-
真のクリスチャンの一致した集合体がありますかものみの塔 1974 | 12月1日
-
-
に至る実を集めており,こうして,まく者と刈る者はともに喜ぶのです。この点,ひとりはまく者,もうひとりは刈る者,ということばはたしかに真実です。わたしは,あなたがたが少しも労力をかけなかったものを刈り取らせるために,あなたがたを派遣しました。ほかの者たちが労し,あなたがたはその労の益にあずかっているのです」― ヨハネ 4:35-38。
イエスは,種をまくことを,ユダヤ人,ユダヤ教に改宗した人々,そして親類関係にあったサマリア人だけに限られました。バプテストのヨハネも,いくらかまくことをしました。イエスが復活され,西暦33年のペンテコステの日にイエスの弟子たちの上に聖霊が注がれたあと,それらの弟子たちはまずこの種の「まかれた」畑でたくさんの刈り入れの仕事を行ないました。彼らはそのために「派遣」され,それを行なう義務を負っていました。最初に『刈り取られた』人々は,イエスの清い教えによって育っていたものでした。ですから,霊によって生み出された弟子たちにその人たちが加わったとき,彼らはまるで一人の人のようになって清い教えを保ちました。
イエスが3人以上の奴隷を所有しておられたことは明らかです。したがって,例えの中で描かれている3人の異なる「奴隷」は,将来キリストの共同相続者となる人々,イエスが王国の契約を結ぶさいに考慮に入れておられる人々すべてを表わしていました。それは,あらゆる階層から来る老若男女です。(使徒 1:14; 8:12とくらべてください)しかしこの境遇や年齢のちがいは,彼らの一致を妨げるものではありません。すべての人が同じ仕事をします。
その例えの成就において,主人は,だれも自分の力に及ばないほどの仕事を持つことがないよう,「各自の能力に応じて」仕事を得るよう配慮されました。第一世紀の「五タラント」級に,最も重い責任を与えられた使徒たちが含まれていたことは明らかです。(啓示 21:14。エフェソス 2:20-22)彼らは,「二タラント」級がその責務を果たすにあたって大きな助けとなりました。
「奴隷たち」はみな,ミナのたとえの人々と同じように,『彼が来るまで商売をする』ことになっていました。(ルカ 19:11-13)それはイエスの商売,王の商売でした。ですから従順な奴隷たちは,思いと行動において一致していなければなりませんでした。キリストは内部で分裂してはいません。(コリント第一 1:10)キリストの「奴隷たち」は,ひとつの教派はひとつの教理を教え,別の教派はまた別のことを教えるキリスト教世界の場合のように,お互いに相反することをしたのでは,たしかにイエスの商売を発展させることはできません。
例え話そのものの中では,タラントの配分の基準となった奴隷たちの「能力」は,体力か知力を指していたでしょう。しかし成就においてそれが表わすものは,体力や知力でしょうか。これらが,正しい方向に向けられて正しく用いられるなら,価値のあるものであることは疑えません。しかしここで言われている「能力」は,天の王国を受け継ぐ立場にある,クリスチャンである「奴隷」に見いだされる種々の霊的可能性を表わしています。奴隷が持つ熱意,喜んで物事を行なう精神,意欲などはすべて,それらの可能性を助長します。このことは,「神は体に肢体を,そのおのおのを,ご自分の望むままに置かれた」という原則と調和します。―コリント第一 12:18。
主人であるイエス・キリストは,例えの中で言われている「五タラント」級であると他の級であるとを問わず,それらの「奴隷たち」にあるものをゆだねられました。彼らとしても何かを持っている,つまり何かをささげなければなりません。彼らがささげ得るものと,彼らにゆだねられた価値あるものとがあいまって,彼らが霊的財産,つまり主イエス・キリストの残された「畑」を耕すことを可能にします。それは,級もしくは一致したグループとしての彼らが新しい弟子たちを刈り入れるための助けになります。
例えの成就の開始
