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聖書を信じるどんな理由がありますかものみの塔 1970 | 2月15日
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か。表面上の矛盾や見かけの不一致に納得のゆく説明をできますか。あなたはこうした疑問の答えを望まれるでしょう。
今日の多くの人と同じく,あなたも将来に関心をもっておられるでしょう。ある人々は占星術その他の占いにたよって将来を知ろうとしています。それはおおむね失敗に終わります。しかし聖書そのものは幾世紀も前から将来を予告すると述べています。このことをご存じですか。聖書は実際にそうした予告をしていますか。聖書の預言はすべて正確ですか。この問題の答えはわたしたちにとってどれほど大切ですか。4番目の講演,「あなたの命にかかわる聖書の預言」はこうした問題を徹底的に取り上げます。自分の霊的な必要を満たそうとする人にとって,ここにも大切な情報があります。
生活上の諸問題についても健全な助言がほしいと思っておられますか。もしそうなら,「神が人間のために備えられた実際的な助言」と題する5番目の話をも聞きたいと思われるでしょう。物事の正邪はどのようにして判断するのですか。倫理上の問題は人間各自が判断すべきなのですか。この講演は,聖書の原則がいかに健全であり,それに従うことが家族の幸福のみならず,身心の健康にもいかに役だつかを特に示します。
そして,真に賢明な道を進みたいと願うなら,人は一つの決定をすべきであり,その点を促すのが,「教会それとも聖書 ― あなたはどちらを選びますか」と題する最後の講演です。この講演の題はあなたにとって少し妙に聞こえるかもしれません。牧師が神のことばとして聖書を大いに重んずると唱える教会に行く人々にとっては特にそうでしょう。しかし,キリスト教国の諸教会がほんとうに聖書の教えに従っているか,あるいは聖書から離れた信条や福音をかかげているかについてすべての証拠を検討するなら,あなたは聖書を選ばねばならないことを理解されるでしょう。
それで,聖書を信ずる根拠を知ろうとし,霊的な必要を自覚し,真に賢明な道を進もうとしておられるなら,これら一連の講演すべてをぜひお聞きください。一つも聞きのがさないでください。
聖書が単なる人間の著作でないことをどうしたら確かめられるだろうか,聖書の教えは今の時代にほんとうに実際的であろうか,など,あなたが疑問にしてこられたことがあれば,その答えをぜひ学び知ってください。お近くの御国会館で,あなたは歓迎され,暖かく迎えられるでしょう。そして,こうした点での知識こそもっとも価値のあるものであることを忘れてはなりません。イエス・キリストの言われたとおり,エホバ神と御子イエス・キリストに関する知識を取り入れることは永遠の命を意味するのです。―ヨハネ 17:3。
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復活ものみの塔 1970 | 2月15日
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復活
● この世の知恵にたけた古代のギリシア人にとって,死者の復活という考えは特に受け入れにくいものでした。それでマルスの丘で使徒パウロの話をじっと聞いていたアテネの哲学者たちも話が復活のことに及ぶと,もはや聞こうとはしませんでした。(使行 17:31-34)西暦3世紀初めに書かれた「ミヌキウス・フェリクスのオクタビウス」の第34章には,復活を弁護した興味深い一文が出ています。「人間は,まず初めに神によって形造られたごとく,再び形成され得る。人間は死後無に帰し,世に生まれる前も無であった。人間が無から生まれることが可能であったごとく,無からよみがえらされることも可能であろう。いったいだれがこれをあえて否定し,愚か者となるのか」―「反ニケア教父」,第4巻194ページ。
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