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  • どうすれば真の安全を見いだせますか
    ものみの塔 1977 | 7月15日
    • にできる。山々の頂は実りこぼれるであろう」と神の言葉は約束しています。(詩 72:16,新)そうです,「野の木は実を結び,地は産物を出す」のです。(エゼキエル 34:27,口)神の王国の任命された王イエス・キリストが地上におられたとき,群衆のために適量の食物を備える能力のあることを実証された以上,わたしたちはそうなることを確信できます。―マルコ 8:19,20。

      正しい方向を見ていますか

      4,5 (イ)今日危険になっているのは何ですか。(申命 30:15,16と比較してください)(ロ)どのようにしてのみわたしたちは命を得ることができますか。

      4 神の新秩序における将来を考えるときにわたしたちは,今日の世の人々が安全を求めて頼るもの,例えば家とか,銀行預金,職業,あるいは生活を楽にする物などを,どのようにみなせばよいでしょうか。物質面での祝福も享受させる目的でエホバが人間を創造された以上,今そうした物を持つのは間違いですか。いいえ,そうした物自体は悪いものとはいえません。エホバは,良いものを楽しむ知的,感情的,身体的能力を持つ者として人間を創造されました。そして新秩序ではその最上の物を与えることを約束しておられます。しかし,人間の歴史の中の今の時点における問題は,人間は物質面の祝福を享受するように造られたかどうかという問題ではありません。今日問題となっているのは人間の命そのものです。

      5 成就した聖書預言は,現在の邪悪な事物の体制の「終わりの日」がいよいよ終わりに近づいていることを証拠づけています。(テモテ第二 3:1-5)やがて神は現体制に不利な裁きを執行されるので,その結果この世は未曾有の苦難の時を迎えることになるでしょう。(ダニエル 12:1)しかし,神の言葉の示すところによると,「すべての国民と部族と民と国語の中から来た」,そして「大患難から出て来る」,「だれも数えつくすことのできない大群衆」がいます。(啓示 7:9,14)彼らは生き残りますが,それは彼らが神の是認と保護を得ているからであって,彼らが占めているかもしれない物質面での有利な立場のためではありません。「人の命はその所有している物からは生じない」とイエスは言われました。(ルカ 12:15)神の新秩序におけるとこしえの命は,エホバ神を知りエホバの是認を得て初めて得られるのです。―ヨハネ 17:3。

      6 現在の邪悪な体制のどこかに安全を保障するものがありますか。(詩 146:3)

      6 安全の保障としてこの世が提供するものはみな,神の怒りが現在の人間の体制に臨むときに何の意味もなさないでしょう。今人類を支配している政治,宗教,軍事,経済の体制はことごとく無に帰しますから,それらがなんの保護をも与えないことは確かです。(啓示 6:16,17)したがって,今日,強くまた保護となるように見えているものも,神の破壊的な力が攻撃するときには崩れ去るのです。古代においては,苦難の時に強力な馬に安全を求め,馬が逃れさせてくれることを当てにする者が少なくありませんでした。しかし神のみ言葉には,「馬は救いに関しては欺瞞であり,その活力の豊かなことによって逃れさせるのではない」とあります。(詩 33:17,新)今日でも同様で,一見強く見える人間製の体制も,物質面での有利な立場も,より大きな保護または逃げ道を備えてくれるものではありません。『救いはエホバにある』のであって,人間の作った体制や人間の業にあるのではありません。「エホバの御名は強固な塔。その中に義人は走り入り,保護を受ける」― 詩 3:8; 箴 18:10,新。

      7,8 沈没しかけている船の乗客は物質面の益をどう考えますか。

      7 今日の人々の立場は,船客の立場になぞらえることができます。船が通常提供する物質面の益は何も悪いものではありません。船が積んでいる食品は味がよくて栄養があり,船室は温くて居心地がよく,他のサービスや益も心を楽しませるものかもしれません。しかし,もしその船が何かに衝突して沈みはじめたならどうですか。例えば1912年に,あの有名な「タイタニック」号に何が起きたか考えてみましょう。ある百科事典によると,「専門家たちはその船を不沈と考えて」いました。しかし,氷山に衝突して沈没したとき,あらゆる物質面の益を与え得たその「タイタニック」号上に,どれほどの真の安全があったでしょうか。そこにはなんの安全もありませんでした。船は沈没して1,500人ほどの人が命を失いました。

