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若い人たち,聖書の道徳を守るのが最善の道ではありませんかものみの塔 1982 | 5月1日
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若い人たち,聖書の道徳を守るのが最善の道ではありませんか
「わたし,エホバは,あなたの神,あなたに自分を益することを教える者,あなたにその歩むべき道を踏み行かせる者である」― イザヤ 48:17,新。
1 なぜ青春は人生の中でもすばらしい時期なのですか。しかしある人はどんな態度を取りますか。
「我らが青春の日々は我らが栄光の日々」と詩人はうたいました。これに共感を覚える若者は少なくありません。青春は興奮に満ちた時であり,大人の重い責任を担わずにすむ時期だからです。ところが大勢の若い人々は,若者が得られる喜びと大人が得られる喜びの双方を手に入れようと躍起になっています。そうした人たちの態度を要約すれば,さしずめ,『待つことはない,楽しいことは何でも今すぐにやりたい』ということになるでしょう。
2 (イ)最近の統計は,若者と道徳について何を示していますか。(ロ)こうした傾向はクリスチャン会衆内の若者にも影響を与えていると思いますか。
2 この“人生の春”の,あらゆる快楽を手に入れようとする風潮によって,近代史の他のどんな時代にも増して,多くの若い人々が淫行と呼ばれる婚前交渉に走るようになりました。a この乱交のはんらんはクリスチャン会衆内の一部の若者にさえ影響を与えています。クリスチャンであるあなたは,『特にこの「終わりの日」に,若い人が貞潔さを非常に保ちにくくなっているのはなぜだろうか』と考えるでしょう。―伝道之書 11:10。テモテ第二 3:1-5。
圧力は確かに大きい
3,4 (イ)若い人々が貞潔さを保つのが容易でないのはなぜですか。(ロ)仲間からの圧力や理解されたいという願いがどのように問題を生み出すことがありますか。
3 十代には性的な欲求が『盛んに』なります。聖書の中で「若さの盛り」と呼ばれているこの時期になると,大抵異性に強く引き付けられるようになります。ですから若者であるあなたが性的な欲求に悩まされるとしても,それは異常なことではありません。しかし性を礼賛する現代の娯楽や広告媒体は,この正常な欲求をかき立てます。―コリント第一 7:36。
4 他の若い人たちから強い圧力が掛かることもあります。学校へ通うある若いクリスチャンの少女はこのように説明しています。「このごろはほかの生徒たちがしていることをしないでいるのは本当にむずかしくなってきました。学校の幾人かの女の子から,性行為をしたことがあるかと尋ねられました。まだないと答えたところ,みんなは笑い始めました。私は泣きたい気持ちになり,性行為をしたことがあると言いたくなってしまいました」。それに加え,若い人々は愛され,理解されている必要がありますが,その必要が家庭で満たされないことがあるかもしれません。それで若い人々は,自分たちを“特別に”扱ってくれ,同情して話を聞いてくれるボーイフレンドやガールフレンドを大切にするのです。この感情的な親密さは,性的に親密な行為に発展しかねません。押し寄せて来るこれらの新しい感情に戸惑う若い人々もいます。そうした人々は,『こんなに楽しいものが本当に間違っているのだろうか。聖書の道徳を守るのは本当に最善の道なのだろうか』といぶかるかもしれません。
最善の道
5 (イ)イザヤ書 48章17節は神について何と述べていますか。(ロ)テサロニケ第一 4章3-8節によると,道徳上の,わたしたちに対する神のご意志は何ですか。
5 わたしたちの天の父はご自分のお選びになった民にこう助言されました。「わたし,エホバは,あなたの神,あなたに自分を益することを教える者,あなたにその歩むべき道を踏み行かせる者である」。(イザヤ 48:17,新)道徳に関する『わたしたちの歩むべき道』とは何でしょうか。「これが神のご意志[すなわちご要求]で(す)。……あなたがたが淫行を避けることです。そしてあなたがたひとりひとりが,自分の器[体]をいかに聖化と誉れのうちに所有すべきかを知り,……貪欲な性欲のままに歩まないことです。……神はわたしたちを,汚れを容認してではなく……召してくださったのです」― テサロニケ第一 4:3-8。
6 (イ)使徒パウロは淫行に関し,油そそがれたクリスチャンたちにどんな命令を与えていますか。なぜですか。(ロ)このことから,若い人が自分の歩み方を吟味すべきなのはなぜですか。
6 道徳に関する神のご意志ははっきりしています。『自分の体を制御し』,淫行と汚れを避けなければなりません。神に命をささげたあなたがた若い人は,神に固く結び付き,清い組織の一員となったのです。こうした生き方を神は本当に喜んでおられます。しかし婚前交渉を行なう人は,「主といっしょになる」油そそがれた「キリストの肢体」の一人が,「娼婦と[性的に]いっしょになる」のと同じようなものです。使徒パウロは声を大にして「断じてそのようなことはないように!」と述べています。それは非常に貴重な関係を最大限に侮辱することです。これと同じほどの罪はほかにありません。「淫行をならわしにする者は自分の体に対して罪を犯している」からです。確かにこのような罪は神との霊的な関係を損ないかねません。パウロが「淫行から逃れなさい」と勧めたのも当然のことです。そうです,「逃れ」るのです! 理屈を言ったり反論したりしてぐずぐずしてはなりません。できるだけ遠くへ,しかも速く逃れることです。しかしこうした行為から「逃れ」ない人はどうなりますか。―コリント第一 6:15-18。
