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実用的な冊子本ものみの塔 1975 | 4月15日
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のを最小限にくいとめられました。折り丁はそれぞれ縫い合わされて重ねられ,表紙の間に入れて製本され,冊子本は完成しました。現代の本もまた,幾つかの折りでできています。
冊子本を採用した初期のクリスチャン
少なくとも西暦1世紀の終わりごろまではクリスチャンは主に巻き物を用いていました。使徒ヨハネは西暦96年ごろ書き記した啓示の書のことを「巻き物」と呼んでいます。―啓示 22:18,19。
その後ほどなくして,クリスチャン・ギリシャ語聖書を構成する書き物を保存するために冊子本の形式を採用しました。考古学上の発掘物が示唆するところによれば,初期のクリスチャンが他の人々の場合よりももっと大規模に冊子本を使っていたようです。例えば,3世紀の古典的な著作の巻き物の断片の数は291に上りますが,冊子本の断片で同時代のものはわずか20しかありません。一方,クリスチャンの書き物について言えば,冊子本の断片の数が38に上りますが,巻き物の数は恐らく9つほどです。
初期のクリスチャンが冊子本を使用したことにはもっともな理由があります。イエス・キリストはご自分の追随者たちに次のような任務を与えておられました。「すべての国の人びとを弟子とし……わたしがあなたがたに命令した事がらすべてを守り行なうように教えなさい」。(マタイ 28:19,20)弟子を作って教えるには,クリスチャンは聖書を用いなければなりませんでした。冊子本はその性質上こじんまりとしていて使いやすいので,聖書の適切な句をより容易に見つけることができ,彼らの教えるわざを促進するものとなりました。
弟子を作って教える際に聖書を盛んに用いる方式は,すでに西暦1世紀に確立されていました。使徒パウロが聖書を用いた仕方については使徒 17章2,3節でこう伝えられています。「パウロは自分の習慣どおり彼らのところにはいり,三つの安息日にわたって彼らと聖書から論じ,キリストが苦しみを受け,そして死人の中からよみがえることが必要であったことを説明したり,関連した事がらを挙げて証明したりし(た)」。また,教えを受けた人たちは,種々の事柄を聖書に照らして確かめたことをほめられました。たとえば,こう書かれています。「さて,[ベレア]の人たちはテサロニケの人たちよりおうようであった。きわめて意欲的な態度でみことばを受け入れ,それがそのとおりかどうかと日ごとに聖書を注意深く調べたのである」。(使徒 17:11)こうした模範に倣うのに冊子本はずっと使いやすいものでした。
初期のクリスチャンが賢明にも冊子本を用いたのと同様,現代のエホバのクリスチャン証人も王国の音信を広めるために種々の近代的な方法を利用してきました。ゆえに,今日,地の最も遠い所にまで神の真理を広める上で印刷物は非常に大きな役割を果たしています。
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あらゆる機会を活用して証言するものみの塔 1975 | 4月15日
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あらゆる機会を活用して証言する
● 海洋の島々に住む人々も,王国の良いたよりを宣べ伝える点で見過ごされてはいません。その多くの人々は定期的に訪問を受けています。たとえば,ハワイですが,そこでは区域は1か月におよそ2回網羅されており,幾つかの会衆では3,4日に1回の割合で区域が網羅されています。兄弟たちは野外奉仕のための種々の機会を活用し,家庭を訪問するだけでなく,会社や商店をも訪問し,路上で観光客にも証言しています。―「エホバの証人の1975年の年鑑」より。
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