      8 もしあなたがその「タイタニック」号に乗っていたなら,船が沈み始めたとき,何をすることに夢中になったでしょうか。それまで船内で得ていた物質面での益を悪いものと思ってはいなくても,その時点では,全く重要でないものと考えたのではないでしょうか。その新事態の中で第一に重要なことは自分の命を救うことだったでしょう。二,三時間後には波の下に沈むというときに,その船の上でもっと上等の船室や食事を手に入れようとして全精力をそのことに費やす人がいたなら,あなたはその人を非常に愚かな人,いや,気の狂った人と考えたことでしょう。

      9,10 時の流れのどのあたりにいるかを考えるなら,物に対するわたしたちの態度はどうあるべきですか。(フィリピ 3:7,8)

      9 現在の事物の体制もまもなく滅びます。ですからその中には今真の安全はありません。生き残る部分は全くないからです。神の天の王国は,今日存在する「すべての王国を打ち砕いて終わらせ」ます。そして神の天の政府だけが「いつまでも定めなく保ちます」。(ダニエル 2:44,新)またこの来たらんとする神の裁きのときには,「世のはじめから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難がある」とイエスが予告されている以上,物質の財産だけでなく命も非常に多く失われることは明らかです。―マタイ 24:21。

      10 わたしたちは1977年の現在,重大な年1914年の秋から数えて,「終わりの時」の63年目に住んでいます。聖書預言の成就としてわたしたちの時代に起きている出来事から見て,現在の邪悪な体制がまもなく致命的な打撃を受けることは明白です。ではわたしたちはどんな態度を取るでしょうか。それは場合によります。つまりその態度は何を目標にするかによって決まります。もし神の新秩序でのとこしえの命を目標にするなら,エホバを探し求めまたそのご意志を学ぶために,自分にできる事柄をすべて,しかも事情の許す限り,行なうでしょう。世の物質的な事柄に主要な関心を注ぐことはありません。むしろ,「命を支える物と身を覆う物とがあれば,わたしたちはそれで満足するのです」― テモテ第一 6:8。

      11 (イ)物質主義的になるのは富んだ人々だけですか。(ロ)今物を追い求めることだけに関心を持つのはなぜ近視眼的ですか。

      11 「地上に宝を蓄えるのをやめなさい」と警告したイエスは,現在の事物の体制の中ですべての宝がいかにはかなく不安定なものかを,十分に知っておられました。(マタイ 6:19)この忠告は富んでいる人々だけに与えられたのでもありません。貧しい人々も,物質の富を得また蓄えることに同じように夢中にならないとは言えません。人々はその経済上の身分のいかんを問わず,何を生活の目標とするかによって,自分のうちにある真の動機を示します。「あなたの宝のある所,そこにあなたの心もあるのです」とイエスは言われました。(マタイ 6:21)もし人が,さらに多くの物を集めるために,例えばさらに大きくさらに上等の家,さらに多くの銀行預金,さらに良い職業などを得るために,結果も考えずに絶えず手を伸ばしているなら,その人は実際に世のものを望んでいることを無意識に示しているのです。現体制の与える益を主に考えていることをその業によって証拠立てているのです。しかし,「すべて世にあるもの ― 肉の欲望と目の欲望,そして自分の資力を見せびらかすこと ― は父から出るのではなく,世から出るからです。さらに,世は過ぎ去りつつあり,その欲望も同じです。しかし,神のご意志を行なう者は永久にとどまります」とある以上,そのようなことをするのはいかにも近視眼的と言わねばなりません。―ヨハネ第一 2:16,17。