「自らを損なう」
7-9 (イ)ペテロ第二 2章9-13節は,不道徳な行為に携わる人々について何と述べていますか。(ロ)汚れた行為に携わった人々は,どんな面で『自らを損ない』ましたか。
7 使徒ペテロは,会衆内にいて「栄光ある者たち」を悪く言い,不道徳な行為に手を出していた者たちは結局「悪行に対する報いとして自らを損なう」ことになってしまったと述べています。(ペテロ第二 2:9-13)性の非行に対するその「報い」は,性病や婚外妊娠だけで終わるわけではありません。愛や敬意や心の平安まで損なわれてしまうのです。例えば,『一線を越えて』淫行を犯した若い人々は,悲しそうにこう告白しています。
「本当にがっかりしました。想像していたような良い気分や温かな愛は味わえませんでした。むしろ,その行為がいかに間違っているかを痛感させられました」。
「一晩中泣きました」。
「自分が犬のようにあさましく感じられました。むなしくて,胸がむかむかしました。自分にも,相手の女の子にも愛想がつきました。それどころか,こんなことを許してくれた女の子を恨めしく思っている自分に気付きました」。
8 わたしたちの天の父は,淫行だけでなく,「汚れ」をも避けるようにと述べておられます。(テサロニケ第一 4:7)この語には広い意味があり,道徳に反する行為を指しています。例えばマスターベーション(自涜行為)は多くの若い人々が行なっている「汚れた」習慣です。それは間違いなく「性欲」をかき立て,重大な罪を引き起こすことがあります。この習慣を克服するよう真剣に努力しなかった幾人かの人は,この思考の型のせいで結婚後に問題を抱え込みました。一人の青年は,自分だけで性的満足を得ることが長い間の習慣になっていたために,結婚してから,結婚生活の「当然受けるべきもの」を与えられなくなっていることを知り,がく然としました。悲惨な時期が何か月も続きました。―コリント第一 7:3。
9 あるカップルは欲情に駆られ,局部に触れるという,性を刺激する行為に携わっていました。これも「汚れ」であり,容易に,そしてしばしば不道徳な性交へとつながります。こうした行為は人の「性欲」を,事実上最高度の興奮状態にまで燃え上がらせます。ある青年はこう話しています。「自分が獣欲を持った動物のようになることが分かります。それは本当に激しい感情です」。そのような行為は婚約の破棄という事態bを招きます。またその後で結婚した人々の生活に様々な問題を生じさせることも珍しくありません。一組の若い夫婦はこう打ち明けました。「淫行以外のことはほとんど何でもしましたし,結婚する前には淫行すれすれのところまで行きました。長老たちからの援助は受けたのですが,以前と同じようにはなりませんでした。以前はお互いに持っていた敬意を取り戻すのは難しいことでした」。
10 結婚する前の二人にとって,「汚れ」が有害であるのはなぜですか。
10 未婚者が,結婚の床のためにだけ取り置かれている『陶酔感を与える』何らかの性的な行為に携わり始めると,盲目的になり,良い夫また妻として必要な特質を身に付けていない人と結婚してしまうことになるものです。性には,二人の重大な相違点を覆い隠してしまう傾向があるのです。その相違点は結婚後にも再び現われ,様々な問題の原因となります。結婚式の時点で新婦が子供を身ごもっていた265組の夫婦のうち,5年後にも一緒だったのはわずか15組だったという研究結果も驚くにはあたりません。別の研究調査によると,婚前交渉を行なう人々は,それをしない人々の2倍も姦淫を犯しやすくなるということです。ですから若い兄弟姉妹たち,結婚前に性関係を持てば結婚生活がより幸福なものになるといった「無意味なことば」に欺かれないようにしましょう。(エフェソス 5:6)思春期に達してから性行為をしないと病気になるとまで言う人がいますが,これは誤った考えです。貞潔さと関係のある病気があるなどと言った医師は一人もいません。悲しいことに,愛よりも性的な欲望を満足させるために同棲した人々は,その後の人生でそのことを後悔しています。
11,12 (イ)エホバは性の不道徳に対してどんな処罰を下されますか。(ロ)ヨブは神に敵対して強情さを示す人について何と述べていますか。(ハ)これからどんな質問を考慮しますか。
11 「エホバはこうしたことすべて[淫行や汚れ]に対して処罰を科する方」であることを,どんな時にも忘れてはなりません。(テサロニケ第一 4:6)この処罰は,良心の痛み,会衆の長老たちから受ける懲らしめ,まいた結果を刈り取るといった形を取るかもしれません。もちろん悔い改めるなら,エホバは惜しみなく許してくださり,わたしたちの罪を完全に覆ってくださいます。しかし,強情で神の律法に注意を払おうとしない人もいないわけではありません。「だれが神に強情さを示して,無傷で済まされよう」とヨブは問い掛けています。(ヨブ 9:4,新)無傷で済まされる人は一人もいません。このような「強情さ」はエホバの心を痛めます。それは,前に挙げたような心の痛手を負う若い人々を数多く見てきた,気遣いを示す長老たちを苦しめます。神の律法と原則を破りながら「無傷で」済まされる人はいないことをその監督たちは,知っているのです。不道徳な行為を悔い改めたあるクリスチャンの若い女性が会衆の長老たちに語った通りです。「真理にいる若い人すべてに,『そんなことをしてはいけない!』と言いたい気持ちです。エホバは過ちを許してくださるかもしれませんが自分としては許せないかもしれません。いやな思い出にさいなまれるでしょう。やってみる価値は全くありません」。長老たちはエホバと共にこのように懇願します。「ああ,あなたがわたしのおきてに実際に注意を払いさえすれば!」―イザヤ 48:18,新。
