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  • 暴力的な世にあって神と共に歩む
    ものみの塔 1983 | 10月15日
    • 8 (イ)現在の世界の状況はノアの時代の状況とどのように似ていますか。(ロ)どのような模範をノアは残していますか。その模範に従うことによりどのように益を得られますか。

      8 使徒ペテロはこう告げています。「その時の世は,大洪水に覆われた時に滅びを被ったのです。しかし,その同じ[神の]み言葉によって,今ある天と地は火のために蓄え置かれており,不敬虔な人々の裁きと滅びの日まで留め置かれているのです」。聖書預言の成就は,今の世がその裁きの日に非常に近づいていることを示しています。生き残るためには何をしなければならないでしょうか。ノアは家族と共に何を行ないましたか。聖書は次のことをわたしたちに教えています。「ノアはまことの神と共に歩んだ。……ノアはすべて神から命じられたとおりにしていった」。(ペテロ第二 3:6,7。創世記 6:9,22; 7:5)その中には「義の伝道者」になることが含まれていました。「彼は[信仰によって]世を罪に定め……ました」。(ペテロ第二 2:5。ヘブライ 11:7)確かに「邪悪な者の配下にある」,この現代の世からの救いを求めるわたしたちは,ノアとその家の者たちが示したすばらしい模範にしっかりと従うべきではないでしょうか。―ヨハネ第一 5:19。

      暴力の激化

      9 (イ)ノアの時代に暴力が激化したことからどんな結果が生じましたか。(ロ)どんな類似の事態の進展が洪水後にありましたか。それはどんな極みに達しましたか。

      9 大洪水の前の世では,神ご自身が裁きを執行して地を破滅させようとしていた者たちを破滅に至らせた時まで,暴力が激化してゆきました。(創世記 6:13,17)ノアのひ孫,「エホバに敵対する力ある狩人」であるニムロデの時以降,暴力が恐らく最初は徐々に,しかし確実に勢いを増しながら,世々代々にわたって再び激化してゆきました。(創世記 10:1,6,8,9)やがて,剣,弓矢,やりなどが姿を現わし,より新しい時代になってからは,マスケット銃,大砲その他の火器が作られました。しかし1914年に始まった第一次世界大戦は,飛行機,戦車,毒ガスなど暴力を行使するための驚くべき新兵器を生み出しました。その戦争では潜水艦が使われて強い恐怖心を起こさせ,機関銃は文字通り幾百万もの人々の命を奪いました。

      10 (イ)「主の日」に生ずる出来事に関するイエスの預言は,どのように成就してきましたか。(ロ)間もなくエホバが裁きを執行されると考えてよいのはなぜですか。

      10 主イエス・キリストは,わたしたちが1914年以来生きている「主の日」におけるこうした事態の進展を予告しておられました。(啓示 1:10)ご自分が新たに王冠をいただいた王として白い馬に乗り,火のような色をした馬の乗り手を従えながらどのように乗り進むかということも述べられました。火のような色の馬の乗り手には,「人々がむざんな殺し合いをするよう地から平和を取り去ることが許され」ています。「そして大きな剣[全面戦争の剣]が彼に与えられた」と記されています。この象徴的な剣には,人間がこれまで考案し広めてきた道具のうち最も恐ろしく猛烈なものが含まれますし,全部を合わせると,地上に住む人類全体を何回でも吹き飛ばすことができる核ミサイルもその中に入ります。ノアの時代に巨人ネフィリムが存在したことと,人の悪が満ち満ちたことが原因でエホバが『彼らのゆえに地が暴虐で満ちたため,人類を滅びに至らせた』のであるならば,わたしたちには,宇宙の同じ主権者なる主が今日「地を破滅させている者たちを破滅に至らせる」と考えてよいはるかに正当な理由があります!(創世記 6:4,7,13。啓示 6:1-4; 11:18)主イエスご自身は,わたしたちの時代の不敬虔な人々について語り,こう述べました。「人の子の臨在はちょうどノアの日のよう……です。洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでした」― マタイ 24:37,39。

      暴力に関するクリスチャンの見方

      11 (イ)神が,古代イスラエルの戦争を是認されたのはなぜですか。(ロ)神とキリストは,現代の戦争をどうご覧になるはずですか。(コリント第二 10:3,4と比較してください。)

