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一般祭司職 ― キリスト教国が忘れた教義ものみの塔 1963 | 6月15日
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なくしっかりと持ち続け,愛と善行とを励むように互に努め,ある人たちがいつもしているように,集会をやめることはしないで互に励まし,かの日が近づいているのを見て,ますます,そうしようではないか」。―ロマ 12:1。
相違点
12 レビの祭司職は,なぜ「特別」祭司職と言われますか。
12 しかし二つの祭司職の間には,ひとつの点で相違があります。レビの祭司職は「一般」祭司職と呼ばれるものではなく,いわゆる「特別」なものでした。それには一般的な点が少しもありません。祭司はレビ族の男子に限られ,犠牲をささげる祭司に至っては最初の大祭司アロンの家の者に限られていたので,祭司の職は家柄と性によって制約されていたことになります。その職務に限らず他の事柄においても,祭司は律法の定めにより独自な立場の者としてひとつのクラスを形づくっていました。レビ人は領地を与えられず,従ってその生活のために特別な準備が設けられていました。レビの支族は祭司の務をする者として分けられて後,イスラエル12支族のひとつに数えられず,ヨセフの子エフライムとマナセの支族が12支族の数をみたしました。このようにしてレビ人はユダヤ人社会の中で特別なクラスであり,特別な立場あるいは位をもつ人々でした。祭司と人々との間には明確な区別があったのです。イスラエルの祭司職は「特別な」祭司職でした。―民数 8:14,18:20-24。
13 「一般」祭司職とは何ですか。ペテロによれば,クリスチャンの祭司職は一般,特別いずれの祭司職ですか。ペテロの言葉はどのようにそれを示していますか。
13 新しい祭司職の場合はそれと異なっています。ペテロは「汝らは……王なる祭司・潔き国人・神につける民なり」と述べています。ペテロはクリスチャンたる祭司を国民と呼んでいるのです。これはすなわち「新しい神のイスラエル」です。ここで祭司と国民は同一のものであり,この国民の中に「祭司」と「人々」の区別はありません。この民のすべての者がおのおの祭司であり,従ってこれは「一般」祭司職です。―ガラテヤ 6:16。
14 クリスチャンの祭司職が一般のものであることを証明する事実を,他にあげなさい。
14 クリスチャンの間に区別がないという考え方は,別に新しいものではありません。クリスチャンがキリストのからだの成員として描かれている場合にそれは見られ,「ユダヤ人もギリシャ人もなく,奴隷も自由人もなく,男も女もない」としるされています。またクリスチャンが神の子となることにおいても,それは見られます。神の子となることによって各クリスチャンは大祭司イエス・キリストを通し,天の父にはばからず近づき得るのであって,人間の仲保者すなわち祭司を必要としません。イエス・キリストご自身が仲保者だからです。―ガラテヤ 3:28; 4:5-7。ヘブル 4:16。テモテ前 2:5。
一般祭司職の起源
15 クリスチャン祭司職の一般性を定めたのは,どなたですか。どのように?
