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あなたは光を輝かせていますかものみの塔 1960 | 3月1日
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もう一つの例をあげるとこの真理がはつきりするでしよう。ある婦人は,熱心に家から家に良いたよりを伝え,神の御言葉に人々の関心をそそがせて良い成果をあげます。必然的にたくさんの家庭聖書研究もできます。その正しいわざによつて短期間に数人の人々が,ヱホバの証者の御国会館に来るようになり,会衆と一緒に研究し,その人たち自身も良いたよりを伝道しはじめ,ヱホバの奉仕に献身して洗礼を受けます。この婦人の正しいわざは,会場内のすべての人に,ただちにあきらかになつたわけです。
9,10 他人の正しいわざが,長い間かくれているかも知れないのはなぜですか。
9 一方,同じ会衆のなかに,伝道に出かけるのに同じく熱心な婦人がもうひとりいます。しかし,どういうわけか,その人と勉強している人々は,はやく御国会館に出席するようになりません。彼女はその人々と1年以上も勉強しているのにまだ成果が見えません。
10 この2番目の婦人の夫は,聖書にもその音信にも関心がなく,2年という間,彼女が宣教の仕事を行うのを激しく反対しつづけてきたのでした。10年前に結婚した時は,彼らはごくこの世的な人々で,パーテイやナイトクラブに出かけて行つてはお酒に酔いました。それは気ままな生活でしたが,酔つていない時や他の時には夫婦げんかが多く,どちらかといえば不幸な生活でした。後になつて子供たちが生れると少し家に落ち着くようになりましたが,それでも真実の幸福はありませんでした。家庭には平和がありませんでした。しかし,2年余り前にこの婦人は,ヱホバの証者のひとりと聖書の勉強をはじめました。そしてパウロがテサロニケ人に「わたしたちがまた絶えず神に感謝しているのは,あなたがたが……神の言を聞いた時に,それを人間の言葉としてではなく,神の言として ― 事実そのとおりであるが ― 受けいれてくれたことである」と書いたことを,すぐに認識しました。より良い生活が楽しめるのを知つたいま,彼女は救われることを望み,ヱホバへの奉仕に献身しました。彼女は水の洗礼を受け,心をかえて新らたにし,伝道活動を行なうと共に正しいクリスチャン生活を送ることによつて,任命された奉仕者であることを証明しました。彼女は光を輝かせました。家庭で子供と勉強するだけでなく,御国会館で行なわれるすべての集会に子供を連れて出席しました。会衆のなかの仲間の証者たちは,その婦人の夫のことも,彼女の家庭生活についても,あまり知りませんでした。夫がどのヱホバの証者も家によせつけなかつたからです。
11 その人の正しいわざがかくれている間,ペテロのどんな助言に従いますか。
11 いまは任命された奉仕者であるその婦人は,常に神のいましめを守つて,家庭においても家庭の外においても,正しいわざを示さなければなりませんでした。そこで彼女は,聖霊の霊感のもとに書いたペテロの次の助言にたよりました,「同じように,妻たる者よ。夫に仕えなさい。そうすれば,たとい御言に従わない夫であつても,あなたがたのうやうやしく清い行いを見て,その妻の無言の行いによつて,救に入れられるようになるであろう。あなたがたは,髪を編み,金の飾りをつけ,服装をととのえるような外面の飾りでなはなく,かくれた内なる人,柔和で,しとやかな霊という朽ちることのない飾りを,身につけるべきである。これこそ,神のみまえに,きわめて尊いものである。むかし,神を仰ぎ望んでいた聖なる女たちも,このように身を飾つて,その夫に仕えたのである。たとえば,サラはアブラハムに仕えて,彼を主と呼んだ。あなたがたも,何事にもおびえ臆することなく善を行えば,サラの娘たちとなるのである」。―ペテロ前 3:1-6,新口。
12-14 どんなよいわざを人々が見た後,そのような良いわざはすべての人々に明らかとなりますか。
12 よき主婦であり,愛情深い母親でもあるこの献身した婦人は,夫に真理を話すことをゆるされていませんでした。夫がそれを禁じていたのです。しかしながら,彼女の正しいわざを通して,夫は,彼女のたんへんな変化を見ました。それは言葉よりも雄弁でした。もう酒に酔うようなことはありません。彼女の性質は変わりました。家の中はいつも清潔で,せいとんされています。食事も以前よりよくなり,時間通りに用意がととのいます。子供たちの行儀も良く,お父さんを愛し尊敬するように教えられています。家庭の状態は以前よりずつとよくなりました。でもなぜでしようか。
13 さて,てあらい仕うちに耐えながら,クリスチャンとしての生活を2年間つづけてきたある日,野外奉仕から帰つてきた彼女に向かつて夫はこう言います,「お前はずいぶん変わつたが,どういうわけだ」。もちろん答えはこうでした,「私は神の御言葉に従つて生活し,平和を求めてそれを追おうとしているのです」。夫は言いました,「神の言葉がお前にそんなに多くのよいことをさせるのなら,私でも神の言葉を守れば信者になれるかも知れないな」。夫はその通りになりました!
