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エホバは預言を必ず成就させるものみの塔 1965 | 3月1日
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残れる者を解放し,彼らがバビロンを離れて,ユダの土地に再び住むことを始めた時です。この年は,世俗の歴史の記録からも確定できます。ユダの地の荒廃は70年前の紀元前607年に始まりました。サマリアを占領したアッシリアの王と異なり,ネブカデネザルはユダの地に植民を行ないませんでした。エホバは奇跡的な手段によって預言を成就させ,ユダの土地は全く荒廃して,預言された通り70年の安息を得ることになりました。―歴代下 36:21-23。
捕われの11年目にあったエゼキエルに,その預言を変化させるどんな知らせがもたらされましたか。
はるかかなたのバビロニアにいたエゼキエルは,バビロンに捕われて11年目に滅びのことを聞きました。それはネブカデネザルの軍隊が凱旋してくる以前のことに違いありません。エゼキエルは次のように述べています。「第十二年,〔ある計算によって〕の十月五日に,エルサレムからのがれてきた者が,わたしのもとに来て言った,『町は打ち破られた』と」。(エゼキエル 33:21)それ以後エゼキエルは,70年の荒廃の終わりにおける復興について預言することができました。―エゼキエル 36:1から37:28。
荒廃がもたらされたことは,エホバとその預言者エレミヤを喜ばせましたか。
エホバはご自身の預言を成就させましたが,この出来事はエホバと忠実な預言者エレミヤにとって喜びを与えるものでしたか。そうではありません。エホバはエレミヤを霊感して,エルサレムの悲しむべき状態を描いた聖書の本エレミヤ哀歌を書かせました。
エレミヤ哀歌は,エルサレムの没落に関してエホバとエレミヤの気持ちをどのように示していますか。
「ああ哀しいかな古昔は人のみちみちたりし此都邑いまはさびしき様にて坐し,やもめのごとくになれり……その仇は首となり……そのとがの多きによりてエホバこれをなやませたまへるなり,そのわかき子等はとらはれて仇の前にゆけりシオンの女〔都〕よりはその栄華ことごとく離れされり」― 哀歌 1:1-6,17; 2:13; 5:16-22。文語。
(イ)エホバは悲しんで,ダビデとの契約を無効にしましたか。(ロ)シオンの敵はどのように「かしら」となりましたか。
しかし神のみ名を負い,しかもエホバに罪を犯したために苦難を受けた民のこの悲しむべき状態も,エホバの契約を無効にすることはなく,そのお目的を妨げることはありません。紀元前607年,たしかにシオンの敵は「首」となり,シオンにあった「エホバの位」はくつがえされました。模型的な神の国は過ぎ去りました。模型的な神の国が地上から姿を消したいま,異邦人すなわち非ユダヤ人の国民が妨げを受けることなく世界を支配することができました。神の許しによって,異邦人は意のままに支配しました。
神の国は何時までも覆えされていない
(イ)紀元前607年,預言的な意味をもつどんな長い期間が始まりましたか。(ロ)エホバはなぜこの事を悲しまれませんでしたか。(ハ)いまどんな疑問が生じますか。
エホバ神はなぜ悲しまなかったのですか。紀元前607年,ユダヤ人の7月に「異邦人の時」すなわち「諸国民の定められた時」が始まったにしても,それは当時覆えされた神の国の権威を持つ者シロが来る時までつづくに過ぎないからです。その時神は,彼に位,王のかぶりものと王権を与え,彼の敵である諸国民すなわち異邦人の只中で治めさせます。しかし王となるダビデの子は何時位につくのですか。天の永遠の王はその時を定めました。そしてこの時を預言し,霊感によってみことばの中にそれを記録させています。またその預言を必ず成就させます。「異邦人の時」の長さについては,次号の「ものみの塔」にとりあげます。―創世 49:10。ルカ 21:24。エゼキエル 21:25-27。詩 110:1-6。
(イ)きたるべきエホバの王に関する預言は,預言者の時代よりも初期クリスチャンの時代に,どのようにいっそう確実なものとなりましたか。(ロ)使徒ペテロはそのことをどのように述べていますか。