      11 古代の神の僕たちが戦争を行なってきたのは確かです。しかし,それらの戦争は神によって命じられた神権的な戦争であったことを忘れるべきではありません。イスラエルが戦争をしたのは,堕落して悪霊崇拝を行なっていた諸国民を神の「地」から追い出すためでした。(レビ記 18:24-27。申命記 7:1-6)諸国民の戦争,また特に1914年以来世界支配をめぐって行なわれた戦争を神は是認されるでしょうか。カトリック教徒がカトリック教徒を,プロテスタント信者がプロテスタント信者を,仏教徒が仏教徒を,回教徒が回教徒を殺害する時,彼らは『一人の人からすべての国の人を造られた』神と調和して行動しているのでしょうか。平和の君であられるキリストは,第一次世界大戦およびその後の第二次世界大戦が始まった時にキリスト教世界で生じた流血の事態をどうご覧になるはずでしょうか。(使徒 17:24-26。イザヤ 9:6)平和の君が暴力による死を遂げる直前クリスチャンのために定められた,新しいより高度な規準に注目してみましょう。

      12,13 (イ)イエスが,弟子たちに剣の準備をするよう注意したのはなぜですか。(ロ)その時イエスは,神権的な戦いについて何を明らかにされましたか。

      12 預言を成就する面でのご自分の役割を念頭に置いていたイエスは,逮捕される前の晩に弟子たちにこう言われました。「剣を持っていない者は,自分の外衣を売ってそれを買いなさい。あなた方に言いますが,書かれているこのこと,すなわち,『そして彼は不法な者たちと共に数えられた』ということは,わたしに成し遂げられねばならないからです」。弟子たちが,「主よ,ご覧ください,ここに剣が二振りあります」と答えた時,イエスは「それで十分です」と言われました。(ルカ 22:36-38)何に関して十分なのでしょうか。第一に,イザヤ 53章12節を成就するという点に関して,第二に,クリスチャンに対する重要な教訓をよく理解させるという点に関してです。

      13 剣を用いる理由としては,神のみ子ご自身を守ること以上に強力な理由はなかったに違いありません。しかし,イエスがその時に死を免れることは神のご意志ではありませんでした。それで使徒ペテロが自分の剣を用いて大祭司の奴隷に切りかかった時,イエスは「あなたの剣を元の所に納めなさい。すべて剣を取る者は剣によって滅びるのです」と言われました。(マタイ 26:52,53。ヨハネ 18:10,11)このようにイエスは,その時以後の神権的な戦いには文字通りの武器を使わないということを明らかにされました。

      14 イエスが述べられたように,『世のものではない』ことには何が関係していますか。

      14 このことは,その同じ晩の早く,イエスが,弟子たちは『世のものではない』ために迫害されると語られたことと明確に調和していました。イエスはその同じ晩み父に祈り,弟子たちがご自分と同じように『世のものではない』ことを強調されましたが,その祈りとも調和するものでした。またそれは,イエスがピラトに述べたこととも一致していました。イエスはこう言われました。「わたしの王国はこの世のものではありません。わたしの王国がこの世のものであったなら,わたしに付き添う者たちは,わたしをユダヤ人たちに渡さないようにと戦ったことでしょう。しかし実際のところ,わたしの王国はそのようなところからのものではありません」。―ヨハネ 15:19,20; 17:14-16; 18:36。