12 では,クリスチャンの若者は,どうすればエホバのおきてに従い,性の不道徳に関する数多くのわなや巧妙な落とし穴を避けることができるでしょうか。
親に心を向けなさい
13 敬けんな親を持つ若い人々は,箴言 23章26節をどのように適用できますか。どんな結果になりますか。
13 「我が子よ,あなたの心をわたしに向けよ。あなたのその目がわたしの道を楽しみとするように」。(箴言 23:26,新)この訴えが要求しているのは,単なる機械的な従順以上のものです。若い人は心を開き,心を打ち明けなければなりません。しかし自分が若いので,クリスチャンである父も母も,自分の気持ちを全く分かってくれないと考えている人がいるかもしれません。マスターベーションの問題に陥り,助けを必要としていたあるクリスチャンの少女はそう感じました。この少女は母親に話そうかどうかと悩みました。母親はどんな態度に出るでしょうか。分かってくれるでしょうか。「そのことについて母に話したところ,母は耳を傾けてくれ,しかりはしませんでした」と,この十代の少女は語りました。「母は私を抱きかかえるようにし,私を愛していてこの問題を克服する助けになりたいと言ってくれました。私たちはそのことについて率直に話し合い,話が終わると母は私を抱いて一緒に祈ってくれました。それ以来私はなんでも母に話せるようになりました」。
14 クリスチャンの若者は,敬けんな親の課す規則をどう見るべきですか。
14 このように,若い人々はクリスチャンの親に打ち明けることにより,すぐに助けを得ます。若い人々は敬けんな親の道を「楽しみとする」ようになり,親が課す規則や与える訓練を,“楽しい時”から引き戻そうとする荒々しい“鎖”と見るのではなく,価値ある「首飾り」と見るようになります。(箴言 1:8,9,新)あなたは本当に親に対して正直ですか。それとも「親といるときには親の望み通りになりますが,親がいないときには自分のしたいようにします」と言った若い人のようでしょうか。神を恐れる両親に近付けば,不必要な多くの苦痛を避けるように助けられるのです。親がクリスチャンでなければ,円熟したクリスチャン ― 男子でも女子でもよい ― や会衆内の長老たちに近付くことができます。快く差し伸べられるそうした助けを求めてください。―テトス 2:3,4。ヤコブ 5:14,15。
体を奴隷として連れて行きなさい
15 使徒パウロはコリント第一 9章27節で自分の生き方をどのように説明していますか。若い人はどうすれば同じような行動ができますか。
15 使徒パウロは述べました。「自分の体を打ちたたき[『青黒いあざができるほど打ち』c],奴隷として連れて行くのです[『それがわたしを奴隷として連れて行く』ではない]。それは,他の人たちに宣べ伝えておきながら,自分自身が非とされるようなことにならないためです」。(コリント第一 9:27)パウロは自分自身に“厳しくしました”。ですから,肉体的な欲求に屈してしまうのではなく,性的な感情が興奮させられそうな状況になったら,注意深くそれを避けてください。例えば,性を礼賛する本を読んだりテレビ番組や映画を見たりすると,肉体的な欲求がどうなっていくかは分かるでしょう。ですからこうしたものを疫病のように避けるのです。結婚する備えができていないのにデートをすること(社会的に受け入れられている場合),ある種のダンス,貞潔な目的がなく二人ずつ組になって行動するようなパーティー,これらは皆「性欲」を高めます。それでそれらを避け,「ですから,淫行,汚れ,性欲……に関して……肢体を死んだものとしなさい」。―コロサイ 3:5。
16 結婚の下準備としてデートをしているクリスチャンのカップルは,どんな注意を払うべきですか。
16 二人が結婚の下準備としてデートをしている時には特に,状況に注意を払うことが必要です。自動車,アパート(家を離れて一人住いをしている人などの場合),あるいは戸外の人目に付かない場所などには,過度に親しくなる危険がひそんでいます。17歳の若者は率直にこう語りました。「『やめるべき時は分かっている』と言うことは簡単です。なるほどその時については知っているかも知れませんが,どれほどの人がその時にやめられるでしょうか。それよりもそういう状況を避ける方がよいのです。ほかの人にもいてもらうのです」。確かに年配の既婚婦人などに付き添ってもらえば,二人が一緒の時も,体の性的な欲求を完全に制御できる特別な力が得られます。同時に,どの程度愛情を表現するかについて,「限界を設けてください」。これらのものに堅く従ってください。
17 交わりに注意するのは重要なことですか。なぜですか。
17 道徳的にふしだらな人々と一緒にいることを体が欲するなら,そうした交わりから体を「連れて行く」べきです。「あなたの道を彼女[不道徳な女]のそばから遠ざけよ。彼女の家の入口に近づいてはならない」と聖書は勧めています。(箴言 5:8,新)もちろん学校では若い人たちも数多くの不道徳な人々との交わりを強いられます。しかしあなたは彼らと交際しますか。18歳の一少女は,多くの人々の気持ちをそのまま述べ,こう言いました。「交わりというものは自分の道徳に大きな影響を与えます。性についての彼らの話に耳を傾けるなら,好奇心がわいてきます。性とは一体どんなものなのか考えるようになります。人が言うほどよいものなのでしょうか。私は実にそうした事情がもとで一人で子供を育てていますから,このことの真実さがよく分かります」。―箴言 13:20。