15 そのはじめからクリスチャン会衆内に一般祭司職を力強く設立されたのは,エホバ神ご自身でした。五旬節の日,神は初めて会衆の成員となった人々に聖霊をそそぎました。この御霊を受けた人々は油そそがれて従属の祭司となり,その時その場で祭司のつとめを始めるように御霊によって助けられたのです。この人々は御霊の力によって神とそのお目的を伝道し,霊の供えものをささげ始めました。そこに居たおよそ120人のうち,わずかな人々が神に選ばれて牧師あるいは祭司となり,他の人々は聞くほうの人,いわば一般信徒になったというのではありません。この点に注目して下さい。「一同は聖霊に満たされ……神の大きな働きを述べ」たのです。―使行 2:4,11,新口。
16 五旬節の日以前においてさえ,イエスは一般祭司職の務に備えて弟子たちに何を授けましたか。
16 初期の会衆内で,一般祭司職という教えが理解され,また実践されていたことは,多くの点から見て明らかです。祭司となった人々は大祭司キリスト・イエスの足跡に従うように召されました。イエスは地上で教えを宣べた間,新しい大祭司の務を自らはたしただけでなく,追随者にも同じことをするように教えて,祭司の務を一般的なものにしました。―ルカ 10:1-12。
17-19 マタイ伝 28章19節に記録されているイエスの与えた宣教の使命が,11人の使徒だけに与えられたのでないことは,どうしてわかりますか。
17 マタイ伝 28章19節 に記録されている如く,イエスが宣教の使命を与えたとき,その場にいたのは11人の使徒だけであり,従ってこの使命は11人の使徒にのみ与えられたとする論があります。しかし「500人以上の兄弟たち」もまたそこに居たものと思われます。(コリント前 15:6,新口)使徒たちは多くの国々に新しい会衆を設立するために他のだれにもまして働きました。それは事実です。しかし使徒だけでそのことをしたのではありません。すべての人が力を合わせました。パウロがはじめてローマに行ったのは,そこに会衆を建てるためではありませんでした。ローマにはすでに会衆があったからです。そして兄弟たちは町の外にまでパウロを迎えに出ました。―ロマ 1:8,13。使行 28:14-16。
18 使徒たち自身,宣教の命令が使徒だけに与えられているとは考えませんでした。パウロがテサロニケの兄弟たちをほめた次のことばに注目して下さい。「主〔エホバ,新世〕の言葉はあなたがたから出て,ただマケドニヤとアカヤとに響きわたっているばかりでなく,至るところで,神に対するあなたがたの信仰のことが言いひろめられたので,これについては何も述べる必要はないほどである」。―テサロニケ前 1:8,新口。
19 テトスやテモテは教える者でしたが,いわゆる一般信徒を教えるために遣わされた奉仕者ではなく,すでに教える者となった人々を教える奉仕者でした。「あなたが多くの証人の前でわたしから聞いたことを,さらにほかの者たちにも教えることのできるような忠実な人々に,ゆだねなさい」,とパウロはテモテに書き送りました。(テモテ後 2:2,新口)これは黙示録 22章17節のことばとも一致しています。「御霊も花嫁も共に言った,『きたりませ』。また,聞く者も『きたりませ』と言いなさい」。(新口)一般祭司職の務を活発にはたすまでに進歩することのおそかったヘブル人に,パウロは失望しました。「あなたがたは,久しい以前からすでに教師となっているはずなのに,もう一度神の言の初歩を,人から手ほどきしてもらわねばならない始末である」。この会衆内に一般信徒の存在する余地はありませんでした。―ヘブル 5:12,新口。
20 歴史は初期教会の一般祭司職をどのように確証していますか。
20 歴史を見てもこの事は確証されます。デンマークのハル・コッホ教授著「教会史」に次の言葉が見えます。「使徒時代およびその直後の何十年間においてのみ,キリスト教の布教を天職としてそれに没頭した真の宣教者があった。この点を別にすれば,会衆の新しいメンバーを獲得したこれらの人々は,商人,労働者,奴隷など,さまざまな社会的地位を持つ普通のクリスチャンであった」。次のことに間違いはありません。一般祭司職は初期クリスチャン教会の特色でした。その成員は一人のこらず祭司であって,会衆の内外で神のことを伝道し教えるのが自分たちの務であると心得ていました。この人々は自分たちにそそがれた神の御霊によって支えられていました。教会に一般信徒というものは存在しませんでした。では今日,キリスト教国の教会でたいてい見られる,説教する牧師と聞くだけの一般信徒の別は,いったいどうして生じたのですか。