      15 (イ)世から離れることにより,どんな一致が生じていますか。(ロ)この一致に関するさまざまな面が,イザヤ 2章2-4節にどのように描写されていますか。

      15 あなたは今,イエスや西暦1世紀のその弟子たちに倣い,この世と,その暴力的な物事の行ない方から離れていますか。もしそうでしたら,あなたはエホバの証人だけが経験している世界全体にわたるすばらしい一致にあずかるようになったのです。その一致は,神の律法と,現代における神のご意志に対する従順から生まれるものです。「すべての国民と部族と民と国語の中から来た」,平和を愛するクリスチャンの「大群衆」が,崇拝のためのエホバの偉大な霊的神殿にいま流れ込んでいるからです。(啓示 7:9,10,15)それらの人々のことは,イザヤ 2章2節から4節に次のように描写されています。「末の日に,エホバの家の山はもろもろの山の頂より上に堅く据えられ,もろもろの丘より上に必ず高められ,すべての国の民は必ず流れのようにそこに向かう。そして多くの民は必ず行って,こう言う。『来なさい。エホバの山に,ヤコブの神の家に上ろう。神はご自分の道についてわたしたちに教え諭してくださる。わたしたちはその道筋を歩もう』。律法はシオンから,エホバの言葉はエルサレムから出るのである。そして,神は諸国民の中で必ず裁きを行ない,多くの民に関して事を正される。そして,彼らはその剣をすきの刃に,その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず,彼らはもはや戦いを学ばない」。

      16 (イ)エホバの証人はどのようにこの世と対照的ですか。(ロ)ミカ 4章1-5節は,神の民の繁栄,その繁栄の理由,最終的な結末について何を予告していますか。(ハ)どんなことを考えるとさらに別の質問が生じますか。

      16 ここに描かれている人々は扇動的な国粋主義者ではなく,すべての国民から来た,平和的な一致した一つの民です。彼らは戦い合う世にあって正真正銘,中立の立場を保つ人々です。ミカ 4章1節から5節は,彼らが『剣をすきの刃に打ち変える』ことを述べてから,彼らの霊的な繁栄の様と,地上で一致して永遠に生きる見込みについて描写しています。その預言は,彼らとこの世の人々とを対照させ,こう述べています。「もろもろの民は皆,それぞれ自分たちの神の名によって歩む。しかしわたしたちは,定めのない時に至るまで,まさに永久に,わたしたちの神エホバの名によって歩む」。しかし,神のみ名によって歩み続けるとき,わたしたちは暴力的な世からのさまざまな圧力に直面します。生じ得るそのような状況にどのように対処すべきでしょうか。次の記事はこの質問に対する聖書の答えを示しています。

  • 『平和を求めてそれを追い求めなさい』
    ものみの塔 1983 | 10月15日
    • 『平和を求めてそれを追い求めなさい』

      1 (イ)この暴力的な世にあって,どのように『平和を求めてそれを追い求める』ことができますか。(ロ)試練となる状況において,わたしたちがエホバに熱心に祈願すべきなのはなぜですか。

      今日のように暴力的な世に取り囲まれていても,どのようにすればわたしたちは上に引用された使徒ペテロの助言を守り通すことができるでしょうか。ペテロはその問に答え,『悪いことから離れて善いことを行ないなさい』と述べています。ですから,イエス・キリストの犠牲に対する信仰に基づいてエホバ神との平和な関係に入るよう,真剣に努力することが必要です。そのようにしてからわたしたちは,神がそのみ言葉聖書の中に記しておられる規準にしっかりと従うことにより,平和を追い求めます。「エホバの目は義にかなった者たちの上にあり,その耳は彼らの祈願に向けられるからである。しかしエホバのみ顔は悪を行なう者たちに向かっている」と記されています。(ペテロ第一 3:11,12)邪悪な者たちがわたしたちに悪いことを行なおうとする際には,エホバに熱心に祈願することができます。婦女暴行魔や他の悪行者が立ちはだかったときのように,エホバのみ名を声を出して呼び,助けを求めることができます。―申命記 22:25-27と比較してください。

      2 暴力行為に直面した場合,わたしたちはダビデが言い表わしたようなどんな確信を保つことができますか。

      2 暴力が行使される状況では,エホバへの全幅の信頼がしばしば生き残るためのかぎとなってきました。エホバの証人はダビデが詩編 18編46,48節の祈りの中で言い表わした確信を保つことにより,何度も祝福を受けてきました。ダビデはこう祈っています。「エホバは生きておられます。わたしの岩がほめたたえられますように。わたしの救いの神が高められるように。神は怒っている敵からいつもわたしを逃れさせてくださる。あなたは,わたしに向かって立ち上がる者たちの上にわたしを引き上げ,暴虐の者からわたしを救い出してくださいます」。そして,「義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住む」という神の約束の成就を強い信仰を抱いて待ち望んでいるこれら今日の幾百万ものエホバの証人たちは,「義なる者たちの救いはエホバから来る。神は苦難の時の彼らの要塞である」ということも確信しています。―詩編 37:29,39。