18 貞潔であるゆえに他の人から嘲笑された場合,若いクリスチャンはどんな質問を考慮すべきですか。
18 聖書は,不道徳な人々がクリスチャン会衆内に忍び込むことを示しています。ですから警戒を怠ってはなりません。そのたぐいの人だと思える人がいたら,霊的な援助を受けるため長老たちの所へ行くよう,その人に話してください。それはその人に純粋の愛を示すことであり,同時に会衆内の他の人を守ることにもなるでしょう。確かに,この世的で不道徳な人の中には,あなたの貞潔な立場を嘲笑する人がいるかもしれませんが,考えてみてください。「腐敗の奴隷」,そうです自分自身の欲情の奴隷になっている人に気持ちを乱されてよいものでしょうか。(ペテロ第二 2:19)「自分の情夫たちの後を追いかける」ふしだらで不道徳な女(あるいは男)と,自分の道徳的な強さについて「わたしは城壁です」と言い得る貞潔な乙女と,どちらが本当に強いでしょうか。(雅歌 8:10。ホセア書 2章7節と比較してください。)どちらの人が,自分の自尊心を失い,『自分の尊厳を他人に渡す』ことになりやすいでしょうか。―箴言 5:9,新。ユダ 4,8-13。
19 (イ)『体を奴隷として連れていった』のは,雅歌の中に出て来る二人ですか,それともアムノンですか。(ロ)その結果どうなりましたか。
19 自分の体を制御し,それを支配するなら,昔を振り返って後悔するようなことにはなりません。若いシュラミの娘とその恋人の羊飼いが,ついに結ばれて夫婦になった時の喜びを考えてみましょう。他の人に助けられ,また自分自身の努力によって二人は肉体的な欲求を克服し,貞潔さを保ちました。愛を示す言葉を語りはしましたが,結婚関係に入るまでは不道徳な立場に立つことなく,結婚してお互いに打ち解けたあとに得られる喜びを損なうようなこともありませんでした。どうしても待つことができず,『体の奴隷となって連れて行かれ』,不道徳な行為に陥った情欲に燃えたアムノンとは何という違いでしょう!―雅歌 2:16; 4:16; 5:1。サムエル後 13:1,2,10-16。
神との関係を築きなさい
20 (イ)神との個人的な関係を築かないとどんなことが生じ得ますか。(ロ)パウロがローマ 1章の中で述べている不道徳な人には何が欠けていましたか。
20 幼いころからクリスチャンの家庭で育て上げられた22歳になる女性は,「私はエホバとの個人的な関係を全然築いていませんでした」と正直な気持ちを述べています。「神は私にとって真実の人格的存在ではありませんでした。不道徳なことを行なった時にもちっとも苦しまなかった原因はそこにあると思います」。この女性の状況はパウロが述べている不道徳な人々の状況と似ています。それらの人々は「神を知り」ながら,また「神の義なる定めをはっきり知り」ながら,「正確な知識」d に欠けていました。(ローマ 1:21,28,32)当然培うべきだったこの「より深い,より詳しい知識」,e つまり個人的な知識が欠けていたのです。若いあなたにはこの個人的な「正確な知識」がありますか。神の様々な特質をよく理解するためには個人的に,定期的に神の言葉を学ぶ必要があります。初期クリスチャンがどのようにこうした「正確な知識」によって強められたかを思い起こしましょう。(5ページをご覧ください。)しかし机の上での勉強だけでは足りません。
21,22 神との強力で個人的な関係は何によって築かれますか。
21 心からの祈りは,神との親密さを築きます。不道徳のわなに捕らえられ,そのあとで立ち直ったある若いクリスチャンの少女はこう述べています。
「その個人的な関係を保つ唯一の方法は祈りです。それも決まりきった祈りではなく,本当に心の中から出る祈りです。自分の本当の気持ちをエホバに申し上げ,絶えずエホバと意思を通わせるようにして初めて,エホバが真実に人格的な存在であられ,私の人生に関心を持っておられることが分かりました。神との関係は世界で最も重要なものです」。
22 あなたの祈りはこれほどに真剣なものですか。あなたはその祈りに調和して行動しますか。さらに「神と共に働く者」となり,宣べ伝える業に参加することによって,自分の関心事や目的を,神のそれと同じものにできるのです。そうなれば当然エホバ神との親しい関係を築くことができます。こうした神との個人的な関係は自分にしか築けないということを忘れてはなりません。―コリント第一 3:9。
23 (イ)不道徳に対する闘いは永遠に続きますか。(ロ)エホバに喜んでいただくためにどんな努力でも進んですべきなのはなぜですか。
23 若い人に対する圧力は確かに強くなっています。忠実であるためには日々闘いが必要です。しかしながら「若さの盛り」を過ぎてしまえば,その闘いもより容易になるものです。それでもその闘いは永遠には続きません。やがてこうした不道徳の波の背後にいる主要な扇動者であるサタンは滅ぼされます。間近に迫っている神の新秩序では,わたしたちの歩みを非常に容易なものにする義に満ちあふれた環境が作り出されるでしょう。その新秩序の様々な祝福を思いに描くのです。あなたも,ある若い女性が語った感慨深い言葉に同意されるに違いありません。「私はエホバが私のために行なってくださったことや私に約束しておられることのすべてを考えます。エホバは私を見捨てられませんでした。エホバは非常に様々な方法で私を祝福してくださいました。私にとって最善のことだけを神が望まれることがよく分かります。ですから私は神に喜んでいただきたいのです。エホバのためにどんな努力を払おうとも,永遠の命はそれに値するものです」。―ローマ 16:20。ペテロ第二 3:13。