悪魔的な変容
21 初期教会の会衆内の僕は祭司の階級を構成していましたか。
21 初期クリスチャン会衆は活動する組織であって,そのため成員の中のある人々を特別な奉仕に任命することが必要でした。このような奉仕の地位に任命されるのは,円熟した古い人,いわゆる「長老」(ギリシャ語でPresbyteros)でなければなりません。古い人の中から会衆の監督(ギリシャ語でepiskopoi)と補佐の僕たち(ギリシャ語でdiakonoi)が選ばれました。初期教会における一般祭司職についていま見た事柄から当然に言えることですが,これらの任命された人々は,祭司職についたのではありません。それはクリスチャン兄弟の僕となったというに過ぎません。―使行 6:1-7。テトス 1:5。ペテロ前 5:2,3。マタイ 20:25-28。
22 会衆内の僕は,後日どのように祭司の階級を作りあげましたか。
22 しかしパウロは真実に預言しました,「わたしが去った後,狂暴なおおかみが,あなたがたの中にはいり込んできて,容赦なく群れを荒すようになることを,わたしは知っている。また,あなたがた自身の中からも,いろいろ曲ったことを言って,弟子たちを自分の方に,ひっぱり込もうとする者らが起るであろう」。一般祭司職が全く失われたのは,利己的な人々が出て権力をふるったことの悲しい結果のひとつでした。教会史によれば,第二世紀において会衆内の僕は徐々に,しかし着実に地位を高めて特別な祭司の階級を形成するようになりました。会衆の監督すなわちepiskopoi<エピスコポイ>は司教の僧服を着け,古い人すなわちpresbyteroi<プレスビテロイ>は僕になり得る円熟した古い人というだけに留まらず,牧師の地位を占め,補佐の僕たちは今日の助祭になりました。人々は自分勝手に地位を得て階級制度を作りあげ,これは何世紀ものあいだ,聖俗両面にわたって一般信徒を厳重に支配してきました。―使行 20:29,30,新口。
23 (イ)カトリックの聖職はどの点で,一般から特別祭司職に変化した,いわゆるクリスチャン聖職の著しい手本となっていますか。(ロ)この変化はなぜ悪魔的なものでしたか。
23 ローマカトリック教会の祭司制はこの著しい例です。その祭司職は特別祭司職の仕組を模倣し,権力,教育,外見において一般信徒の上に位する別個の階級を作っています。またそれだけに留まらず,実際の祭壇のある寺院を建築し,そこにはべる者には特別な衣服を着せて一般の教会員とは区別しています。特別祭司職に完全に戻るため,教会はキリスト・イエスをその祭壇上に意のままに引きおろしてイエスの文字通りの肉と血をローマカトリックのミサにおいて犠牲にする権を特別な聖別によって有すると主張します。一般祭司職から特別祭司職への変容は,クリスチャンの外見が失われない限度で最大限に行なわれました。神のことばを活発に伝道する神の僕になる権利を教会員から奪い,教会員を無知で,しばしば文盲な人々の集団にしてしまった聖職者は,教会から神の御霊を消し去り,福音をひろめた初期クリスチャンの強い力を教会から奪ってしまったのです。こうして神とキリストに関する真理が世に勝つはずであるのに,その事を成し遂げるような革新は成就されませんでした。この変容は悪魔的なものです。
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今日の一般祭司職ものみの塔 1963 | 6月15日
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今日の一般祭司職
「その後わたしはわが霊をすべての肉なる者に注ぐ。あなたがたのむすこ,娘は預言をし,あなたがたの老人たちは夢を見,あなたがたの若者たちは幻を見る。その日わたしはまたわが霊をしもべ,はしために注ぐ」。―ヨエル 2:28,29,新口
