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  • 言葉の背後にある事実を知りなさい
    ものみの塔 1959 | 2月15日
    • やその他のいかなる物質を所有するよりもまさつています。それと同じく,神の御前に良い名をつくり上げた生涯の終りの死は,神の前に良き名をすこしも持つていない,また将来築き上げる名が果して良いか悪いかも分つていない誕生の日よりもまさつているのです。普通は生涯の終りよりも始まりの方がよく,悲しむよりも喜ぶ方が良いですが,私たちがその言葉の裏にあるものを理解すれば,この言葉が特別な意味で使われており,ある状況の下では真実であることをさとることができます。

  • 賞に目をつけよ
    ものみの塔 1959 | 2月15日
    • しかしそのような生活をしていません……妻として,また母親として私の選んだ生活は,まつたく複雑極まりないものです。郊外の家ということが関係して来る。また家庭の骨折り仕事か家庭の手助けということもある……食物とか住居,食事,計画,買物,勘定,そして千通りの仕方で収支を償わねばならない。肉屋,パン屋,ローソク台製作者,そして数え切れぬ程多ぜいの他の専門家たちが現代の私の現代的な家に取りつけてある「簡便品」(電気,水道,冷蔵庫,ガスストーブ,石油燃焼機,皿洗い機,ラジオ,自動車,そして数多くの他の労力節約手段)の働きを正しい状態に保とうとする。健康,医者,歯医者,約束,医薬品,肝油,ビタミン。そして薬局まで行かねばならない。霊的なもの,理知的なもの,肉体的なものの教育とか学校……訓練,キャンプ,キャンプの設備そして輸送ということがある。衣服,買物,洗濯,クリーニング,修繕,スカートの裾を長くしたり,ボタンをつけたり,あるいはそのことをする為に別の人を見つけたりしなければならない。私の夫の友人,子供たちの友人,そして私自身の友人ということも入つてくるし,一緒になるための果てしない取り極めということも入つてくる。手紙,招待,電話そしてここかしこへの旅行……,生活がこんがらがつているための問題は,アメリカの婦人だけが直面しているだけでなく,アメリカの男子も直面している。それはアメリカ人だけの関心事だけでなく,現代文明すべての関心事である。』

      注意を逸らすものを切り捨てる必要

      18 パウロの例と訓戒は,私たちにとつてどれ程価値あるものですか。クリスチャン走者は,何を学ばねばなりませんか。

      18 現代生活は心づかいと注意を逸らすもので一杯です。この中にあつてクリスチャン走者は一筋の目的を保ち続けねばなりません。そして,自分の目標に向かつて進歩をしているということに確信を持たねばならないのです。使徒パウロは,『この世の心づかい』のために賞から目をはずすということをしませんでした。『私は目標のはつきりしないような走り方をせず』と彼は言いました。パウロは自分の目標を見つめていました。それについての疑問はすこしもなかつたのです。賞を勝ち得るためには,そのような決意を以つて,そしてそのように一筋に見つめつつ走らねばなりません。注意を逸らすものがいろいろな方面からやつて来て,その大部分は押しやることができないのですから,いつたいどうするならば,そうすることができますか。クリスチャン走者に与えたパウロの助言の原則を適用することができます『いつさいの重荷と,からみつく罪とをかなぐり捨てて,私たちの参加すべき競走を,耐え忍んで走りぬこうではないか。』それで,忍耐をして行く為に,クリスチャン走者は,注意を逸らすものを切り捨てる技術,重荷をかなぐり捨てる技術を学ばねばなりません。注意を逸らすものとか重荷は,いつしよに集められると賞から人の目を取りはずし,生命の競走において引きとどめるものです。―コリント前 9:26。ヘブル 12:1。

      19 注意を逸らすというこの事柄は,結婚についてのパウロの助言にどう支配しましたか。それで,クリスチャン生活の基礎は何ですか。

      19 注意を逸らすものをすくなくすることにより,競走を行つて賞を勝ち得ることに心を集中する時間をつくります。クリスチャン生活の多くの面に入つてくるのは,つまり注意を逸らすものを最少限度に保つということです。結婚は注意を逸らす多くの事柄をもたらすと使徒パウロは知つていました。それで,『余念なく主に奉仕』することができるため,独身でいる方が良いと彼はすすめました。しかし一方,情熱は心を乱す,危険なものであるとパウロは知つていましたから,次のように書きました,『情の燃えるよりは,結婚する方が,よいからである。』注意を逸らすものから遠ざかろうとすること,― それはクリスチャン生活の基礎であります。―コリント前 7:35,9,新口。