      3 (イ)申命記 32章10節とダニエル 3章19-27節は何をわたしたちに示していますか。(ロ)ラハブ,及び現代の一人の開拓者が救出された時の状況は,何を物語っていますか。

      3 この暴力的な世においてどんな事態が生じようと,エホバは『ご自分のひとみのようにご自分の民を守る』ことができます。(申命記 32:10。ダニエル 3:19-27)エホバはもし望まれるなら,核による大虐殺のような惨事からご自分の民を保護することさえおできになります。その点は,広島刑務所で迫害を受けていた一人の忠実なエホバの僕が1945年8月6日に経験したことの中に示されています。その日の朝,いつも決まった時間に行っていた場所に行かなかったため,この兄弟は原爆の爆発による被害を受けずにすむ所にいられたのです。a 刑務所の大部分はなぎ倒されましたが,ラハブがエリコの火のような滅びに生き残ったのとほぼ同じく,三浦勝夫は広島が壊滅した時に生き残りました。(ヨシュア 6:23,24)同兄弟は,『原子爆弾によって刑務所から解放され』自分の人生の残りの歳月を開拓奉仕に費やせることをエホバに感謝している,と述べました。(詩編 116:15と比較してください。)わたしたちの主権者なる主,『まことの神,大いなる方,力ある方,その名を万軍のエホバという方』にとって,不可思議なことは一つもありません。―エレミヤ 32:17-19。

      エホバの組織と緊密な関係を保ちなさい

      4 イザヤ 60章は,この時代の神の組織の状態についてどのように描写していますか。

      4 この暴力的な時代に立ち向かってゆくには,母親のようなエホバの組織の優しい導きが必要です。1938年以来,神の民の間の神権的な状態は改善されてきました。その点をエホバは次のように予告しておられました。「わたしは平和をあなたの監督たちとして任命し,義をあなたに労働を割り当てる者たちとして任命する。あなたの地で暴虐が聞かれることも,あなたの境界内で奪略や崩壊が聞かれることももはやない。そして,あなたは必ず自分の城壁を“救い”,自分の門を“賛美”と呼ぶであろう」。世界的なエホバの組織を特徴づけている平和と,義に対する愛は,64年前には数千人しかいなかった王国宣明者の「小さな者」が,地上の205の国々で前進する強力な247万7,000人の「強大な国民」へと成長する面で大きく貢献してきました。野外の報告は,わたしたちが「終わり」に近づくにつれ,エホバが『その時に速やかにそれを行なわれる』ことを示しています。―イザヤ 60:17,18,22。マタイ 24:14。

      5 詩編に述べられているように,エホバの民が暴虐のただ中にあっても常に強力であったのはなぜですか。

      5 この拡大の多くは,エホバの証人がヒトラーの強制収容所で,また米国においては戦時中の暴徒の襲撃に遭って経験したような暴虐のただ中で達成されました。地上の少なからぬ場所で暴力は引き続き激化しています。近年ではレバノン以上に暴力行為が見られた国も珍しいでしょう。それでもレバノンのわたしたちの兄弟たちは強力です。彼らに強さを保たせているのは何でしょうか。エホバへの全幅の信頼と,集会やクリスチャンとしての他の活動において交わり続けようとする決意です。―詩編 73:28; 149:1。

      6 わたしたちは,定期的に集会に出席することをどう見るべきですか。なぜですか。

      6 このことは,暴力的な時代には共に集まり合うことを決して忘れてはならないということをわたしたちに思い起こさせるはずです。(ヘブライ 10:24,25)集まり合うことがサタンの世の暴力に対して踏みこたえる面でこれほど重要であるのなら,悪魔のより巧妙な策略に対処するための力を得るためにも,集まり合うことは欠かせません。わたしたちが定期的に集会に出席することは命を意味するのです。

      7 (イ)サタンはどのように神の民を堕落させようとしていますか。(ロ)サタンはどんな特別な方法で暴力と不道徳の精神を駆き立てていますか。(ハ)わたしたちはどのように平和を追い求めることができますか。どんな目標を念頭に置いてそうしますか。