預言者イザヤ,エレミヤ,エゼキエルおよびダニエルは,その当時,エホバの数多くの預言の成就を見ました。それで出来事を預言すると共に,その預言のことばを必ず成就させるエホバの力を確信していました。従ってこれらの人々が霊感を受けて書いたものをも含め,権威を持つ者に関する預言およびこの者が来てエホバの位に座し,王権を行使する事を述べた預言は,使徒たちや第1世紀のクリスチャンにとっていっそう確かなものでした。彼らはこれらの預言者の預言の成就をしるした記録を持ち,また一部の預言についてはその成就を自ら目撃したからです。ペテロはこの確信を次のように述べています。「こうして,預言の言葉は,わたしたちにいっそう確実なものになった。あなたがたも,夜が明け,明星がのぼって,あなたがたの心の中を照すまで,この預言の言葉を暗やみに輝くともしびとして,それに目をとめているがよい」― ペテロ後 1:19。
(イ)今日の私たちは,どのようにいっそう確信を強めることができますか。(ロ)神のことばの預言が成就することは,なぜ,確実ですか。
使徒時代から19世紀を経た今日の私たちは,1世紀のクリスチャン以上に確信を持つことができます。なぜならば,以来きわめて多くの預言が成就しているからです。権威を持つべき者は,諸国家の手から世界主権を完全にとりあげ,それを永遠に保持して全世界の人々を祝福します。ペテロが言葉をつづけているように,私たちは次のことを心に留めなければなりません。「聖書の預言はすべて,自分勝手に解釈すべきでないことを,まず第一に知るべきである。なぜなら,預言は決して人間の意志から出たものではなく,人々が聖霊に感じ,神によって語ったものだからである」。預言の与え主である全知の神は,それを成就させる全能者でもあります。―ペテロ後 1:20,21。
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ニケア会議と三位一体にかんする卒直な意見ものみの塔 1965 | 3月1日
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ニケア会議と三位一体にかんする卒直な意見
有名な作家であり歴史家であったH・G・ウェルズは,三位一体の教理につき,きわめてはっきりした考えをもっていました。「神,目に見えぬ王」という本の中で彼は自分の宗教的信念および,三位一体を信じない理由を述べました。その序文の中で彼は次のような意見を述べています。「2世紀にわたる論争をむりやりに結着させ,現存するすべてのキリスト教会の基礎となった教理をつくりあげたニケヤ宗教会議は,宗教的な会合の中でも最も有害で,尊敬できぬものであったというのが著者の意見である」。
たしかにあらゆる問題はここから始まり,反対の声をあげても成功する機会はなかった,とH・G・ウェルズは考えました。「正統派による異端文書の組織的な破壊も,神にかんして真の知識を有する人たちがもつような偽りのない確信によって行なわれたものではない。放置しておけば商売のじゃまになる反対意見をけん制したにすぎない」。このことを率先して行なったのはコンスタンチン大帝でした。彼はどんな犠牲を払っても帝国を統一することを願っていたからです。
しかしそれが事実であるにしても,そのような偽りが今日に至るまで何世紀もの間どうして存在できたのですか。ウェルズはこう説明します。「キリスト教教理を有し,また唱える人の大部分は,思考力のない子供の時からただ無意識にそれをくりかえしてきたので,自分たちの信ずる教理がどんな性質のものかほとんど理解していない。だから彼らがキリストと神について話すこと,考えることは,理論的には,教会組織の基礎である三位一体の教理と矛盾してくる」。
神を理解するうえに,三位一体の教理ほど障害となるものはない,とウェルズは固く信じていました。そして,「われわれは信仰により,あのつめ物をしたかかしのような神,昔の神学的観念を,無秩序に積み重ねたものであるニケヤ信条の神を,『こんなものは決して神ではない』と言った」と述べて三位一体説を拒否しました。
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