。大切なのは心にあるものです。ノアの時代の人々は肉体の美しさにかけては今の時代の人々をしのいだに違いありません。しかしその心は悪かったのです。彼らは精神的に余りにもみにくいものであったため,生きつづけるのに値しませんでした。それゆえに配偶者あるいは友だちを探すとき,表面にある以上のものを見なさい。霊的な美しさを求めなさい。

      24 仲間とするのにふさわしいかどうかを調べるにあたっては,聖書をその基準にしなさい。その人の考えと行いが聖書と一致しているか,一致していないかを見なさい。その人は,正義に対する聖書の標準を尊重していますか。日常生活に聖書の原則を実行しようと真じめに努力していますか。生活の中で神のことを第一にしていますか。ダビテの示したと同じ態度をとっていますか。「わが神よ,わたしはみこころを行うことを喜びます。あなたのおきてはわたしの心のうちにあります。」(詩 40:8,新口)その人は神に奉仕するために献身していますか。このような質問を自問することができます。その行いと心の態度が聖書から見てよいものであれば,その人との交わりは良いものであると確信できます。

      25 世の事に心をもっぱらにしている人と交わるなら,古い世の終りを生き残る人々の中にはいることはできません。それは神の新しい世の生命に至る狭い道を歩く助けとならず,かえって妨げとなります。ハルマゲドンの神の戦争の前にこのような人々と親しく交わっているならば,その戦争の後の世界にはいる希望はおぼつかないものとなるでしょう。ノアと共に洪水を生き残った7人が当時の世の終りにあって交わりに気をつけたのと同じく,この世の終るいまの時にも交わりに気をつけなければなりません。

      26 前途にはどんな見込みがありますか。その希望を実現するため,いま何をしなければなりませんか。

      26 いまの世に広く行なわれている悪と腐敗が全くない世界で永遠の生命を得る希望が前途にあります。この希望に喜び,聖書の約束に従ってその時に行なわれる正義の状態を待ち望んでいるならば,現在の世界を不義の場所にしている人々と交わることに喜びを見出すべきではありません。神の新しい世に決して住むことのない人を友とすべきではないのです。このような悪い交わりによって自分の将来をあやうくしてはなりません。良いもの,信仰を強めるもので心をみたしなさい。そのためには誰を親しい友にするか,何を読むか,何を見て楽しむか,どんな会話に耳を傾けるか,これらすべてのことに注意しなければなりません。いまの終りの時にあって正しい交わりを求め,それによってクリスチャンの忠実を守り,エホバ神との間にもつ良い関係を保ちなさい。

      [591ページの図版]

      不道徳な友だち

      悪い読物

      下品な娯楽

      この世的結婚

  • クリスチャンを作りだすには何が必要か
    ものみの塔 1961 | 10月1日
    • クリスチャンを作りだすには何が必要か

      非キリスト教の国々において宣教のわざをすすめるために,毎年何億円もの金が寄付されています。地球上広範囲にわたり,何千という人々は,この寄付による物質的な益を受け,キリスト教にはいりました。しかし,このような改宗者は本当のクリスチャンですか。その人たちが,キリスト教は自分の宗教だと言う時,その動機は正しいですか。それは試練の時にたえ得るほど強いものですか。1960年5月28日号の「オッタワ・ジャーナル」にのっていた,ひとつの記事は,これらの質問に解答を与えるものです。

      フィリピン群島のある人里はなれた所で,宣教者の医師が,非常に憂いに沈んだイゴロート人が道端にすわっているのを目にとめました。その人が,あまりにもみじめに見えたので,その医師は足をとめ,どうしたのかとたずねました。その男は,元気のない調子で,意気消沈しているのだと答えました。どうしてそうなのかと医師はたずねました。翌日,牧師がやってくるのです。とイゴロート人が答えた時,宣教者は,あの牧師なら良い人で,だれをもいじめるようなことはしないから大丈夫だ,と受け合いました。

      イゴロート人はすぐ同意して,牧師が好きだと暖く言いました。「それなら,何がいけないのかね」と医師は聞きました。「この前,牧師さんがここに来られた時,私に帽子をくださいました。それで私は,監督派になりました。」「それは,けっこうなことだ。それは良い宗教だよ。」と医師は言いました。