      20 時間を生かして用いる為,クリスチャンは進んで何を為すべきですか。必要でない物品については如何ですか。

      20 賞に目をつけて行く為には,クリスチャン走者は,注意を逸らすものの中どれを正しく,そして有効に切り捨てるべきであるかを進んで決定しなければなりません。そのように切り捨てて行くことにより,彼は自分自身の時間を生かして用います,そのことは次のいましめに一致するものです,『そこで,あなたがたの歩きかたによく注意して,賢くない者のようにではなく,賢い者のように歩き,今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。』時間を生かして用いる事柄に熱心でなければなりません。そして,注意をまぎらすものを最少限度に保とうと努めるべきです。人は物を得たいという気持を持つているのですから,品物を持つということだけでも注意を逸らす大きな事柄になります。家具とか,雑誌とか,本とか,衣服とか,道楽としての身廻品,得体の知れないいろいろな物などをたくさん蓄積してしまいます! 実際に必要でない多くの品物を蓄積しようとする傾向は,全く驚く程です! 押入れの中に積み重ねておいたところで,実際に必要でない品物は注意をそらすものとなります,場所が必要になつて来るだけでなく,時間とか,掃除,洗濯,置き換えその他が必要になつて来ます。注意をそらすものを切り捨て,必要なものだけを保つことにより,私たちはずつと幸福に感じます,そしてなによりも先ず,私たちの目を賞に保ちつづけることができます。―エペソ 5:15,16,新口。

      21 注意を逸らすものを最少限度に保つ為,私たちはどのように自分自身を助けることができますか。

      21 注意をまぎらす物を最少限度に保つ為に,選択をすることは重要な助けです。この世の商業家たちは,あなたが注意深く選択するのを好みません。人々を誘いすすめて,必要であろうとなかろうと,品物を集積させようと最善をつくしています。それですから,買物をするとき,読書するとき,時間の選び方において私たちは選択をする必要があるのです。忘れてはなりません,イエスが言つたごとく,必要なものは『多くはない。』

      決意と訓練

      22 走ることと訓練について現代の一走者は,何と言いましたか。なぜ,同じ原則はクリスチャンの競走にも適用するのですか。

      22 注意をまぎらすものを切り捨てることによつて時を買い取ります。そして,その時を生かして用い,私たちは競走に専念することができます。『競走』という言葉は,クリスチャンの生活全部,特に良いたよりを伝道しようという私たちの熱心な努力を含むのですから,私たちが競走の為に訓練することは絶対に必要です。訓練をしないで良く走れる走者は一人もいません。1954年,1マイルを4分以内で走つた最初の人ロジャー・パンスターは,勝利を得た後に新聞記者たちにこう語りました,『勝とうと思わないなら,競走する意義はありません。その為には,訓練が必要です。もし訓練する時間がないなら,競走に入るべきではありません。』クリスチャンの競走は,実際には多く異るものですか。『あなたがたも,賞を得るように走りなさい。』とパウロは賞について語りました。彼は又,次のようにも助言しました『信心のために自分を訓練しなさい。』賞を勝ち得ようと決意しないで,なぜクリスチャンの競走に入るのですか。そして,勝ちたいと決意するなら,なぜ訓練なしに走るのですか。しかし,或る走者は訓練をしないで走ろうとしました。彼らは新世社会の会衆の集会で得られる霊的な訓練をおろそかにしています。これらの集会は肝要な役割を果します,すなわち賞に目を保ちつづける私たちを助けます。集会を定期的に欠席する人々が競走から落伍して行くのも当然です。それらの人々は,賞についてはつきり見ることができず,その忍耐の力は弱まつてしまいます。―コリント前 9:24。テモテ前 4:7,新口。

      23 励ましを受ける為,私たちは目を一筋に保ちつづけたどんな模範を心に思いめぐらすべきですか。

      23 競走の為の訓練をする際に,良く走つた人々,例えばアブラハムとかモーセのような人々の模範について思いめぐらすことが必要です。アブラハムは『ゆるがぬ土台の上に建てられた都を待ち望んでいた。』そしてモーセは『報いを望み見ていた。』彼らは賞に目をつけていたのです! 特に私たちは完全な走者キリスト・イエスの模範に思いをめぐらす必要があります。『私たちの走るべき競走を耐え忍んで,走ろうではないか。信仰の指導者であり完成者であるイエスをしつかりと見つめなさい。イエスは御自分の前に置かれていたよろこびのために,恥辱もいとわないで,刑柱を耐え忍ばれ,神の御座の右にすわられたのである。』イエスの歩調にあなたの歩調を揃えなさい。―ヘブル 11:10,26; 12:1,2,新世。

      24 いま競走をすることになぜ後れてはなりませんか。私たちは,どのように走るべきですか。

      24 イエスや,パウロやむかしの忠実な証者たちは,みな賞に目をつけて走りました。彼らの走つたように走りなさい。いま,そのように走るため時間をつくりなさい。明日になれば,状態が良くなつて,注意を逸らすものがすくなくなるということは,先ずあり得ません。この世がその滅亡に近づくにつれ,注意をまぎらすものは,増加するでしよう。今日のうちに競走の為の時間を生かして用いなさい。賞を正しく評価しなさい。定期的に訓練しなさい。重荷や注意を紛らするのをふり捨てなさい。必要なものだけの状態になるよう,かなぐり捨てなさい。勝つ為に走りなさい。賞に目をつけて走りなさい!

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