      過去から学ぶ

      12 ノアの日の人々はどこが間違っていましたか。

      12 洪水前の時代の邪悪な人々が,ノアとその家族に浴びせた嘲笑をわたしたちは想像することができます。なぜなら,ノアとその家族はエホバのご意志を行なうことに多くの時間を費やしたからです。もちろん,彼らは日々必要なものを得るために,また住居を維持するために,働かねばなりませんでしたが,そのことに活動を集中したのではありません。しかし,当時の世のほかの人々は,『ノアが箱船に入る日まで,食べたり飲んだり,めとったり嫁いだり』することに没頭していました。(マタイ 24:38)しかしもし度を過ごさないなら,食べることや飲むことや嫁ぐことは悪いことでしょうか。それは悪いことではありません。エホバご自身が,男と女を創造されたときにそうした事柄を行なうよう定められたからです。間違っていたのは,生死が問題となっていた裁きのときに,愚かにもそうした営みを生活の中心にして,神のご意志に注意を払わなかったことです。

      13 当時の人々の物質の財産は彼らの安全を保障しましたか。ノアの財産は彼の安全を保障しましたか。

      13 それらの人々についてイエスは,「洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでした」と言われました。(マタイ 24:39)箱船の建造と伝道に全力をそそぐために,物質上の利益の追求を思い切ったので,人々はノアのことを「変人」と考えたかもしれません。しかし,物質を追い求め,「楽しい時」を過ごすことに熱中することが何の役に立ったでしょうか。それはなんの永続的益ももたらしませんでした。その世は水で滅ぼされたので,彼らは財産のみならず命まで失ってしまいました。(ペテロ第二 2:5)また次のことにもよく注意してください。ノアの家と財産,ノアの息子たちとその妻たちの家と財産は何の役に立ったでしょうか。それらも安全を保障するものではありませんでした。安全を見いだせる所は箱船でした。持っていた家を捨てるべきときが来たとき,彼らはそうすることを少しもためらいませんでした。そういう物が安全を保障してくれるとは信じていなかったので,何の苦もなくそれらを後に残して行くことができました。―創世 6:22。

      14 ソドムとゴモラの人々は皆どんな損害をこうむりましたか。しかし,ロトとその娘たちの場合にはどんな違いがありましたか。(ルカ 9:62)

      14 その後幾世紀かたって,エホバがソドムとゴモラをそのはなはだしい悪のために滅ぼされたとき,それらの町にどれほどの家や財産が残ったでしょうか。何も残りませんでした。ロトとその家族がソドムを捨てたとき,持ってゆくことができたのはごくわずかの物でした。家,家具,そして持ち物のほとんどはやはり破壊してしまいました。それでもロトとロトの二人の娘は,命のほうがもっと大切だということを認識していました。彼らは問題点を理解していました。エホバを信じ,エホバの指示に従ったために,彼らは救われました。しかし,その町の住民と彼らの財産は救われませんでした。イエスが言われた通り,ロトの日に,「人びとは食べたり,飲んだり,買ったり,売ったり,植えたり,建てたりしていました。しかし,ロトがソドムから出た日に天から火といおうが降って,彼らをみな滅ぼしたのです」。だれをも含めて? 悲しいことにロトの妻もそれに含まれていました。逃げるときに,命令に背いて,後に残して来た物の方に振り向いて命を失いました。―創世 19:26。ルカ 17:28,29。

      15 イエスはなぜわたしたちの時代をノアやロトの時代と比較されましたか。

      15 「大患難」が来るときも,ノアの日やロトの日と同じようであろう,とイエスは言われました。地の住民の大多数は,神と神のご意志に無関心のままでいるでしょう。その結果,彼らは命を失うでしょう。人は死んでいるとき,自分の物質の財産のうちどれほどのものを楽しめるでしょうか。その一つも楽しむことはできません。しかし,生き続けることを願う人,安全を求めて神に心を向ける人の場合は,そのような結果にはなりません。そういう人たちは,物質に関心を奪われません。「人の子が表わし示されようとしている日」に物質の財産をすべて捨てる覚悟が実際にできています。というのはイエスがこう言われたからです。「その日,屋上にいる人は,家財が家の中にあっても,それを取りに下りてはならず,野に出ている人も,後ろにある物に戻ってはなりません。ロトの妻のことを思い出しなさい」― ルカ 17:30-32。