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親のみなさん,子供の心を動かしてくださいものみの塔 1982 | 5月1日
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親のみなさん,子供の心を動かしてください
「我が子よ,あなたの心が賢くなったなら,わたしの心は,このわたしの心は歓ぶであろう」― 箴言 23:15,新。
1,2 (イ)クリスチャンの親の願いは何ですか。しかしある父親はどう感じましたか。(ロ)子供の訓練において,何を動かすことが必要ですか。なぜですか。
クリスチャンである親は,すべてを台なしにする道徳上の落とし穴に落ちないよう子供たちを守ることに心を砕きます。親である方なら,十代の子供を4人持つあるクリスチャンの父親と同じような心配を抱いておられるに違いありません。その父親はこのように書いています。「若い人たちが直面する道徳は悪化の一途をたどっており,この世が取り入れる新しいものすべてに対処することが,時々難しく感じられます。若い人々を助けることができるようにと私はいつも祈っています。若い人々を深く愛しているからです」。
2 ところが,宗教的な集まりに連れて行かれ,聖書の道徳について教えられても,依然として性の不道徳に巻き込まれる子供が時折見受けられるのはなぜでしょうか。頭に入れる勉強も大事ですが,とりわけ道徳に関しては心が重要な働きをします。子供の心が『賢くなる』ようその心を動かすために,親は何ができるでしょうか。―箴言 4:23; 23:15。
心の中から計り事をくみ上げなさい
3 箴言 20章5節はどんな意味ですか。これは親にどんな行動を要求するものですか。
3 心を動かすには,心の中にあるものをある程度把握しなければなりません。「人の心にある計り事[人の真の目的あるいは根底にある意図a]は深い水のようだ。しかし識別力のある人はそれをくみ上げる者となる」。(箴言 20:5,新)子供の心にある真実の考えは,深い井戸の底にある水のようです。聖書時代には,水位が地表から30㍍も低い所にある井戸があり,人々は水を「くみ出す」ために階段を下りてゆかなければなりませんでした。それはまさに大仕事でした。子供の意図を「くみ出す」ことも同じように困難なことかもしれません。そうするためには同情心と鋭い観察が必要です。巧みな質問や忍耐も求められるでしょう。何時間も進んで子供と話し合って初めて子供の本当の気持ちが表面に浮かび上がるということもあるでしょう。自分も同じような時期を経てきたこと,自分も不完全であることを子供に思い起こさせ,親子二人だけになれる機会を何度か作るようにすると,子供は心を開きやすくなります。―ヨブ 33:5-7。
4 箴言 12章18節によると,どんな話し方は意思の疎通を損ないますか。
4 しかし,『無思慮な』言葉や話はすべてを台なしにすることがあります。ある人は「剣で突き刺すかのように」無思慮に話します。そうした人の言葉は心を傷付け,間に壁を作ってしまいます。ですから本当に耳を傾ける時には「霊を冷静に保つ」ように努力しましょう。あなたにも,だれかから「高飛車な言い方をされた」とか,自分の考えを嘲笑された記憶があるのではないでしょうか。『こんなことが分からないのか』などと言われたかもしれません。あなたはその人に,また自分の心を打ち明けようと思ったでしょうか。―箴言 12:18; 17:27,新。
5 (イ)十代の人はどんな教えを必要としますか。(ロ)大多数の親はそのような教えを与えていますか。
5 子供が十代に達すると性的欲求は非常に強くなります。若い人は,自分の体に生じている事柄を説明してくれる,そして非常に話しにくい数多くの個人的な質問に答えてくれる人と話し合うことを必要としています。それにもかかわらず,青年期に達した子供を持つ1,400人の親を対象に行なわれた調査によると,92%の人は性行動について子供たちと全く話し合ったことがありませんでした。親の持つ背景,国の習慣,そうした話し合いは不要であるという考え,これらのことに妨げられてクリスチャンの親でさえそうした明敏な配慮を示せないことがあります。こうした話し合いはどれほど重要なものでしょうか。
6,7 親が子供たちと性行動について話し合うのはなぜ重要なことですか。
6 あるクリスチャンの長老は何組かの家族にインタビューして次のような結論を得ました。「一つのパターンがあるのは興味深いと思います。早くから実際に性の問題に取り組み,子供たちとよく話し合うことに努めた親たちは良い結果を得ています。どんな理由があったにせよ,この問題に早くから取り組まなかった親たちの場合,結果は大抵よくありません」。
7 このような話し合いから得られる益は数多くあります。第1に,あとで子供の耳に入ってくる偽りの不潔な情報から子供の心を守ることができます。第2に,それによって親に対する敬意と信頼が築き上げられ,思春期まで続く意思疎通の共通の土台を据えることができます。そして第3に,子供はごく個人的な事柄も親に打ち明けやすくなります。それでも多くの親は,幾分きまりの悪い感じのするこの話をどう切り出したらよいものか思案します。
心に教え込んでください
8 性についての話し合いはどれほど早くから始めるべきですか。