1,2 一般祭司職の復興を目ざす,キリスト教国の今日の運動を推進しているのは誰ですか。その動機は何ですか。
何世紀ものあいだキリスト教国の神学者は,その支持する教会組織が,特別祭司職を持つゆえに非クリスチャン,非聖書的なものであることを承知していました。しかし彼らがこれを問題にし始めたのはこの20世紀になってからです。いまでは「一般祭司職」に関する論議が盛んに行なわれています。何世紀にもわたって無活動にされてきた「一般信徒」を再び活動させようとするキリスト教国の現在の運動を先に立って進めているのは,意外なことに,階級組織で固められたローマカトリック教会です。
2 しかし注意すべきことに,その動機は教会組織を初期教会の一般祭司職に戻そうというよりも,むしろ聖職を希望するローマカトリックの男子がきわめて少ないために生じた切実な必要に対処することにあるのです。a 聖職者の不足は世界権力の獲得を挫折させる恐れにもつながるため,カトリックの一般信徒を活動させる必要が起きました。教会における一般祭司職が論議される理由はここにあり,そうでなければこの古い教義に注意が喚起されることはまずなかったでしょう。
3 法王ピオ12世によれば,すべてのカトリック信徒が参加できる一般使徒職がありますか。使徒職に与る一般信徒は,祭司と同等になりますか。
3 1957年,イタリアのローマで開かれた第2回世界俗人使徒職会議において,法王ピオ12世はカトリック教会内に2つの使徒職すなわち「聖職たる使徒職」と「俗人の使徒職」とがあることを説明しました。「宗教を教えることを委ねられた俗人は,聖職授任命令を受けた事実またおそらくは教えることを唯一の専門的な仕事にしていることによって,俗人使徒職から『聖職たる使徒職』に移るのであろうか」。法王の提起したこの質問の答えは否でした。教えを授ける実際の権は法王と司祭にのみ属しているのです。「助祭,俗人を問わず他のすべての者は,忠実な人々を正しく教え導くことを教会当局から委ねられたのであり,その限りにおいて協力者の役をはたす」。b
4 ローマカトリックの一般信徒が参加するように要望されている祭司職はどれほど一般的なものですか。
4 つまり一般祭司職がどれほど論議されていても,カトリック教会が今よりのち品級を廃して一般信徒に聖書と聖書研究の手引を与え,すべてのカトリック信徒が神のことばを他の人に伝道してクリスチャンの務をはたすようになることは期待できないのです。法王ピオ12世によれば,「厳密な意味においては,すべてのクリスチャンが俗人使徒職に召されているのではない」ので,c 俗人の中の選ばれ,特別な訓練を受けた少数者だけがこのために用いられるのです。そしてこのような最高位にある俗人宣教者には年額1万2千ドルまでの俸給が教会から支払われます。d それでこれはだれでもが与れるというものではありません。
5 一般信徒は「それほど正確でない用語法」において使徒職に与ると,法王が述べているのはなぜですか。彼らには何が期待されていますか。
5 ではカトリックの信仰を「正しく教える」ことを委ねられていなくても,なお「一般祭司職」に与るように求められている他の何百万のカトリック信徒は何をするのですか。「厳密な意味において俗人使徒職に召されていない」とはいえ,これらの人々は「それほど正確でない広義の用語法における」使徒職の模範となり,祈りをすることによって使徒職に与ることをすすめられています。「それほど正確でない広義の用語法における」使徒職と言われる理由は,もう少しくわしくしらべるとき明白になります。これら何百万人のカトリック信者は,初期教会の特色であった霊のいけにえすなわち「御名をたたえるくちびるの実」を神にささげるわざをせず,また一般祭司職の諸原則に伴う奉仕の特権を持っていません。法王ピオ12世によれば,これらカトリック信徒の務は職場においてカトリック細胞を形成し,経済,社会,政治面に進出し,労働組合運動,生産者および消費者の協同団体またユネスコのような国際団体に加わって「キリスト教的な性格をそれに与える」e ことです。
6 一般祭司職を実践していると言われるカトリックのプログラムは,何を思い起こさせますか。それは過去において何のために使われましたか。