14 ですから,この婦人の生活においては,正しいわざが,「あとになつて表われた」ことがわかります。ほんとうに神の御言葉は真理です,「それと同じく,良いわざもすぐ明らかとなり,そうならない場合でも,隠れていることはあり得ない」。―テモテ前 5:24,25,新口。
15 では,私たちすべてにとつてどんななぐさめがありますか。ですから私たちは,自分が何であることを証明したいと願いますか。
15 ある人々の正しいわざは,すぐに良い結果を生み出しますが,他の人々の正しいわざは,後になつて,どうかすると何年もの後に明らかとなります。ですから,自分の正しいわざから成果があがらないように見えても,落胆してはなりません。常にクリスチャンでありなさい。食べること,飲むこと,話すこと,働くこと,あるいはその他の何事をするにも,たとえ小さなことにでも光を輝かせるならば,そのために,いく人かの人に救いがおよぶでしよう。何をするにも,神の栄光のために行ないなさい。自分の益を追い求めるべきではなく,多くの人が救われるように彼らの益を追い求めるべきです! このクリスチャンの婦人は自分の利益を求めていたのではなく,夫の益を求めていたことを忘れないで下さい。それは,夫もまた救われて,神の新しい世で住む喜びを分ち合えるようにするためでした。一日中クリスチャンでありなさい。そして,神のみ前に任命された奉仕者であることを証明しなさい。
16 任命された奉仕者の正しいわざは,人に見られるためだけに行なわれますか。そうでなければ,なぜですか。
16 家から家に行く任命された奉仕者,雇い主のために正しく働き,家庭にあつては妻子に正しく振舞い,会衆内では正しく行動する任命された奉仕者は,なにも人に見せびらかすためにそうしているのではありません。神の御言葉が彼を導いているのです。御言葉を守るから生活が楽しく平和になるのです。「ヱホバの目は義人の上にそそがれ,その耳は彼らの祈りにかたむく」。(ペテロ前 3:12,新世)私たちは,こういましめられています「自分の義を,見られるために人の前で行わないように,注意しなさい。もし,そうしないと,天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう」。(マタイ 6:1,新口)「何事をするにも,すべて神の栄光のためにすべきである」。偽善者になつてはなりません。
17 (イ)正しいわざを行なうことについて,私たちはどのように警告されていますか。(ロ)正しい振舞いと,まちがつた振舞について,私たちはイエスからどのような適切な言葉を与えられていますか。
17 あなたのしていることを,人に見られるためにしないで,何事をするにもヱホバ神に対するように行ない,ヱホバから報いを受けるようにしなさい。会衆の前で清い事をよそう牧師と同じように,神の奉仕者のような様子をよそおつてはなりません。イエスの時代の学者やパリサイ人と同じようにイエスからある部類にいれられたり,言われたりしないようにしなければなりません。イエスは彼らにこう言われました,「そうすることは,すべて人に見せるためである。……また宴会の上座,会堂の上席を好み,広場であいさつされることや,人々から先生と呼ばれることを好んでいる。……だれでも自分を高くする者は低くされ,自分を低くする者は高くされるであろう。偽善な律法学者,パリサイ人たちよ。あなたがたは,わざわいである。あなたがたは,天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし,はいろうとする人をはいらせない。偽善な律法学者,パリサイ人たちよ。あなたがたは,わざわいである。あなたがたはひとりの改宗者をつくるために,海と陸とを巡り歩き,そして,つくつたなら,彼を自分より倍もひどいゲヘナの子にするからだ」。(マタイ 23:5-15,新世)任命された真の奉仕者は,人々の注意を自分にでなく神に向けさせます。神の御言葉に絶えず心を用いて,それを伝道することにより,人は自分だけでなく,自分に聞く人々も救います。―テモテ前 4:16。
神の御言葉に支配される
18 ある人々は,マタイ伝 6章33節をどれだけ読みますか。
18 クリスチャンの全生涯は,神の御言葉に支配されたものでなければなりません。御言葉の述べるところを信じ,喜んでヱホバのいましめを行なわねばなりません。また神の義を認識し,聖書に書かれていることに沿つて生活するよう希望しなければなりません。「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば,それらのものはすべて添えて与えられるであろう」と言われたのはイエスでした。(マタイ 6:33,新口)この聖句を読む時ある人々は,「まず神の国……を求めなさい」というところだけを読みます。彼らの関心はその程度でとどまつているからです。彼らは,全能の神の大いなる日の戦いであるハルマゲドンを,すなわち,ヱホバが地からすべての悪を滅ぼして正義の新しい世を確立される時を待ち望みます。なぜなら,楽園に住んで,完全な生活,平和,幸福,食物,住居など,その新しい世が提供してくれるすべての良きものを得たいからです。
