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目ざめよ! 1975
目75 3/22 21–24ページ

ローザンヌ会議 ― ペンテコステか,それともバベルか

「ローザンヌ会議に匹敵するような会議はかつて一度も開かれたことがない。世界福音伝道国際会議 ― これは特異な会議であった」。エターニティー誌はこう評しました。

なかには,国や文化や背景を異にするさまざまの代表者が出席して,1974年7月16日から25日にかけてスイスのローザンヌで開催された,きわめて多彩な同会議のことを『さながらペンテコステのようであった』と述べた人々もいました。公にされた同会議の目的は,「全世界の人々にキリストの声を聞かせる」方策を,すなわち西暦2000年までにイエス・キリストの音信に関する自分たちの見解を全世界に宣べ伝えるにはどうすればよいかを討議することでした。

多くの観察者はローザンヌ会議を第二の“ペンテコステ”と言って称賛はしないまでも,そのほとんどはおそらく,同会議が確かに「特異な」ものであったことを認めるでしょう。それまでの何か月かの期間,福音伝道および宣教会議が立て続けに開かれてきました。しかし,ローザンヌ会議は気のきいた方法を講じて,宗派の境界を越えて150か国の多数の福音伝道団体から2,700人ものえり抜きの代表者を集めました。出席者の話す言語は幾十にものぼり,会議では七か国語が公式に用いられました。

福音主義世界を代表する人々を広く各階層から招く特別な努力か払われ,国や文化を異にする人々だけでなく,女性・牧師・一般信徒・伝道師・宣教師・教育者・若い人々や年取った人々も招かれました。『第三世界』の国々からの1,000人以上の代表者たちの多くは,登録料を収めるだけで数週間分の給料に相当する費用を支払いました。

ローザンヌ会議は種々の作業部会から成り立っているという点でも,異なっていました。キリスト教世界の宣教師が世界の各地でどれほど努力しているかをまとめた詳細な報告書が事前に用意されました。アパートに住んでいる人々や大きなビル内の事務所で働いている人々など,いわゆる“キリスト教”世界内でも普通会えない人々にどのようにして接触するかという問題も重視されました。主催者側は会議を単なる神学や理論をうんぬんする以上のものにしたいとの固い決意をいだいていたので,出席者は「参加者」と呼ばれました。

また,この特異な会議は鳴り物入りでピーアールされました。早くからビリー・グラハムが同会議を支持したため,広く各地で関心が高まりました。また,グラハムは後に同会議の名誉議長を勤め,主だった講演者の一人として講演を行ないました。同会議の計画は何か月にもわたって行なわれ,ついに300万㌦(約9億円)余の費用が投じられました。

今になってなぜ開催されたか

それら宗教指導者は,福音伝道を真剣に行なう必要を急に理解し始めたようです。つい四年前に行なわれた世界的規模の世論調査によると,当時大半の人々はそのような会議に賛成していないことがわかりました。それら指導者たちは,その後二年足らずのうちに見方を変え,ローザンヌ会議の準備を始めたのです。同会議の理事のひとりはこう語りました。「世界中で福音を証しする気運が高まっている。われわれはこの気運をとらえて今世紀中に全世界をキリスト教化するという目標に向かって前進すべきであるというのが一致した意見であった」。ほんの短期間のうちになぜそのように態度が変化したのでしょうか。

ローザンヌ会議の出席者はだれひとりとして確かな理由を知ってはいないようでした。しかし,多数の講演者は,『世界情勢はキリストに関する証しの行なわれる可能性を宿している』と指摘しました。スイスのオス・ギネスは,「世の思想が破たんをきたしている」ゆえに人々は今や類例がないほどキリスト教の音信を受け入れやすくなっているとの見解を表明しました。次いで,主要な講演者のひとり,英国のマルコム・マガリッジはギネスの発言を支持して,こう語りました。「西洋文明と呼ばれるものは崩壊の過程を相当進んでおり,第二の暗黒時代がたとえまだ始まっていないにしても間もなく到来することは一点の疑いもない事柄ではなかろうかとわたしは多年考えてきた」。

しかし,キリストに関する聖書の音信に突然関心をいだくようになった理由はさておき,それら数多くの教会の福音主義者たちにとって重大な問題はもちろん,全世界のキリスト教化を彼らに期待できるだろうかという疑問です。

“福音主義者”は世界をキリスト教化できるか

そうしたいとの願いは非難できるものではありません。イエスは次のように指示されたからです。「行って,すべての国の中で弟子を作り,父と子と聖霊との名によって彼らにバプテスマを施し,次いでわたしがあなたがたに与えたすべての命令に従うよう,それら新しい弟子たちを教えなさい」― マタイ 28:19,20,現代聖書。