      それからイゴロート人は説明しはじめました。それによると少したってからカトリックの司祭がやってきて,ズボンを一着くれたので,カトリック信者になったというのです。「そうだね,カトリックだって良い宗教だよ。」と医師は言いました。イゴロート人は悲しそうに言いました。「カトリックの司祭はもう行ってしまいましたが,監督派の牧師がまたもどってきます。私は彼をがっかりさせたくありません。」イゴロート人が,この問題にぶつかって非常に悲しそうに見えたので,宣教者は最後に,どちらの派を選びたいのかと聞きました。「牧師さんに帽子を返し,司祭さんにズボンを返えし,またただの異教徒になろうと思っています。」と彼は言いました。

      これは,次の悲しむべき事実を裏づけているものなのです ― 多くの人がキリスト教を受け入れたのは心からそれを認めたからではなく,それにともなってくる物質的な利益のためだということです。このことは,キリスト教国以外の国々において見られるばかりか,キリスト教国だと自称している国々でも見うけられることなのです。

  • 「キリスト教に対する弱い証人」
    ものみの塔 1961 | 10月1日
    • 「キリスト教に対する弱い証人」

      キリスト教国のこの世的な教会が行なっているキリスト教の型について,カリフォルニア州の監督派教区の監督ジェームス・エイ・パイクは,1960年12月20日の「ルック」誌にこう書いています,「キリスト教は後退している。確かに外面的な証拠はその反対を示しているように思える。過去15年間のこの国教会員の増加は,そのまえの15年間の3倍であった。…しかし,すべての証拠を吟味すれば,衰微しはじめているのみか,あの盛り上がりそのものも実質的なものでなかったことが実証されるだろう。…海外においては,キリスト教の後退と共産主義の前進の間に関係がある。…ある場合の無神論者たちの進出は教会のせい ― 教会の牧師,教会の最も責任ある地位にいる会員のせいである。いったい何がわれわれをしてキリスト教に対する弱い証人にしたのであろうが。第1に,教会は励ますものであるかわりに社会と全般的に提携している。…キリスト教の後退の第2の原因は,キリスト教自信の分裂にある。…後退の第3番目の原因は,われわれが神を中心にするよりも人間を中心とする傾向をもっていたことである。…キリスト教の後退の最後的な原因はキリスト教が次第に生活にあてはまらないものになってきたことである。」

  • ガリラヤから預言者は出ない?
    ものみの塔 1961 | 10月1日
    • ガリラヤから預言者は出ない?

      「富は北に,知恵は南に求めよ。」これはキリストの時代のユダヤ人のことわざでした。なぜこのことわざが作られたのですか。パレスチナの北にあったガリラヤはパレスチナの中で最も富んでいましたが,宮,ユダヤの最高会議,知識階級は南のユダ,エルサレムに見出されたからです。

      しかしこのことわざの言わんとしていることは真実ではありませんでした。たしかにガリラヤには裕福な都市,栄えた町々があり,地味は豊かで幸の多い湖があり,鉱産物にも富んでいました。しかしユダヤとエルサレムはその自負にも拘わらず,知恵の点でまさっていたと言うことはできません。神の言葉にある如く「ヱホバをおそるるは知慧のはじめ」であり,神は「へりくだる者を公義に導き,へりくだる者にその道を教えられ」ゆえに,真の知恵を示したのはユダヤでなくてガリラヤでした。ガリラヤの人々ははるかに柔和で教えを受け入れ,エホバに対する恐れを表わしたからです。これこそ神の知恵を得るための第1の条件です。―詩 111:10; 25:9。

      独りよがりのパリサイ人ほど大きな間違いをした者はありません。ニコデモがガリラヤ人イエス・キリストについて「わたしたちの律法によれば,まずその人の言い分を聞き,その人のしたことを知った上でなければ,さばくことをしないのではないか」と言ったとき,パリサイ人は答えました,「あなたもガリラヤ出なのか。よく調べてみなさい,ガリラヤからは預言者が出るものではないことが,わかるだろう。」うぬぼれの強いパリサイ人は何と大きな間違いをしたのでしょう。この後にも起こることのない地上で最大の預言者はガリラヤ人でした。そのうえこのガリラヤ人の預言者が選んだ12人の使徒のうち,忠実を守り通した11人は同じくガリラヤ人で,裏切者となった一人はユダヤの出でした。―ヨハネ 7:51,52。

      どういう訳でパリサイ人はガリラヤについてこのように語りましたか。ユダヤとガリラヤの間にはこの言葉の示しているような著しい相異

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