イエスはそれらの「持ち物」を弟子たちにゆだねることをいつ開始されましたか。それを彼らひとりびとりに別々に,あるいはグループとしての彼らにゆだねましたか。使徒 1章1節から5節は,ルカの福音書が終わったところ,すなわち「[復活したイエスが]そのお選びになった使徒たちに聖霊を通して命令を与えたあと天に上げられた日までのこと」から始まっています。「これらの者たちにはまた,ご自分が苦しみを経たのちに生きていることを多くの確かな証拠によって示し,四十日にわたって彼らに現われ,また神の王国に関する事がらを話されました。そして,彼らと会合しておられる時に,この命令をお与えになりました。『エルサレムを離れないで,父が約束され,またわたしから聞いたものを待っていなさい。ヨハネはたしかに水でバプテスマを施しましたが,あなたがたはこれから幾日もたたないうちに聖霊でもってバプテスマを施されるからです』」。
ですからイエスは,さらに多くの弟子を産出する可能力を与えて「畑」を実らせ,そうすることにより畑を整えただけでなく,イエスの「持ち物」を受けるイエスの「奴隷」の集合体の最初の者たちを整えることもされたのです。
この例えが成就し始めたのは,イエスが復活されて天のみ父のいますところへ昇られるまでの間であったにちがいありません。イエスが,「持ち物」をゆだねるために初めてご自分の「奴隷たち」を呼び集められたのは,いつでしたか。イエスの復活後にガリラヤでひとつの集会が開かれましたが,使徒マタイは,そのときのイエスのことばを記録しています。「それゆえ,行って,すべての国の人びとを弟子とし,父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し,わたしがあなたがたに命令した事がらすべてを守り行なうように教えなさい」― マタイ 28:16,19,20。
しかし昇天の日にはイエスは,イエスの「持ち物」を殖やすわざが行なわれる方法をさらに明確に示されました。次のように書かれています。「さて,集合した時に,彼らはイエスに尋ねはじめた,『主よ,あなたはいまこの時に,イスラエルに王国を回復されるのですか』。イエスは彼らに言われた,『父がご自分の権限内に置いておられる時また時期について知ることは,あなたがたのあずかるところではありません。しかし,聖霊があなたがたの上に到来するときにあなたがたは力を受け,エルサレムでも,ユダヤとサマリアの全土でも,また地の最も遠い所にまで,わたしの証人となるのです』」― 使徒 1:6-8。
聖書を教える一致した集合体を探しなさい
イエスは復活後,ご自分のいろいろな弟子に現われ,あるときなど500人以上の弟子に現われました。そしてペンテコステには,聖霊のバプテスマを受けた人が120人ほどいました。(コリント第一 15:6。使徒 1:15; 2:1-4)ですから,タラントで直ちに「商売」を始めた「奴隷」は3人よりもずっと多かったわけです。その日には3,000人が,キリストを通して行なわれる神の目的についての証言を聞きました。しかし彼らは,独自の道を歩んだり,種々の宗派に分裂するようなことはしませんでした。全員が同一の,精力的で一致した真の崇拝の推進に参加しました。―使徒 2:41-47。
したがって,もしあなたが今の時代の真のクリスチャンを探すのにとまどっておられるとしたら,神の目的について全員が同じことを語る一致したクリスチャンの集合体をさがすということを念頭に置くことが重要です。彼らは清い,道徳的な,正しい生活をしていなければなりません。さらに彼らは,聖書について他の人々に熱心に語り,真の崇拝を促進し,新しい人たちがキリストの弟子となるよう助けていなければなりません。そうすることによって彼らは王の「持ち物」を殖やしているのです。あなたの町や村にはそういう人たちがいますか。
この例えは,わたしたちの時代にどのような最終的成就をみるでしょうか。その富んだ人は奴隷の調査を行なって報酬を与えるはずです。その成就については,次号の「ものみの塔」誌で説明されます。
-
-
訂正ものみの塔 1974 | 12月1日
-
-
訂正
1974年9月1日号「ものみの塔」522ページ5節の9,10行めは,「千年統治が間近に来ている」に改めてください。
-