      16 クリスチャンたちはエルサレムが西暦70年に破壊されたときに損害をこうむりましたか。

      16 来たらんとする「大患難」のときの物質の破壊はどれほどの範囲に及ぶのでしょうか。それは時がたたねば分かりません。しかし,聖書の歴史に見られる前述の例の場合には,莫大な物質的損害がありました。それには神の民の物質的損害も含まれます。西暦70年にローマの軍隊がエルサレムを破壊したときも同様でした。クリスチャンたちはその前に,恐らく楽に持てるだけのごくわずかな物を持って,自分の家を捨てて出て行かねばなりませんでした。(ルカ 21:20,21)町に残った人々はどうなったでしょうか。家と財産をローマ人に取られただけでなく,命も奪われたでしょう。町から逃げたクリスチャンたちは,やはり家と財産のほとんどを失いましたが,命だけは失わずまた自由を保ちました。同様に,来たらんとする患難においても,物質上の損害は莫大なものになる可能性があります。あなたはそういう個人の損害をどのように見るでしょうか。

      17 間違った方向に安全を求めるのはなぜ悲しむべき誤りですか。(ゼパニヤ 1:18)

      17 それで今考えてみてください。あなたは実際に何に安全を求めていますか。「金」にですか,それとも神にですか。あなたの思いと心は何に集中していますか。この体制のものですか。あるいは神の新秩序ですか。あなたの行動,あなたの生活様式は,あなたがどこに安全を求めていることを示していますか。終わりに近いこの時期に,間違った方向に安全を求めるなら,それはなんと悲しむべき誤りでしょう。ヨブ記 31章24-28節(口)に述べられている通りです。「わたしがもし金をわが望みとし,精金をわが頼みと言ったことがあるなら,わたしがもしわが富の大いなる事と,わたしの手に多くの物を獲た事とを喜んだことがあるなら……これもまたさばきびとに罰せらるべき悪事だ。わたしは上なる神を欺いたからである」。

      18 正しい方向に安全を求める人々には,胸のおどるようなどんな見込みがありますか。

      18 人間の体制の崩壊が切迫していることと,続いて起こる莫大な物質的損害とを考えるとき,それに対して精神的準備をしないことは,確かに近視眼的です。もし命を愛し,生き続けることを望むなら,どんな物にも愛着しないようにしましょう。「宝は怒りの日に益なく,正義は人を救い出して,死を免れさせる」。「自分の富を頼む者は衰える,正しい者は木の青葉のように栄える」。(箴 11:4,28,口)その「正しい者」は神の新秩序に導き入れられ,そこでこの地をパラダイスに,彼らが永久に楽しく住む美しい住みかにする,胸のおどるような仕事に参加します。正しい方向を見つめてきたために彼らは「心を安んじて住み,彼らを恐れさせる者」はありません。―エゼキエル 34:28,口。

  • あなたの安全を保障するものは何ですか ― あなたの家?―あなたの銀行預金?―あなたの職業?
    ものみの塔 1977 | 7月15日
    • あなたの安全を保障するものは何ですか ― あなたの家?―あなたの銀行預金?―あなたの職業?

      1 エホバはどんな正当な望みを,どのように満たしてくださいますか。

      正常な人なら皆安全を望みます。経済上の安全,快適な住居,満足のいく仕事,恐れからの自由,心の平安などを望みます。エホバは男と女を創造されたとき,当然求めてしかるべきそうしたものに対する欲望を彼らに植え付けられました。そしてエホバの天の王国の支配するエホバの新秩序では,人類はその安全を享受するのです。霊感を受けた詩篇作者はエホバについて,「あなたは御手を開き,すべての生けるものの願いを満たしておられる」と述べました。(詩 145:16,新)神の新秩序では,人間の正当な望みは十分に,人間が予期している以上に満たされるでしょう。

      2 来たるべき「大患難」ではどんな損害が生じますか。

      2 しかし,わたしたちはまだエホバの新秩序に入っていません。依然としてこの邪悪な事物の体制下にいます。けれどもその終わりは急速に近づいています。それは間もなく,すなわち来たらんとする「大患難」で神と正面衝突するときに,終わります。(マタイ 24:21)それで,神の新秩序が実現する前に,サタンの支配下にある政治,商業,宗教の古い体制は除去されるはずです。(コリント第二 4:4。啓示 19:11-21)そのときエホバは,ご自分の意志を行なおうとしない者を死刑に処せられるので,命を失う人はおびただしい数に上るでしょう。また,ノアの日の洪水で邪悪な人々が滅びたとき,ソドムとゴモラが破壊されたとき,そしてエルサレムが西暦70年に荒廃に帰したときにそうであったように,物質面の損害も大きいに違いありません。―ルカ 17:26-29。歴代下 36:19。