      7 この恐ろしい時代にサタンは,神の民を,「自分を愛する者,金[と金で買うことができる豪華な物品]を愛する者……神を愛するより快楽を愛する者」とならせて,神の民を堕落させようとしています。これらは,神の民と定期的に交わることからわたしたちを引き離すかもしれない事柄です。(テモテ第二 3:1,2,4)あるテレビ番組やある種のテレビゲームなどが称揚する暴力と不道徳というサタンの精神を吸収することを避け,個人研究や黙想やわたしたちの集会を通して,『永遠の命を意味する』正確な知識を絶えず取り入れ,それを適用し続けるのは何と重要なことなのでしょう!―ヨハネ 17:3。フィリピ 1:9-11。コロサイ 1:9-11。

      わたしたちを保護するものはどこにあるか

      8 (イ)世俗の多くの人たちは,この暴力的な時代に対してどのような反応を示しますか。(ロ)彼らの歩みが賢明ではないことを,例を用いて示してください。

      8 地上の大都市に住む人々は,暴力に対してひどく恐れを感じています。最近のギャラップ調査によると,アメリカ人の45%までが,自宅から一,二キロの所でさえ,夜間に一人で外出することを恐ろしいと感じています。銃を携帯する人は少なくありません。しかし,生じ得る暴力行為に対処するため暴力を行使する備えをするというのは,エホバの証人の取るべき道でしょうか。まだ幼い子供が他の子供を殺すといった“護身用の武器”の関係した事件が頻発していることから,わたしたちは立ち止まって状況を調べてみるよう促されるはずです。職業上銃で人を殺す人が銃を見るや,引き金を引いて相手を射殺するということはよく知られています。ですから,銃を持ち歩く素人は大変危険にさらされることになります。

      9 クリスチャンはどこに,またどのように保護となるものを見いだしますか。

      9 クリスチャンは,火器を所持することによってではなく,『平和を求めてそれを追い求める』ことによって保護となるものを見いだします。(ペテロ第一 3:11)エホバを信頼することです。犯罪者に直面した時でも,自分がエホバの証人であることを知らせることです。暴力を振るう,と脅すような人に抵抗してはなりません。要求される物質の所有物は相手に与えます。そうしたものより命のほうが大切です。窮地に追い詰められ,脅しをかけられた場合には,助けをエホバに呼び求めてください。「エホバのみ名は強固な塔。義なる者はその中に走り込んで保護される」ということを忘れてはなりません。―箴言 18:10。

      10 (イ)護身に関して,エズラ 8章とコリント第二 11章の記録は何を示していますか。(ロ)アフリカとアイルランドからの報告は,火器を携帯することの愚かさについてどんなことを伝えていますか。

      10 とはいえ,危険な暴動地区を抜ける時のように,エホバの証人が護身用の火器を携帯したほうが良い場合があるのではないでしょうか。そのようなことは決してない,というのがその答えです。(エズラ 8:21-23,31; コリント第二 11:23-27と比較してください。)アフリカのある国の旅行する監督たちを例に取ってみましょう。近年これらの兄弟たちは,会衆に奉仕する際,幾度も戦闘地域を通過するよう求められました。ゲリラや憲兵隊に呼びとめられた時もありました。火器を所持していることが発覚するなら,命が危うくなったことでしょう。彼らがエホバの証人であることが明らかにされ,暴力的な武器が全くないことが分かると,ほとんど例外なく彼らは目的地へ行くことを許されます。戦争に明け暮れ,「死は風景の一部である」と言われてきた北アイルランドでも同じです。エホバの証人の中立の立場はあまねく知れ渡っており,彼らは平和を愛する者として,カトリックの地域でもプロテスタントの地域でも保護されています。