19 マタイ伝 6章33節には,ほかにどんな考慮すべきことがありますか。
19 しかしながら,御国だけを求めて,ヱホバの義を求めていない人々は,いま全部の聖句を読むべきです。イエスは言われました,「まず神の国と神の義を求めよ」。神の義も,また求めねばならないものです。いまこそ私たちは,真理と,義と,生き方に関するヱホバの原則を知らねばなりません。クリスチャンが,ヱホバの義を求めているならば,クリスチャンのなすべきことを知りたいと願うでしよう。たとえば,聖書は,独身の男あるいは女は,淫行の生活をすべきでないことを述べています。「もし,自制することができないなら,結婚するがよい。情の燃えるよりは,結婚する方が,よいからである」。(コリント前 7:9,新口)結婚したならば,どちらの配偶者も,姦淫を行なうことはできません。それは義を求めることではないからです。「『姦淫するな』と言われていたことは,あなたがたの聞いているところである」。―マタイ 5:27,新口。
20 神の御言葉の中に,どんな助言を見出しますか。
20 神の御言葉の中には,独身者がどのように生活すべきについて,また結婚している人々の品行について,子供の養育について,神の会衆のなすべき仕事について,監督はどのようにふるまうべきかについて,すぐれたいましめがあります。隣人を愛し,旅人をねんごろにもてなすことについても助言が与えられています。言葉についても,食べること,飲むこと,働くことについても,正直さや一般の性質についても,道徳にかなつた生活の仕方が助言されています。人殺し,盗人,酔つぱらい,偶像崇拝者,うそつき,よくばり,強要者,悪口を言ふ者になつてはならないことは,いうまでもありません。クリスチャンの全生涯は,神の御言葉の中に明確に示されている聖書の原則によつて支配されます。ですから,御国だけでなく,御国を求めると同時に神の義を求めましよう。あなたが善を行なえば,他のすべてのものはそえて与えられるであろうというのが,それに対する約束です。
21,22 古い人格の結ぶ実はどんなものですか。新しい人格の実は?
21 クリスチャンは,正しいことを行なうことによつて,新しい人格を着,真の義と愛に満ちた親切をもつて,自分の生活を神の御心に一致させます。使徒パウロは,エペソ人に手紙を送るにさいし,こう言いました,「あなたがたは,以前の生活に属しその欲によつて腐敗して行く古き人格を脱ぎ捨てなさい。しかし,あなたの心に働きかける力によつて新しくされ,神の御心にしたがい,まことの義と愛に満ちた親切のうちにつくられる新しい人格を着なさい」。(エペソ 4:22-24,新世)クリスチャンは,この世の神であるサタンが,「不信の者たちの思いをくらませて」,くらやみに閉じこめているのを知つています。その悪魔は,全部の人間が,迷つた欲望に従つて生活するよう望んでいるのです。「すべて世にあるもの,すなわち,肉の欲,目の欲,持ち物の誇は,父から出たものではなく,世から出たものである」。(ヨハネ第一ノ書 2:16,新口)ですから悪魔はすべての人を,「腐敗している以前の生活に属させておきたい」のです。
22 でも,真理を知る時は,以前使つていたきたない言葉と共に古い人格を脱ぎ捨てて,変えることができます。また,光を輝かすのを妨害する,だらしのない不正直な仕事をする習慣も捨てます。「ヱホバの顔は悪いことを行なう者に向かう」ことを知つているからです。ですからクリスチャンは,「平和を求めてそれを追うために」大きく変化します。「ヱホバの目は義人の上にそそがれる」ことを知つているからです。―ペテロ前 3:11,12,新世。
23 (イ)人はどのように新しい人格を身につけることができますか。(ロ)アダムは最初,どんな人格を備えていましたか。
23 神の御言葉は,誠実な人に強い影響をおよぼします。たとえほとんどのこの世の政府が彼らを認めなくても,多数の人々は神の御言葉を導きとして,ついに神のみ前に任命された奉仕者となることの重要性を悟るに至りました。彼らはいまも光りを輝かせつづけています。もはや以前の生活を行なうようなことはありません。彼らは神の御言葉が他の信ずる者たちの中に働いていること,しかも,それら他の信ずる者たちが神の御言葉から生活に影響を受けているのを知つて,すつかり新しい人生観を持ちます。パウロは,「あなたの心に働きかける力によつて新しくされる」べきことを知つていました。では心に働きかけるその力とは何でしようか。それは,神の御言葉を通して私たちに示された神の活動力である神の霊です。任命された全時間奉仕者にふさわしい,また神に喜ばれる新らしい人格を着るために,神の御言葉を研究しなさい。エデンの園において,神がアダムを創造された時最初に彼に与えられた人格は,神の御心にかなつたものでした。そして,神がこの人間を造られたのは,真の義と愛に満ちた御親切からでした。アダムは完全な人間でした。そして完全な地球の上に置かれました。彼の人格は,平和を追い求める性質のものであつたにちがいありません。というのは,エデンの園で彼は,すべての動物と平和な状態にあつたからです。それはハルマゲドンの戦争のあと,天の御国の支配下における楽園の地に存在するであろうと,預言者イザヤが説明したところの状態でした。