      3 極めて近い将来に起こる事柄のゆえに,わたしたちはどんな態度を保つべきですか。

      3 物質面の安全を求める正常な願いがそのふちを越えないよう,今常に注意していなければならない大きな理由はそこにあります。物質に注意を払い過ぎると,最も重要な事柄,つまりエホバのご意志を行なってエホバの是認を得ることからそれていく恐れがあります。使徒パウロは次のように書いています。「わたしたちも,あらゆる重荷と容易に絡みつく罪とを捨て,自分たちの前に置かれた競走を忍耐して走ろうではありませんか」。(ヘブライ 12:1)この事物の体制が一般に追い求める事柄にかかわりを持ち過ぎると,わたしたちの信仰は容易に弱くなります。ちょうど走者が,重荷になる不必要なものをすべて脱ぎ捨てて競走するように,わたしたちもとこしえの命という賞を目ざして走るのにそうする必要があります。パウロはまたクリスチャンを,ほかの仕事に携わって注意をそらすようなことをしない兵士になぞらえ,こう述べています。「キリスト・イエスのりっぱな兵士として,ともに苦しみを忍びなさい。兵士として仕えている者はだれも生活のためのもうけ仕事などにかかわりません。自分を兵士として募った者の是認を得ようとするからです」― テモテ第二 2:3,4。

      平衡のとれた見方をする

      4 神は人々が家や職や金銭を放棄することをご自分の民に要求しておられますか。

      4 ではこの言葉からわたしたちは,この体制の終わりが非常に近いので神はクリスチャンたちに家も職業も金銭もすべて放棄することを要求しておられる,と結論すべきですか。多くの人が失業している,経済的に特に困難なこの時代に,生計を立てることについてもう心配する必要はないというのでしょうか。そういうことではありません。神の言葉は次のようにも述べているので,そのように結論すべきではありません。「自分に属する人びと,ことに自分の家の者に必要な者を備えない人がいるなら,その人は信仰を否認していることになり,信仰のない人より悪いのです」。(テモテ第一 5:8)『自分の家の者に必要な物を備える』ためには,家族を扶養する責任を持つ人は,衣食住をまかなうに足るだけのお金をもうけるために働かねばならないのが普通です。

      5,6 今日における,物質上の事柄に関する真の問題点はどこにありますか。

      5 聖書が強調している点は,生計を立てることは重要であり必要ですが,それを生活の中心としないように,ということです。一日の労苦で疲れ果てるなら,神を探し求め,神のご要求を学び,そして神のご意志を行なう時間も精力も残っていないように感じるかもしれません。それでだれを自分の神とするか,エホバかそれとも物質上の事柄か,決めなければなりません。「だれも二人の主人に奴隷として仕えることはできません。……あなたがたは神と富とに奴隷として仕えることはできません」とイエスは言われました。(マタイ 6:24)物質上の事柄を心配しすぎる人は,そのために働くことに,またそれの管理に熱中し過ぎているのが普通です。多くの富を持つ人が往々にして神のご意志を行なうことに非常な困難を感じるのはそのためです。富を築き維持することに忙殺されるのです。ですからイエスは言われました。「お金を持つ人びとが神の王国に入るのはなんとむずかしいことなのでしょう」― マルコ 10:23。

      6 遅かれ早かれ,いずれか一方 ― 神かまたは物質上の事柄 ― が勝利を得て,あなたが用いる時間,示す態度,深い認識などに表われ,あなたの生活の中心となるでしょう。ロトおよびその妻の場合と同じく,何が中心になるかによってあなたの将来は決まります。「惑わされてはなりません。神は侮られるようなかたではありません。なんであれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです」。(ガラテア 6:7)農夫は,雑草の種をまいておいて小麦を刈り取ることは望めません。同様に,もし小麦をまくなら雑草を刈り取ることはありません。それでもしこの体制が今提供する物質的益への信頼をまくなら,わたしたちはこの体制が滅び去るときに失望を刈り取ります。もし神への信頼をまくなら,現在もまた神の新秩序においても,神が与えてくださる報いを刈り取ります。