6 これは初期クリスチャン一般祭司職の熱心な伝道活動よりも,ある種の政治運動で使われる潜入作戦に似ています。一般のカトリック信徒の運動のうち,最も重要なものはいわゆるカトリック・アクションであり,教会はヒトラ支配下のドイツにおいてナチスがナチ党軍隊を用いたのと同じやり方で,この準宗教運動をしばしば利用してきました。たとえば第二次世界大戦中およびその直前にアメリカ合衆国その他の国々において,教会はエホバの証者の宗教的な集会で語られる事実を好まなかったため,カトリック・アクションを用い,暴力によって証者の集会を中止させようと図りました。f
7 (イ)教会の一般信徒使徒職に参加を求める声に,カトリックの一般信徒はどう応じていますか。(ロ)カトリック教会に一般祭司職はないと,はっきり言えますか。何が欠けていますか。
7 これほどの努力にもかかわらず成果の思わしくないことが嘆かれています。ボンベイの大司教バレリアン・グラシアス師はこう語りました,「大多数の人は知的能力と道義心を持ち,教会の使徒職に活発に参加して大きな力となり得るのに,その事には無関心で何もしていないのは,どうした事であろうか。聖パウロの言葉を借りて言えば,今日すべての人は自分の利益のみを求め,キリストの益を求めていない。その心は燃えておらず,消えかけた燃えさしのようである。たいていのカトリック信徒の考えに従えば,教会は加入しているだけのもので,教会を活動的な組織と見る考え方は忘れられてしまった」。g このすべてから明白なように,ローマカトリック教会の一般祭司職なるものは本当の意味の一般祭司職ではなく,その努力は神の御霊の助けを得ていません。―使行 1:8。
8 ギリシャ正教会は,一般祭司職に関するキリスト教国の論議に加わっていますか。
8 ギリシャ正教会の組織はローマカトリック教会のそれと同じく階級組織的なものですが,ローマカトリック教会と異なり,一般祭司職に関するその論議に見るべきものはありません。
新教と一般祭司職
9 (イ)何世紀ものあいだ忘れられていた一般祭司職に,どのように注意が喚起されましたか。(ロ)ルーテルは一般祭司職をどのように説明しましたか。
9 一般祭司職の教えを再び明るみに出したのは,改革者のルーテルでした。ルーテルは聖書の熱心な研究者であり,特別祭司職を設置したカトリック教会が如何に初期教会から離れ去ったかを見てとりました。そして自分の見出したものを大いに活用して法王と戦いました。「我々すべてはバプテスマを受けたとき,聖別されて祭司となった」と,ルーテルは強調し,すでにバプテスマを受けたクリスチャンを任命の儀式によって祭司にするという法王の考えを嘲笑しています。「法王あるいは司祭が塗油式,剃髪式を行ない,平信徒とは異なる衣服を人に着せて任命し,聖別したところで,その人は偽善者か愚か者になるのがおちで,クリスチャンあるいは霊的な人にはならぬ」。h
10 (イ)ルーテルは,何がクリスチャンのおもな務であると考えましたか。(ロ)一般祭司職の教義を再発見したルーテルは,何をしましたか。どんな結果になりましたか。
10 こうしてルーテルはその新しく設立した教会において,非常な熱意を抱いて一般祭司職を実践することにとりかかりました。そしてクリスチャンのなすべき最重要なわざは,祭司の務のすべてを包含するわざ,すなわち「神のことばを教える」ことであると説いたのです。i しかしルーテルはこの点で敗北をこうむりました。カトリック教会の下にあって霊的に全く顧みられることのなかった一般の人々にとって,一般祭司職とその務はとうてい理解し得ないものであることを,ルーテルは思い知らされただけでした。ルーテルの始めた改革のこの面は,後継者に受け継がれず,それは立ち消えになってしまったのです。
11 ほかにだれが一般祭司職の実践に努めましたか。どんな成果をあげましたか。
11 中央ヨーロッパのヴァルド派,英国のロラード派など,宗教改革以前に起きた運動においても,一般祭司職を復興しようとする試みがありました。宗教改革以後のドイツで始まった敬けん派の運動,また現代のオックスフォード運動においても,同様な試みがある程度まで見られますが,そのいずれも明らかに神の聖霊を受けていません。それらはみな無に帰したからです。今日のルーテル教会においてさえ,事態はルーテルの時から変っておらず,クリスチャン一般祭司職の教義は理論の上で認められても,実践されていません。