しかし,それが実際に行なわれて現実とならねばならぬという以上のことが必要なのです。「すべての国」に行こうとする人自身が,イエスの与えた「すべての命令」に従っていなければならず,またイエスの声に聞き従っていなければなりません。さらに,イエスの命令は矛盾してはいませんから,イエスに従う人はすべて当然互いに一致していなければなりません。一世紀のペンテコステの際のイエスの追随者たちのことを思い起こしてください。彼らは互いに仲よくし,同じ思いをいだいていませんでしたか。むろん,そうでした。―使徒 2章。

しかし,ローザンヌ会議の出席者の間には,イエスのことばに対する真の従順という基盤に立脚した真の一致が明らかに見られたでしょうか。この点を知るために,同会議で話されたり行なわれたりした事がらをイエスの実際の教えと比較してみてはどうでしょうか。

イエスはご自分の追随者たちにこう言われました。『わたしが世のものではないのと同じように,彼らも世のものではありません。……彼らはみな一つになります』。(ヨハネ 17:16,21)イエスがご自分の追随者の間に障壁を設けて,国家的また人種的境界を定めようなどとお考えにならなかったことは明らかです。ところが,ローザンヌ会議ではこの世的な国家主義や人種偏見などの障害がありありと認められました。

アジアのある国の出席者たちは,議場の外に以前開かれた大会の際に屋外に取り残されたアジアの他の国の国旗を見て気分を害しました。アフリカからのある出席者たちは,たいてい差別のある宿舎を割り当てられたとして不満を述べました。また,『宣教師の活動の一時停止』つまり外国人を国外に退去させる実行可能な処置を提唱したアフリカ人もいました。同会議を強力に支持したクリスチャニティ・ツデー紙は,「参加者は自国内に見られる分裂をローザンヌにまで持ち込み,国家計画期間の討議はしばしば緊迫し,激しく荒れた」と報じました。

会議の指導者たちはそのような対立を気にしないどころか,かえってそうした事態に注意を向けさせました。しかし,少なくとも1,900名の代表やオブザーバーが署名した,『最重要事項に関する福音主義者の総意』と呼ばれるローザンヌ誓約には,矛盾した話ですが,「福音伝道および社会・政治問題に関与することはともにわれわれクリスチャンの義務である」という第五項が含まれています。(下線は当誌発行者による)一方,イエスは,ご自分の追随者は『この世のものではない』と述べて,ほんとうにイエスのことばに聞き従う人々に対し,障壁を克服する一致を示すよう促しています。しかし,ローザンヌで開かれた会議は,それとは正反対の道を勧めました。

さて,そうした問題に加えて,同会議の代表者たちの間には宗教上の不一致も見られました。イエスは真の追随者たちにご自分と「結びついたまま」でいることを求めておられます。(ヨハネ 15:4)ローザンヌ会議の出席者たちはイエスとともに結ばれていましたか。どうしてそのようなことが言えるでしょうか。

ローザンヌ会議に出席した英国国教会派,バプテスト派,ディサイプル派,自由メソジスト派,ルーテル派,メノー派,改革長老派その他の教会員は互いに対立する異なった教えを信奉している以上,それら教会員すべてがイエスとともに結ばれているなどとどうして言えるでしょうか。とてもそう言えるものではありません。(コリント第一 1:10)ですから,宗教的にも,また他の面でもローザンヌ会議にはキリストの表わした一致の精神はほとんど見られませんでした。

しかし,たとえ彼らが一致していたとしても,“福音主義者”は『すべての国の中で弟子を作る』ことをどうして期待できるのでしょうか。同会議が開かれたわずか十日間に,地上の人口はほぼ二百万人も増えました。言い換えると,ローザンヌ会議の正式の代表一人につき650人の割合で増えているのです。福音主義の指導者たちは,全世界に伝道するには助けが必要なことを認めています。では,どこに助けを求めているのでしょうか。“平信徒”に求めているのです。

“平信徒”は助けることができるか

一世紀のペンテコステに際しては,聖霊は老若男女を問わず居合わせたすべての人を動かして,「神の壮大な事がら」について話させました。(使徒 2:11)ブラジルのH・スナイダー教授は,福音に関して自分の知っている事がらを語る責任は単に僧職者だけでなく,すべてのクリスチャンに課せられていることを強調しました。同様に,アメリカのダラス神学校のジョージ・W・ピーターズは,「教会の信徒の大集団を福音伝道のための主要な人的資源」として開発する同様の必要性を力説しました。