      7 使徒パウロは正しい態度をどのように示しましたか。

      7 時の流れのどのあたりにいるかを考えるとき,今日とるべき実際的な知恵の道は,使徒パウロの態度に倣うことです。「わたしは実際のところ,わたしの主キリスト・イエスに関する知識の優れた価値のゆえに,いっさいのことを損とさえ考えています。彼のゆえにわたしはすべてのものを損失しましたが,それらを多くのあくたのように考えています。それは自分がキリストをかち得」るためです,とパウロは言いました。神のご意志を行なうことが,命をも含めすべてを失うことを意味しても,パウロは退きませんでした。パウロは復活という確かな希望を抱いていました。事実,「死人の中からの早い復活」を待ち望んでいました。人生において本当に重要なのは,財産でも,富でも,彼が以前共同体の中で有していた地位もしくは身分でもないことを,パウロは認識していました。実際に価値のある事柄のためなら,つまり神のご意志を行なって神の恵みと祝福を得るためなら,そうしたものを手放すこともいといませんでした。―フィリピ 3:8,10,11。

      家はどれほど重要か

      8,9 家や財産に愛着し過ぎるのはなぜ賢明でないでしょうか。

      8 それが賢明な態度であることは,物に過度の愛着を持つようになった人がその物を失ったときに経験する悲しみ,失望,腹立ちなどを見るとよく分かります。例えば,人はきょうすばらしい家を持っているかもしれませんが,あすもそれを持っているというどんな保証があるでしょうか。それまで生きてさえいないかもしれません。(ルカ 12:16-21)今でも,家を買って多くの負債を抱えている人の中には,経済的に「困難な時代」にあって返済もままならず,家を手放さざるを得ない人が少なくありません。

      9 また,毎年幾千という家が火事や洪水やあらしなどで破壊されたり,損害を受けたりしています。泥棒が家に押し入って物を盗んでいくこともしだいに多くなっています。保険で損害が補える場合もありますが,多くの場合はそれができません。また,そうした財産に生活を集中している人々が払う感情的犠牲はどうでしょうか。ある主婦は言いました。「それは本当です。物を多く持てば持つほど心配も多くなります」と。さらに世界の多くの場所では,戦争や暴動その他の暴力行為が生じて多くの家が破壊されましたが,それが補償される希望はありません。

      10 正しい見方を持つことからクリスチャンはどんな益を得ますか。(ルカ 14:33)

      10 必要物を無理のない程度に最小限に保つ人,物がそれほど多くなくても満足する人は,失う物も多くありません。それに加えて,たいていより多くの時間と精力が勉強や創造者への奉仕に使えます。エホバとエホバの約束に対する確信を築き上げることに注意を集中できます。火事や暴動や暴力で家が破壊されることがあるかもしれませんが,それらはエホバが与えてくださる真の安全を破壊することはできません。ですから,「わたしに聴き従う者,その人は安全に住み,災難に対する非常な恐れによってかき乱されることはない」とエホバは言われます。(箴 1:33,新)そういう人は間違いなく,「わたしは平安のうちに身を横たえ眠ろう。あなたのみが,ああエホバよ,わたしを安全に住まわせてくださるからです」と言うことができます。―詩 4:8,新。

      11 「大患難」のときにはどんな物質上の損害が生じますか。

      11 最後に,家や財産について言うなら,それらは「大患難」の間にそのまま残るでしょうか。その混乱しきった状態のときに,財産は影響を受けないなどと考えるべきでしょうか。(ゼカリヤ 14:13)また,「大患難」の間にサタンとその軍勢は,「物を奪い,物をかすめ」るためにエホバのしもべたちにも攻撃をしかけるでしょう。(エゼキエル 38:12)敵がどこまで来るのをエホバが許されるか,現在のところそれは分かりませんが,物質面に損害が生ずる可能性は大いにあります。