8 小さな時から子供に教えはじめることの価値は,いくら強調しても強調し過ぎることはありません。10や11の子供が実際に妊娠したというケースが幾つかあるのです。研究者たちの中には,子供が6歳になるまでに,性について話し合える態勢をしっかりと作り上げるように勧める人がいます。さもなければ,そうしたことを話し合う時はこないかもしれません。この点に関する小さな子供の質問には,率直に,また恥ずかしがらずに答えるだけで足りることも少なくありません。b しかし,十代の若者には,そのような欲求を制御する方法を教える必要があります。心を動かすためには,その教えは非難がましいものではなく,親切な援助として受け取れるものでなければなりません。
9 親は子供の心に何を入れるように努めるべきですか。なぜですか。
9 イエスは言われました。「善良な人は自分の心の良い宝から良いものを出し(ます)」。(ルカ 6:45)したがって子供の心を動かすには,親がその幼い心に,貴重なもの ― 子供が感情的にも受け入れ,大切だと思うものを入れてやることが必要になります。そうすれば,心から「良いもの」が出てくるようになるからです。―マタイ 12:34,35。
10,11 箴言の幾つかの例から,性の不道徳に関する話し合いで子供の心を動かす方法につき,何を学ぶことができますか。
10 この問題に関する箴言の中の教えは,親にとって良い模範です。それは性行動を率直に,また威厳をもって扱っています。第5章(新)に見られる平衡のとれた扱い方に注目しましょう。教訓者である親は,性関係からもたらされる喜び,なかんずく性の不道徳を避ける必要性について,現実に即した話し方をしています。売春婦が男を誘惑しようとするとき,そのくちびるは『蜜を滴らせている』ように見えます。ところがそのあとに残す作用といえば,「にがよもぎのように苦く」,「もろ刃の剣のように鋭い」のです。(3,4節)ついで聖書の教訓者は痛いところをつき,そのような行為によってどのように若者が自分の「尊厳」を失うかを示します。(9節)ただしこれは,『性とはおしなべて罪悪である』式の話ではありません。結婚関係内の性関係を筆者は実に美しく描き出しています。―15-19節。
11 この親は若者を責めたりどなりつけたりなどしていません。箴言 7章では,他の人々の様々な経験について述べ,率直な言葉を用いています。(箴言 7:6,7,13,17,18)教訓者は生き生きした例えを用います。売春婦に誘惑された好色な男は,ほふり場に引かれて行く雄牛に例えられており,『矢が彼の心臓を切り裂きます』。(箴言 7:22,23,新)こうした比喩的な表現を子供たちは忘れようとしても忘れることができません。心の中に蓄えられたこのような戒めとなる例は,若い人が誘惑に立ち向かう際の助けになります。この親は性の不道徳が間違っていると言っただけでなく,その理由を述べ,結果を説明し,若い人がいかにそれに巻き込まれやすいかということを示しています。
12,13 (イ)親が自分の子供と性行動について話し合えるのは,例えばどんな場合ですか。(ロ)ほかに都合の良い時とは,どんな時ですか。(ハ)子供が道徳的であるためには,心の中に良い教えを入れるだけで十分ですか。
12 クリスチャンの親で同様の話し合いをしている人は少なくありません。自然に,また形式ばらない方法でこの問題を扱える様々な機会を捕らえて子供と話し合います。ゆっくり散歩をする時,正しい道徳の価値を例証する何らかの出来事について話している時,会衆の集会でそうした資料が取り上げられたあと,また家族が霊的な討議でその問題を考慮した時などはその良い機会となります。子供たちを助けるために,「あなたの若い時代,それから最善のものを得る」という書籍cを活用している人もたくさんいます。こうした話し合いは必ずしも簡単ではありませんが,親たちは子供に対する純粋な愛に動かされてきました。その点について5人の子供を持つある母親はこのように述べています。「わたしは勇気を奮ってそのことについて話し出しましたが,しまいにはわたしも子供も気詰まりを覚えなくなっていました」。非常に扱いにくい分野だからといって,そのために「良い教え」が不足し,子供たちが言うに言われぬ苦しみを味わう結果にならないようにしなければなりません。―箴言 4:2,新。
13 それでも,良い教えを子供の心に入れることはできても,受け継いだ罪深さゆえに愚かさというものも心に深くしみ込んでいます。―詩篇 51:5。
懲らしめは心を練り清める
14 懲らしめとは何ですか。それはなぜ重要なものですか。
14 幼い心から愚かさを追い出すものは何でしょうか。「懲らしめのむち棒」であると箴言 22章15節は述べています。懲らしめとは人格を陶冶したり矯正したりするための訓練のことです。それは確固としたものですが理解を伴います。ですから,子供に不合理な制限を課して子供をおさえつけたり,「いらだたせ」たりすることはありません。(エフェソス 6:4)子供が異性に関心を抱くようになった場合でも懲らしめは重要です。結婚するには若過ぎる二人の交際を続けさせるのは,災いを招くもとです。
15 (イ)多くの親にとって,どんな状況は悩みの種になっていますか。(ロ)シュラミの娘とそのボーイフレンドが二人だけになりたいと考えた時,娘の兄弟たちは何をしましたか。
15 それでも多くの親は,『二人が一緒にいたがる場合にはどうすればよいのですか』と尋ねます。シュラミの娘の兄弟たちは,両親の指図を受けていたか,または賛同を得ていたのでしょう,羊飼いの青年が自分たちの妹だけを連れて人目につかない山の中を散歩しようとしていたのを知ったとき,それを中止させました。兄弟たちは彼女が時間を持て余さないように,また二人を別々にしておくために彼女に仕事を与えました。兄弟たちは彼女を信頼していましたが,誘惑の力の強いことを知っていたのです。これは娘の人生を台なしにしましたか。それどころか逆に,二人がのちに結婚するまで貞潔さを保つ助けになりました。―雅歌 1:6; 2:8-15。