しかし,その「主要な人的資源」は干上がった井戸となるかもしれません。アルゼンチン代表のバプテスト教会員レネ・パディラは,一般の教会員はイエスのことばを頭で受け入れているにすぎないことを出席者に思い起こさせました。また,おおかたの教会員は,切りつめられた,つまり「ひどく省略された福音」を受け入れているに過ぎないことを指摘し,こう付け加えました。「中途半ぱな福音には威厳も将来性もない。かの有名なラバのように,そのような福音には誇るに足る由来もなければ,繁栄の望みもない」。

換言すれば,多くの講演者が明らかにしたように,教会はいやしくも世界の残りの人々のキリスト教化を望む前に,まず最初に教会員自身の改宗を計らねばならないのです。ローザンヌ会議で起きたある出来事がよく示したように,“平信徒”は“忠誠を誓ったクリスチャン”で構成されているわけではありません。同会議の一参加者はその出来事をこう回顧しています。「インドに派遣されたアイルランド人宣教師たちは,帰国してアイルランドで伝道してはどうかと告げられた」。アイルランドではカトリックとプロテスタントの血なまぐさい激戦が続いているからでした。アイルランド人の宣教師たちは弁明を試みましたが,その非難を否定することができず,「暴力行為の加担者は,ある宗派の信者であると唱えようとも,忠誠を誓ったクリスチャンではない」と認めました。明らかにアイルランドにはその戦いをやめさせるのに十分な数の“忠誠を誓ったクリスチャン”がいないのです。とはいえ,“キリスト教”を奉じていると主張する国で,その国民が『キリストに忠誠を誓った』クリスチャンであると正直に言える国がほかにあるでしょうか。

教会員がキリストのことばにあまりにもしばしば耳をふさぐのはなぜですか。なぜなら,牧師が教会員を教えていないからです。牧師自身,イエスの教えを信じてはいません。ローザンヌ会議に出席したある牧師たちは,ペルーのサムエル・エスコバールのように,「イエスの教えと模範を家庭生活に適用する」よう一般信徒を鼓舞しなければならないと語りました。しかし,一夫多妻を認める宗教を奉ずる人々に対する伝道に関する報告は,その作成者がイエスの教えを生活に適用する必要性をほんとうに信じているということを示していましたか。数人の妻を持つ人が『キリストを受け入れる』としましょう。では,どうなりますか。前述の報告は次のように勧告しています。「それは非常に微妙な問題だが,この報告の作成者の大半は,その当人は妻たちと別れるべきではないと考え,同時に当人は新たに妻たちをめとるべきではないと主張する」。これは一夫多妻主義をクリスチャン会衆に持ち込むのを許すことにほかなりません。

しかし,イエスは結婚について,「ふたり」つまりひとりの男とひとりの女が「一つの肉体となる」と言われました。(マタイ 19:5)ローザンヌ会議の公式の報告はイエスのことばをうやむやにすることをよしとしていたのです。であれば,家庭生活の事柄に関するイエスの教えをたとえ知っていても,一般の教会員がそれを生活に適用しないからといって驚くべきでしょうか。そのような人々がどうして世界をキリスト教化するための「主要な人的資源」となり得るでしょうか。

どこかほかの場所にキリストを求めなさい

大勢の正直な人々は世界の至る所でイエスの声を聞こうとして耳をそばだてています。そのような人々は,人を自由にする真理を必死に求めています。しかし率直に言って,そのような音信はローザンヌ会議の結果としてもたらされるのではありません。

ローザンヌ会議はその一部の支持者が誇ったような,イエスに関する共通の音信を固守する,さまざまな言語を話す人々の『第二のペンテコステ』ではありませんでした。それは,幾世紀にもわたって人々を分裂させてきた旧来の同じ信条を唱える,人種偏見に根ざした,対立する宗派的また政治的な意見の錯そうするバベルとも言うべきものでした。福音主義の指導者たちが認めるとおり,その指導下の教会員は,より“自由主義的な”諸教会の信者と全く同様,イエスの声を本当に聞いてはいませんでした。ところが,時を同じくしてそれら指導者たちは,これまたその同じ教会員の助けを借りて,とにかくどうにかして全世界のキリスト教化を図りたいというのですから,それは“空頼み”同然の嘆願にも似たものでした。

ローザンヌ会議ではさまざまの困惑した不確かな意見が聞かれましたが,その中にはイエスの声はありませんでした。神を恐れる人は,イエスの明確な音信を聞くためには,どこかほかの所に耳を向けなければなりません。

[21ページの図版]

ローザンヌ誓約に署名する英国国教会主教ジャック・デイン(左)と福音主義者ビリー・グラハム。同誓約の第一項は次のとおりです。「われわれは世に従ったり,世から手を引いたりして,しばしば自分たちの召命を否定し,自分たちの使命を果たし損ってきたことを告白し,恥じるものである」。

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