      11 (イ)クリスチャンが死を来たす武器で武装してはならないことを何が明らかにしていますか。(ロ)聖書によれば,わたしたちはだれに信頼を置くべきですか。

      11 個々のクリスチャンが襲撃者や侵入者に用いるため,火器や死を来たす他の武器を携帯したり,それを家や他の場所に置いたりすることが得策でないことを聖書は明らかにしており,その点はエホバの証人の現代の経験からも裏付けられています。(イザヤ 2:4。ペテロ第一 3:11)暴力に対して備えをする人は,暴力を身に招きます。むしろクリスチャンはクリスチャンの神であるエホバを第一に信頼すべきです。―詩編 18:48; 140:1,4。箴言 3:5-7。

      12 (イ)聖書的に,クリスチャンが警察の保護を求めることができるのはなぜですか。(ロ)クリスチャンは,緊急な場合,火器を使ったり,法律の力を借りずに勝手に制裁を加えたりしますか。

      12 世の「上位の権威」はローマ 13章1,4節と調和して,市民と財産を守るべく職務上武装した警察など,治安維持のためのある機関を設けるかもしれません。神に許されているこのような取り決めが,「神の奉仕者であり,悪を習わしにする者に憤りを表明する復しゅう者」と描写されている以上,クリスチャンがそうした機関に対して保護を求めたり,そうした機関から保護されたりするのは当を得たことでしょう。しかし,何であれ手近なものによって自分や家族の者たちを保護する必要があると感じた場合でも,火器は使うべきではありません。法律の力を借りずに勝手に制裁を加えてもなりません。多くの国々では,護身用に火器を所持することさえ不法なこととされています。―マタイ 22:21。出エジプト記 22:2と比較してください。

      13 クリスチャンが,護身のために武道を用いないのはなぜですか。

      13 では,クリスチャンが個人の護身のために,中国のカンフーのような武道の訓練を受けることはできないでしょうか。次の点に注目しなければなりません。東洋の武術のうちでも最も致死的なこのカンフーは,今から1,400年以上前,中国の聖なる山の一つ,嵩山の山腹にあった少林寺の禅僧たちにより発展したものです。日本の武道 ― 武士道もこの同じ宗教的な源に端を発しています。柔道,剣道,空手の数多くの専門家たちは,今なお宗教的な黙想から霊感を得ています。空手には相手を無力にするという目的があり,その結果としてひどいけがをしたり,死んだりすることがあります。確かに,エホバを信頼する人々は,護身のために武道に頼ることはしません。―箴言 3:31。

      14,15 (イ)クリスチャンが食物を得るために狩猟を行なったり動物を殺したりするのはなぜふさわしいことですか。(ロ)しかしどんな事情のために,あるクリスチャンは特別な特権にふさわしくないと判断されるかもしれませんか。なぜですか。

      14 クリスチャンが食物を得るため,狩猟用の火器を所持するのはふさわしいことでしょうか。大洪水の後,神は,血は地面に注ぎ出すべきであり食べてはならないが,食物として動物を殺すことは構わない,と言われました。(創世記 9:3,4。申命記 12:23-25)地元の法律で許可される場合,ある証人たちは野生動物から身を守るため,あるいは獲物を仕留めるために銃を持っています。(マタイ 22:21)彼らにとってそれは重要な,また実際的な食糧源かもしれません。しかし,古代と現代の「ニムロデたち」が行なって来たような,楽しみのために,また殺すスリルを味わうために動物の命を奪うことをエホバが是認されるなどとだれも考えるべきではありません。「肉の魂は血にある」以上,これはエホバの目に貴重なものです。b ―レビ記 17:11,14。

      15 食物を得るためではなく,単に楽しみのために狩猟を行なっている人のために会衆内のかなりの数の証人たちが心を乱されているなら,その人は不快な評判を立てているのですから,特別な奉仕の特権が与えられる立場にはいないかもしれません。―テモテ第一 3:2。

      16 長老たちはどのように助けることができますか。しかし,前述の9節から15節にある聖書的な助言に従わない人々には,どのような結果が生じるかもしれませんか。

      16 エホバの証人の一人が,人から襲われたときの身の守りのために火器を携帯したり所持したりすると言い張る場合,もしくは武道を学ぶと言い張る場合も同じです。霊的な長老たちは,状況が改善されるよう当人に助言を与え,また助けるため,速やかな処置を取らなければなりません。(ミカ 4:3)このようにして個人用の武器を携帯し続け,あるいは他の方法で『人を殴ったりする』備えをし続ける人は,すべて会衆内で持つ特別な特権のための資格を失うことになります。―テモテ第一 3:2,3。