16 ある親は,子供たちの心を守るために何を行ないましたか。
16 今日も,子供の心を絶えず引き付けておくための活動を行なわせることに加えて,同様の確固とした態度が必要とされます。この点に関して親は真の識別力と敬けんな知恵を用いなければなりません。(箴言 24:3)問題がいったん感情的なものになってしまうと,子供の気持ちをとどめるのは親にとって大変むずかしくなります。クリスチャンの親は子供のデート(社会的に認められている場合)を許す前に,子供の年齢,感情的円熟性や霊的進歩の度合い,子供がデートを望んでいる相手,その活動の実態などについて考慮しなければなりません。不道徳な行為で排斥された19歳の娘を持つある母親は,子供を育て直せるとしたらどうすると思うかと尋ねられ,こう答えました。「十代の早い時期に,異性とロマンチックな関係に陥るようなことは決してさせないでしょう。娘はとても強いから問題に対処できるだろう,などと考えはしないでしょう」。
17,18 (イ)結婚するつもりの二人は,親や,その指示のもとにあるだれかが付添いとして行動することを恨めしく思うべきですか。(ロ)ある若い男の人は,つらい方法で何を学びましたか。
17 若い二人と一緒に座り,二人のデートに賛成できない理由を説明した親もいます。相手の子供の両親と問題を話し合えば,さらに助けが得られるかもしれません。4人の子供を持つあるクリスチャンの親はこう語りました。「幾人かの親は少年少女の交際が“かわいらしい”ものと考えてそれを奨励し,十代の人々が親の監督なしに出かけることを許すことまでしています。結果として現われるのは“二人だけになること”,不道徳,早婚です。うちの子供たちには,趣味を覚えさせ,自分だけで,また家族や同性の他の人たちと行なえるスケートやサイクリングのような体を動かす活動を行なわせようと思います」。
18 二人が求愛できるほどの年齢になってからも,付添いを付けるように取り計らって彼らを助けましょう。結婚を間近に控えていた婚約中の一組のクリスチャンは,感情の抑制を怠って「汚れ」に身をゆだねました。(ガラテア 5:19)当時を回想して,その青年はこう述べました。「大体いつも付添いがいましたが,幾度かあったそういう時には,わたしたちは自分を傷付けることはありませんでした」。親が厳格で,自分たちの娯楽を注意深く監督してくれたことを後で感謝した人々もいます。貞潔さを保ち,後悔やいやな思い出を残さずに結婚にゴールインできたからです。子供の意図するところがやましいものでなければ,親の敬神の訓練を恨めしく思うことはないはずです。それは「命の道」だからです。―箴言 6:23。
子供が神との関係を築けるよう助けてください
19 (イ)子供が不道徳に陥らないようにするための最大の防御策は何ですか。それを培うために何が助けになりますか。(ロ)親は自分の手本についてどんなことを自問できますか。
19 不道徳な行為に陥らないようにするための最大の防御策は,子供がエホバとの親しい個人的な関係を培うことです。これは子供自身が行なうべきことですが,親も助けになれます。何よりもまず,献身に関する親自身の手本が見倣うべき生きた模範となります。西暦1世紀のテサロニケでクリスチャンになった人々は,パウロとその仲間たちが「どのような者」であるかを知り,『見倣う者となり』,同様な「強い確信」を培いました。(テサロニケ第一 1:4-6)子供たちはあなたを『どのような人』と見ていますか。あなたが生活全体を神への献身を中心として築き,その崇拝のために犠牲をささげていることに注目し,あなたの「強い確信」を読み取っていますか。道徳的に腐敗したものを楽しむことなく,不道徳を激しく嫌悪するあなたの気持ちを感じ取っていますか。配偶者や他の人々との接し方に愛の手本を読み取っていますか。エホバが現実的な存在であることをはっきり示すような方法であなたがエホバについて話すのを聞いていますか。こうした手本は,子供がエホバの律法を守るために犠牲を払う上で刺激となります。子供は,そうすることが重要であることを理解するでしょう。
20 良い訓練の効果を台なしにするものに何がありますか。
20 それに,子供たちの交わりをよく見守り,霊的に「強い確信」を示す友達を選んでやるなら,その努力の効果は倍加されます。たとえクリスチャン会衆内の交わりであっても,悪い交わりほどすみやかにあなたの努力を水のあわにしてしまうものはないのです。こうした悪い交わりは子供の霊性を損ない,世代の断絶のもとにもなります。―箴言 13:20。ユダ 3,4,12,16,19。
21 (イ)ヨハネ第一 2章14節によると,どんなものが霊的強さを与えますか。これは親にどんな責任を課すものとなりますか。(ロ)こうした研究を定期的に,また興味深く行ない続けるためにどんな提案がありますか。