12 (イ)新教のある牧師は,その教会に一般祭司職があることを主張してなんと言いますか。実情はどうですか。(ロ)デンマークおよびスエーデンのルーテル・ステイト・チャーチを例にとっても,一般祭司職の存在しないことはどのように明らかですか。
12 それにもかかわらず,聖公会以外の新教の牧師の多くはルーテル派をも含めて,自分たちの教会には一般祭司職があり,牧師は特別のつとめのために教会員の中から選ばれた僕に過ぎないと,主張します。理論的には会衆のどのメンバーも奉仕者の務をはたせることになっています。それはアメリカに移住した人々が,「本職の」牧師の来るまで信徒の中から最も適した人を選んで牧師とし,あるいは一般に船長が乗組員と船客に対して牧師の役をつとめるのと余り変りません。しかしルーテル派を含めて新教の教会に特別祭司職があるのは事実です。普通には,特別に任命された人でない限り,伝道したり,教会において儀式を執り行なうことはできません。特別に学問的な研究をしなければ任命されないのが普通であり,また少なくても牧師の務をしている時には他の人々と異なる衣服を着けます。例外はほとんど無く,これがあたりまえのことになっています。新教の諸教会は初期教会と同じではありません。ノルウェーのハレスビイ教授の言う如く,初期教会において「教会のあらゆる儀式は,どのクリスチャンでもこれを執り行なうことができた』のです。j それで一般祭司職のことを教えながらも,実際には特別祭司職の存在していることを,新教の正直な牧師は認めています。k
無益な試み
13,14 キリスト教国の新教が,一般祭司職の点で現状に満足していないことは,どうしてわかりますか。
13 一般祭司職の教えを実践するという点において初期クリスチャンとは著しくかけ離れている現実に直面するとき,クリスチャンと称する教会はなすべき事を知りながらその能力に欠けることを苦慮せずにはいられません。そこで1948年,世界教会会議がアムステルダムに設置されたとき,「世界における教会となるように一般信徒を助ける責任を諸教会に銘記させる」目的で,「一般信徒に関する部門」が設置されました。l
14 アムステルダムにおける教会会議の報告に次の言葉が出ています。「教会を指して『王なる祭司・潔き国人・神につける民』(ペテロ前 2:9)また『キリストのからだ』(エペソ 4:16)と呼ぶことの意味を再考しなければならぬ。すべての教会員が各人の分に応じて教会のこの働きに寄与する」。a 1954年のアメリカ,エバンストンにおける会議の報告はこう述べています,「『一般信徒の宣教』という言葉があることからも分かる通り,キリストの宣教に参加するのは,すべてのクリスチャンの特権である。我々はすべてバプテスマを受けたこと,キリストは仕えるために来られたのであり,従ってすべてのクリスチャンはキリストの救いの目的を宣べ伝える者であるという事実を,再認識しなければならぬ」。b 新教は,クリスチャンであることの意味,また次の事実にようやく目ざめつつあります。すなわち一般祭司職を持つべきであるのに,新教制度にはそれがないこと,それで何らかの手を打たねばならぬという事です。
15 (イ)新教の平信徒は,一般祭司職を求める声に普通どう応じますか。(ロ)一般祭司職を実践するには何が必要ですか。
15 カトリック教会と同じく,新教の牧師は,一般祭司職を実現しようとする努力がなかなか成功しないことを嘆いています。「自発的に,また無報酬でクリスチャンの伝道のわざに働く人々は,二,三十年前にくらべて著しく減ってしまった。時に応じて自由に証をたて,また祈るクリスチャンも減少している。責任をにない,荷を喜んで負う人を見つけるのは困難である」と,ノルウェーの一牧師はその国の状態を述べています。c これを聞くと,ロマ書 9章16節が思い起こされるではありませんか。「ゆえに,それは人間の意志や努力によるのではなく,ただ神のあわれみによるのである」。(新
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