      軍務以外の仕事における武器の使用

      17 大半の証人たちが,武道や火器の携帯と関係した職業を避けるのはなぜですか。

      17 職業上他の人に対して用いる武器を携帯する人,もしくは柔道や空手のような武道の訓練を受けるよう求められる人はどうすべきでしょうか。個人的な決定を下す際には,イエスの追随者たちは平和を追い求める,ということを念頭に置かなければなりません。(ローマ 12:17,18)イザヤ 2章4節に記されている事柄を考え,大半のエホバの証人たちはそうした職業を避けます。その仕事の目的が,ローマ 13章4節にある通り一般の人々(あるいは財産)を守ることであるとしても,その武器を使って人の命を奪うことにより流血の罪を引き起こしたり,当人の良心が損なわれたり,仕返しをされて自分が傷を負ったり殺されたりする危険は常にあるのです。(詩編 51:14。民数記 35:11,12,22-25と比較してください。)そのような問題の生じない職業を選んで,そうした危険を避けるのは確かに最善です。

      18 (イ)円熟したクリスチャンの見解は世の見解とどのように違いますか。(ロ)清い良心を保つため,クリスチャンはどのように物事を調整する努力を払いますか。

      18 この「終わりの日」の期間中,火器の携帯を求められる従業員は少なくありません。銀行の警備員や保安要員,ガードマン,警察官などは,仕事を行なうためには武器を持たなければならないと言われるかもしれません。しかし,『自分に属する人々に必要な物を備える』責務を負っているクリスチャンの場合はどうですか。(テモテ第一 5:8)聖書で訓練された見解は,世の人々の見解とは異なることでしょう。世の人々はそうした武器を自由に携帯できると考えており,生じ得るどんな危険な状況においてであれ,ふさわしいと思える時に自由に武器を使うことができると考えています。(エフェソス 5:15-17)クリスチャンは血の神聖さに関するエホバの見解を思いに留め,流血の罪を避けたいと願うでしょう。(創世記 9:6。詩編 55:23)円熟したクリスチャンは,武装する必要のない職業を見つけようとするはずです。c ある証人たちは,雇用者と話し合い,武器の携帯が求められない仕事に首尾よく変わることができました。

      19 調整が施されるまで,兄弟はどんな特権を得る資格がないと言えるかもしれませんか。(コリント第二 13:11)

      19 世界がますます暴力的になっている今,わたしたちは武装の関係する職業を続ける兄弟たちをもはや模範的とみなすことはできません。そのような人には変化を遂げるための6か月間の期間が与えられます。もし当人が変化を遂げないなら,その人は会衆内の奉仕の特別な特権や責任を持つ立場にはいません。―テモテ第一 3:2。テトス 1:5,6。

      わたしたちは皆,平和を追い求めましょう

      20 (イ)平和の道筋が勧められるのはなぜですか。(ロ)厳しい試練にもかかわらず,また死に面しても,忠誠を守る人々にはどんな結果が生じますか。(ハ)あなたはだれを信頼しますか。

      20 エホバの証人は平和の道筋を追い求める際に,身体的にも道徳的にも霊的にも保護となるものを幾度となく見いだしてきました。この聖書的な歩みこそ人が従うべき歩みであることは明らかです。忠実なクリスチャンの中から犠牲者が出た数少ない例においては,死を恐れない彼らの態度によって,彼らは早い復活を受けるにふさわしい者となりました。(ヘブライ 11:36-40。啓示 2:10)ヨブの場合のように,サタンが神の民に厳しい試練を課すことをエホバは時折お許しになります。もっとも,忠誠を保ったヨブの場合の最終的な結末は幸福なものでした。(ヨブ 1:18,19; 42:12-15)しかし,この暴力的な時代にどんなことが生じようと,そのことによって忠誠が決して揺り動かされないようにしましょう。神を信頼しましょう。「エホバに関しては,その目はあまねく全地を行き巡っており,ご自分に対して心の全き者たちのためにみ力を表わしてくださるのです」― 歴代第二 16:9。

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