      12 わたしたちは何を待ち望むことができますか。

      12 こうした多くの理由があるので,家や家具など,今それをどれほど楽しんでいても,それに過度の感情的愛着を感ずるようになるのは賢明でないことが分かります。エホバがそういう物を非とされているというのではありません。しかし,エホバはそういう物への愛着が,ロトの妻の場合にそうなったように,危険なものとなる可能性のあることをご存じなのです。(ルカ 17:31,32)それでわたしたちはそういう物に愛着を持つのではなく,神の新秩序を待ち望むべきです。その時には神のしもべたちは全き安全を得,適当な家を建ててそれに住むことができます。

      あなたの安全を保障するのは金銭,それとも職業?

      13 お金はどれほど安全ですか。(伝道 7:12)

      13 この事物の体制の中で生きてゆくには,また生活に必要な物を買うにはお金がいります。しかし多くの人は多額の銀行預金を持つことを望みます。これが安全を保障してくれると考えます。しかし,近代の歴史はそれが保障にならないことを物語っています。世界大恐慌の際には,世界中で何千という銀行が閉鎖され,預金者たちは大損害を被りました。ある経済学者は最近こう言っています。「銀行制度は……第二次世界大戦終結以後,継続的に質が低下していっている」。また貨幣価値も,ちょうど氷の塊が太陽の光に当たってしだいに溶けていくように,インフレによって蚕食されています。確かに貨幣の歴史は,不安定,という一語に要約されます。

      14 金銭を愛さないことはなぜ道理にかなっていますか。(マタイ 19:21)

      14 したがって,お金は必要であり現在のところ有用ではあっても,それを頼みにするのは愚かなことです。今日の経済制度を取り繕うために当局がどんな手を打っても,実際のところそれはまもなく完全に崩壊し,しかも今度は永久に崩壊するのです。以前一度あったように,次のような状態の生ずる日が足早に近づいています。「彼らはその銀をちまたに捨て,その金はあくたのようになる。[エホバ]の怒りの日には金銀も彼らを救うことはできない」。(エゼキエル 7:19,口,[新])このことを考慮に入れて,神の言葉は賢明な助言を与えています。「あなたがたの生活態度は金銭に対する愛のないものとしなさい。そして,今あるもので満足しなさい」。こういう助言に注意を払わないで金銭を愛するようになったために,「ある人たちはこの愛を追い求めて信仰から迷い出,多くの苦痛で自分の全身を刺したのです」。(ヘブライ 13:5。テモテ第一 6:10)ですから,金銭への愛は神の王国の関心事から人をそらせるだけでなく,「多くの苦痛」をも招きます。金銭を得てそれを失わないようにするには多くの事を経なければならないからです。

      15 富はとこしえの命のために働く点で有利ですか。(詩 49:16,17)

      15 富んでいる人は,「永久に生き,坑を見ないように」,「自分の家が定めのない時にまで至」るように望み,また『己の地所を自分たちの名で呼ぶ』ことさえしたかもしれません。(詩 49:9,11,新)しかし,将来を決めるのは神です。来たらんとする苦難の時にだれと何を保護するかを決めるのは金銭ではなくエホバです。またエホバの新秩序では,富と権力を持つ人間の思いつきによって地が分割されるのではありません。ご自分の民すべてが地の境界から益を受けるよう,エホバがご自分の王国政府によって経済問題を調整されます。(ローマ 2:11)したがって,「自分のために宝を天に蓄えなさい。そこでは蛾もさびも食わず,盗人が押し入って盗むこともありません」という聖書の助言は,なんと実際的で命の救いとなる助言なのでしょう。(マタイ 6:20)天にいます神との良い取り引きこそ重要であって,どこかの銀行に預けてある多額のお金が重要なのではありません。

      思い煩いを避ける

      16 経済的に困難な時にも,クリスチャンはどんな平衡を保ちますか。(マタイ 6:34)

      16 といっても,今日ほとんどの人は富んではいません。支出に見合うだけのお金をもうけることのほうを心配しています。近年における世界的経済困難で多くの人が職と収入を失ったために,大きな不安があります。神のしもべたちもそのような状況の中にあって心配の種がないわけではありません。しかし平衡を保ちます。「ある人々が習慣

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