21 親である人々は神の言葉聖書の力を確信していなければなりません。使徒ヨハネは,自分が手紙を書き送った会衆内の霊的に強い「若者たち」が,『神のことばが彼らのうちにとどまった』ために,「邪悪な者を征服した」と書きました。(ヨハネ第一 2:14)ですから敬けんな両親は,親密な家族の霊を促進して良い手本を示すことに加えて,家族が神の言葉聖書を定期的に勉強できるよう取り計らうべきです。神の言葉の音信を若者たちの心に深く浸透させるためです。ある夫婦は,3人の子供のうち二人までが十代の時期に悪事に走り,胸を痛めました。幼い頃からクリスチャンの家庭でこれらの子供たちを育てた父親は次のように述べています。「もう一度やり直しがきくのなら,家族の聖書研究をもっと定期的に行なうでしょう。我が家の研究はいつも“行き当たりばったり”でした。定期的な研究を行なえば,わたしたちは家族としてもっと団結し,子供たちも霊的にもっと強められていただろうと思います」。親の側がよく準備をし,機械的でぎこちない,過度に形式ばった方法を避け,子供たちの必要にあった研究にする努力を払えば,その討議は待ち遠しいものになり,家族は霊的に一致するようになります。親は多くの事に時間を費やさねばならないので,これは簡単ではないかもしれませんが,そうした討議の長さよりも重要なのは,一緒に過ごす時間の質です。それに,子供たちには自分で個人研究をする良い習慣を教えなければなりません。―申命記 6:4-9。
22 意味深い祈りをするよう,どのように子供たちを教えることができますか。
22 13ページの経験から分かるように,親密な,心からの祈りは神との親しい関係を築き上げます。祈りの必要性とエホバに『自分の心を注ぎ出す』方法を子供が学ぶよう助けてください。(詩篇 62:8,新)子供に親の心からの祈りを聞かせてください。祈りの中に含められる事柄について話し合いましょう。エホバがどのようにあなたの祈りに答えられたかを話すなら,また子供たちが自分の祈りに対する答えを待ち望むよう励ますなら,子供は祈りに力があることを理解するようになります。
23,24 (イ)子供にエホバに対する恐れを教えるべきなのはなぜですか。(ロ)親は野外の奉仕の務めでだれと定期的に働くべきですか。なぜですか。
23 「エホバとの親密さは神を恐れる者たちのもの」と書いたのはダビデです。(詩篇 25:14,新)子供が神との親密な関係を本当に築くためには,「生ける神」の不興を買うことから生ずる,恐るべき結果について,健全な恐れを抱かなければなりません。(ヘブライ 10:31。箴言 8:13)子供がエホバを愛し,その愛ある親切と善良さを深く認識すべきであることは言うまでもありませんが,エホバの持っておられる,処罰する,あるいは『自分のまいているものを刈り取ら』せる権限に対して厳粛な敬意をも抱かなければならないのです。(ガラテア 6:7)この健全な「恐れ」を幼い時から教え込むと,子供は正しい良心を培うようになります。『つかまらない限り大丈夫』と考えるのではなく,不道徳への誘惑を退けて,「どうしてわたしはこの大きな悪行を犯してまさに神に対して罪を犯すことなどできるでしょうか」と語ったヨセフのように考えるでしょう。―創世記 39:7-9,新。
24 クリスチャンの奉仕の務めを共に行なうことは,エホバが人々に対して抱いておられる優しい関心を子供が培うのを助けることになります。子供の認識が高まるにつれ,生活に有益な変化を生じさせる「良いたより」を教えることがどれほど「多くの人を富ませ」るかを知るようになります。この奉仕の務めも,神との親しい関係を培うための非常に良い助けとなります。―コリント第二 6:10。
普通を越えた助けが必要
25,26 (イ)親が,『普通を越えた』助けを必要とするのはなぜですか。(ロ)そうした助けはどこから来ますか。(ハ)自分は子供を“失いつつある”と感じた時,ある父親は何をしましたか。その後その父親は何を悟りましたか。
25 「十代の子供の親であるというのはやさしい仕事ではありません」,とあるクリスチャンの父親は述べました。この人はさらに,学校の男生徒たちから大きな圧力を加えられている内気な16歳の娘のことで途方に暮れたと語りました。「自分一人でも,また娘ともよく祈りますが,心配はおさまりません」。確かにこの父親は,自分と娘に『普通を越えた力』を与えてくださる神の助けが必要であることを悟りました。―コリント第二 4:7。
26 時にはどんなに努力しても成功しそうもないために,親は無力感を抱くこともあるでしょう。しかしあきらめてはなりません。息子の強情な傾向のため,クリスチャンのある父親は一時期,自分は息子を“失った”と思った,と告白しています。父親はこの子を幼い時からキリスト教の教えにそって育ててきたのです。「私はひざまずいて祈りました。涙が頬をつたって流れました。そしてエホバに助けを請い求めました」とこの父親は述懐しています。「エホバはその祈りに答えてくださり,息子はだんだん良い方向に変化してゆきました。エホバのみ手が家族の中で働くのを見て,私は確かにエホバをより身近に感じるようになりました」。そうです,助けをエホバに求め,エホバに頼るのです。子供たちと共に,そして子供たちのために祈ってください。エホバのみ手が家族の中で働くのを見てください。―テサロニケ第一 5:17。
27 (イ)子供の心に神の律法を書くべきなのはだれですか。(ロ)子供たちが,その心が『賢くなった』ことを示すなら,親はどう感じますか。
27 結局は子供がエホバの律法を自分の心に書かねばならないということを理解しましょう。(箴言 3:1-4と比較してください。)しかし子供の心を動かすため,親としてできることはすべて行ないましょう。子供が真理に忠節でありつづけるのを見るのは本当に大きな報いです。子供たちの心が『賢くなった』ことを示すとき,それは『あなたの心を喜ばせる』何とすばらしい理由となるのでしょう。(箴言 23:15)自分の霊的な子供たちについて次のように言うことのできた使徒ヨハネに似た者となるのです。「わたしの子供たちが真理のうちを歩みつづけていると聞くこと,わたしにとってこれほど感謝すべきことはありません」― ヨハネ第三 4。
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