24,25 任命された奉仕者たちに対するヱホバの御心は何ですか。彼らはその御心にどのように応じますか。
24 神との平和を求めて,けんそんと義を示すことが,今の時代における神の御心であることはまちがいありません。それによつて神のみ怒りの日にかくされるかも知れないからです。(ゼパニヤ 2:3)全世界のあらゆる場所にいるヱホバの証者は,神の御国の良いたよりを着実に伝道して,価値ある神の奉仕者であることを証明したいと願つています。また,ヱホバから受けた任命に対して感謝を示すとともに,正しいわざによつてクリスチャン生活を送り得ることを証明したいと願つています。彼らの職は,神への聖なる奉仕に専念することです。真の義と愛に満ちた御親切のうちに,神の御心に従つてつくられたこの新しい人格を着ることにより,彼らはより良い奉仕をささげることができ,より多くの事をなしとげることができます。ヱホバの証者,すなわち神の任命された奉仕者たちは,全時間をクリスチャン生活にささげ,この古い世にあつて,イエスがされたと同じように生活します。そしてイエスがこう言われたことを心にとめています,「もしあなたがたがこの世から出たものであつたなら,この世は,あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし,あなたがたはこの世のものではない。かえつて,わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから,この世はあなたがたを憎むのである」。(ヨハネ 15:19,新口)しかし,たとえこの世から憎まれても,ヱホバの証者たちは,この世のすべての人々に愛を示して,平和を保つ決心でいます。彼らは,「平和を求めてこれを追い」ます。なぜなら「ヱホバの目は義人の上にそそがれる」からです。
25 ヱホバ神の御前に任命された奉仕者として,ヱホバの証者は神の御心を遂行します,「あなたがたは,実に,そうするようにと召されたのである。キリストも,あなたがたのために苦しみを受け,御足の跡を踏み従うようにと,模範を残されたのである。キリストは罪を犯さず,その口には偽りがなかつた。ののしられても,ののしりかえさず,苦しめられても,おびやかすことをせず,正しいさばきをするかたに,いつさいをゆだねておられた」。(ペテロ前 2:21-23,新口)任命された奉仕者たちも,常に正しいことをするという点で彼に従います。
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ヱホバの証者の平和と一致ものみの塔 1960 | 3月1日
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ヱホバの証者の平和と一致
1 ヱホバの証者たちの間の平和と一致には,何が是非とも必要ですか。
正しい行いは,いつの場合でも満足と心の平和をもたらします。ヱホバの御心を行なう人々は,「あなたのおきてを愛する者には大いなる平安があり,何ものも彼らをつまずかすことはできません」ということを知るに至るでしよう。(詩 119:165,新口)全世界にわたつて,平和と一致のうちに共に住むヱホバの証者に関する限り,これは真実です。彼らは,任命された奉仕者たちですから,ヱホバの律法を愛しそれを守ることが,平和で幸福な生活に絶対必要であることを認めています。平和を求めてこれを追うことは,賢明な道であつて,人はヱホバの目が自分の上にあることを確信することができます。
2,3 平和と一致を確保するために人間は,天使たちが示すどんな手本を心にとめることができますか。
2 多くの人々は生活における真の満足が,ヱホバの御心を行なうことから生ずるものであることを認めていません。あるいは信じていません。ところが一方,神の御心が何であるかを学んで,それを行なうことに喜びをもつている人々もいます。聖書が告げるところによると,み使いたちは,神のみ言葉の声を聞きます。私たち人間もそうすべきではありませんか。「ヱホバは,そのみくらをもろもろの天にかたくすえられた。そしてその王権はすべてのものの上にある。ヱホバのみ使いよ,ヱホバの御言葉の声を聞き,その御言葉
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